3話:亡霊令嬢森を出る3
森の主の館でゴキブリが出た。
害虫駆除の前に絞殺されそうになったサリアンは、なんとか怯え縋るアンドリエイラを引き離す。
「げほ、ごほ! さ、三匹と言っても、この広い館を探し回れって?」
「二階は封鎖してあるから一階部分だけだな」
「アンドリエイラがガチガチに固めたからな」
猫と鴉に言われて、サリアンは玄関から見える階段に近寄って上を見る。
すると蓋をするように、二階に続く階段は途中から氷に覆われていた。
「一階だけでも結構広いし、見える範囲の家具も重そうなのばかりなんだが」
「家具くらいなら私が動かすわよ。ともかくあの悪魔を追い出して!」
「うん? 倒すんじゃなく、追い出すのか? あんな氷出せるなら、固めて殺したほうが早いし触らないで済むyだろ」
サリアンが言った途端、アンドリエイラは総毛だって震える。
怖気が走ったまま喋れないアンドリエイラに代わって、猫と鴉が答えた。
「ここで死んだ者はこいつの配下となって仕えることとなる」
「あの黒い油虫が配下なんぞ、想像もしたくないんだとさ」
「やっぱりここはテリトリーか」
魔物の中でも上位の者しか使えない、自らルールを敷ける縄張り。
人間の魔法使いでも、上級者が結界という一時的なテリトリーに似た魔法も使える。
ただ冒険者をしている経験から、テリトリーのほうが結界よりもずっと厄介だとサリアン知っていた。
(強制力が違うからな。…………ここで殺されると俺も配下か。願い下げだな)
魔物の配下になったとなれば、確実に尻拭いで組んでいる仲間が討伐に派遣される。
顔見知りもいるからには、そんなことはさせられないと、サリアンは覚悟を決めた。
「ともかく、ゴキ、じゃなかった」
サリアンは両手を上げて、単語だけでブルブル震えるアンドリエイラを宥める。
「黒い悪魔を三匹捕まえるか追い出せれば、俺はここから無事に出してもらえるんだな?」
「えぇ、怪我一つなく出すわ! だから早く! 特に台所の奴を!」
言ってアンドリエイラ自身が慌て出す。
さらには浮いた状態でサリアンを引きずるという、異常な腕力を見せた。
玄関から階段ホール、食堂、さらに奥に台所へとサリアンは引きずられる。
移動する間に見える家具は、どれも彫刻がされるほど重厚な家具ばかり。
(動かせるのか、あれ?)
疑問を覚えるサリアンが台所へ引き摺られて行くと、そのままアンドリエイラの盾にされた。
「なんか、広いし天井高いし小綺麗だし。俺の知ってる台所より全然立派なんだが…………生活感ないか?」
「あるに決まってるでしょ。私が住む館なんだから」
「いや、不死者なんだろ? なんで台所使うんだよ? オーブン使ってるみたいな熱気あるし、皿とカップが並べてあるし」
「お茶するためにタルト焼いてたら黒い悪魔がいたのよ! だからここは氷漬けにするわけにもいかなかったから逃げられたの!」
不死者は死者だ。
死んでいるはずが動く魔物だ。
つまり寝食などしないことが一般的な理解となる。
(それを覆すどころか自ら料理まで? 怪力は不死者の顕著な特徴だが、違う魔物だったりするのか?)
サリアンが考えようとすると、背後で悲鳴が上がった。
「いるいるいるいる! 流し台の下に一匹!」
「わかったから引っ張るな! 捕まえるんだから静かにしてろ!」
また恐慌状態になるアンドリエイラを引きはがして、サリアンは黒い悪魔と相対する。
(くそ! なんだこの状況? ともかくさっさと捕まえておさらばだ!)
