フォーカスミライ:プロローグ
未執筆小説フォーカスミライの言わば体験版。
プロローグになります。
話の顛末というかシリーズとしての時系列を説明すれば、この後、主人公が世界一のプロゲーマーになり三カ月くらいで失職して高校でゲーム部の監督になります。また、四季と呼ばれる家政婦はシリーズ屈指の大奇才でラスボスというか、シャンクスみたいな枠に位置していますが、その妹が主人公の教える電子競技部に入る話が言わば、スピンオフ元の本編となります。
↓
シリーズより、
電子競技部の奮闘歴~『全てのFPSゲーマー』へ送る、リアルEスポーツ部活劇~
「○○ちゃん、帰ろ~。」
――声がする。
誰かの声、チャイムがなって彼女はそれを耳に入れる。自分に向けられたそれでは無い。自分の横を違う歩調で抜けていく彼女へ。でもそれは、よく耳にするはずなのに覚えられやしない。彼女の名前は、確か...、あぁ、どうでもいいか。
「帰ったら公園な!」
声は嬉々として別の彼女へ波及する、あるいは他の彼へ。
「学童組集合~。」
あるいはその纏まりへ。
「今日公園でドッチ大会しようぜ」
「賛成~。」
纏まりが、強い纏まりへ。彼らはもう、自分を統率出来る。自我があり、純粋だ。
「ねぇ、秋刕ちゃん。秋刕ちゃんは帰ったらどうするの?」
そしてその純粋な視線の1つが、彼らの枠から離れ少女へと向いた。
「……ゲーム。」
◇◇◇
クマの上に鈍く光る少女の瞳が、前髪の隙間から光った。
「ほっとけそんなネクラ。」
男の子の手に引かれて、少女の元から視線が離れていく。
「アイツ血出るゲームやってんだって、超グロいの。」「くだらね。独りでやってんの?つまんなそうでワロタ・・!」「誰から聞いたの?」「ケッ、趣味悪ぃ~。」「それな~。」
秋刕の艶やかな髪は、同じく真っ黒なランドセルまで良く伸びていた。
「うるさい……」
子供とは純粋で無知なものである。純粋さが故に本能に従い異物を外へ遠ざける。無知が故に異物が多く我儘になる。それは大人もそうだと秋刕は知っていた。無知な大人、枠の中でだけ生き伸びてきた無知な大人は、偏った知識で子供のように純粋な排他をする。
「うるさい……。」
そして秋刕は異物側の人間であった。それ故に賢く、それ故に優しく、それ故に独りボッチで有った。
『僕はッ・・・・!!』
――?!
「○○聞いた?」「ナニが。」「あ、待って!!」
秋刕は自分の手を見つめながらその場を駆け出していた。階段をよろめきながら駆け下り吐き気を催しながら、昇降口へ飛ぶように走って下駄箱を開く。――ダァンとぶつかっていく黒いランドセルは、黒く伸びる秋刕の長髪と共によく目立っていた。
「あっ、六年のオバケ!!」
子供は純粋である。非日常は冒険であり珍しいものは檻の中の動物に等しい。
「男女だぁ!!」「へへへヤメロって」「キメェんだよブスッ!!」「なぁ○○、貞子って知ってる?」「けッけっけっけっ!!!!」
『――うるさいッ!!』
しかし、その純粋さは同じく子供であった秋刕には残酷すぎた。
『うるさいッ・・・・』
秋刕は涙に滲む視界を一心不乱に駆けていく。
――僕は、私は、ウチは?僕は?ボク、ウチ、私、ボク、ウチ、ボク、ボク、ボク、ボク?
