第三話 体たらくへの開けた線路
『王道』号は戦闘から帰還すべく後方車両からの遠隔操作で大地を疾走していた。
高田葵と宮原佐倉の会話が眠りについていた男の意識をゆっくりと水面へと引き上げて行く。
「今回は本陣ではないと?」
「そう言う事になります。しかし状況がひっ迫しているのも事実です。ですが足並みがそろってない。恐らく内部の権力闘争が絡んでいるかと」
「宗主国と傀儡で足並みが揃ってないのか・・・目が覚めたか?」
宮原の言葉と共に高田葵も振り返ると男の視界は明瞭になりゆっくりと意識が覚醒しようとした。
しかし喋れるほどまだ頭は回らず意識も朦朧としている、二人が近付き彼も話そうとするも再び意識が朦朧とし目を閉じてしまった。
「まだ万全ではないか」
「この後はどうする?恐らくお前は命令無視で軍法会議待ったなしだ。」
「早ってしまいました。私の判断ミスです。然し…」
攻撃で瓦解された街を走ると胸が痛む。和オ戦争の時もそうだった、敵の軌道要塞からの砲撃で瓦解した街はいつも建物の僅かな破片を地面に残すだけでそれすら瓦礫に埋もれてしまう。
(蟻地獄に嵌ったか…)
葵の視線の先にある砲撃で地面に穿かれた大穴が自らを嵌めた蟻地獄に見えた。
『王道』号は線路を疾走しながら東栄の街へ入る為の準備整えるべくブレーキを掛け速度を落として行く。
電気式ディスクブレーキの制動音が外に響き始め瓦礫の街へと木霊していった。
東栄軌道要塞整備場
「高田葵はいるか!?高田葵だ!」
停車した『王道』号では一人の中年の男が「胸倉を掴み殴り倒すことが俺らしさだ」と言わんばかりの気迫を帯びながら整備場で怒鳴り散らしていた。
「私だ。」
「貴様仕事を増やすな!」
内閣総理大臣の葛西憲明が凄まじい怒号で整備場に殴り込んで来た。
護衛の兵士を引き連れての参上だ、さぞかし立派なご説法でも垂れ流すのだろうと身構えるも葛西がただ一言「高田葵を連行しろ!」と命令した。
「やめて!姉さん!」
「ガキは引っ込め!」
最近益々短期になりつつあった葛西が桐栄を殴り飛ばすと「身の程を知れ若造!」と怒鳴り散らし侮蔑した。
葵の「桐栄!」の声と共に三人が桐栄に駆け寄り「大丈夫か?」と彼を抱えるも「クソガキが殴られたぐらいで偉そうに!」と葛西が逆切れし追い打ちを掛ける。
「お前人として」
「黙れ!俺に命令するか!?それよりよくも仕事を増やしたな!」
「敵が近いうちに事を犯す可能性が高いのです!状況はひっ迫してる!既に」
「そんなもの知らん!オセアニアとの同盟があるぞ!」
「じゃぁ此度の事態に彼等はどう出ましたか?実際」
「知らん知らん知らん!俺はぜんっぜん知らん!」
お決まりの「管轄と責任と言う災い」とやらの考えで知らぬ存ぜぬを突き通す腹積もりだ。
それもそのはず、葛西の頭には次回の総裁選の事しか無かった。戦後、国鉄を食いつぶすことで権力の基盤とした葛西は「鉄食い虫」と侮蔑されながら力強く自分を信じて愚かな道へと突き進み続けるも彼を中心に拡大した利権構造がそれを許し続けた。
そうして自分の中に閉じこもることで現実との交渉を断ち切り眼前に迫る脅威にすら自分の利益不利益を基準にしか考えられずにいた。
「葛西総理、失礼を承知で伺い」
瞬間、蒸気のカーテンの向こうから麻酔銃の針が飛び込み彼女を刺した。
「う…」
麻酔の効果が強いうえ、即座に彼女はゴワゴワとした感覚に身体を包まれると足元から崩れ落ちまともに喋れなくなった。
「姉さん!」
「隊長!」
今度は陽菜と共に再び桐栄が駆け寄るも葛西が憎悪の視線を向けながら二人を蹴り上げ殴り飛ばした。
「大人の邪魔をするな!連れてけ!」
葛西のお目付けの軍人が彼女を連行するとそれを止めようと手を伸ばす桐栄の腕を踵で荒々しく踏みつけ連行した。
「姉・・さん」
そうして力なく倒れると自らの無力さを呪いながら意識を沈めて行った。
幾時間経ったのだろうか?ゆっくりと目が覚め意識が覚醒していくと自分の寝ている部屋の中を宮原が右往左往していた。
『王道』号の第一居住車両にある医務室だ。
「傷はない。これ、何本に見える?ぶれては無いか?」
「綺麗な一本です。」
「よし、問題なしだ。」
指を見せ脳機能の障害の有無を確認すると安堵した宮原は診断書に万年筆を走らせた。
「姉さん!姉さんは!?」
「落ち着け。」
「でも姉さんが!」
「桐栄、事態は私たちの手を放れた。葵の件は向こうに委ねるしかない」
「そんな…」
ホットパンツから映える桐栄の足を覆うシーツに向けて涙が雫となって落ちて行き濡らしてく。
