2話:亡霊令嬢森を出る2
魔性ばかりが住む森がある。
鬱蒼とした森だが、同時に資源の宝庫であり、魔物の相手をしながら人々は森の恵みを収集する。
そんな職は夢も込めて冒険者と呼ばれた。
ただ実情は冒険なんてものじゃないことを、冒険者の青年サリアンは知っている。
「クカカカ、迷い込んだな。ここは森の主の住まいだぞ、侵入者」
「こんな時にやって来るとは不運な人間だ。この館を知らなかったか?」
「なんでもいいわ。若い男なのでしょう? だったら十分よ」
忘れ去られた貴族の館を見つけた時、サリアンはしまったと思った。
森の深奥には、森に住まう様々な魔物の頂点に立つ主がいることは昔から言われている。
だが霧の中館を見た瞬間、胸ぐらを掴むような勢いで館に引きずり込まれたのだ。
その館の中で、白い鴉が笑う、黒い猫が憐れむ、そして死蝋のような肌の少女が宙に浮く。
「…………お前が、森の主なのか?」
サリアンは猫と鴉を従える少女に目を向けて問いかけた。
「私を知っていて無遠慮に踏み込むお馬鹿さんなのかしら? それとも腕に自信のある勇猛な冒険者? まぁ、なんにしてもその呼び方は味気ないわ。…………ようこそ、大いなる私の館へ。名乗ってあげるわ。私はアンドリエイラ。畏怖を込めて呼ぶことを許してあげる」
サリアンは全身にかかるプレッシャーに奥歯を噛む。
味気ないという呼び名はいくらでもあるのだ。
不死の魔女、氷の魔物、暗夜の声、魔物たちの女王、亡霊令嬢。
(名前付き。しかもそれを名乗る? 結界に名前を刻まれたら侵入できなくなるはずだろうが。それでも口にするなら生半可な結界は打ち壊せるという自信。だが、今までそんな名前があるなんて聞いたことはないぞ!?)
サリアンが罠を疑っていると、アンドリエイラは不満げに頬を膨らませた。
「まぁ、名乗ったら名乗り返すなんて礼儀は、もう廃れたのかしら?」
「いや…………まだある。俺は、サリアン」
サリアンは名乗るが、それが生まれながらの名ではないからこそのこと。
冒険者には新たに自分で名をつける者も多い。
犯罪者紛いもいるので、通名で登録する者も珍しくない。
「クカカカ、悠長に話している暇はないだろ」
「あら、でも雰囲気は大事でしょう。これから大変な目に遭うんだもの」
「変な前振りをするだけ無駄だ。どうせ逃がす気はないんだろう」
白鴉が笑い、少女が応じれば、黒猫はつまらなさそうに言う。
(ここがこの魔物のテリトリーで、何かルールを強いて来るのか。だったら喋る相手は楽な部類だ)
サリアンには魔法の心得があった。
普段は剣士のようにふるまっているが、その実魔法も習得した魔法剣士だ。
ただそれ故に、名前に拘る少女が魔法的に圧倒的な強者であることは肌で感じる。
(ともかく、ここから抜け出すルールを聞きだす。必ずあるはずだ)
部屋には扉があるように、魔法も入り口があればそこが出口にもなる。
サリアンは手がかりがないかとアンドリエイラの姿を観察した。
繊細な金色の髪や緑の瞳は、不自然に明るい室内でよく見える。
服装は随分古めかしいが貴族が着そうなドレスで、裾から見える靴も決して森を歩くようなものじゃない。
「そんなに怯えなくてもいいのよ。あなたにはやってほしいことがあって招いたのだから」
くるりと宙で身を返して、音もなく近づいたアンドリエイラがサリアンを覗き込む。
顔かたちは美しく子供らしさが残る美少女。
けれど表情は、余裕と経験を併せ持った大人以上に臈長けたものだった。
手を伸ばせば届く距離に、サリアンは拳を握り締める。
(届く、はずなのに…………剣を抜いても斬りつけられる気がしない)
それだけ実力の差がある絶望を、本能が悟ってしまっていた。
けれど同時にサリアンはかすかな希望も持つ。
(向こうは対話を望んでいる。たとえそれが得物をいたぶる猫のような気まぐれだとしても、すぐさま殺されはしない)
侵入者と言いつつ、招いたという矛盾した発言。
サリアンは裏がないかと疑い、その外見に糸口がないかと探る。
視界の端で虫が這う気配を感じたが、そんな何処にでもいる害虫を気にしている余裕はない。
「助けてあげてもいいわ」
あまりに簡単に、裏もなく核心を突いてくるアンドリエイラに身構える。
(森の主は不死者と言われてる。だが、こいつからは死に取りつかれた狂気なんて感じない。生者への恨みつらみさえ。だが、そうなるといったい何が望みだ?)
