23話:教会の与太話3
今を生きることは重要だ。
その上で過去を無視もできないが、現在に立つには未来を見なければ過去に引き摺られるだけになる。
未来を見据えてルイスが用意していたのは、契約書。
幽霊屋敷と呼ばれた土地家屋の売買契約だった。
「賃貸じゃなくてか?」
横から覗いたサリアンが驚くと、ルイスは愛想笑いで応じる。
「そもそも買い手もつかず、売り手も手放したいということで押しつけられたからね」
「あぁ、権利持っててもマイナスってことか」
アンドリエイラとしては押しつけに引っかかりはあるが、生者と死者の乖離もわかっているので聞かないふりをする。
それこそが年長者の余裕と気取って、契約書を読んだ。
(買った後の責任は全てこちら。けれど家屋の整備や保守で人を入れる際には教会が紹介。悪くない気がするわね。ただ…………)
アンドリエイラは重要項目である金額に小さな指先を当てる。
サリアンもアンドリエイラが一点を見つめるのに気づいてまた覗き込んだ。
「はぁ!? 金貨二百枚! 高すぎだろ!」
「はぁ!? これでも労を負ってもらったからには勉強したんですけどぉ?」
すぐさまルイスが言い返すが、サリアンも正しい。
冒険者の感覚で言えば、十年働いても金貨二百枚分を稼ぐには足りない。
一度、それこそドラゴンのようなレアを倒す必要があるくらい、非現実的な金額だった。
ドラゴンに運の良し悪しは置いて、遭遇できたとする。
しかし倒すにも、人員の頭数が多ければその分手元に入る金は少なくなり、貯めようと思えば数十年計画的にやりくりが必要だった。
「そうねぇ…………医者のお給金はわかるかしら?」
アンドリエイラは自分が疎いことを理解した上で、専門職の給金を聞く。
見た目どおりの少女であれば出ない質問だ。
ルイスは自身の正当性を確信するからこそ、その質問に答えた。
「医者の十年分の年収に近い」
「高いじゃねぇか!」
「土地家屋込みでこれなら安いんだよ。それに町医者程度でこれだぞ。もっと稼げる医者は、もっと金払いのいい患者捕まえてるもんなの」
突っ込むサリアンにルイスが慣れた様子で言い返す。
「そうね。一生の職と技能を持つ人間の、十年の年収に当たるなら、安いほうでしょうね」
アンドリエイラが賛同すると、サリアンは金額以外のところに反応した。
「なんだよ、お嬢。まるで家買ったことあるみたいに」
「あるわよ。まぁ、私の性質上引き合うのか、だいたい勧められるのは曰く付きだったから比較的安価ではあったけれど」
アンドリエイラも千年近く生きて、森の中で暮らし続けたわけではない。
時には国さえ離れてよそで起居したため、全く知識がないとも言えない。
ただ時間の流れは生きる人間たちの中では、目に見えるほど進む。
二百年離れれば常識も変わる、貨幣価値も変わる。
文字も違う、新語が生まれ、死語が生じる。
何度となく変化を見たからこそ、アンドリエイラはサリアンという案内人を捕まえたのだ。
「だからってこの田舎の町で、どれだけふかっけてんだよ」
「ちょっとサリアン、邪魔しないでくれる?」
「お前がお嬢怒らせたら被害が出るからだろうが」
「お馬鹿。ちゃんと見ろ。ただの売り買いじゃないんだよ」
文句ばかりを挟むサリアンに、ルイスはアンドリエイラから契約書を拝借して示す。
「あの屋敷の整備にかかる人員の紹介と斡旋はこっちで請け負うの。そういうお嬢さんにはできないところ補う分の労働の対価を上乗せしてるだけ」
「どうせ紹介したってんで、業者からも金取るんだろ」
サリアンにルイスが真顔になる。
「お前、あの幽霊屋敷のこと知らない大工周辺で探せるか? 知っててあそこの改修請け負う奴見つけられるか?」
真顔で詰められサリアンも黙る。
周辺で有名な幽霊屋敷であり、人死にも出ている曰く付き。
そんな所、近寄りたくもないのが人情だ。
アンドリエイラが来るまで実害も確かにあった。
まず仕事を受け入れる者を探すだけでも、労力が必要なのは想像に難くない。
(っても、こいつのことだから無害そうな顔とマダムのコネで引っ張って来るだけだろ)
サリアンは実情を正確に把握していた。
その上で、ルイスがアンドリエイラを怒らせずに、どれだけ稼げるかの瀬戸際を図っているのもわかっている。
