4話:亡霊令嬢森を出る4
「でも、ラーズの言うことも一理あるわ。最近人間の住処に行ってないし。何か変わってるかもしれないものね!」
アンドリエイラは気楽だが、その腕の中のサリアンからすればとんでもない話だ。
(冗談じゃない! だがこのまま絞殺されても…………。いや、ここは考えを変えて、この馬鹿力を利用できると思えば!)
サリアンは浅い呼吸で必死に考えた。
「お、俺にだって、事情がある!」
「何よ?」
「まず、俺は家を持ってないからこんな館に住んでる奴の世話はできない!」
「そこは合わせるわ。私だってボサボサ頭のサリアンに期待はしなくってよ」
サリアンの黒髪は痛んでボサボサだ。
アンドリエイラは腕を緩めて髪を搔きわけると、サリアンの目を覗き込む。
「あら、綺麗な濃い青の瞳。ずいぶん業の深い色ね」
「な、なんのことだ」
「面倒な生まれでしょ、あなた。心配しなくても干渉なんてしないわ。生まれに秘密を抱えるなんて、面倒だってことは良く知ってるもの」
アンドリエイラは手を放して宙へと漂う。
サリアンは不服な顔をしつつ、掻きわけられた髪を戻した。
「俺は冒険者で貯えも少ない。世話をするにしても、それはこの館が修繕されるまで、お前の生活基盤を作る手伝いくらいだ。俺自身が金を出したところで三日と持たないぞ」
「まぁ、甲斐性がないこと。でもいいわ。年下にお金の無心だなんて恰好が悪いものね」
言ってアンドリエイラはサリアンの目の前に漂う。
「それと、私はお前ではなくてよ。アンドリエイラと呼ぶことを許すわ」
「いや、そんな古臭い名前あんまり呼びたくないっていうか」
アンドリエイラはショックを受けて硬直。
((言いやがった))
あえて言わなかった黒猫と白鴉は、言葉もない。
「こ、この亡霊となっても令嬢としての振る舞いで畏れ敬われた私の名前を、古臭い?」
「古臭いだろ。せめてアンディとかもっと軽い感じに」
「いやよ! そんな軽薄な呼び方!」
理解できない拘りを叫ぶアンドリエイラに、サリアンは面倒になる。
「何処のご令嬢が存じあげないが、そんなご大層な身分の人間もいない田舎町だ。令嬢扱いしろなんて言われても、そこらの奴はお嬢としか呼ばねぇよ」
「あら、何その呼び方? いいわね。面白いわ」
「えー? わっかんねぇなー」
ころっと機嫌を変える姿に呆れるサリアンへ、黒猫と白鴉は役に立たない助言を与える。
「付き合ってやれ。駄々をこねられるよりもましだ」
「ともかく夕方になる前に今日の寝床確保がいいんじゃねぇか?」
おやつを食べようとしていた時間なのだから、もう日は傾き始めている。
「そうだな。町に戻って宿を取るとなれば。…………せめてお嬢の分の宿代になる何か売れそうなものが森から採取できればいいんだが」
「その程度、どうにでなるわ」
下心のあるサリアンの呟きに、アンドリエイラは自信満々に応じた。
「だいたい、サリアンがお金持ってなさそうなのは見てわかるもの。だから求めるのは宿を用意すること。私に今の時代のことを教えること。それくらいよ」
もはや虫相手に泣いていたのを忘れたように胸を張る。
「さ、行くわよ。あ、黒い悪魔は持って行ってね。そして私の領域の外、私の見てない所で処理して」
アンドリエイラは忘れず、サリアンが持つ袋を指差す。
(ともかく、これで魔の森の主のテリトリーから逃れられるか。いや、だがどうにかして言質取った分の誓約解除しないと、まだ危険か)
テリトリーから出ると弱体化をする魔物もいるが、サリアンは浮かれるアンドリエイラの様子からそれは望み薄だとわかる。
逆に未だ、テリトリーからの解放条件を満たしていない自身の危うさを自覚した。
「しかし人の中に紛れるには、その気配を隠すべきだろうな」
「そうだな、化けることはしておけよ。絡まれるのも面白くないだろ」
黒猫と白鴉の助言を受けると、アンドリエイラは魔法を使った。
「う、ぉ…………」
サリアンが言葉を失くしたのは、一瞬で発動された魔法が高度すぎることが肌で感じられたから。
その上はっきりと発動された魔法の術式が、魔法陣として視認できるほどに魔力を込めたたいそうな代物であることも見えたからだ。
魔法使いと剣士の両方を実戦で使いこなすサリアン。
