15 嘘つきじゃない私は婚約を望まれる
「念の為に確認をしたいのだけれど、私には弟がいるの。あなたの家に妹はいないわよね?」
「俺には兄妹はいない」
クリストフェルは簡潔に答えてくれるが、私としてはもう少し詳しく教えてほしいところだった。
「じゃあ、婚約の打診って?」
「イエンと俺との話だ」
「聞いてない、聞いていない、そんなの聞いてないっ」
「……そんなに嫌だったのか?」
クリストフェルが焦った様子でガタリと音を立てて立ち上がった。
「違うわ、だってこんなに大切な事なのにひと言も教えてくれなかったのよ。ひどいと思わない?今日もどこに行くのか教えてもらえなかったからドレスだって適当なのを着てきちゃったわ!」
クリストフェルとの婚約話が進んでいて、彼の家へ行くというのならお気に入りのドレスを着ただろうし、アクセサリーだって彼の瞳の色に合わせて琥珀を使ったものを着けたのに、無難そうなデザインのベージュのドレスに小さなサファイアのネックレスだけで来てしまった、こんなの嫌だ。
「いや、それは……、俺から話したいって伝えていたから。イエンの反応を見て嫌そうだったら今ならこの話を俺の一存で無かった事に出来るんだ」
「どうしてそんな風に思うの?」
「だって席が隣なのにこれまで一度も話しかけられた事が無いし、委員の仕事も全然手伝ってくれないだろう。それにクラスの他の奴らに比べて俺だけ距離を取られている」
「だってそれは……」
そう、私はずっと彼と関わる事を避けてきた。どうやらそれは彼にも伝わっていたようだった。
「……それは、私が以前あなたを傷つけてしまったから、あなたはずっと怒っていると思っていたのよ」
「え、俺ってそんなに心の狭い奴だって思われていたの?」
心外だと言わんばかりにクリストフェルが眉を顰める。
「新入生歓迎会の時に助けてくれたから、違うかもとは思っていたけれど、私はずっとあなたに対して罪悪感を持っていたのよ」
「確かにあの時はショックだったけれど、普通の親なら家同士の事やあの頃の俺の様子を見たら自分の娘を近づけさせたくないと思う事は俺だってもう理解できるよ。イエンも俺も幼くてどうしようもできなかった事だったって今は思っている。それに俺だってあの時はイエンにひどい言葉を投げつけた」
そう言いながらクリストフェルはお茶の入ったカップを見る。
「初めてロッシュ伯爵に会った時、俺はイエンと結婚させて欲しいって言ったんだ。伯爵には家同士の事が無かったとしても、俺のような貴族の責任も放棄しているような奴にイエンは渡せないってきっぱり言われて、俺は自分の身なりを笑われたんだ。あの時はくやしかったけれど、あれから家令に頼んで家庭教師に再び来てもらって、貴族令息として身に付けるべき事を学び始めたんだ。そしてやっと父に認められ始めた頃に、約束を取り付けたんだ」
「約束?」
「学園を首席で入学が出来たら、高位貴族の中から選ぶ事を条件に、婚約者は自分で選べる約束を望んだんだ。それまで反抗的だった俺が変わった事と、高位貴族の令嬢ならばという事で書面で父と契約した。伯爵がイエンとアイツの婚約をさっさと纏めてしまったと知った時には呆然としたけれど、その頃には学ぶ事も楽しくなっていたから様子を見る事にしたんだ」
「つまりは、この婚約話はあなたが進めてくれていたって事?」
「ああ、そういう事になる。イエンが婚約破棄をしてすぐに領地にいる父に手紙をしたんだ。俺の望む相手がロッシュ家の令嬢とは思わなかったと返事に書いていたが、ロッシュ家との和解は貴族としての評判を上げる事に繋がる事と、イエンは優秀だから我が家にとってもプラスになると伝えたら、後は父の方でうまく伯爵と話してくれたらしく、やっと婚約の許可をもらえたんだ」
傷物となってしまった私が侯爵家へ嫁入りなんて奇跡的な事だし、その相手がクリストフェルだなんて私にとっては夢のような話だ。
しかも私は彼に望まれている。そう思うだけで私は舞い上がってしまいそうな気持ちになった。
……まずい、嬉し過ぎて泣いてしまいそうだわ。
高祖父や曽祖父たちの事を思うと父は悩んだのかもしれないが、最終的にこの婚約を認めてくれた父に私は感謝の気持ちを抱いた。
「俺は父と母を見ているから、政略結婚で仮面夫婦というのだけは嫌なんだ。もしもイエンがこの結婚に反対だったらはっきりとここで断って欲しい」
琥珀色の瞳が私をじっと見つめる。これは私もちゃんと答えないといけない。
「8歳の時、私はあなたと過ごす事がただ楽しかったの。王都に戻ってからあなたの事が好きだったんじゃないのかなって気付いたわ。学園で再会してからは、今までに色々な事があったからあなたに近づけなくて、でもあなたとはもっと話がしたいっていつも思っていたわ。貴方に望まれた事が今はすごく嬉しい。……これから、また好きに、なれる気がするの。……ごめんなさい、突然過ぎて気持ちの整理が追いつかない。これが今の私の正直な気持ちなの。これだけでは駄目かしら?」
私は自分の頬が熱くなるのを感じていた。クリストフェルにはもう嘘をつきたくなかったから、今の正直な気持ちを話した。
「いいよ、充分だ。よろしくイエン」
そう言ってクリストフェルが手を差し出してくれたので、私は彼の手を握り返した。
「婚約者というよりも友達みたいね。よろしくお願いします、クリストフェル」
「やっと俺の名前を呼んでくれたな」
そう言ってクリストフェルが目を細め、昔のように笑ってくれた。
「ええ、あなたの名前を呼べない理由はもうないもの」
私はやっと彼とのわだかまりを解く事ができた。私の中で止まっていた時間がようやく動き出したような気がした。
いつかまた二人で、クリストフェルが育ったツリーハウスがあるあの別宅へまた行ってみたい、私はそう思った。
完結までお付き合いくださりありがとうございました。
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