◇◇◇
――「解離性同一障害と言います。ただこの年で見られるのは大変珍しく...」
「パパ、アキは病気なの?」――
――「違うよ個性だ。」
「おクスリの時間ですよ。いらない?症状が悪化しますよ。」――
――「そうですね、また病院に。」
「珍しい病気なので研究を」――
――「DIDという障害は500年もの・・・」
◇◇◇
「うわぁああああああああああああ・・・・・・・!!!!!!!」
大層な距離を歩いてきた。バスを乗り継ぐ鍵っ子の秋刕には途方も無い距離を。しかしその疲労は現実のストレスを晴らすには丁度良い弾避けでもあった。
「はぁ..はぁ.....はぁ......」
秋刕は誰も居ない豪勢な屋敷を開き、小さな自室の扉を開けてランドセルを投げた。電気は付けない、カーテンは閉じ切っていた。
「はぁ!はぁ!・・・・・あぁッ!!!クソっクソっ!!」
吐息から、ストレスを声に出して掻き消す。涙を拭い、真っ暗な部屋に一つ少女の声とLEDの僅かな点滅。頬を伝う涙は一向に止まらない。
「あぁぁあああああ!!!」
ボタンを押す、電気が走る。排気口のファンが回り電脳世界への扉が開く。電波は良好、湿度も上々、画面の埃を拭った腕で秋刕は涙を拭い切った。
――フォウォンウォンウォンウォン!!!
現実世界の音は遮断され、遥か果てしなく雄大な景色と気分を高揚させるハイBPMの音楽が流れる。
――「ネクラ」
「オバケ」――
――「ブスッ」
「キメェんだよ」――
――「カッコつけんな」
「無視しようぜ。」――
――「えぇ秋刕かよ、そっちのチーム入れろよ」
「さいあく負けたわ」――
――「使えねぇ。」
「いらねぇ」――
――「消えろカス」
誰も居ない屋敷の小部屋で、全身を這い擦る大蛇のような巨大な不安を一心に拭い去る、そんな音を待つ。
――カキーンッ。
「はぁはぁはぁああ」
『対戦を確認しました。』
――「学校来るなよ。」
「調子乗んな」――
事務的なアナウンスの後、昂るような開戦へのカウントが始まった。
5、4、3、2、
「うわああああああああああああッ!!!!」
1、0
『――よろしくお願いシマアアアアアスッ!!!!』
キーボードのVを押し、電脳世界に秋刕の声が響いた。
・
・
・
その狂ったようにデカい声を、そのコミュニティは排他しない。秋刕はその瞬間たった一つ、自分への返答を待つというたった一つの不安だけを自分の身に纏っていた。
「来たな?天才。」
彼女を知る、声がする。
「今日、五連敗中なんだ。」
5v5バトルロワイアルFPS{バース}、最高レート帯専用登録カスタムサーバー『ジハード』。主に年々激しさを増すチーター対策として、有志らにより創られた超上級者向けリーグランク、リーグ末には賞金も出され、その参加資格はバースのランクマッチ中最高レートの『グランドチャンピオン』内から上位100名を一度でも記録し、運営から認可された者のみという超閉鎖型のランクシステム。そして少女は声変わりしていない中学二年生男子を偽り遊んでいた。すなわち、
「キャリー頼む。」
特段異彩を放つ彼女のことを、――知らぬ者などいなかった。
「お、不良じゃ~ん。平日の真昼間から。」
「相変わらず中坊の癖に、可愛い声だなァ、百鬼。変声期すら未だだろ。」
表記は漢字。アルファベットを基調とするユーザーネームで百鬼という禍々しい文字も目を見張った。
「へんせいき……あぁそうだな、来てないぞ!!」
秋刕は必死にスマホで打ち込み、サーチしたWikipediaの画像を見ながら答える。
「なんで誇らしげなんだよ。」
「Hey.Fucking cheater!!How are you today?」
