3 嘘つき
お母様に謹慎を言い渡されてしまった私は、1日を自分の部屋で過ごすしかなかった。
そして私には何もする事が無かった。私の読めそうな本はこの屋敷には無いし、刺繍だってまだ習っていない。
勉強道具を持ってきてはいたが今はそんな気分にはなれない。
私は外に出たいと思いながら、窓から庭をずっと見ているしかなかった。
ルークと遊んでいた時はあっという間に時間が過ぎていったのに、何もすることが無いと時間が流れるのが遅い。
そうやって長い一日が過ぎて、二日目の午後の時間も過ぎようとしていた頃、庭の隅の方で何か動くものが視界の隅に入ってきたのでそちらの方をよく見てみたら、ルークがそこにいた。
遊ぶ時はいつも彼の家の方だったので、彼が私の家の庭に来たのは初めてで、ルークは何かを探すように建物の方を見ていた。
私は部屋の窓を開けて手を振る。私に気付いたルークが二階にある私の部屋の窓の下まで来てくれた。
「イエン、調子が悪いのか?」
「そうじゃないの、お母さまに外に出ていたのを知られてしまって部屋から出るなって言われているの」
「そっか、普通の令嬢は木になんて登らないもんな。お転婆をし過ぎたな」
そう言ってルークは苦笑いを浮かべる。
「それとルーク、私もうすぐ王都に戻らないといけないの。この屋敷も借りているだけだから多分もうここには来れない」
私がそう話すとルークは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに笑顔を浮かべてくれた。私にはそれがとての悲しそうに見えた。
「夏が終わってもイエンがずっとここにいてくれたらいいなって思っていたけれど、仕方ないよな」
ルークの琥珀色がきらりと光ったと思ったら、彼はすぐに私に背を向けてしまった。
きっと寂しいのだろう、肩を震わせている彼の背中を見て私はそう思った。ルークは私に子猫のルゥの事はたくさん教えてくれたが、彼自身の家族の事はひとつも話してくれなかった。1度だけ両親の事を聞いてみたのだが「よく知らない」としか言わなかったのだ。
「ちょっとだけ待ってて」
私はルークにひと声掛けてから窓辺から離れる。クロゼットから白いレースのハンカチを取り出して、おやつとして用意されていたクッキーを包み、自分の瞳の色と同じ青色のリボンで端を結んで袋状にした。
「こんなものしか無いけれど良かったら受け取って」
私がそう言うと彼はこちら側を向いてくれた。もう彼の瞳に涙は無かったが、目の周りが少し赤かった。私はクッキーを二階から落として彼に受け取ってもらった。
「ありがとう、イエン。……俺たちってずっと友達だよな?」
いつもの気が強そうな彼とは違い、自信が無さそうに彼は私に聞いてきたので私はすぐに答えた。
「うん、ルークと私はずっと友達だよ!」
帰りがたく思っているのか、ルークは少しの間私を見上げていたので、私もルークを見ていた。
「あのさ、イエン。……大人になったら会いに行ってもいい?」
遠慮がちにそう言う彼を見ていたら、私も彼とはもう会えないのかもしれないと思えてしまい胸がキュウと苦しくなってしまい、視界がぼやけてきてしまった。
「うん、待ってる」
「おい坊主!そこで何をしている!」
突然の声に驚い見てみたら、この屋敷の管理人に雇われている庭師が走ってルークのそばへ行き、乱暴な手つきでルークの腕を引っ張り、あっという間に屋敷の玄関の方へルークを連れて行ってしまった。
「やめて!乱暴な事はしないで!」
庭師は我が家で雇われているのではないので、子供の私の言う事なんて聞いてはくれなかった。
私は急いで一階へと降りたのだが、ルークを連れた庭師はちょうどお父さまのいる執務室へ入っていったところだった。
「お父さま、開けて下さい!」