「なんで…なんで・・いつも姉さんは」
「桐栄…」
「探してきます…怖いけど…探します!」
「待て!」
しかし静止する宮原を振り切って桐栄はどこへ行けばとも知らずに外に出た。
「まったく…もしもし、総合指揮室か?ブレーキ試験だがいったん中止だ。桐栄が外に飛び出した。あぁ、すぐ探す」
指揮室の二人に向けて電話をすると「探すか」と呟き机上を簡単に片づけ車外に出た。
車庫内でも声が響き渡ってる。
「桐栄く~ん、どこ~?」
「出ておいで~」
二人の声が響き渡りそこに宮原が来ると「外に通ずる出入口は誰も出てない」と告げられ車庫内を探すことにした。
(しかしデカいな)
葵はこんな怪物を設計したのか、あぁ間違いなく父親に似たんだろうな、と言う感慨が胸中から湧き上がる。
もし時代の流れが違ったら母親のような快活さと愛嬌を兼ね備えていただろう、そんな事をふと思いながら探す為の歩調を速めた。
捜索対象である肝心の桐栄はアッシュピット線路の下に落ち膝をすりむいて動けずにいた。
(お姉ちゃん…)
涙で瞳を蒼い瞳を濡らしながら雫を落とすと愛する姉の姿が脳裏に浮かんで来る。
そんな目を右腕で拭くと小さい時に聞いたはずの子守歌を歌い始めた。
いつ頃に聞いたのかは分からないだけどきっと幼い時にどこかで聞いた歌が脳裏に焼き付いているのだ。
(お姉ちゃん…お姉ちゃん…)
涙で嗚咽しながらふさぎ込みつついつも助けられっぱなしの自分の無力さを呪った。
東栄中央通り
軍法裁判が開くまでの三日間、規定に乗っ取り営倉入りが決定した葵はそれがある地区に向け車に乗せられることになった。
目が覚めた彼女は縄で手を縛られておりそんな自分の無力さに対して怒りでやるせなさを感じるほかなかった。
そんな時、視界に光と広告の暴力が殴り込んで来た。
空襲を受けてない地区を走る線路では花電車を使った番組宣伝をしている、最近流行のラジオドラマの文言とキャラクターを掲げた車両が『ありのままでいい』の文字を模ったケバケバしいネオンサインを光らせ大音量で番組のテーマ曲を奏でながら通りを進んでいた。
『難しい~ことはナンセンス~♪理屈なんて~ポポイのポイ♪あなたはそのままが一番グレイト♪良いも悪いも関係ない♪全部まるごと認めちゃお♪ありのままを~愛しちゃお♪努力?規範?責任?成長?いらないいらないナッシング♪』
(みんな、同じことしか言わなくなった)
最近、新聞や大学教授たちがやたら持ち上げているラジオドラマの主題歌だ。どうにもこの国は内外の愚かなあり方に鈍感になり自分の中に閉じこもることを選択しつつある。
品のない無教養な戯言を絶対視するその先は破滅しかないのだがどうやら地獄へ向かう列車の乗り心地はすこぶる快適なようだ、誰も疑問を示さずそんな自分達自身が本当にそれでいいのかと言う疑念すら抱かない。
(成長してないのは確かだ。)
和オ戦争前は国粋主義が跳躍跋扈した。そして今は「ありのままの自分」だ。分かっている事と言えば主語を置き換え頭の中に閉じこもる事しか果たせない詭弁である事だけ。
そんなことを声高に主張されても困るのだがみんな異口同音にそれしか言わないから結局何も解決せず問題は放置されるがまま生ものが腐る様に悪化の一途をたどる。行き着く先は二度目の破滅だが誰もそこまで考えちゃいない。
そんな風潮が遂には書店にまで及んでいるのか以前は芸術や勉学の指南本などが置かれていた書棚が今や「努力は自己否定!」「勉強が出来なくても貴方は偉い!」「何も出来ない自分を愛そう!」「出来なくてもいいじゃない!」「愚かな自分でも素敵!」「そうか!何もしなくていいんだ!」系の本ばかりになり学生たちが茫然自失となっていた光景が今でも目に焼き付いて離れない。
自分を疑わぬ者達や自分の愚かさを愛する者達が桐栄を追い詰めたと言う事実も重なると全てが目に見えぬグロテスクな怪物の四肢に見えた。
欺瞞が主役としてスポットライトを浴びれてしまう惨状に鬱蒼とした気持ちになる葵の横を窓ガラス一枚隔てて花電車がジョイント音を奏でながら通過する。よけい大きく聞こえて来る頭の痛くなる歌詞が彼女の気持ちを重くさせた。耳を塞ぎたくなる。
(あんな戯言で全てが解決すると思ってる。本当に)
「ひどいですよね。大人ですらあんな言葉に騙されてる。」
運転士が葵の心情を察したのだろう、口を開き一人愚痴る様に飽きれの言葉を放った。軽蔑の眼が捉えているのは花電車からの歌で涙を流せてしまう大人の姿をした者達だ。
