中つ森の魔女(Ⅱ)
“中つ森”に、もはや神秘という灯火は存在しない。
たった一人、その地に腰を落ち着け続ける魔女を除いては。
――東の国の技術者曰く
「うーん……あの感じは久しぶりですね。あれで死なないこの体は本当にどうなってるんだか……」
瞼の裏まで闇の中、体の動かし方を手探りで思い出しての再起動。真っ先に上げた腕が柔らかい布を押しのけ、指が掻いた感触が湿った地面ではなく暖かい布地だったことで、私は今、どうやら介抱されているらしいと気付きました。
久方ぶりに受けた神罰の重みにうんざりしつつ体をさすると、雷でぼろ切れになった服はそれなりに上質な生地の寝間着に変わっています。部屋の断熱性が高いのもあるのでしょうが、こころなしか温かみを増した空気。そして、こちらを驚きもせずにじっと見ている、相手の視線。
「あれ、とは? 黒焦げになっていたのと何か関係があるのですか?」
状況証拠からして間違いなく、助けた当人はすぐ近くで椅子に座り、こちらが起きるのを待っていた様子でした。
肩の辺りまで伸ばした癖のある銀髪、闇の中ですら、ランタンの淡い光を何倍にも反射しているような白い肌……間違いない、彼女は誰あろう『元』子爵令嬢、レステリーゼ。当初は子爵家ごと巻き込んでやらかそうとしていた彼女は、何を思ったか子爵家を出奔。でも彼女自身が主導して開発した鉱山の権利は頑として譲らなかったらしく、その一帯の土地の開発を進めようとしている――んでしたっけ。
女だてらに領地経営を見越して行動を起こし、冒険者顔負けの魔術含めた戦闘能力を修めた女傑――第一王子からの婚約破棄を受けてなお、否、受けたからこその輝きを得ようとしているのがこの少女。
でも確か私が倒れたのは西の国の辺境、森の境であるとしても、彼女の『所領』とは森を挟んで正反対の場所にあたるはずでは……?
「私の話はおいておきましょう。ちょっと雷に打たれただけですので」
「ちょっと!?」
「咄嗟に電撃を逃がしたので、見た目以上に傷は浅いんですよ」
「まあ」
大嘘です。いえ、半分くらいは嘘です。
雷に打たれたのも、対策を打ったのも本当。でも、死んでいないのは私自身の問題三割、神のお慈悲七割ってところ。神罰は神罰として、反省を促すための行為なので殺してしまっては意味が無いんですね。まあ、って驚かれると罪悪感を覚えますが、それはどうでもいいことです。放っておきましょう。
「それより……お嬢様は何故ここに? 私の記憶が正しければここは西の国の果てでは?」
「あら、《汽車》さえ頼れば国境も、『中つ森』もあってないようなものですわよ、魔女様。最後にお会いしてから十年ほどになりますけれど、何処もかしこも、あの頃より便利になりましてよ、ご存じではない?」
「まさか」
ご存じではない、どころか、あなた達の技術の発展を森の中から遠巻きに眺めていたものですよ。それでも信じられるものと、そうでもないものがあるのです。
汽車の存在も、中つ森から魔術師が去って行ったきっかけですから……おっと、恨み言が喉まで出かかったのは抑えておかないと。
「私が聞いているのは、東の子爵令嬢、国にとっての要のひとつだろう貴女がこんなにも気軽に西へと渡っているのか、なのですが……」
「もう『子爵令嬢』ではありませんことよ。ただのレステリーゼとおよび下さい」
「ええ、分かっていたことなのですが……改めてご本人の口から聞くと凄く気が滅入りますね」
「うふふ、褒めてもなにも出ませんわ! わたくし、追い続けることの空しさに気付きましたの! それでわたくしが何をしたいのか考えて、気付いたらいてもたってもいられませんでしたわ」
「何をしたいのか……ですか?」
分からない。
私の未来史通りだったら、レステリーゼ嬢を破局させたら最後、東国から自らの領地を別個のものとして切り離す。そして、東西の国家のバランスを大きく損ね、混乱を生む毒婦になる、という筋書きだったはず。その予知を最後にみたのは、確か彼女と会う前だった――のだけど……。
「ええ! わたくしったら貴族とか、ご令嬢とか、そういう扱いが我慢なりませんでしたの! 西の国で冒険者として身を立てて、領地の鉱石をより有効に、具体的には『とても高く』売りさばいて、わたくしがもっと強くなって全部ボコして差し上げればスッキリすると思っただけですわ! 力のためには軍資金が必要なのですわー!」
「そうはならないでしょうが!!」
このお嬢様無敵じゃないですか! 理屈が無敵!っていうか「ボコす」って言ってる時点で明らかに国にとって危険因子なんですけど今《終末時計》がピクリとも動いていないのは何でなんです!? えっこれ婚約破棄の時の10分で織り込み済みみたいなノリなんです? 彼女がボコす標的は明らかに王子とあのイモ娘ですけど、そもそも「鉱石」って確か。
