Ⅵ
「アル様。リル様から「起きたらすぐに此方に来い」との伝言を預かっております」
起きた直後、扉に控えていた使用人が、頭を下げると用件を伝えた。
適当な返事を返して着替え始める。お母さまが伝言をよこしてくるなんて珍しい。
もしや昨日の遊びがバレたのだろうか…。
だが、そこまで僕に執着していない母のことだ。呼び出して説教などあり得ない。
まあ、呼び出されるとしても僕だけ呼ばれることはないだろう。
多分、ナナも呼び出されるだろうし…。
何て呑気な考えは、直ぐに否定されたことを知る。
着いた先は、母がよくいる謁見の間。
広々とした空間が特徴的であり、真ん中には母が腰かける玉座がある。
謁見の間に行ったことかあるのは両手で数えられるくらい。
中に入ると、驚くべき光景が広がっていた。床に一人の男が血を流し、倒れていたのだ。
「大丈夫ですか!?」
思わず、走って駆け寄る。
この顔、知っている。
確かこの国の騎士団団長だったはず……。
揺さぶり、問いかけたりするが反応は見られない。
なんなら体からどんどん体温が抜け落ちていく。
「くそっ!」
僕にも。僕にもナナみたいな力があれば…。
「…ん?」
ふと、団長の横にナイフが転がっていた。
「…これ」
ナイフの先端には、団長のものと思われる血がべっとりと付いていた。
間違いない。このナイフは、僕がナナから貰ったものである。←
なぜ?ここに…。
頭が上手く回らず、ナイフを持って立ち上がる。ここにいちゃ、いけない気がする。突如、扉を開ける音が鳴った。
振りむく。そこには掃除をしにきたであろう使用人が立っていた。
「ぁ、ぁ」
使用人は生えたように此方を見ると、悲鳴を上げた。
「誰か!誰かっ!アル様が!騎士団長を──!」
悲鳴に駆け付け、沢山の人が集まっていく。
「何の騒ぎかしら?」
凛とした声が見の間に響き渡った。
先ほどまで五月蠅かった奴らは、一瞬で静かになった。使用人は歩く道を作ると、頭を深々と下げた。
「……あら、これはこれは」
そこには、凛然と笑みをたたえた母が立っていた。
「貴方。ついに手を出したのね」
母は、視線を僕の手にあるナイフへと持っていく。
「違う!僕は…」
言い終わる前にリルは指を鳴らした。
「ッ」
身体に重力がのし掛かり耐え切れずに両ひざをつく。
「言い訳無用。これは重罪よ?」
リルは感情の籠らない目で此方を射抜く。そしてリルは刀を出現させると、
「そうね、貴方の首で許してあげましょう」
此方に刀を向けて笑う。周りからは大きな歓声が上がった。
皆、喜んでいるのだ。俺の死に。
「……僕、何のために生きてたんやろ」
静かな呟きが漏れた。そんな小さな声は、周りの歓声に溶け込んでいった。
「貴方が死ぬだけで、多くの人が喜び、救われるのよ」
リルは婚しそうに笑った。こんな表情は一度も見たことがない。僕を殺すことで、母は幸せになれる。
もう、いいんじゃないだろうか。
このまま全部忘れて、死に体をゆだねてしまえば。
全て、楽になるんじゃないだろうか。
何て、甘い誘惑のように母の言葉は心に溶け込んでいった。
涙は出なかった。ただ、何故か喉だけは焼けるように痛くて、苦しかった。
「さようなら。次は生まれてこないでね」
彼女は笑って刀を振り下ろした。
ふわり
銀髪が視界を覆った。
それはまるで舞い降りた天使のようで、周りの人間たちは息をのんだ。
「それは此方の台詞よ。化け物さん」
彼女は刀を受け止め、消滅させる。
「…ナナ、貴方」
「おはようございますお母さま。そしてさようなら」
ナナは大量の剣を浮遊させ、リルに仕向けると、ドレスの端を持ってお辞儀した。
「…」
悲鳴を上げて逃げ纏う使用人を無視し、リルは手をかざした。バチバチ、と電気が弾けるような音が鳴る。
黄金の魔力を振りまき、激怒する彼女が立っていた。無限に生成される消滅の剣は、黄金の魔力によって掻き消されていく。しかし、効いてはいないものの、足止めには成功したようで、逃げ纏う使用人達に紛れ、ナナは僕を抱えて走り出す。
「…持って三十秒かしら」
ナナは懐から通信用の魔道具を取り出し、呼びかける。
「レイン!聞こえているわね!」
『ええ、聞こえるけど…。こんな朝早くからどうしたのかしら?』
「何処でもいい、何処でもいいから私とアルを王都から遠い国へと飛ばして頂戴」
「え、ええ?まあ、いいけど」
後で説明しなさいよ、そう一言だけ言ってレインは通機を切った。
数秒すると、僕たちの下に魔法陣が展開されて、体が浮遊感に包まれたのだった。
◇
転移された先は見たこともない場所だった。
「危なかったわ……」
ナナはふう、と息をつく。
そして軽く深呼吸をすると、心配そうに僕に手を伸ばした。
「アル、その……」
ばんっ!