彼女を煽るそんな言葉も、ここではリスペクトを持った大人のコミュニケーションへと変わる。何故なら最上級の彼らには、立場があるから。
「あぁうう、smiler...また会ったねこの間の大会見たよ。そのぉ、ナイスショット、トゥー、ヘッド??ユール、ビー...ぐっどてぃーむ?グッドプレイ、たいかい、グーッド。」
どのゲームでも天井は平和な村のコミュニティである。何度も共闘する人間同士、常日頃から暴言など吐いていられる訳がない。
「アリガトウネェー、オネガイシマス、ナァキリサァン!!」
そしてその大多数をプロアマチュアリーグ大会経験者で占めるこのランクシステムにおいて、無所属の男子中学生は異質であった。
「戻って英語の授業受けてこい。」
「おい、トロールすっぞFaker。あっ、smilerボクここに行きたい。Take the castle and lets hunt noobs.(城取って、ヘタクソを倒そう)」
「そんな英語だけ憶えちゃって、クソガキの癖になぁ。」
「OKデス、JPラストホープ。」
更に、それがプロを凌ぐほどに強いアタッキングプレイヤー、スタッツを伴う花形役職ともなれば。
「言われてんぞKING。」
「おいおいsmilerちゃん、アイムJPちゃんぴょんアタッカァ、らすとタイム、オーケー?アイム本当のラストホープ、なう!!おーけー?」
「ナキリノ方ガ、Englishジョーズダネ。Asiaナンバー1」
「そりゃランキングではそういう日もあるだろうけど...」
必要とされている。やることは明確だ。撃って当てる、倒して勝つ。撃って当てる、狙って止める、勝つ。撃って当てる。ウチは、私は、I、MY、ME?へへっ、自分、ワシ?ワタシ、秋刕、せっしゃ?ナキリ?アキ?いや、いやいやいやいやいやいやいや、いやッ。
――ボクは...必要とされている。
「ぐすん...」
クソ。
その時分は湯水の如く、彼女の心底に力が湧いた。
「んっ。おいKING泣いてんのか?!」
「え……、いや。あっ、あぁまぁなもう止まんねぇよ。悔しくて悔しくて、Smilerのバカヤローがさ...」
◇◇◇
――チクタクチクタク。
「おい百鬼、そろそろ良い子は寝る時間だろ。」
「・・・」
刹那、秋刕は置時計を伏せ全身に悪寒と冷汗を感じた。マップ上の百鬼も無論動きを止める。
「んっ、どうした?」
「いっ、いいや、ちょっと腹が減ってさ。」
「あー、お前デュオ組んだ昼から何も食ってないもんなぁ、よく持つよな中坊の癖にさぁ。」
――チクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタク。
一瞥で捉えた時計の針は24時を回っていた。
「なんだよ、敵がいたら報告しろよな。」
「あ、……あっ、うん。あっ――」
何も無い胃袋と、心臓は酷く弱った不整脈を奏でていた。
「なんだよ聞こえねぇぞ。……ったく、昼間の威勢はどうした。」
「てきぅ、て、てきっ……」
「何言ってっか分かんねぇよ。子供は寝る時間かぁ?エイムが落ちるなら今日はもう――」
――今日はもう、ゴミになる。
――今日はもう、使えない。
――今日はもう、頼れない。
――今日はもう、お荷物。
――今日がもう、今日が、昨日か、もう昨日か今日が今日が今日は今日が今日は今日が
――今日がもう、終わってしまう。
「大丈夫かぁ?」
――「使えねぇなぁ……。」
『――西に、敵がッ!!』
――ダァン。
「はぁうっ・・・・・」
現実世界の木扉が開く。
『いい加減にィッ、しなさァいッ!!!!』
部屋の明かりが灯された。ゴミだらけの、その部屋の輪郭が象られ、世界が露わになる。
「あっ、あう、ううッ・・・・」
