16話:ドラゴンの血1
森でも危機感を忘れる人間に呆れたアンドリエイラだったが、ウォーラスの町に戻っても同じ騒ぎでさらに呆れた。
「もう! ドラゴン程度でうるさいわね。何処に行ってもバタバタ走り回ってるだなんてお下品だわ」
「それ言えるのはお嬢だからでしょ」
「えぇ、あれを程度と言えるなんて」
仁王立ちのアンドリエイラに、衝立の向こうからウルとホリーが文句を返す。
森でドラゴンの死体を下準備として腑分けした。
そのため眺めるだけだったアンドリエイラ以外は、大なり小なり汚れて着替えを必要としている。
今文句を言うほど暇なのはアンドリエイラのみだ。
本格的な解体のためには死体の移動が必須であり、森の深奥なので長居は危険すぎる。
そのせいで今、ウォーラスの新町は大勢の冒険者を用心棒に、ドラゴンの死体を回収する準備でうるさいほどに活気に満ちていた。
「程度でしょ。まさか鶏と同じように肛門から捌くなんて思わなかったわ」
「ドラゴンは何処も固いので刃が通らないんですよ」
「けど一度内側に刃を入れたら裂けるからね」
「それは、つまりドラゴンを捌いたことがあるんでしょ?」
「小型です」
「もっと小さいから」
アンドリエイラが指摘すると、ホリーとウルは揃って否定した。
(大きさが違うだけなのに)
アンドリエイラは無駄な拘りだと思っているが、生死にかかわる拘りを譲るわけもない。
「それにしてもでかいの捌くと疲れるねぇ」
「心臓を取り出して運びましたけど重かったです」
「それも私がいないと森の獣のいい獲物だったじゃない。だというのに日が傾いてる今から、森に入るなんて。どれだけ欲に目が眩んでるのかしら」
アンドリエイラが言うのは、冒険者ギルドのこと。
心臓という唯一無二のレア素材はカーランが自身の商会に運び込んだ。
その上で商会の人員を連れてまた森に入っている。
残ったドラゴンの本格解体のためだ。
その間にアンドリエイラたちはギルドへ向かった。
ドラゴンはその危険性から報告義務がある。
その上で、ドラゴン討伐の実績と、素材の売却に関する所有権など手続きをした。
「あの馬の牙もいい値で売れたよね」
「巨馬の情報も売れたのは良かったです」
疲れたと言いつつ、ウルもホリーも声が明るい。
ギルドはカーランの商会に全て回収されることを危惧して、所有権を持つそれぞれのパーティに交渉。
結果一日の稼ぎが銅貨の範囲である冒険者たちには、金貨での支払いが約束され懐は満ちる予定。
もちろんカーランに一人で持ち逃げする心配も、アンドリエイラという抑止力がある限り案じる必要はない。
所有権をギルドに認められた冒険者の内の一人はアンドリエイラなのだ。
そんな話をする中、主張するようにおなかの音が室内に響く。
それでアンドリエイラは自分の持ってるものを思い出した。
「あら、おなかが減ってるならカスタードタルトがあるのだけれど、食べる?」
「「はい!」」
ホリーとウルは揃って衝立から顔を出す。
汚れを落とすために水も使っていたため長い髪が濡れているが、それよりも空腹と甘味の誘惑に抗えなかったようだ。
「あ、うっわ! 美味しい。すごくなめらかだし、タルト生地もしっかり甘い」
「甘く華やかな匂いと香ばしさがこんなに? え、これすごくお高いんじゃ?」
手放しで褒めるウルと、喜んだのもつかの間、値段を気にするホリー。
アンドリエイラは胸を張る。
「丁寧に時間をかけて私が作ったものよ。気にせずお食べなさい」
「あ、じゃあ、もう一個」
「それは他の人の分よ」
ウルが怒られたことで、ホリーも成長期の誘惑を振り払うように目を逸らす。
二人は唾をのみつつ、半端になっていた着替えを済ませた。
廊下に出るとすでに男性陣は揃っており、ヴァンが文句を言う。
「遅いよ、朝から働き通しでもうおなかペコペコ」
「あら、じゃあ、あなたも食べる?」
場所はモートンとウルが泊っている宿。
部屋は別々のため、男女に別れて身支度をしていた。
ヴァンはアンドリエイラに差し出されたカスタードタルトを即座に口に運んだ。