状況を変える事が唯一の解決策だと言う真っ当な考えが消え失せ便利で愚かな言葉が全てを愚弄しつつあるこの惨状を誰も疑わない。それは“ありのままでいい”と言う言葉が病んだ環境をも肯定してしまう完全に自己完結してしまった発想だからなのだろう。
「よく分からないです。愚かさを愛することがなぜいいのか私にはまったく。」
「自分を全ての中心にしたのです。本当に下らない風潮ですよ。」
運転士の青年、武村新はそんな考えを抱きながら大通りを進んだ。
オセアニアの車はひどく燃費が悪いそれとも車とは元からそういう機械なのか、そんな疑問をも抱きつつ燃料計を注視しながら営倉にある地区へと走って行った。
(愚者たちの独裁…ウンザリする)
ハンドルの近くには彼の妹の生前の写真が飾られていた、武村は怒りと哀しみで震えるも運転中の視界が涙で滲むのを防ぐべく何とか力んでやり過ごそうとする。
運命の時まであと一時間も無かった。
東栄 総理官邸
総理執務室にいる葛西はいつにも増して苛立ちを覚えていた。今日の『王道』号と楓市における戦闘が原因だ。
(全く余計なことしやがって。公務員の仕事は仕事を増やさないことにあるだろ。俺を何だと思ってやがる)
「俺は政治家だぞ!」
突如怒鳴り散らし床を靴裏で蹴ると人生を楽しむために一族と同じ政治家になったのに話が違うと言う不平不満に精神を蝕まれた。
実際彼の一族は政治家として和オ大戦前から産業界に名を馳せていた。一族が築き上げた派閥は戦後、親オセアニア派の代名詞とも言える「葛西一族」となってS.R.B.(国家代理統治機構)の靴を舐めながら勢力の拡大を占領中に謀った。
S.R.B.の撤退後は経済成長に奔走させることで自らの汚職や癒着をうやむやにさせつつ権力闘争を行っていたが戦後復興が頭打ちになりつつある昨今、何もせず支離滅裂な言葉を放つ政治家に向けられる視線に彼は苛立ちを覚えていた。
「死ぬまで楽しむために政治家になったんだ!邪魔しやがってクソアマ!」
机の上の書類をなぶる様に吹っ飛ばし憎悪の言葉を吐きながら八つ当たりの増税政策に頭を回し始める。
そういえば前の選挙は苦戦した、懲罰的増税がまだだった、国民共は財布としての役割を果たすべきだ、そんな感情で政策を考えていた時、電話が鳴り響き電話会談があるのを思い出した。
「俺だ。」
「交換局です。オセアニアのエドウィン・ランド大統領からお電話です。」
「繋げ。」
(いつかは俺もエドウィンみたいに)そんな考えに頭を浸しながらオセアニアの大統領と話せる自分が大物になった錯覚を根拠に対等幻想に浸っていると直ぐにエドウィン・ランドと繫がった。
「あ、葛西総理ですか!よかったよかった!電話会談は予定通りだ。」
エドウィンは机に置かれた時計を見ながらアフィスティオンと東栄の時差を見極めつつ電話をしていた。
「今そちらの時分だと十八時丁度ですね?」
「?はいその通りです!」
「なるほど。ではただいまをもって貴国との軍事同盟を解消します。」
「…は?」
何を言ってるのか一瞬だが理解できなかった、放たれた言葉を素直に呑み込めなかったと言う表現が正しいのかもしれない。
「えっと、あの、その、仰ってる意味が、え?それにこっちは貴国に対して近年は経済的な譲歩も」
「申し訳ありません葛西総理。これからは別のパートナーを大切にしたいのです。えぇ、長い着き合いなのです。」
そう言いながら心にもないフレンドリーな口調で話す彼の頭上には世界勢力圏を描いた世界地図が広げられていた。
そこにはブリテン島アイルランド島含む欧州全土、中東全域、南大阿大陸の四分の三、神聖ルーシ帝国の半分、旧大華帝国全土を手中に収めた巨大帝国の勢力圏が描かれてる。
『Great Inter National Agartha Empire』と書かれたその国はかつての首都ベルリンを新世界首都グラズヘイムと称する超巨大帝国だ。
「まぁまぁ、これから先はわが国の顔色なんざ気にせず自由にふるまって下さい。自治独立は国家の基本ですから。」
受話器の向こうから動物の咆哮じみた意味のない声言葉を吐き散らす葛西に別れの挨拶をして受話機を叩きつけるようにがさつに置いた彼は指示を出した。
「さて、マイワイフからの命令だ。さっさとビジネスの準備に取り掛かろう。」
毎日寝てれば金が入る和国の政治家と違いオセアニアの政治家たちは自分だけの為に私益を肥やすべく汗水たらして金策に走っている。
例えそれが戦争でも密約でも金になるなら躊躇なくやれてしまう冷徹さのみで彼等は出来ている。
大げさな足取りで大統領以下閣僚たちが地下の司令室に向かった。