家政婦へ向ける秋刕の目は、死んでいた。ディスプレイの向こうでは受信ボリュームのメーターだけが上がり下がりを繰り返していた。所詮は秋刕に届かない、電脳世界の微小な音。
『ご飯の時間に現れないのは許しました・・・、お風呂に入らないのも許しました・・・、お勉強をしないのも、お掃除をしないのも靴を直さないのも宿題をしないのも制服を出さないのも、ヒィ学校の報告をしないのもお稽古をサボるのも、ヒィ全部全部許しましたッ...、ただ、こんな時間までうるさくして、ヒュ下では私が寝ているというのにィ、木造のボロ屋敷だというのにィ、こんなもの、こんなもの、こんなもの、こんなもの、こんなもの、こんなもの、こんなもの、こんなもの、こんなもの、こんなもの』
名も忘れた50代の家政婦は秋刕のパソコンに取り付けられた配線を片っ端から抜いていく。どれがどれだかはどうでもいい。ただ極力同じ状況に戻らないように、再起不能になるように、戦意喪失するように、秋刕が絶望する様に、目に見える配線を、そのコンセントを、プラグを、USBを、モニターのものも、デバイスのものも、ピアノのものも、元に繋がってすらいないタコ足の全ても。手当たり次第にヒステリックに、不慣れな手つきで抜いていく。
「うっ、ううぁ...」
「こんなものこんなものこんなものこんなものこんなもの、あぁッ!!秋刕ちゃん!!人に迷惑を掛けるのは良いことなのッ?!ねぇ、ねぇねぇ、ねぇ、聞いてんの!!ワタシがァ!!お口も聞けないの?ねぇねぇねぇねぇねぇッ!!」
廊下では何事かと別の家政婦が現れ、呆れた顔で部屋を覗き、その場を去って行く。
『――ねぇどうなの、どうしてなの、ねぇ?!言葉も分からないのッ?!おクスリが足りないのッ!?』
『はぁ......はぁ......はぁ......はぁ......』
『ねえねえねえねえねえねえ、ねぇッ!!』
――ピンポーン。
午前、0時、2分。ボロ、屋敷の、チャイムの、音が、鳴った。
『誰よこんな時間にッ……』
気性の荒い小言で舌打ちを挟み、家政婦は秋刕の肩を握る手を抑えた。
――ピンポーン。
「チッ・・・、○キさんッ、シキナユタッ!!」
――ピンポーン、ピンポーン。ピンポーン。
「チッ、チッ、チッ、チッ、チッ・・・!!」
―ピーーーーーーーンポーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!
家政婦の握力が抜け、その手は秋刕からパッと離れた。秋刕は力んだ身体で声に成らない声を出す。
『――はぁああい、少々お待ちくださぁいねぇ!!』
家政婦は髪型を整えながら廊下へと飛び出していく。秋刕は何もない廊下の闇を呆然と見つめていた。
――ガチチチチチ、と秋刕の下あごが震え、歯と歯が当たる。
「ふぅう、あぁ、はぁあ・・・」
泣きたいのに、泣いているのに、涙は出ているのに、止まらないのに声は出ない。声は出せなかった。
「ううぅ、ふぅぐっ、ぐぅっ、ア、ァッ...」
秋刕は立ち上がり、昇る憤りを煽りながらも、恐怖で冷めていくのを繰り返しながら、吹き零れないゆで汁の様に、何度も心の火を殺し、最後には力無く扉を閉めた。
「ぐッ・・・、ぐっ!!!」
秋刕は照明のスイッチを叩き、輪郭の消えた部屋で本棚付きの重たいベッドをゆっくりと引きずってズラした。絨毯のめくれだとか、引きずった床の傷だとか、そんなものは闇の中で、ただ廊下から差し込むほの明かりを遮断する様に扉の前へズラす。本棚も倒してやろうか。しかし秋刕には既に、そんな気力は無かった。寝具で作る簡易バリケード。この部屋には、鍵が付いていなかった。
「ふぐぅ、ふぐぅ、ふぐぅ、ぐぅぅう!!」
何度も真っ白い毛布に顔を埋め、息を止めて挑む、飯事のような簡易自殺。唾液と涙の斑点を幾度も残して、秋刕は息を止める。
