Ⅷ
耳を切るような風が通り抜けていく。
悲鳴を上げる間もなく、俺は空中にいた。
ぐわっ、
下にいる全長十メートルあたりだろうか。黒狼が大きく口を開け、俺を食べようとしているのが分かる。
「ッ」
何にせよ、急に投げられたせいで俺は手ぶら。俺は何もすることが出来ず重力に伴い落ちていく。
「ほら。貴方の力、見せてみなさい」
ナナの声が聞こえたと思えば、俺の目の前に剣が飛んでくる。
ギリギリのところでキャッチする。どうやら投げてくれたらしい。が、明らかに遅かった。
俺はなすすべもなく黒狼に食べられるのだった。
___________
「……いっつ」
目を開ける。
ぼりぼりと狂暴な歯で食いちぎられるかと覚悟していたのに、今の俺は無傷だった。多分だが、この狼君は俺を誤って飲み込んでしまったのだろう。
一旦、状況確認をせねば。
そう思い辺りを見渡してみると、黒狼という名がつくだけに、内臓やらの臓器は真っ黒だった。
生き物の中身ってこうなっているんだ、へえ~などと言って呑気に観察している場合ではない。
多分こんなところでゆっくりしていたらすぐに溶かされるだろう。
取り合えず、やれることはやってみよう。
俺は心の中で軽く意気込むと、肉体の表面を的として見据え、先ほど貰った剣に力を入れ、大きく振りかぶる。
「……はえ」
金属と金属が重なりあうような音が鳴り、剣はいとも容易く弾かれた。
身体の内部というのに、柔らかくなく、むしろ鎧のように硬い。
元々の肉体が強いのだろう。
じゃあどうやって出れるのだろう。このままでは獣の腹の中でお陀仏することになってしまう。が、それは死んでもごめんだ。こんな死に方はしたくない。
「…ん?」
ふと、気になるものが目に留まった。
それは、血液の移動に合わせて一定の動きで波打っている。近づくと、どくん、どくん、と赤黒い物体がうごめいていた。
そう、この物体の正体は心臓である。
人間の大人の両手サイズくらいだろうか。
よく見るとこの心臓の奥深くに、宝石のような結晶が埋め込まれている。
心臓が波打つとともに、血を結晶に送り込んでいるのが分かる。恐る恐る心臓に触れてみる。
先ほどの肉体のように硬くはなく、非常に柔らかかった。
今はこんなことをやっている場合ではないのだろうが、やはり好奇心には勝てない。
「──これなら」
俺は即座に心臓に指を突っ込み、手を奥へ奥へと持っていく。小さなものを掴んだような感覚を感じ、勢いよく手を心臓から引き抜いた瞬間、耳を劈くような咆哮が響き、俺が立っていた場所が崩れていく。
否。臓器や肉体が滅んでいくのである。
「ぇ」
光が見えた。
気づけば、俺は形のなくなった内臓やら心臓やらなどの物体を頭から被って、元いた地面に突っ立っていた。
「アル!ぼーっとしてないで早く戦いなさい」
声のした方を向くとナナが空を浮きながら此方を観戦していた。
いやお前も戦えよ──?
心の中で愚痴ったとき、黒狼の遠吠えで意識を現実に引き戻す。残った大量の黒狼たちは、俺を親の仇を見るように瞳を爛々とギラつかせ、俺を肉薄にしてしまうような尖った爪で一斉に襲い掛かる。
俺は必死に走り出し、視線を彷徨わさせる。どこだ?どこにいる?俺は体力なら比較的多いほうだが、魔物と比べたら月と鼈ほどの違いがある。
それに加え飢えた狼を何匹も相手するなんて、たまったもんじゃない。
だからこそ、この狼たちを一撃で黙らせる必要があるのだ。
──見つけた。
俺は口角を静かに持ち上げる。
◇
「ダメよ!全っつ然ダメ!動きが同じすぎるわ!パターンが読めちゃうわよ!」
木剣を打ち合う音とともに、厳しい声が森に木霊する。
「っくそ」
レインは木剣を最低限の動きだけで俺の攻撃を回避している。
先手必勝だ!