乾いた音が鳴った。
見上げると、驚いたように瞳を見開くナナがいた。
「触んな…」
自分でも驚くような低い声が出た。
「アル……」
「五月蠅い!」
「僕は…・俺は捨てられたのに!お前は良いよな!ずっとお気に入りだったからよ!どうせお前だって、守ってるフリして何もできずに苦しむ俺を見て、笑ってたんだろ!?何で俺を助けた!何で俺をあのまま死なせてくれなかった!!」
心の奥底で縛り付けていた感情が、一気に流れ出す。ずっと、ずっと分かっていた。
何もできず、何にもなれない俺に価値なんてものはなくて。何かに憧れても、それをつかみ取るのはいつだってお前だ。俺に笑いかけるその笑顔が…まるで嘘みたいで。
その見透かしたような目が、大嫌いで。
結局誰も、俺を見てくれはしない。
それならいっそのこと──
お前だって死んでしまえば良かったのに……
気づけば、俺はずっと握りしめていたナイフを、驚愕で表情を固めたナナに、振りかぶっていた。
俺の手を、赤黒い液体が染め上げていく。
初めて、彼女が血を流すところを見たかもしれない。
「ぁ、あ…」
違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。
「ごめん、なさい…。ごめん、なさい…」
憎いはずなのに、憎めないくらい大切で。こんな自分が嫌で、傷つけてしまったナナが怖くて。人形のように、同じ謝罪を繰り返すだけ。
「……気は、済んだかしら」
ナナは顔を歪めると、いつもとは違う、柔らかい笑みでそう言った。
そんなナナを見て、頭を上下させることしか出来ない。ナナはナイフを引き抜くと、傷には目もくれず、俺を抱きしめた。
「ごめんなさい…。私、貴方のこと何も分かってあげられていなかったわね」
ナナは自嘲するように乾いた笑いを漏らすと、抱きしめる力を強くした。
「私にとって、貴方は本当に大切な弟なの……」
「あの子たちとは違う、ずっと心の支えになってくれていた…」
「強くなって…。貴方を守りたかった」
「でも…逆に貴方を苦しませてしまっていたのね」
ナナはそっと俺から離れると、両手で優しく俺の頬を包み込んだ。
「私がどうなろうと構わない。ただ、自分が死んでもいなんて何があっても言わないで」
「…」
知っていた。ナナの持つ力は才能だけじゃなく、努力の証ということは。
ずっと皆が寝静まったころに一人自主練していた事だって。
でも、それは母に褒められたくて、皆に持ち上げてほしくてやっているんだって、思ってたのに..。
止めたくても止まらない涙が、感情と共に溢れてきて俺の頬を伝う。
嗚咽が止まらず、情けなく声を漏らす。
「ごめ、ん」
そう言えば、ナナは悲しそうに笑った。
「もう、死なないでね。死のうとしたら、私が全力で守るわ」
「っおう」
止まらない涙を拭って、精一杯の笑顔を見せてやった。
「………ごめん、ナナ」
俺が落ち着いたころ、ナナと顔を合わせた瞬間、俺は再び絶望に突き落とされたような気分になった。
ナナの左目からは、だらだらと血が流れているのである。
そう、俺はナナを刺してしまったのである。
半泣きで必死に伝えると、ナナは仕方ない、というように笑った。
その後、血は止まったのだが目は見えないという。ナナが渡してくれたナイフは、師匠に教わった魔法を使い生成したものらしく、
自分では治すことが出来ないらしい。
ナナは気にしていない様子だが、本当に申し訳ない。
ナナの斜め後ろで縮こまていると、彼女は溜息をつき、此方を向いた。
「全く、いいって言ったんだからいいのよ」
「..でも」
「でもじゃない!私が許すって言ったのよ!」
ナナが圧を掛けるように目を合わせてきた。
「じゃ、じゃあせめて、罪滅ぼしを……」
何もしないなんて無理だ。
「…罪滅ぼし?」
ナナは素っ頓狂な声をあげると、考え始める。
「そうねぇ、じゃ、自分を責めないで頂戴」
「え?」
「私からのお願いは以上よ?」
「いや…あの?」
「何?なんか文句でもあるのかしら?」
「すみません。ありません」
ナナの圧には勝てなかった。
「…」
自分を責めない……。
胸の奥が温かくなった気がした。
「…ありがとう」
「ええ」
ナナが差し出してきた手を握る。
「ナナ……俺についてきて、後悔はないのか?」
「勿論よ。そうじゃないと来てないわ」
ナナが可笑しい、とでも言うように笑った。自然なナナの笑顔を見て、つられて俺も笑う。
「死ぬまで一緒にいましょう」
「色々な意味で重い」
ナナの手からは、優しい温もりが伝わってきて、自分は生きているんだと実感する。俺に幸せをくれてありがとう。なんて呟けば、
ナナは飛び切りの笑顔で、こんなんが幸せだって言えないくらい幸せにしてみせるわ。と言って笑ってくれた。
そんな優しさが、心に染みわたって嬉しかった。
そして、俺たちの逃走劇は幕を開けるのであった。
面白いと思った方はブックマーク、評価宜しくお願いします。