「んぐぅ、んっぐ、んぐぅ、」
止めながら、柔い布団へ何度も額を打ち付ける。その気が晴れるまで、何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
「んんッ、んぐぅ、ふんっぐ、んぐっ、んん……!!」
それを止めたのは――ツカツカと鳴る廊下の足音。それを止めたのはまたしても、その身体を支配する恐怖だった。
「かはぁ...」
秋刕は息を殺す様に大きく吐き出しては止め、それから呼吸を忘れた様に不可解なリズム息を立て、疲れたように眠りについた。
◇◇◇
――「パパ、何処行くの?」
「長い仕事になりそうだ、秋刕。良い子に出来るかな?」――
――「うん。悪い事すると天国でお母さん怒るんでしょ?」
「ハハハ、その通りだ。秋刕の元まで怖い顔してやってくるかもなぁ」――
――「会えるのッ?!」
「フ、...困ったな。でも、秋刕。良いことをして、会ってあげなさい。笑顔でね。」――
――「そっちのほうがいい?」
「うん。パパは、そっちのほうが良い。」――
◇◇◇
夢の中の淡くて優しい光が、そのまま瞼の裏へと届いていく。現実の朝の陽光である。カーテンから差し込む光。電線に乗る鳥の囀り、囁くような風と揺れる葉の音、その匂い。走り始める車の音、タイヤとアスファルトが擦れるズリズリとした音。いつもより朝の世界が鮮明であった。秋刕はそのまま床に転がった小さな時計をチラリと見て、安心する。
――5:45分。
それから隣で揺れる家政婦を無視して、もう一度瞼を閉じた。
「えっ・・・?」
カーテンが、というか窓が開いている。扉はこのドアが閉め切っている。でも窓が開いている。というか服が、というか見慣れた家政婦の服が揺れていた。
「――はぁッ!!」
秋刕に一気に緊張が走り、その意識は水をぶつけられたかのように覚醒した。
「ダッ・・レ・・・?」
「那由多です。」
使い古された屋敷のものとは思えない、皺ひとつ無いとても綺麗なクラシカルのメイド服。片手にはマグカップを持ち、彼女は間髪入れずにそう言った。
「四季、那由多です。」
それから秋刕は昨日の一部始終を思い出す。インターホンが鳴った時、出る様に急かされていた家政婦の1人。
「どうやって入った...」
「ドアから。」
那由多はとても澄んだ瞳で、開かれた快晴の大空へ気持ちよさそうに視線を移した。外気が彼女の頬を撫で、部屋の中へと吹き込んでいく。
「そっ、……こは、窓だろ。」
「些細な事です。」
――さ、些細...
周りの家政婦たちとは違う、明らかに大雑把で的を射ない発言に秋刕は首を傾げた。
「お前、昨日怒られただろ。」
秋刕のその言葉に呆れた様な態度で那由多は答える。
「なぜです?」
「チャイムに出なかった。」
「トイレに居ました。トイレに居たのだから仕方が無いでしょう。よって私は怒られたのではなく、ヒステリーを起こした上司にパワハラをされただけです。」
那由多は淡々とそう言ってみせた。
「パワ...ハラ...?」
「しかし、それも些細な事です。物事には重要度がある。私はピチピチJKのバイトですから、若さに八つ当たりされることもあるだろうし、理不尽なこともあります。結局社会性という観点からは子供と大人の境界などは知能だけであり、更に私の方があのババアより優れているのに、否、そうだとしてもね。しかし報酬は変らないのだから、あんなことでストレスを溜め込まない私にとって、それは些細な事です。」
「はぁ。」
那由多は秋刕へ紅茶を差し出し、秋刕はそれを口に含んだ。
「しかししかし、主人の健康管理は職務上最優先事項に当たります。これを怠る家政婦は職務怠慢であり家政婦足り得ない。」