サリアンはまず死なない程度に叩いて弱らせるために箒を手に取る。
もう片手には捨ててもいい袋を貰い、盾のように構えた。
そうして箒を使って隠れたゴキブリを探り出し、叩いて弱らせる。
その度に死んじゃうとアンドリエイラが泣いて止めようとするのをかわしつつ、動きが鈍くなったところを袋で掴み、そのまま袋を裏に返すことで中に閉じ込めた。
「ったく、これくらい自分でできるようになれよ」
心底嫌そうに泣くアンドリエイラ。
急かされてゴキブリを追うが、いざ捕まえようとする度に騒ぐので見失うことも数回。
そのため、二匹目を捕まえるまでに、サリアンは玄関まで屋敷を一周する羽目になった。
「俺を引きずれるなら捕まえるくらい簡単だろうに」
「前にやったな」
「館をふっ飛ばしたぞ」
ぼやくサリアンに、ついてくるだけの鴉と猫が恐ろしい事実を教える。
「だからこそ今回は力の弱い人間を呼んだのよ!」
力説して叫ぶアンドリエイラは、迫る激しい羽音に気づかない。
「おい! 避け…………!」
気づかないと思わなかった分、サリアンの忠告は遅れた。
アンドリエイラが音に気づいた時には、目の前にうごめく節足の生えた腹。
そしてゴキブリは迷うことなく少女の顔に止まった。
「くぁwせdrftgyふじこlp!?」
少女は顔を上げて絶叫。
次の瞬間辺りを真っ白な光が包む。
アンドリエイラに手を伸ばしていたサリアンは、猫と鴉に容赦なく床に引き倒された。
「うぐ…………!? 今、何が…………? は…………?」
サリアンが打ち付けた顎をさすって身を起こした時には、頭上の屋根も二階も全て吹き飛んでいた。
その情景だけで心胆寒からしめる異常事態。
そして響き渡る泣き声。
「うあぁぁああん! あぁぁん! ひゃぁぁあああ」
「…………なんだその泣き方。っていうか、自分がやっておいて泣くなよ」
命の危機を覚える状況であり、その元凶は間違いようもなくアンドリエイラ。
ただサリアンは、ひたすら泣いて恐怖に動けないアンドリエイラを見ていられず、顔をハンカチで拭ってやる。
訳もわからずひたすら泣く少女は無害そうに見えた。
とは言え、サリアンの目の前には二階が見事に吹き飛んだ館がある。
ゴキブリが顔についてアンドリエイラが混乱し、そのまま魔法とも言えない力の塊を噴射した。
結果、館の一部が吹き飛んだのは、見ていなかったサリアンでも想像はつく。
「前回よりましだな」
「あぁ、全壊よりましだ」
「ほぼ全開だけどな」
さらに悪い情報を告げる鴉と猫に、サリアンも脱力して応じた。
「おい、そろそろ落ち着け。ゴキ、じゃなかった。黒い悪魔今ので殺したってことは?」
「うぅ、ないわ。今の風圧で吹き飛んで、壊れた壁から外へ飛んで行ったみたい」
「虫のくせに命冥加だな」
話せるようになったアンドリエイラは、自ら魔法で水を出し、ハンカチを濡らして執拗に顔を拭く。
「確認だが、俺はこれで解放か?」
「えー、どうしよう」
「おい、約束が違うぞ。お前らそういうの厳しいんじゃないのか?」
「詳しいならわかるんじゃない? 三匹目はあなたが追い出したんじゃないってこと」
「つまり、不履行だって? だがこの館どうするんだ? 俺を閉じ込めてもおけない」
「直すわ。ゲイルが」
言ってアンドリエイラが猫のゲイルを指差す。
「初めてじゃないからな。だが壊れ方が悪い。まだ残ってるところも解体して梁を付け替えないといけないぞ」
黒猫が知った風に語る姿に、サリアンは違和感を覚える。
(猫が何言ってんだ…………いや、言うまい。見る限り魔の森の主と対等に振る舞っているしな)
サリアンが賢明に口を閉じると、アンドリエイラは当たり前に黒猫ゲイルへと問いかけた。
「今度の修理はどれくらいかかるの?」
「一年」
「え、じゃあ今日私は何処で寝れば?」
「完全に寝室の壁ぶち抜いてるな」
鴉が笑って言うと、サリアンを嘴で指す。
「不履行分、こいつに世話してもらえばいいだろ」
「はぁ!?」
「なんだ、命より小娘一人の世話のほうがましだろう?」
「小娘じゃないだろ! 中身絶対ババ、あ」
無礼なサリアンが全てを言う前に、アンドリエイラは首に腕を回して絞め上げていた。
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