4 「ランゼ視点」
始まりは、余りにも普通の日常で芽生えたことだった。
「兄さん、疲れているの?」
6歳のころだろうか。弟のシルファが、ある日僕に向かってそういった。
全くその通りだった。僕は最近、全然寝付けず、体が重くて仕方がなかった。
「大丈夫だよ、シルファ。僕は全然元気だから」
そんなに分かりやすかったのだろうか?いつも通りに振舞っていたはずなのだが……。
弟に心配させるわけにはいかなく、笑って元気アピールをしておいた。
純粋な弟のことだ。すぐに興味を失ってどこかにいくだろう……。そう思っていたのだが、弟は頬を膨らませて僕の手を強引に握った。
「嘘つかないで!俺には分かるんだからね!」
頬を膨らませてから僕を睨むと、目を瞑り、集中するように息を深く吸った。シルファの中から、キラキラした何かが出てきて、僕の身体を包み込んだ。
「なっ…」
「兄さん、大丈夫、力を抜いて」
困惑する僕を落ち着かせるように、優しい声が聞こえた。言われるがままに力を抜いて、シルファに身体を委ねた。
何だろう…。暖かくて、心地がいい。
「…あれ」
気づけば、歩くのが辛いくらいに重かった体は、驚くほどに軽くなっていた。
胸の中にあった疲れが吹き飛ばされて、すっきりした感覚に戻った。
「シルファ……?」
僕はその時、戯言のように呟いた。
この少年は、天才だった。
昔から頭がよく、学校に行っていないのに文字が書けた。本も読めた。
僕は文字が読めない。だから弟に教えてもらっていた。その飛びぬけた頭脳に、自惚れることなく彼は必要な時に力を使った。
羨ましい。四文字の言葉が、僕の頭の中で渦巻いていた。自分の強大な力に感化されることもなく、それをも受け止めて純粋無垢な瞳で僕を見ていた。大好きで、大嫌いな弟。
優しさに満ちた天才少年を神は愛した。
シルファはある日突然、「異能』を持った。きっかけは些細なことで、兄が疲れているのをどうにかしたい。
強くそう願った末に、力を手に入れていたんだとか。
兄を思って生まれた異能。
そんなものに、憎しみを向けるのは気が引けた。
憎しみではない。嫉妬だ。
僕は弟に嫉妬しているのだ。僕は母が大嫌いだった。
シルファが生まれる前、父と母が揉めている所を何度か目にしたことがあった。
そんな夜は毛布に包まって、朝が来るのを只管に望んでいた。しかし一週間が経過したころ、朝起きると父は、姿を消していた。
母は言った。
「あの人は貴方たちを捨てた。私のことも捨てた。何も分かっていなかったのよ」
譫言のように遠い目をしてぼやく母は、ゆるりと少し膨らんだ腹を撫でた。あの時受けた衝撃は、今でも忘れられない。
僕にとっての父は一言で纏めるとパッとしない人だった。
偶に怒る、偶に優しくなる。どこにでもいそうな人だった。そんな父だが、不思議と嫌いではなかった。一緒に居て、居心地が良かった。
その時僕は、父に裏切られたのだと悟った。僕を置いて、母と二人にしたのだと。
母は父と一緒に居るとき、笑顔が特徴的で、兎に角優しい人だった。
だが、完璧な母が僕にとっては恐怖でしかなかった。
笑っているのに、笑っていない。
僕には見えてしまっていたのだ。一瞬だけ、母の中に渦巻く黒い塊を。
「…大丈夫だよ、母さん。僕がいる」
僕は安心させるような笑みを浮かべて、母に寄り添うように背中を撫でた。心の中では恐れや憎悪を吐いているのに、現実では都合の良い言葉だけがすらすらと出てくる。それが人間なんだ。僕にはこの感情を、どうにもできない。
きっと大丈夫。僕はその時、そう思っていた。
