20話:ドラゴンの血5
森の奥でドラゴン討伐が行われ、その場で解体し運び出しの途中に事件が起こった。
垂れたドラゴンの血を吸って植物が魔物化したのだ。
暗く夜を迎えると共に、魔物化の影響は蔦から木に広がり、飛び回る虫も狂う。
「くそ! 一撃が重い! 木は防ぐが、反動で押される! 私の後ろには立つな!」
モートンが幹を振って襲いかかる木を大盾で受けつつ、仲間に警告する。
その隙に襲いかかる蔦をカーランが避けるが、ウルは叫んだ。
「そっち避けちゃダメ! 虫!」
「ぐ!? あ…………いてぇ!」
痛みへの文句と同時に、カーランは側頭部を襲った何かを振り払い、薄い刃の隠し武器で切り裂く。
暗い地面に落ちるのは、異形化した角の生えた甲虫。
「今、ナイフと当たった音おかしくない? 金属音してたぞ!」
「ドラゴンの血で魔物化してんだ。石くらいには固くなってると思うべきだな!」
慌てて飛んできたバッタのような虫を斧で防ぎつつ、ヴァンが叫ぶ。
サリアンは剣に火を纏いつかせて、迫る蔦を焼き切りながら応じた。
その二人に守られたホリーは、薬の準備を進める。
「できました! 皆さん鼻まで覆って、喋らないで!」
ホリーは言うと、水を入れた椀の中に、別の椀で潰して混ぜ合わせた粉上の薬剤を投入。
瞬間、粉は爆発するように周囲へと広がった。
途端に迫っていたいくつもの翅の音が、忌避するように遠ざかる。
ホリーが持つ武器らしいものは、魔法の杖としても使える鋤だけ。
その鋤を振って風を円形に吹かせると、視界を覆っていた粉塵の薬剤を払うようにしながら拡散する。
仲間の視界を確保すると同時に、周囲の虫の魔物を追い払っているのだ。
「今ので虫は引きました! けど蔦と木はまだいるので警戒を続けてください!」
「っていうか、火がこっち来てるー!」
ホリーが次の薬剤に手をつけようとすると、ウルの叫びが響いた。
前方を照らすのは青白い炎で、神に近い黒猫曰く、魂さえ焼く危険物。
火が移った木や下草は魔物化していても動くことはなく、ただ燃やされるばかり。
「くそ! おい、ゲイル! こっちに火が広がってる!」
「奥に広がる火を止めてるんだ! そっちまでは手が回らん!」
サリアンが黒猫を呼ぶが、すでに延焼を防ぐことに手いっぱい。
元凶のアンドリエイラは飛び回る虫にともかく恐慌状態だった。
火を収めるどころか新たに放出する。
「これ、お嬢を止めないとだめだよ!」
「だが、火に囲まれた相手をどうする?」
訴えるヴァンに、モートンは暴れる木の幹を押し戻しつつ問う。
カーランは抜け目なく逃げ道を探しつつ言った。
「そもそも死体が動いてるんだ。俺たちじゃ留めはさせない」
「うわ、ひど。自分よりいいもの食べてたひがみ?」
「違うわ! 襲ってくる魔物の対処だ!」
ウルに言い返しても、ホリーとヴァンがアンドリエイラを見捨てる魂胆に非難を向けた。
「ドラゴンで利益を受けたのに」
「汚い、人として魔物以下です」
罵られるカーランに、サリアンはそっと視線を外す。
(あっぶね、同じこと言おうとしてたぜ)
蔦を切ってて言わなかっただけで、サリアンもアンドリエイラは放って逃げるべきだと言おうとしていた。
アンドリエイラが素直で、強いからこそ騙すような言動もないことはわかっている。
ただそれはそれで、命あっての物種なため、ここでつき合う必要はないと。
「ともかく、お嬢を正気に戻せる手はないか!」
まだ木の猛攻を防いでいたモートンだが、体勢が悪く、声が苦しげだ。
普段の安定が揺らいでいるのが見てわかった。
(そうか、俺がいない間にドラゴン防いでたんだよな)
サリアンはアンドリエイラと狩猟館へ。
その間にドラゴンと邂逅した時に、すでにモートンは全力で防御を担っていた。
疲れが拭えないまま、また森に入ることになったのだ。
このままでは逃げるのも危ういと見て、サリアンは虫を嫌がるアンドリエイラに叫ぶ。
「おい、お嬢! 防虫剤撒いたぞ! お前火で薬焼き払ってるから虫が寄って行くんだよ! 火を止めろ!」
半分嘘だが半分は本当だ。
アンドリエイラは宙に浮いてるため防虫剤の範囲外にいる。
だが虫が寄るのは光で、アンドリエイラの火のせいではあった。
「嘘、やだ! もっと虫除けして!」
