100話:亡霊令嬢次に行く5
サリアンは、一夜経っても不機嫌なアンドリエイラを横目に呆れた。
今いるのは教会で、また隠れて様子を窺っている状況だ。
聖堂では聖女が神託を受けており、神秘的だが、アンドリエイラはくず肉のミートパイに負けたことを未だに気にしている。
聖女が息を呑み、周囲が不安に包まれてもぶつくさと文句を漏らした。
「どうして良さがわからないのかしら。今度はお菓子に全部野菜を混ぜ込んで…………」
「おい、なんか神託がおかしなことになってるぞ」
いい加減サリアンは、騒ぎに満ち始めた聖堂に注意を戻させる。
「隣国に異変? それが本当に神の予言なのか?だったら大変だ!」
「す、すぐに戻らないと! 急ぎましょう! 私たちが救わないと!」
人のいい勇者と王女は、異変が何かもわからないまま慌てる。
聖女自身困惑するのを見て、サリアンは小狡い神の思惑が想像できた。
「どう考えても、魔王連れて帰れば異変にしかならねぇのに」
「予言ってそういうものでしょ。国を滅ぼす赤子が生まれたと聞いて殺そうとしたことで恨まれ、のちに成長した赤子に滅ぼされるなんて、よくある話よ」
アンドリエイラは聖堂に注意を向けたが、冷めた言葉を返すだけ。
しかし知らない人間たちは慌てると共に、狙いどおり勇者たちが隣国に帰還するという話になる。
慌ただしく勇者たちと共に、ウォーラスの有力者も今後の話し合いのため場所を移した。
そして残るのはいつもの顔ぶれ。
神託を降ろす演出のため、また教会関係者のような恰好をしたヴァンは素直に聞く。
「それで、異変って何が起こるのさ?」
「たぶん、魔王が国に表われるということだと…………」
ホリーは神託の裏を察して言葉尻を濁せば、ルイスはアンドリエイラを見た。
「あ、お嬢さん。魔王からの伝言だよ。必ず超えてやるからな! だそうだ」
「裏声を駆使する必要があったか?」
ルイスの声真似に、モートンが律儀に突っ込む。
ウルは溜め息を吐いて肩の力を抜いた。
「ここから離れてくれるならなんでもいいよー」
「そうだな、さすがに疲れた。いや、濃すぎた」
カーランの言葉に揃って頷く人間たちだが、アンドリエイラは全く別のことを気にした。
「え、発つまでに野菜を美味しいと言わせるつもりだったのに、もう来ないの?」
アンドリエイラの言葉に賛同する者はいない。
そもそも勇者や魔王という争いと共に語られる存在など、片田舎の冒険者には荷が重い。
隣国に異変が生じるという神託で、慌てて出て行くなら止める気など起きるはずもなかった。
この片田舎には最初から、亡霊令嬢という神をも畏れぬ存在がいるのだ。
これ以上の厄介ごとなど去ってもらって構わない。
「勇者が来てから大変で、その上魔王まで現れたんだ。ようやく追い出せるって言うなら…………明日はゆっくりするか」
サリアンの提案に、仲間のヴァンとホリーは頷く。
冒険者としても活動しない宣言に、モートンとウルも目を見交わした。
カーランも止めないのは、それをできる金があることを知っているから。
「あ、けどダンジョンどうするの?」
冒険者ではないルイスの問いに、サリアンは手を振って応じる。
「昨日お嬢がダンジョン見て回った時に元の状態になるように命令してきた」
「魔物が暴れないようにだとか、地形も元に戻せだとか注文が多すぎだわ」
怒るさまを見せつけるように腕を組んだアンドリエイラは、首を傾げた。
「明日何もしないの? それじゃ私が暇になってしまうじゃない」
「し、知るかよ。またここで適当に料理でもしておけよ」
「それなら材料を取りに行きましょ、サリアン」
「いやだって言ってんだろ。本当、休ませろ…………」
アンドリエイラにサリアンは心底抵抗の意志を声に乗せる。
しかし人外に人間の気持ちなど通じるはずがない。
「そうだわ、屋敷もまだできないし、昨日の買い物も半端だし、また出かけましょう。確か温泉はまだあるのよね。だったら、行く途中に三蛇の井戸があるでしょう? まだあるわよね、あの治癒の井戸?」
突然の遠出の提案に、全員が目を見交わす。
拒否する道筋を探すためにも、モートンがまず真面目に答えた。
「三蛇の井戸は、ある。毒蛇三匹に汚された井戸を聖人が浄化し、治癒の奇跡を施したという伝説のある、あそこだろう?」
「でもあれってただの言い伝えでしょ。別にその井戸の水飲んでも何もないっていうしさ」
ただの観光地扱いをするヴァンに、アンドリエイラは眉を顰めた。
「まぁ、呆れた。そんなこともきちんと伝わってないのね。あれは呪いを治す珍しい効能があるのよ」