「――聞きたくない。」
その言葉をシャットアウトし、秋刕は瞳を閉じて布団へ包まった。
「家政婦の事情なんて、どうでも良い……」
「確かに。では、小学校へ行く準備をしますか。」
「話聞いてた?主人の健康管理が大事なら、今日は風邪ひいたから休む。」
「あのババアの言う事なら聞けるんですね。」
「怖いからね。」
「私は?」
「怖くない。」
「そうですか。」
秋刕の直接的な物言いに動じず、那由多はポケットからスマホを取り出した。
「家政婦という呼称にストレスを感じているのように見えたので、ババアと変えましたが不適切なので奴のことをイソジンと仮称します。由来は五十路の人だからイソジン、私の事はハウスキーパーとでもお呼びください。そして今日がひと月前から始まった住み込み従事の水曜日担当、私の出勤日です。この為、イソジンは秋刕の登校に責任を持たない為、学校に登校を確認せず秋刕は水曜日一日中ゴロゴロ出来る。秋刕が学校へ行こうが行かまいが給料は変りません。昨日もそうです。必要最低限、ある程度食費を削ってご飯を用意すれば残飯になろうと、関係ない。それでもヒステリーを起こしていたのはきっとまた外部のストレスで……」
『――ほっといてくれよッ!!』
秋刕は枕へ向かって大声を張り上げた。緊張の糸がピンと張ったかのように、那由多は口を少しばかり閉ざす。それは那由多が秋刕へ物怖じしたからではない。秋刕の枕に埋もれたその声が、微かに涙声だったからである。
『もう、もう全体的に何言ってるか……分からないし、学校行く気も無いし、やる気も無いし、もう、もうウンザリというか、疲れたというか、みじめで、もう嫌なんだ――』
涙ぐむ秋刕へ、しかし那由多は突拍子も無いことを言った。
「私が、悪魔だと言ったら信じますか?」
「...死ねよ。」
「秋刕、物事には重要度があります。確り眠る、朝日を浴びる、御飯を食べる、身体を洗う、歯を磨く。どれも地味ですが偉大な価値がある。さっき飲ませた紅茶もそうです。紅茶はイギリスの労働者から愛されてきたカフェイン。目覚めを良くする効果が期待できる。あったかいものを取り込むこともそうです、価値がある。そして明日でも無く、明後日でも無く、今日学校に行く。地味でもとても重要な事です。それらは当たり前だからこそ感じ難い生命の糧。」
「なんだよ――」
「取引をしましょう。貴女がこれらを毎日行うと誓うのならば、貴女を応援する人の生命と引き換えに、貴女の夢を叶えて差し上げます。」
那由多は淡々としたその表情に、すこしばかりシニカルな微笑みを含めながら言った。
「ぐぅっ......バっ、バカに、するなよ。僕が幾ら憐れだからって――」
「憐れならば……憐れならば、それでいいじゃないですか。死にたいのならば、いいじゃないですか。貴女を応援する人がいないのならば、それでいいじゃないですか。最後くらい馬鹿みたいに騙されても、良くないですか?破滅したっていいじゃないですか。そこに一縷の望みがあるならば、それだけで、充分じゃないですか。」
秋刕は顔を埋めたまま黙りこくった。そしてしばらくの沈黙が続き、駄々をこねる様に秋刕は口火を切る。
「ウソ、だったら?」
「結婚してあげますよ。」
「・・・え?」
「だから結婚、あなたと。」
「・・・・・はァ?!」
「えぇ何なら誓いましょうともマイロード。私、四季 那由多は悪魔との契約において偽りが見られたならば、ここにいるロリッ娘、小鳥遊秋刕と結婚します。」
『はぇえええええ・・・・?!』
刹那、さも当然のように那由多は秋刕へそう言葉を返す。これが小鳥遊秋刕と四季那由多の出会いであった。
、
フォーカスミライ
プロローグ『彼女の名前は、四季 那由多。』