僕の軽い安堵は、完膚なきまで破壊されることになる。
次の日、地味に色の可笑しい地面の部分を庭で見つけた。不思議に思って掘ってみると、父が出てきた。
触れてみるが驚くほどに冷たく、死んでいるのだと悟った。
僕の行動は早かった。すぐさま父の遺体を埋め治し、何事もなかったかのようにな堀ったシャベルを元の場所に戻し、母には散歩に行っていたのだと伝えた。
部屋に戻った途端、体の力が抜けて、扉を支えにずり落ちた。
父が、死んでいた。
涙の代わりか、気持ち悪いほど冷や汗が流れ出し、次いで吐き気が襲ってきた。
何故か僕は、泣いてはいなかった。僕は鏡で自分を見た。酷い顔だった。
しかし、まだ悲劇は続いていた。
弟が生まれてから4年たったある日のこと、弟は本を読んで見せた。声に出して、知らない言語だって数日経てばすぐに読めるようになった。
僕は恐怖した。
嗚呼──
このままでは居場所が奪われてしまうと。
弟の聡明さは母にも直ぐに悟られ、彼女は大いに喜んだ。
それから僕を見る目が変わったのは言うまでもない。何にでも即座に対応撃出来る弟とは違い、僕はただのお荷物だった。
「どうして?どうしてなのッ!?」
母は僕に毎日のように暴力を振るい、懺悔の言葉を只管叫んでいた。
「貴方は何で完璧になれないの!?何で失敗作なの!?」
「…」
「聞いてんだよ!!」
力強く平手打ちされた。地面に倒れこんだ僕を、唯々踏みつける。
失敗作になった理由?そんなん知るかよ。理由なんてないし、あるわけがない。
きっと、神が僕にこうやって生まれてくるのを望んだだけ。完璧になれない?当たり前だろ、お前だって不出来の癖に。言葉にならない悲鳴が、口から洩れた。
僕が言いたいのは本音。此奴に僕は完璧じゃない、不出来な人間なんだ!って叫んでやりたい。後のことを思うと言葉が出なくなる。臆病者だ。親に自分の思っていることを吐き出せる奴はすごい。でもそれが、当たり前なわけじゃない。
僕は泣けない。泣けないんだ。
鈴が鳴った。母が暴力を振るう手を止め、急いで玄関へと向かった。
玄関には弟が立っていた。
「ただいま!母さん!」
「おかえりなさい、シルファ」
母は弟を見るなり顔を綻ばせて小さな体を優しく抱きしめた。
「兄さん!ただいま!」
後ろに立っていた僕の姿に気づいたのか、シルファは僕に向かって笑いかけた。
「…嗚呼。お帰り」
その悪意無き純粋無垢な弟が、苦手だった。
だからこそ弟の異能が母に気づかれたとき、母は弟を愛した。
「成功作だ!」と。
成功作?一体彼女は何を言っているのだろう。
父を殺すまでに落ちぶれた母は、もう正常に頭が働かないのだろうか。母に愛され、満更でもなかった弟は、その力を沢山のことに役立てたいでと言い、日々鍛錬するようになった。その様子を見て母は嬉しそうに微笑む。
ランゼは違和感を抱いてしまった。何故少しも気味悪がらないのだと。弟に対する嫉妬から生まれた違和感ではない。生まれつき賢いのはまだ分かる。
だが、急に異能に目覚めてしまったのだ。一瞬でも可笑しいとは思わないものなのだろうか。
異能と言えば、王族が持っている力だ。一般的には能力者、だろうか。
しかし、能力者は決まって王族の血筋からしか生まれてこない。シルファが王族の血筋というのはまずありえない。何故なら、母がシルファを生んだところを見たことがあるからだ。
明らかに、異端。
この人は純粋に子供の成長を喜ぶような人ではない。
明らかに、異常。
疑問を持つ反面、ランゼは恐れを抱いていた。