「そうなんですか? それが本当なら、何か薬作りに使えるかもしれませんね」
薬師であるホリーが興味を覚える。
アンドリエイラとしては、神の呪いを受けた左手を治すために必要な材料だ。
(夜中に飛んで行ってもいいけれど、連れて行ったほうが面白そうなのよね)
完全に自己都合で、アンドリエイラは疲れたと訴える人間たちを巻き込みにかかる。
この面白い人間たちが釣れるネタは知っているのだ。
「ダンジョンコアに、以前はいなかった魔物は全て一か所に隔離するよう命じたわ。明日になると殺し合って素材なんて取れない状態になってるでしょうね」
レアモンスターの素材を泣く泣く諦めつつ、深層を後にしたのは先日のこと。
その上アンドリエイラがつき合えば必ず上がりがでると、冒険者たちは学んでいる。
アンドリエイラの思惑があると知っていながら、無視できなかったのは商人のカーランだ。
「最初から運び出すための道具持ち込んで、外に人員用意してれば、前回の倍は…………」
「まぁ、お嬢が手助けしてくれるならあたしら解体だけに専念はできるけど」
迷う様子を見せるウルに、まだ少年のヴァンは楽なほうへと傾く。
「けどお金そんなに今いらないだろ? サリアンが言うみたいに休んでも良くない?」
「いや、稼げる時に稼がなければ、次の時に怪我や装備の破損で一気に金が飛ぶぞ」
冒険者歴の長いモートンの堅実な助言は、絶対に稼げる今を逃す手はないとわかっているからこそ断定的だった。
金に困ったことのあるサリアンは、満足げに笑うアンドリエイラに横目で言う。
「お嬢、ダンジョンの同行と、温泉は三蛇の井戸方面ならバーソムの街か? そこまでの護衛依頼を出せ。せめて仕事じゃねぇとこっちもやる気が起きない」
「えぇ? 面倒ねぇ」
利益を一番に求めるカーランが、すぐに食いついた。
「それなら代理でしてやるから、その分も依頼料を別に請求する。何、小遣い程度だ」
「え、それくらいならあたしやってもいいよぉ。お小遣い欲しいし」
ウルが言うと、それまで他人ごとだったルイスが手を挙げる。
「あ、だったら私なんかどう? 手続きの代行にしてくれたら、ダンジョンのもの売る契約だけして、その後の面倒は引き受けるから、すぐにバーソムに発てるよ」
「この場合、ウォーラスでの手間とバーソムでの手間で、人をわける手間の分料金上がる?」
「うーん、カーランに吹っかけられるよりは、こちらをルイスに任せるほうが安く済むかも」
カーランとルイスのどちらが安いか聞くヴァンに、ホリーは私見を述べる。
手間賃を水増しする気だったカーランは睨むが、サリアンが手を打って注目を集めた。
「よし、うだうだしてても勇者の動きで慌ただしくなって動けなくなる前にやるぞ」
疲れていても現金な冒険者だ。
そして行く先が保養地であるバーソムであるなら、休む暇はあると考えた。
何より幼馴染のルイスの、教会の資金繰りが苦しいのはわかっている。
頷くカーランも、ここでの小銭で粘るよりもバーソムでの立ち回りを考えるほうが邪魔されないと見た。
アンドリエイラも笑みで了承を示す。
「えぇ、早く次へ行きましょう。あなたたち人間で遊ぶには時は足りないくらいなのだもの」
「おい、言葉は選べ。人間で遊ぶとか言うな」
サリアンの文句にアンドリエイラは知らない顔で、次の楽しみのために思いをはせている。
人間たちも欲につられているとわかっていながら、生き急ぐように疲れを感じつつも動き始めた。
そこには交わらないながら、奇妙な均衡と親和性がある。
「ったく、次は何があるんだかな。休む暇が欲しいんだよ俺は」
ぼやくサリアンに、ヴァンとホリーは旅行先への期待を語り、ウルとモートンは懸念を共有した。
「バーソムで美味しいものって何があるかな? 肉料理はあるかな?」
「その前に三蛇の井戸に行くなら、調薬道具と容器を用意しないと」
「勇者の前って言ったら、今日の内にまたダンジョンで深層でしょ?」
「疲れで気が抜けすぎている気もする。お嬢任せとは言え気を抜くな」
カーランは指折り数えて手配を呟くと、普段外出しないルイスも動き出す。
「今日必要な道具と人の手配をして、バーソムまでの運搬に関する依頼を洗って…………」
「さて、私もお嬢さんの代理の手続きをしないといけないね。あ、お土産よろしく」
賑やかな声が遠ざかり、無人となった聖堂には鳩が一羽取り残される。
最早鳥のふりも面倒がった神が、さっさと行けと言わんばかりに羽根を振って見送っているのを、誰も見てはいなかった。
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