「あ、おい! それ…………」
「うん? すっごく美味しいぞ!」
「ふふん、そうでしょう」
サリアンが止めようとしたが遅く、ヴァンが褒めるとアンドリエイラは得意げに顎を上げる。
「お嬢が作ったんだって。美味しかったよ」
「食べるものが違うことがよくわかりました」
ウルとホリーも食べたと聞いて、サリアンは一安心。
流れでモートンと共に食べることになった。
途端に二人は固まる。
「おい、これ…………相当いい砂糖使ってないか?」
「香り高い小麦、カスタードにはバニラビーンズ?」
ものによっては金貨で取引されるものが使われていることに気づいて、サリアンとモートンは味も何もわからなくなった。
「そう言えば、森で白い鴉いたけど、あれはなんだったんだい?」
指をなめるヴァンが聞くのを、サリアンはウルに確認する。
「そう言えば、あの鴉にも反応してたな。あれもヤバいんだろ?」
「ヤバいっていうか、ヤバくなりそう?」
ウルは命の危険を覚える相手に正気を失くして騒ぐ。
ウルの評価を聞いてアンドリエイラは、頷いた。
「ラーズは勇士の魂しか求めないもの。ウルは現状範囲外でしょうね」
「ちょっと待て、ワタリガラスで、勇士の魂を求める? それは古い神話にある戦場の女神の息子のことじゃないか?」
モートンが語るのは、戦場で争い死んだ者の中から、勇士と見込んだ魂を天上へ召し出し、戦の女神の配下に加えるという伝説。
かつては信仰と栄誉をもって語られたが、同時に戦場での約束された死という恐怖の代名詞でもあった。
「あら、知ってるのね。でもラーズはあの見た目でしょう? 人間に追われることが多くて、あまり人に近づかなくなってるわ」
アンドリエイラはなんでもないように肯定する。
神の子であるという肯定に、大半の顔が引き攣る中、年若く知恵の浅いヴァンは首を傾げた。
「つまり、どういうことだい?」
「あ、あの鴉は、神の眷属ということよ」
ホリーが教えると、ヴァンは一拍遅れて口を開けて動かなくなる。
神という高位の存在を目にしたと今さら知って、驚いているのだ。
ただサリアンはまた別の疑問を覚える。
(その神の息子と対等に振舞ってたあの黒猫はなんだってんだ)
疑問に思いつつも聞いて藪を突く真似はしない。
「ともかく、カーランと合流して金の話を…………」
「おやおや、そういうことはもっとしめやかにするものだ」
サリアンが名前を出すと、当のカーランが現れた。
服装を整え金髪も一つに結い、小綺麗にしている。
顔を半分隠した怪しい冒険者から一転、理知的な商人の出で立ちだった。
「最初はなんてことに巻き込まれたと思ったが、大変な収穫だった。礼を言ってもいい」
「そう思うのであれば、少しは欲に忠実な己の行動を顧みるべきだろう」
モートンが苦言を呈しても聞かないふりで、カーランは愛想笑いを浮かべる。
「共に苦労をわかち合った仲だ。食事に招かれてはくれないかな?」
「あら、誘い文句としてはあまり褒められたものではないわね」
アンドリエイラはからかい半分に返す。
何せ苦労は解体、もしくは遭遇時のみだ。
倒したのはアンドリエイラであり、わかち合ったというには配分が偏っている。
カーランもそこはわかっているので、わざとらしいくらい慇懃無礼に応じた。
「お口に合う素晴らしいもてなしを心掛けようとも」
ただその言葉に、カーランとアンドリエイラ以外全員の目が、最後一つ残ったカスタードタルトに向かう。
一つ溜め息を吐くと、サリアンは最後のタルトを指差した。
「…………だったら、そこのカスタードタルト食ってみろよ。お嬢の水準それだぞ」
サリアンが放るように教えた。
カーランは困惑しつつも、笑顔で差し出されるアンドリエイラのタルトを手にする。
結果、金貨レベルの素材が使われていることに気づいたカーランは、口を閉じることになったのだった。
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