弟が自分からどんどん離れていく。
母の見る目がもっと厳しくなっていく、何時か、僕は捨てられてしまうんじゃないだろうか…。
それから数年たったある日の夜、僕は喉が渇いて水を取りに、一階へと降りた。一階には母がテーブルに突っ伏しいた。隣りにはアルコール度数の高そうな酒。寝落ちでもしたのだろう。僕は音を立てないように母の横を通り過ぎ、水を取ろうとした。
がしり。
反対の手が、強く掴まれた。息をのんで、笑顔を作る。酔っている母を怒らせてしまうと、何が起きるか分からない。気が触れないように、静かに恐る恐る声を掛けた。
「あの…母さん」
ガラスが割れるような音が鳴った。
同時に、目の前には母が使っていたであろうグラスが砕け散っていた。
「五月蠅い……五月蠅い!」
机の上に会ったワインボトルを僕に振りかぶった。頭に激痛が走って、同時に生暖かいものが流れてくる。
「五月蠅い、五月蠅いッ五月蠅い!」
身動きが取れずに倒れこんだランゼに馬乗りをすると、割れたワインボトルをもう一度叩きつけた。
「痛ッ」
「あんたは金にならない!あの子だけが、あの子だけが私の頼りなの!」
「はっ…金?」
口から血が漏れた。
「そうよ」
母は殴る手を止めて嗤った。
「優秀な私とあの人の血を引いている貴方たちですもの…。どんな子が生まれるかと思えばまさかのスキルなし!?あの時の気分は本当にどん底……まさに絶望だったわ!あの人は別にいいっていったけれども、何もよくなんてない!スキルのない貴方たちなんて、この世界で価値がないのよ!だけれどそんな役ただずを貴族様が買いたいと仰ってくださったの。だから私はあんたたちが「完璧』になるまで育ててあげている……!」
全てを吐き出したかのように、母は嗤っていった。
「じゃあ…その時が来たら…「完璧」になったら……僕たちは」
「売り飛ばすに決まってるじゃない」
明日の天気を答えるくらいに簡単な回答が返ってきた。
「鳴呼、でもシルファは本当に残念ね。スキルがあれば私の子だったのに…。だけどあの子には価値がある。きっと貴方の二倍の値段がつくでしょうねぇ……」
母は頬を上気させると、うっとりした表情でランゼの頬を撫でた。
「あんたはもういらない。完璧にはなれないし、まず価値がないもの。だから今日、あんたは貴族様に買われる。役には立たないけど、スキル無しは貴重だものよかったじゃない」
息が詰まった。
僕は、売られる?弟も?
此奴は僕らを売った金で遊んで暮らすのか?
脳みそを繰り回されたかのように、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「…さなきゃ」
「は?」
「こ……」
そこで、僕の意識は暗転した。
きっと、血を流しすぎてしまったのだろう。
なぜなら僕は、何も出来ない無能なのだから………。
「…んぅ」
目を開けると、真っ暗な場所だった。身動きが一切取れない。
両手両足が縛られていて、箱の中に入っているような状態だった。もしやあの後、僕は売り飛ばされてしまったのだろうか……。
「それにしても…」
「!」
話声が聞こえる。
複数人だろうか。声質的に全員男だ。
「まっさか通りかかったお貴族様を襲ったらこんな上玉を隠し持っているとはな」
「あの女も連れてきた方がよかったんとちゃいます?一応死体でしたが、臓器は売れたかと……」
「あの女は臓器を取り出す以前に死体が綺麗とは言えないくらいぐちゃぐちゃだったからな、仕方ない」
あの女…。もしかしたら母のことだろうか?この感じ、母は殺されていたのか?