力の限りドアをノックしていたらドアが開いたのだが、出てきたのは先ほどの庭師で、無愛想な庭師はすぐにドアを閉めて部屋から出ていってしまった。
庭師がドアを開けた時に一瞬だけ部屋の中が見えたが、執務机の前に座っているお父様と机を挟んでお父さまと向かい合うように立っているルークの姿が少し見えただけだった。
しばらくするとドアが再び開き、家令のスミスに連れられるようにルークが出てきた。
「大丈夫?ルーク?」
私は彼に声を掛けてみたが、彼は下を向いたまま何も答えてくれなかった。
「スミス、ルークにひどい事はしていないわよね」
私は必死になってスミスに縋った。
「大丈夫ですよ、お嬢様」
そう言うとスミスは穏やかに笑顔を浮かべてくれた。彼とは対照的にルークに顔には何の表情も浮かんでいなかった。彼の手には私が渡したクッキーがあったので、何か言われたかもしれないけれど、叩かれたり鞭で打たれるような罰を受けた様子が無かった事に少しだけ安心した。
「イエンナ、こちらへ来なさい」
私はルークがどこへ連れて行かれるのかが気になって彼らの後ろ姿を見ていたが、先ほどよりも少し低い声色でお父さまに名前を呼ばれてしまった。
「イエンナ」
まるで急かすようにお父さまが再び私の名前を呼ぶ。私は仕方なく執務室へ入ってドアを閉めた。
「イエンナ、お前があの子供と何をしていたのかを聞いた。隣家に忍び込むような真似は二度とするな。罰として今晩の夕食は抜きだ。あの子供とは今後一切関わるな、話はそれだけだ。自分の部屋で反省をしていなさい」
「申し訳ありませんでした」
私は父に言われるままに自分の部屋へ戻って窓から外を見た。門の方から歩いてきたスミスがひとりで玄関へ入ろうとしているのが見えた。時間的な事を考えてもルークを門まで見送って帰ってきたところなのだろう。
「良かった、無事に帰れたんだ」
平民の彼が貴族の家に忍び込んだのだから、私は彼がひどい罰を受けるのではないかと心配していたのだが、何事も無く帰してもらえた事に胸を撫で下ろした。
◆◆◆
あの一件から3日後に私たちは王都へ帰る事になった。本当はあと数日ほど滞在する予定だったのだが、予定が繰り上がったのはきっと私のせいだろう。
私たち家族を乗せた馬車が門を出ようとした時、外から私の名前を呼ぶ声がした。
驚いて立ち上がり、外へ視線を送ると、ルークが私たちの乗る馬車に並走するように走っていた。私はルークに最後の挨拶がしたくて窓を開けようとしたのだが、お母さまにはやんわりと手を握られてしまい、お父さまには無言で首を横に振られてしまったので私は腰を下ろすしかなかった。ルークが見える窓とは反対の窓際に座ってしまったので、座ったままでは彼の顔が見れない。
数回ルークは私の名前を呼んだが、私が返事をしない事を知っていても馬車を追いかけるように走り、中にいる私へ大きな声を出して話しかけてくれた。馬車は少しずつスピードを上げていく。
「俺たち、友達だよなっ!」
その言葉を聞いた私は、自分の目から涙があふれるのが止まらなくなってしまった。
数日前、私は彼にずっと友達だと約束をしたのに、私は彼の気持ちを裏切ってしまった。
馬車の速度が上がり、子供の彼の足では追いつけなくなった辺りで聞こえた叫び声を聞いて私は耳を塞いでしまった。
彼は最後に『嘘つき!』と叫んでいた。
あの時以来、彼の事を思い出すと胸が痛くなって涙が出そうになる。会いたいという気持ちはあるけれど、きっと私は彼に嫌われてしまった。
ため息ばかりついている私に、同じ男の子の事ばかり考えているのならそれは恋じゃないかと時々お茶会で会う少し年上の友人が教えてくれた。
もしかしたら私はルークに恋をしていたのかもしれない。しかし私の初恋はあまりに脆く、気付いた時には壊れてしまっていた。