レインが動いてこないのを見て、隙を少なくして、かつ攻撃の入れる間もない速さでレインに向かって振りかぶる。
が──
「甘い!」
レインはいともたやすく攻撃を躱すと、的確な攻撃を入れた。
木剣が弾かれ、俺は攻撃が出来ない状態になり、首に木剣を当てられた。
レインはふう、と息を吐くと張り詰めた表情を解き、呆れたように俺を見た。
「……これで666勝なのだけれど。貴方、せめて一撃くらいは入れなさいよ」
「……レインが強すぎるんだって」
「私はそこまで強くないわ。並みよ。並み。だから貴方は並み以下ってことよ、頑張りなさい」
「…おう」
「貴方、筋自体は悪くないのよ。剣の構えも悪くないわ」
「問題は動きよ。いちいち相手の攻撃を気にして剣が雑になっているのよ」
「そんなに動きは気にしてないと思うけど………」
「あんた、自分の状況がヤバくなったら先手必勝とでも思って攻撃するでしょ?」
「うっ!」
クリーンヒットだ。
「自分が少しでも追い込まれたら焦っても攻撃しようとするのが駄目なのよ」
「…焦るなって言われても」
「結局は物事を冷静に判断して動く力が必要になるのよ。そうね、軽くシュミレーションしてみましょう」
そういってレインは俺の目を覆った。
「え!?何でここに…」
先ほどまでは何もなかった俺の目の前には、見覚えのある悪魔がいた。
悪魔は此方を見て、馬鹿にするかのようにけたけたと喉を鳴らす。
『安心しなさい。これは幻覚よ』
近くでレインの声がした。
振り返るが、そこにレインの姿はない。
「レインがないけど………」
『1対1の方が集中しやすいと思ってね』
『因みに、幻覚って言っても腕が吹き飛ばされたら腕が吹き飛ばされたような痛みを感じると思うから気をつけなさい』
「は⁉︎そんなん怖いし無理に決まってるだろ⁉︎大体この訓練に何の意味があるんだよ⁉︎」
まずまずこの悪魔には俺勝ったし……。と言うとレインは笑って。
『あの時は貴方のことを思ってあの悪魔が出せる力を制限していたのよ』
「……どれくらい?」
『半分くらいかしら?』
言葉を失った。やっぱり上級ともなれば一筋縄ではいかないらしい。手加減されていたという怒りよりも、目の前の魔物に対する恐怖が俺の心を覆った。
そんな俺の心情を読み取るかのように、レインは優しい声色で語り掛ける。
『大丈夫よ。貴方は決して剣が下手なわけでもない。むしろよくここまで成り上がったわね。ただ、貴方がこの弱点を克服さえすれば、より高みへと向かうことが出来るわ』
『さあ、昇格試験を始めましょう』
◇
「まずは肩の力を抜いて、息を整えてから敵を見なさい』
俺は力を抜き、深呼吸をすると、獲物を見据える。
『相手の動きを見るのよ。相手の弱点を測りなさい』
俺の視線の先に居るのは一つの黒狼。他の黒狼とは違い、その鮮やかな額には、赤い紋章が刻まれている。
あの紋章は黒狼の王たるものに与えられるもの。つまり、この群れの頭首はあの黒狼というわけだ。
視線を数秒交わる。
王は此方を鋭い眼光で見据え、一歩、足を動かした。
俺はその瞬間を逃さまいと地面を力いっぱい蹴って飛翔する。
『相手の動きは少しでも見逃してはいけないわ。どんな手を使ってもいい。相手に少しでも隙を見せさせるのよ』
『そして、誰もが反応出来ない。一瞬で終わらせなさい』
王は俺の動きに驚いたのか、一歩下がる。
『相手を一歩下がらせるだけでいいの。貴方の場合はそのまま押し込みなさい』
もう遅いとでもいうように、俺は剣を滑らせるようにして、腹部を深く切りつける。
手足を切り落とすのは駄目だ。余計に暴れるだろう。ならば、胴体を軽く傷つけるのが吉。
必ず、傷ついたところを反射的に確認しようとしてしまうのがい生き物の習性というものだ。
王の意識がが腹部へと向いたときにく心臓へと勢いよく突きを放つ。
『相手を怠ってはいけない。常に気を張らないといけないのよ』
俺は剣を抜き、もう一度突きの撃てる状態にする。
すると、ぐらり、王の身体が傾き、地面へと倒れた。
そして、体が形を無くし、どろどろと溶けた肉体が液体となり地面に広がった。
振り向く。
王を倒す前まで俺に襲い掛かっていた黒狼達は、声を上げる間もなく溶けていく。
「………はぁ」
気が抜けた。息が上がっていくのが分かる。
俺もまだまだだ。
「お疲れ様。中々良かったじゃない」
ナナが少し驚いたような顔で、俺の隣へと降り立つ。
「ナナお前………後で覚えとけ」
「ごめんなさい。忘れてると思うわ」
良い笑顔で彼女は笑った。糞が。
「……それにしても、ちゃんとレインから学んでたのね」
「……おう。レインには感謝しきれねえよ」
「それは私も同じ思いよ」
ナナが指を鳴らすと、黒狼たちから出た液体でべちゃべちゃになっていた俺の服や体が綺麗になった。
「質問なのだけれど、アル。どうやって黒狼の中から出てきたの?黒狼は外部より内部の方が頑丈で、硬すぎて剣も通らないはずなんだけど」
「えっと、何か心臓にこれがあってさ」
そういい、俺が出したのは紫の小さな結晶。
「これを心臓から引き抜いたら何故か黒狼の身体が崩れ始めて、出ることが出来たんだよ」
「……なるほどね。さっきの王を倒した時も、それを狙ってたってわけね」
「そういうこと」
「ま、いいものを見せてくれてありがとう。アル」
ナナは何事もなかったかのように笑うと、俺の手を引き歩き出す。
「何処いくんだ……?」
「あら?覚えてないの?昨日、沢山歩くから寝ておきなさいって言ったでしょ?」
「…鳴呼」
確かそんなこともあった気がする。
「え、俺戦って疲れてんのに……」
「だから安心して休めるところに行くのよ」
「それに……私だってこんなに遠くにきたことないから、行ってみたい場所だってあるのよ」
ナナはぶっきらぼうにそういうと、俺の手を放し、先へと歩いて行ってしまう。
ナナにもそんな可愛らしい一回かあったのか…。
照れくさそうに歩くナナが珍しくて、思わず頬が緩んだ。
「しかたねぇな………ついていってやるよ」
「…」
「その代わり、絶対に面白いものを見せてくれよ」
「…当たり前じゃない」
ナナは此方を向かず、愛想悪く返事をする。
俺は小走りでナナの横に行くと、気になったことを聞いてみた。
「因みに、何時間くらいで目的地につくんだ?二時間?いや、三時間くらいか?」
不思議に思ってナナをみると、面白がるような笑みを浮かべていた。
「……ふふ、夜通し走り続けて二週間よ」
「は?」
ナナから貰った剣が手から滑り落ち、かしゃん、と虚しい音を立てた。