もしかしたら酔った勢いで貴族に悪い態度を取ってしまったのかもしれない。
どちらにせよ、今の僕の状況がいいものとは限らない。しかし、弟は…。
持ち上げられたのだろうか、浮遊感に襲われる。何処かに置かれると、光が見えた。
「よぉ坊主。気分はどうだ?」
話しの流れから考えて此処は盗賊のアジトと見て間違いはないだろう。
そして目の前にいる此奴は、周りと比べて上等な服装を着ている。この中では上層部の人間と言ったところか…。何故か僕はしっかりと手当されていた。売り物になるからだろうか?だが、この状況は使える。僕は縛られた手で、服に付着していた血を拭い、地面に「猿轡を外せ』と書いた。
「...ほぉ」
「いい、外してやれ」
そいつは興味を示したのか、後ろにいた奴に命令すると猿響が外された。
「…僕と取引をしないか?」
そういうと、そいつは愉快そうに笑って、部下に軽く手を振ると、近くにあった椅子へと俺を無理矢理座らせた。
「さて、取引するなら対等に話さないとなぁ…」
此奴の意図が分からない。こんなに簡単に話に乗ってくれるとは思わなかった。
「僕を此処の仲間にして欲しい」
「…ほぉ」
「僕は見ての通り、キズモノだ。売っても高くは売れないだろう。しかし僕は情報を掴んだりするのは得意だし、身体能力には自信がある。潜入にもってこいな通気口も、僕なら通れる」
「ふうん、坊主、お前は何を望む?」
「僕以外にも、もう一人子供を捕まえなかったか?」
「嗚呼…持ってこい」
降りにいた奴にそう告げると、もう一つの箱を持ってきて、開けた。もその中には、すやすやと眠っているシルファがいた。
「此奴は僕の弟だ。此奴を一週間、一週間だけ売るのを待ってくれないか?」
「一週間……いいだろう。代わりにお前はここで働くと?」
「嗚呼。誠心誠意お仕えさせて頂きます。弟は一週間、牢屋の中にでも入れておいてください。僕との接触は脱獄の可能性があるので最後の日だけもらえればそれでいいです」
彼はくくく、と喉を鳴らすと、「面白いじゃないか」と言った。
「それでは今後は同じ仲間として、仲良くしようじゃないか。坊主」
「………はい」
彼がそう言った瞬間、僕の行動を蝕んでいた拘束具が、解かれる。
僕たちは握手した。
なぜこんなにもあっさりいってしまったのだろうか。
逆に怖い。だが、少しでもヘマをすれば、僕は殺されるだろう。失敗は許されない。
ちらり、と弟を見る。
大切だが、憎い。愛しているが、嫌い。
そんなごちゃ混ぜになった視線を向けていると、弟は少しうなって、目を覚ました。
「…ぁれ?」
「此処…どこ?」
シルファの瞳が恐怖で覆われ、小刻みに震え始めた。
「怖い…怖いよぉ…」
「母さん?兄さん?」
キョロキョロ辺りを見渡して、僕を視界へと入れた。
「兄さんっ!兄さん!怖いよ!助けて!」
シルファの悲痛な叫びが僕の頭の中に響いた。
僕はそんな弟を見て、物凄い歓喜に身を震わせた。
弟は、弱かったのだ。
交渉をして切り抜けた僕とは違って、ただ怖がり、助けを求めるだけ。そんな姿になってしまえば、お得意の頭脳も意味がない。
この少年は、僕かいなけれは死んでいる。
誰かに頼らないと、生きていけない。
嗚呼、良かった。僕は深い安堵に覆われた。
此奴も僕と同じ無能なのだと。何もできない、ただの餓鬼なのだと…。
僕はシルファにそっと歩み寄ると、優しく抱きしめた。
「大丈夫だよ。シルファ。僕が守ってあげる」
「にいっ…さん…!」
嗚咽を漏らして、涙と鼻水で顔面はぐちゃぐちゃだった。
「だから、我慢しててね」
僕ばそうささやいて弟から離れると、悲しそうな表情を作って、弟から背を向けた。
弟から見えない位置にある僕の表情は、一体どうなっているのだろうか……。
嗚呼、良かった。本当に良かった。大丈夫だよ。無能なお前を、置いて行ったりなんてしないさ。僕が守ってあげなくちゃ、完璧じゃないお前を。
「短い間、よろしくお願いします、統領」
僕は笑ってそういった。
「嗚呼。こちらこそ頼むよ」
相手には、短い間弟を宜しく、という意味に聞こえただろう。
だが、間違っている。
あと少しで、お前は死ぬんだから。
僕は嗤った。