下手に口を挟むことで怒らせるだけで、知らないで平穏ならそのままでもいいと言うのがサリアンの本心だ。
つまりすぐに思いつく穴をあえて突いて、ルイスの目論見の失敗を防いでいた。
(二人して何か企みはあるようだけど)
しかしアンドリエイラもただのアンデッドではない。
悪感情を敏感に感じ取り、契約に不利があることも察知している。
知ったからにはそのまま受け入れるのも業腹だ。
「あのドラゴン、どれくらいで売れるのかしら?」
「それはカーランの奴次第だな。あとギルドの買い取りの査定もある」
サリアンが適当に答えると、ルイスは機嫌を取るように続ける。
「それこそ金貨は確実。危機的状況を救った褒賞も上乗せ。金貨二百枚を下ることはない」
「けれどそれ、丸々私のものじゃないでしょう。ねぇ?」
アンドリエイラは、同行していたサリアンに水を向けた。
「そりゃ、分け前の要求くらいはするさ」
「つまりお金が入ってもすぐには買えない。あの屋敷も手入れがされないまま」
「それは考えてまずは半額を先払いという形で、ね。その後は月に定額の支払いをお願いするよ」
引く姿勢を見せるアンドリエイラに、ルイスは契約書の箇所を指して説明する。
「それでもやっぱり私の手で金貨百枚をすぐさま用意することは難しいわ。ドラゴンがもう一体いるとも限らないし。そうなると、宿の世話をお願いすることになるわね」
アンドリエイラから、世話を押しつけられるだろうサリアンは目を逸らした。
「この教会が平気なら、寝泊まりくらい…………」
「おい、こら。神の家をなんだと思ってるんだ」
押しつけられまいとルイスが神を盾にする。
思うとおりに醜く争う様相に、アンドリエイラは内心高笑いをしていた。
しかし表面上は愛想笑いで続ける。
「それでね、いっそ金貨を持つ人と屋敷をシェアしてはどうかと思うの」
「「金貨、シェア?」」
思わぬ言葉に声を揃えるが、サリアンもルイスも鈍くはない。
この状況で金貨を手に入れられる者。
そしてアンドリエイラと一緒にいられる性別の該当者は二人だけ。
「つまり、ホリーとウルか。あいつらとあの幽霊屋敷で? 暮らす?」
「うーん、どうだろう? 少なくともウルは泣き騒ぐんじゃないか?」
サリアンもルイスも現実的だとは思わないようだ。
けれどアンドリエイラは指を突きつける。
「サリアン、あなた自分が面倒を見る少女が、突然大金を抱えるのよ? しかもあれだけ騒ぎになったのだから、誰の懐に金貨があるか、大勢が知っているんじゃない?」
「そう、言われると、そうだな。目に見える形で使うことで狙いを逸らすのか。それに女だけの暮らしとはいえ、危険とは無縁だろうし」
サリアンに見られて、アンドリエイラは胸を張る。
ドラゴンを一撃するアンドリエイラが住む屋敷への侵入は、ドラゴンと対峙する以上の危険があった。
「ウルはいっそ、モートンが見張りをする必要がないって放り出すかもね。あの子、美人局してるところをモートンが説教したのが出会いだって言うし」
ルイスが言うとおり、この町でも美人局のようなことをウルはしている。
それで酒代をせびる程度のことだが、騙される相手が報復をもくろむこともあった。
そんな時にはモートンの強面を利用して、相手を怯えさせる。
ただそれでウル自身叱られ、深酒もするのでモートンが世話を焼くことしばしば。
大金を手に入れて碌な使い方はしないことは、サリアンとルイスにも想像できる。
「もちろん、最終的には私がお金を用意して、残りを支払うわ。その後にまた、お金を用意してホリーとウルが持つ屋敷の所有権を買うの」
「なるほど、目立つ金は一度目に見えるように使う。その後内々で手に入れた金は広まらないよう配慮もしてくれると」
「お嬢さんなら獲物さえいれば、確実に必要金額も用意できるだろうしね。けっこうあの二人にとってはいい話かも」
サリアンもルイスも頷き合い、二人の女性を巻き込むことを勝手に決定。
ついでに目を光らせなければならないアンドリエイラの見張りも、押しつけるつもりだ。
そして提案したアンドリエイラは、サリアンのみならず、他のパーティーも引きずり回す気で巻き込みを画策しての提案だった。
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