「ホリーがやってるから邪魔するな。風で飛ぶんだよ」
アンドリエイラはすぐに火を消すと、サリアンのほうへと飛んでくる。
風を起こすのも邪魔と言われて、アンドリエイラは大人しくホリーの側に立った。
「…………まぁ、森に住む者が私に歯向かうの?」
ホリーを狙う蔦や木が、アンドリエイラの赤い瞳に睨まれた途端、勢いを失くす。
今のアンドリエイラは、虫除けを作るホリーの味方だった。
「はぁ、最初からそうしろ。全く」
ゲイルも青い火が消えたことで、アンドリエイラの肩に降り立つ。
もともと森の主であるアンドリエイラがいれば、魔物化した木々も支配下に置かれる。
ところが虫に怯えて、支配下に置くよりも殲滅で青い炎をまき散らしていたのだ。
その間にホリーは急いで虫除けの薬をその場で練る。
またいつアンドリエイラが恐慌を来して、猛威を振るうかわからないのだから。
「はい、できました! この薬は燃やして匂いを広げます。透明な翅のある虫はこれでいなくなるはずです」
「ホリーってできる子なのね!」
アンドリエイラは急いで薬を燃やし煙を上げる。
本当に虫がいなくなると、ようやくアンドリエイラは落ち着いた。
その後は、ドラゴンの血で魔物化した植物に無闇に襲うなと命令を出す。
従わない個体は、問答無用でアンドリエイラがへし折った。
「うわ、木目が赤黒い。これがドラゴンの血による魔物化か?」
サリアンが刺激臭のする虫除けの火からとった松明で照らして、へし折られた木を検める。
「そうよ。ドラゴンの血で魔物化した個体には効かなけれど、これを薪にして燃やすと魔物避けになると聞いたことがあるわ」
「あれ、お嬢って自分でどうにかできるのに、魔物避けとか誰に聞いたの?」
ウルが聞くとアンドリエイラは黒猫を指差す。
「ドラゴンの血で作ったインクなんか売ってるから、使い道色々聞くの」
「「「ドラゴンブラッドインク!?」」」
「ち、余計なことを言うな」
反応したのはサリアン、カーラン、モートン。
ゲイルは舌打ちして黒い尻尾をアンドリエイラの肩に叩きつける。
反応するのも致し方ない高級な魔法触媒が、ドラゴンブラッドインクだ。
その上で製法が完全秘匿されているため、売り手も限られる希少品。
「なんで猫がそんなの知ってるんだい?」
ドラゴンブラッドインクの希少性を説明されたヴァンが、素直に聞く。
(というか、こうして私を連れてきたの、ドラゴンの血でインクが作れる条件がそろったからじゃない?)
今になって気づくアンドリエイラは、周囲を見回した。
条件はドラゴンの血を吸った木であること。
しかも魔物化せず、ドラゴンの血を異物として虫瘤状に閉じ込めたものだ。
虫瘤の中で熟成して色を落ち着かせることでインクとして使えるようになる。
(魔物化した他の木に襲われる前に、鎮静化させるためね)
余計なことと言われて黙っているアンドリエイラに、ゲイルはまた不機嫌に尻尾を振る。
「この猫の姿は仮のものだ。俺は本来死の具象である精霊。お前たちにわかりやすく言うと死神だ。人間の中のことを知る機会は多い」
ゲイルが正体を明かした途端に、人間たちは即座に背を向ける。
死神に道で会うと不幸が起きるという言い伝えの元、死神の行く先に行ってはいけないため、背を向けることで回避できるという迷信。
「ゲイルは死ぬものの魂を迎えに行くタイプだから、背を向けても無駄よ。自分の足で向かうもの。でも、猫の姿の時は死神業はお休み中だから気にしなくていいわよ」
「死神に、休み? まぁ、俺たちにとってはいいことか?」
アンドリエイラの言葉にサリアンは背を向けたまま首を傾げる。
そこにカーランがインクについて聞けと肘で突いた。
しかしサリアンも命が惜しくて拒否、どころかお前が聞けと肘でやり返す。
必然的にサリアンとカーランはお互いを肘で突く応酬を始めた。
周りは迷惑そうに距離を取るが、目の前の値千金な情報を諦められず争いは続く。
静かになった森で、醜い争いが始まるが、当の黒猫は呆れたように溜め息を吐くと、暗く沈んだ森の中へと溶けるように消えて行ったのだった。
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