「お嬢様、その。確か貴女の所領で採れる鉱石って……高純度の《魔術鉱石 》……ですよね? 確かに汽車の動力などに重宝しますから流通させるのは致し方ないのですが、お嬢様自身が実力をつけるという意味では、一定量の貯蔵がなければ後々『相手』を殴り倒す前に止められませんか? 騎士とかに」
「仰る通りですわ、魔女様。でも汽車の現在の動力が内燃機関と魔力機関の併用動力であることからも、魔力機関の開発は未だ発展途上ですの。研究のためには魔術鉱石を市場に流す必要があって、わたくしの領地は殊更高純度、多産の地……鉱石研究を外部に押しつけている間にわたくし自身が経験を積んで、研究成果をがっつりお借りして、鍛え上げた体と! 練り上げた魔力と! これから生まれる最先端の《魔術機甲》が揃ったわたくしがあの女狐をボコって解決すれば良いのですわ! 勿論女狐を殴った後は王子に謹んでお譲りして、双方仲良く立太子できないまま落ちぶれて放逐されれば万々歳ですわね!」
「『女狐』ときましたか」
《魔術機甲》の単語を聞き、私はちらりと枕元のランプ、その下に置かれた長手袋に目をやり、直ぐに逸らしました。雷を受けながらも目立った傷が見受けられないそれも、かなり古い型とはいえ《魔術機甲》の端くれ、お嬢様に渡すのは不味いとして。そういう研究だったら東の国の方が先んじているから、流通させるならそちら方面では、と一瞬考えましたがやめました。最終的な目標がだいぶ邪であるとはいえ、《魔術機甲》の発展は北の『(推定)魔王』との戦いで存分に振るわれるだろうことは明らかなので。彼女の言う研究が上手いこと東西の国でバランスよく進めば良いけど、さてどうなるか。
◇
「そういえば、魔女様。お話がかなり前後してしまいましたわね。先程、魔女様はここが『西の国の果て』と仰せでしたけれど、正確にはここは西の国第2の都市、冒険者の本拠地ですわ。わたくしが魔女様をなんとか担いで、汽車とともにここまで来たんですの」
「それで、これから冒険者登録ですか。私にはよくわからない価値観ですが、応援していますよ」
起き抜けだからだろうか、光の乏しい灰色の目は尚更に光の反射を拒むようで、それでいて黒髪の艶は落雷を受けたとは到底考えられないほどに損失が少なかった。どころか、その肌の色艶には、傷や火傷すらも少ない。
数刻前の出来事が幻覚ではないとすれば、黒く焦げた肌が生まれ変わるかのように剥がれ落ち、白いままのそれが現れたように見えた。
その代わり、左手薬指の付け根にうっすらと見えていた痣のようなものが、手の甲半ばまで伸びているのが気になる。なんらかの魔術制約か、呪いのたぐいだろうか? 敢えて聞かないでおくのは、回答それ自体が制約に引っかかる可能性も加味したからだ。
『中つ森の魔女』、そう呼ばれる目の前の女性は正直、魔術の才ひとつなら平気で世界を塗り替える力を持つという。それはつまり、世界をうことも滅ぼすことも片手間にできるということ。にもかかわらず、彼女は気まぐれにあちこちの出来事に嘴を挟むのみにとどめ、深入りを避けているように思われた。
……こちらの国のほぼ東端、森の際にあった村の人々がほぼ同時に、数百人単位で忽然と現れたというのが数日前。魔女様の言動からみるに、それも彼女の仕業なのだろう。原因や動機については調査中。ただ、村が忽然と消えていることを考えると、それすらも彼女の行いではないかと勘繰ってしまう。
村の人々から押収された薬品と、気が動転した彼らがうっかりゲロった話から未申請のダンジョン絡みで起きていた変化を逆手に取り、違法行為に手を出していたのは間違いなく。中毒者の中にダンジョンの某かに手を加えようとした破滅主義者が生まれていた可能性も大……と。これから冒険者の肩書きを得て、積極的に救いにいくのに、救う相手の現状がこれ。早くも滅入りそうな気持ちを払拭するため、魔女様につらつらと喋ったのだけれど、思いの外、気持ちがすっきりした。
十年前にこの人から受けた忠告を聞いたとき、なんて失礼なんだ、絶対に従ってやるものかと苛立ち混じりに無視しようとした。でも、結局忠告通りになった。違ったのは、わたくしが怠惰に時を待つ『ご令嬢』ではなかったということだけ。
こんな形で魔女様の言葉が証明されたのは……超絶とっても業腹なのだが仕方ない。この人の裏に大それた目標があるなら、知らない振りして手を添えよう。なので、今は一人で立って歩けるように準備をしている。冒険者でも、なんでもこいだ。
「では魔女様、お召し替えはそちらにあります。わたくしはギルドにいって参りますわ!」
だがどうしても解せないのは、「ギルドに行く」と伝えた私を、この世の終わりのような目でのぞき込んだ彼女の態度であったのだけれど。
――終末時計、現在23:40




