子爵令嬢が婚約破棄された(+10分)
きらびやかに瞬くシャンデリアの光、それを十全に反射しあまりある宝石や絹の煌めき、何より、それら全てが霞むほどの美しさを湛えているのは、短くまとめ上げられた癖のある銀髪と、きめ細やかな、しかし芯がしっかり通った様子の白い肌をした女であった。
長髪をこれ見よがしに地に下ろした者、まとめ上げた髪を豪奢に飾った者、丹念に編み込んだ髪を誇る者……形はどうあれ、長髪を如何に美の形に調えるかを競い合うその場にあって、肩までの癖毛を自然な形にまとめあげたその女性の姿は、ある種異端ですらあった。切れ長の目には、彼女に度々愛を囁いた御仁と、その傍に寄り添う、明らかに質素な身なりの女が映っている。
女の方は怯えたふうを装っているが、目の光は「否」と告げていた。栗色の髪をひとまとめにし、やや黄色みがかった肌を化粧で整えた、質素ながらも礼節を弁えた、しかし場違いの気が強いその姿。彼女の存在意義を担保するのは、侍らせた御仁がこの国の第一王子であるという厳然たる事実か。
自分がいたはずの場所に、他の女がいる。
それは銀髪の女にとって最大級の屈辱ではあったろうが、隣の女の程度を知っていれば『お似合い』だなと思ってしまった。この王子、頭の出来こそ残念だが純朴で人を疑うことを知らない。知らなかった。故にそれなりの教育とその信じ易さの矯正をしてやれば、国の為民の為、そこそこには駆け引きのできる賢君も夢ではなかったろう。
「レステリーゼ、お前との婚約は今日限りで破棄する! 俺は彼女と真実の愛を貫くんだ!」
「王子……!」
だが、それは過去の話。
東の大国に於ける最大のダンスパーティの会場で突如、放たれた宣言。
第一王子が、突如として許嫁である子爵令嬢との婚約を破棄。平民出の女との愛を誓うと宣ったのだ。これに泡を食ったのは子爵令嬢ではなく平民の女でもなく寧ろ、いきなり話を聞かされた王と王妃。弟である第二王子は呆れたように顔を伏せ、姉の王女に至っては無関心を貫いている。当事者である子爵令嬢は銀髪を乱すことなく、楚々とした仕草で近場のウェイターに指を向け、盆に乗ったグラスを引き寄せた。そのまま口に触れた盃を傾け、「それで? その決定は王家の総意でありますの?」と聞き返す。堂々たる振る舞いは、まるで王子を歯牙にもかけていないかのよう。
「くどい! お前のような品性下劣な女を側に置くつもりはない! 早々にここから出ていけ!」
くどい、と罵るほどの聞き返しを、子爵令嬢はしていない。ヒステリックですらある王子の振る舞いで、その場の人々は『どちらが上か』を否応なしに見せつけられた。
「ふぅ……それでは国王陛下、王妃殿下、ご機嫌よう。王子のお言葉については後程」
レステリーゼ、と呼ばれた子爵令嬢は王と王妃にゆるりと顔を向け、にこりと笑ってみせた。絢爛豪華な会場が水を打ったように静まり返り、主に王子と平民女への侮蔑の視線が突き刺さる。王は顔を青ざめ、すがるように子爵令嬢へ指を伸ばした。
「ま、待ってくれないかレステリーゼ嬢、この馬鹿者の言葉を間に受けては」
「情けないぞ父上、この女に話す口などお持ちになるな!」
「五月蝿い馬鹿者! 子爵家が国に貢献してきた数々をかなぐり捨ててそんな女――」
騒々しい言い争いが続くダンスホールを出た子爵令嬢は使用人を呼びつけ、すぐさまこの場から領地に帰る算段を……。
◆
「ああああああああ! もー! もーーーー! なんで婚約破棄なんて軽々しくほざいてんですかあのバカ王子は! 立太子もしてない雑魚がえらっそうに! なにしてくれてんだ畜生め! 内政ガッタガタになるじゃないですかーーーー! やーだぁー!」