だからこそ、本職の魔法使い以上の腕前をアンドリエイラから感知できた。
「うん? 今の封印の術か?」
「あら、半端者ではないみたいね。そうよ。あなたに合わせて人間らしい力に押さえたわ。これでよほどのことがなければ、私を人間以外だとは思わないはずよ」
自ら弱体化したアンドリエイラは、白い手を開閉して力の具合を確かめる。
自らを縛るほどかという驚きと共に、もはや呆れてサリアンは手を振った。
「あぁ、もう好きにしろよ。それで、何を採取するんだ?」
「何が売れて、どれくらいの金銭があれば宿に泊まれるか知らないわ」
自信満々に答えるアンドリエイラが屋敷の外へ出ると、辺りを煙らせていた霧が一瞬で晴れる。
手入れは足りていないが、確かにかつて屋敷にふさわしい庭園があっただろう痕跡を眺めて、サリアンはアンドリエイラが文句を言わないランクを考える。
「あー、じゃあ、白銅三枚は最低ほしいな。ここはだいぶ奥だから植生知らねぇけど」
「石の谷百合が今なら咲いてる。青を探せば銀貨は固い」
黒猫ゲイルの言葉にサリアンは絶句した。
名前こそ地味だが、宝石でできた花の名前だ。
しかも宝飾品としてはもちろん、魔法の触媒として高価で取引される。
さらには色付きとなれば値段は定価の倍はし、中でも珍しい青があると言う。
「そう言えば咲いてたわね。ちょっと採って来るわ」
「お、俺も! 取り方悪いと値が下がる!」
サリアンが欲に駆られると、白鴉のラーズが大笑いした。
「クカカカ! たんに生えてるところ知りたいだけだろ」
「諦めろ。空を飛べなければ無理だ」
ゲイルに言われてサリアンも植生を思い出す。
谷百合と言われるだけあって、危険な谷の壁面に生息するのだ。
宙に浮くアンドリエイラだからこそ採取可能とも言える。
「それにお前は、この辺りに出る魔物に対抗できないだろ。人間」
白鴉のラーズの指摘に、サリアンは諦めて敷地外でゴキブリの処理をする。
その間にアンドリエイラが、鈴にも似た花を手に戻って来た。
みずみずしい百合に似た葉、その茎の先で鈴のように丸く揺れる宝石の花。
「ほ、本当に、青の石の谷百合…………」
「言われたとおり茎も葉もそのままに取って来たわ」
物の価値がわかる黒猫のゲイルは、アンドリエイラの肩に飛び乗って確認する。
「悪くない。これなら金貨もいけそうだな」
「クカカカ! そりゃお前がうるさく売り込んだらだろ」
白鴉のラーズの笑い声を、サリアンは聞いていない。
目は青い石の谷百合に釘づけになっており、その価値に目が眩んでいた。
「は、早く! ともかく葉が新鮮なうちに売って!」
「ふん、全く品をわかってないわけじゃないらしいな」
ゲイルが何処か満足げに言うのを見て、アンドリエイラは眉をひそめる。
「サリアン、あなたゲイルほどの守銭奴だというのならつき合いを考えるわよ?」
「いやいやいや! 金は大事だろう!? いい装備、上手い飯、いい寝床! それらを得るには金が要る! ともかく急いで町に! 俺の知ってる商人ならギルド介して売るよりも融通が利く! だがあいつは日が暮れると店閉めるんだ! だから早く!」
生き生きし始めるサリアンに、アンドリエイラはげんなりしてしまった。
「現金すぎるわ。早まったかしら?」
「なぁに、現金なくらいが扱いやすいこともある」
笑うラーズがアンドリエイラの横を飛びすぎると、ゲイルは白鴉の背に飛び移る。
そんな一匹と一羽に見送られ、サリアンは青い石の谷百合を持つアンドリエイラを連れて森の深奥を脱出する。
ただそれで安堵することはなく、急いで森を抜け、壁で魔物から守る町に進んだ。
そして町の門を潜って辻馬車を捕まえると、一つの商会に直進する。
商会で、アンドリエイラは一人応接室で待たされお茶を出された。
「…………悪くないわ」
他人にお茶を入れてもらうのが久しぶりで、上機嫌なこともある。
ただ耳をすませば、隣の部屋では商人とサリアンが青い石の谷百合に興奮する声も漏れ聞こえるのだ。
他愛のない人間の様子を笑いながら、アンドリエイラはカップを傾けた。
明日更新
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