疑念が深まるばかりのサリアンに、アンドリエイラは腕を広げてみせた。
「実は今、ここはとてつもない危機的状況なの。私でもあれに太刀打ちすることはできないわ!」
アンドリエイラは途端に嘆きを交えて語るが、白鴉が白けた様子で茶々を入れる。
「俺ならできるって言ってるのに」
「そんなことしないで!」
悲鳴染みた声を上げるアンドリエイラ。
白い以外はただの鴉にしか見えないが、サリアンからすれば、魔物としては知性があり、やはり剣が届くとは思えない相手。
「おおげさ、というには前例があるからな。あまり刺激するな」
やる気がなさそうな黒猫もまた剣が届くとは思えない。
そんな相手ができないことだが、サリアンは一縷の望みをかけて言質を求める。
「生かして返してくれるというなら、手を貸そう」
「えぇ、あなたの命くらいどうとでもできるし、どうでもいいの。だから、この館からあの…………黒い悪魔を追い払ってちょうだい!」
悪魔は人を蝕む害悪。
魔物は物理的な攻撃をし、悪魔は心を攻撃する。
(くそ、よりによって悪魔だと!? 神官のあいつがいれば…………!)
魔法とは違う加護の力を扱う者が必要な案件だった。
村に帰って呼んでくるではダメかと考え、サリアンは無意識に足を動かす。
瞬間、視界の端を動いていた虫を蹴った。
激しい羽音を立てて飛び立つ黒い影。
特徴的な触角が揺れていたのでサリアンも存在はわかっていた。
しかし次の瞬間、悲鳴が迸る。
「ひぃゃぁぁあああああ!? 早く! 早くそいつを追い出して!」
恐慌状態で叫ぶアンドリエイラは、無気力な黒猫を盾のように掲げる。
そのあまりに場違いな姿に、サリアンは瞬きをして目の錯覚を疑った。
「…………え、黒い悪魔、悪魔ってまさか、ただのゴキ」
「言うな!」
途端に目を赤く変えたアンドリエイラは、黒猫を放り出して距離を詰めると、サリアンの襟首を掴む。
けれどすぐ側で羽音がした途端、アンドリエイラはサリアンの首に抱きついた。
「お願いだからあいつをどうにかしてー!」
森の主と呼ばれる不死者の少女は、涙目になって懇願する。
「いやぁ、本っ当! 無理!」
「ただの虫だろうが」
「三匹もいるのよ!?」
気の抜ける事実に、緊張も忘れてぞんざいになるサリアンに、アンドリエイラは白く細い手で拳を握って訴える。
瞬間、カサカサと独特の足音を聞いたアンドリエイラは、サリアンの首に腕を回すと、そのまま盾のようにして周囲を見回した。
「む、虫だって自分よりも大きな相手に近づきたかねぇよ」
「嘘! だってあいつらこっち向かって飛んでくるのよ!?」
恐慌状態。
その上で怯えて首に回した腕に力を入れるアンドリエイラ。
死から蘇った魔物の多くに見られる特徴には、生来よりも強い力がある。
肉体の限界を超える力を持つため、サリアンは宥めようとするが話が通じない。
絞まる首から腕を引き剥がそうと抵抗しつつ、助けを求めるように、サリアンは黒猫と白鴉に声をかけた。
「だから虫だろ? あんたらがどうにかしても」
「とってもいいが」
「クカカカ、発狂するぞ」
猫の答えを遮るように鴉が笑う。
サリアンは、さらに首を強く絞められることで、アンドリエイラが猫や鴉が虫を取ることを許容しないことを知った。
力の限り細い腕を叩いてもなかなか緩めてもらえないことも、サリアンにとっては命の危機を覚える状況。
サリアンにとってはゴキブリよりも、アンドリエイラのほうが恐ろしい実害を孕んでいた。
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