……その頃、東西の大国の中間地点に鎮座する森、その奥に据えられた小屋の中から女の悲鳴が響き渡った。彼女の悲鳴に、夜闇の中寝静まっていた鳥達が驚き飛び立つが、それ以上に部屋の中の女のテンションが地獄のような有様だった。目の前の水晶玉には今しがた起きた一部始終が投影されており、子爵令嬢が『予め知っていたかのように手際よく』子爵家として東の大国、その王家に最大効率で嫌がらせをする準備などをしていたのだ。具体的に言うと子爵家が独占していた鉱山の採掘権を王家から引き上げることで、鉱石による収益や副次的な燃料の確保が……割愛。
兎に角、国が傾きそうな出来事が現在進行系で起きている。
水晶玉を前に、上下逆さまの尺取り虫よろしく体を捻っている黒の長髪をひとつに束ねた女……は、長命の呪いを受けた魔法使いである。厳密には東西に大国を据えるこの大陸では、女性の魔法使いは『魔女』と呼ばれるのだが、今この状況ではどうでもよい。
ついでに言えば、黙っていればそれなり耳目を集めそうな顔立ちで、目元がややキツい以外は――慎ましやかな体躯であるが――黙って放っておく者は少ないだろう。外見に限れば。
問題が有るのは、女の頭上に浮かび上がった四つの数字の羅列だ。二つの数字と二つの数字、それらを繋ぐコロン。……そう、デジタル時計のそれだ。明らかに彼女らの世界に沿わないそれは「23:45」と赤文字で表示されている。現在時刻ではない。現在、二一時三〇分。ではより東で観測された時間か、というとそれも違う。女が頭を抱えて叫ぶ。
「『終末時計』がいっきに十分くらい進んだんですけどォ!? あの子爵令嬢、なんでか知らないけど十年くらい前に会いに行った時からなんか訳知り顔で西に色々供与する気まんまんみたいなノリをしてたけどあの時全然、全ッ然! 王子はマトモだったじゃない! 気付いてましたよ的な身振りで追い払われたけど何も分かってないわよ! あの子自分のことしか考えて……ああもうそれは王子だわ! このままじゃ立太子がパアになって第二王子が立太子した時に王子が……あああああーっ! 見える! 滅亡見えちゃう! (国家が)逝っちゃう! 逝っちゃうぅ!」
女のパニックぶりも宜なるかな。女の頭上の(本来なら女にしか見えない)デジタル時計は、彼女の言葉を借りれば<終末時計>と呼ばれるスキルで、「世界がどれだけ終末に近づいているのか」を二十四時間時計のカウントで教えてくれる代物だ。なのでリアルタイムで進むわけじゃない……が、すでに十五分しか残っておらず、しかも十分もの時間が一気に進んだとなれば間違いなく世界崩壊への一歩を踏み出したことになる。子爵令嬢のあまりにあっさりとした反応も、多くの人間からすれば異常事態だろうに、この魔女ときたら『婚約破棄そのものには』全く驚いていなかった。もしかしたら彼女はこれを見越していたのかと思うと女の頭痛もよく分かる。分かるが、言い回しが女性がしていいそれではない。
……この魔女は、<終末時計>の他にも幾つかスキルを授かっているのだが、その所謂『チート』じみた能力をプラマイゼロにするかのような『呪い』を受けている。だが本人はまったく、全然、ちっとも知る由もない。
世界をより良くするため、もっと言えば終末時計をできるだけ巻き戻す為に、彼女はここ数十年は右往左往しながらあちこちに働きかけてきたのだ。なお、水晶での遠見や長距離を一気に跳躍する魔術なども収めているが、これはスキルによる加護より遥かに「ありきたり」なので割愛する。
今、この世界は有史以来の危機に瀕している。
具体的に言うと、北の大陸にはなんかいきなり魔王を名乗る亜人種が新興国を勃興、順調に国力を伸ばしていて均衡が崩れたら周辺国家に侵略しようかなと手ぐすね引いて待ち構えている。
魔女たちのいる大陸ではそんな話をお構いなしに東の国のバカ第一王子がよくわからん恋愛感情で国を傾けようとしている。そして西の国でも――。
『クリス、君には今日限りでパーティーから抜けて貰う!』
「貰うなよバカがよぉ~~~~~~!!!!!」
今まさに、魔王に対抗しうる冒険者達がその成長具合を退行させうる事態に陥っているのだった。
終末時計の現在時刻、23:48……。




