月の上
「助けて!」
ボクの叫びを聞いて、男の子が振り向きました。
「ついて来てしまったのか。」
男の子は手を伸ばして、ボクが追いつくのを待ってくれました。すると階段が消えていくのが遅くなりました。ボクはハアハア息を切らせながら階段を上り、男の子の手を掴みました。
「ありがとう。」
「本当に仕方がないな。ここからは戻れないし、一緒に上まで行こうか。」
男の子はやれやれといった感じでため息をつきました。
ボクたちは手をつないで階段を上って行きました。男の子が手を引っ張ってくれるので、ボクはすごい速さで楽に階段を上ることができます。
「あれは…月?」
階段の先には月が見えました。
半月よりも少し欠けている月。それはまるで舟のような形です。
「そうだ。私たちは月まで行くんだ。」
夕焼けの部分がだんだん暗くなって行きます。紫と紺色の境目に、白い月の舟が浮いていました。
二人で階段を上りきると、男の子は月に腰掛けました。
ボクはその隣に座ると、あたりを見回して「これ本当に月?」と聞きました。
だって、学校で習った月は宇宙にあって、まん丸で、もっと大きかったはずです。でも、ここは教室くらいの大きさしかありません。
「そうだよ。いつも見上げてるだろ?」
「月って、もっと大きいと思ってた。」
「こんなものだ。」
「流れ星はここで作るの?」
「ああ。もう少ししたらね。」
そんな話をしているうちに、周りの紺色の空が黒くなって、闇へと変わって行きます。
腰掛けている月の光がより白く、より強くなり、ボクはなんだかドキドキしました。
「そろそろだ。」
そう言って男の子が胸ポケットからあのビンを取り出しました。
「それって…涙?」
「ああ。」
「これをどうするの?」
男の子はボクの唇に人差し指を当てて、シーっと言いましたので、ボクはいっぱいの聞きたいことを我慢して黙ることにしました。
「見てて。」
男の子はビンの蓋を開けて傾けると、中の雫を月の下に向かって垂らしました。
糸を引くように、雫はまっすぐに流れ落ちます。
するりと落ちていく涙。
落ちながら強く光りはじめ、あっという間に消えてしまいました。その一瞬に、緑や黄色、橙色やいろんな色に見えました。
「すごい、流れ星になった!」
ボクはびっくりしました。今日は沢山の変テコなことに驚かされましたが、これは今まで生きてきた中で、一番驚いたかもしれません。
こんな凄いものを見られて、やっぱり男の子を追いけてきて良かったと思いました。
男の子はポケットから次のビンを取り出すと、同じように傾けます。
今度の流れ星は大きく光り、消えた後も流れた跡が薄緑にぼんやり光って見えました。
「あんなスジがあるのなんて初めて見た!」
「あれは痕っていうんだ。」
「すごいすごい。」
流れ星が光流るたび、ボクはすごいばっかりを繰り返していました。
「すごいね。涙が流れ星になるんだ。」
「ああ。誰かの流した悲しみが、流れ星になって別の誰かの願いを叶えるんだ。」
男の子はまた難しいことを言いました。それぞれの言葉の意味は分かるのに、何を言っているのか分かりません。大人みたいな言い方です。
ボクはこんな言い方をする人をなんて言うか知っています。
「ふーん。テツガクシャだね。」
男の子は笑いました。
「違うよ。私は天文学者だ。」
「そうだった。」
ボクも笑いました。
「流れ星を作るのは天文学者の仕事なんだ。」
今度は続けて二本のビンを開けました。
流れ星が、それぞれの方向にシューっと流れていきます。
「今日は流星群だ。いっぱい流れ星を流さないと。」
男の子はビンを次々と取り出して、流れ星を作っていきます。あの小さな胸ポケットに入るはずのない数のビンが出てきました。
ボクはその様子をじっと見ていました。
こんな素敵な光景を見たことは絶対忘れないでしょう。きっと、人生で最高の思い出の一つになるに違いありません!
突然、男の子が手を止めて、ボクの方を見ました。そしてビンを一つくれました。
「ボクもやっていいの?」
「ああ。特別だよ。本当は天文学者にならないと、やってはいけないんだけどね。」
その時、ボクはやっとテンモンガクシャが名前じゃないって気がつきました。
ボクが少し恥ずかしくなってモジモジしているのを見て、男の子は「ビンを落とさないように。」と注意しました。
ボクはビンの蓋を開け、中の涙を覗きました。
ただの透明な液体です。でも、月の光を反射してキラキラとしているようにも見えます。ビンの丸みで屈折して、虹色も混ざっているように見えました。
男の子が「それは君の涙だ。」と教えてくれました。
ボクが男の子について行きたくて、ついて行きたくて泣いた時の涙です。
「これ流してもいいの?」
「ああ。」
ボクはビンを傾けました。
雫は丸いまま落ちていきました。男の子がやるみたいに糸のような雫にはならなかったけれど、ボクの流れ星はキラキラと煌めきながら落ちていき、すっと消えました。
「きれいだね…」
「今の流れ星に、誰かが願いを掛けているかも知れないね。」
「ボクの涙に?」
「ああ。」
なんだか不思議な気分になりました。
悲しかったり悔しかったり、痛かったり怖かったりして泣いた涙です。それが流れ星になって、更にそれを見た人がお願いをするんです。
もしかしたら、誰かの願いを叶えているのかもしれません。
ボクは泣くのは恥ずかしいと思っていましたけれど、涙を流すのも悪くないのかなと思えました。
「そうだ、願い事はしたかい?」
男の子に聞かれるまで、ボクは願い事をする事なんて考えもしませんでした。こんなに流れ星が見えるのに、何の願い事もしなかっただなんて。
また流れ星を作りたい。月に登りたい。どんな願いがいいでしょう?
ボクはいっぱい考えました。そして、
「ボクもテンモンガクシャになりたいな。」
「その願いが叶うと良いね。」
男の子はにっこりとしました。笑顔を初めて見ました。
「ん…」
気がつくと、ボクは布団の中でした。
「おはよう、朝ご飯できてるよ。」
ママです。ボクを起こしにきたのです。
周りを見回しても、やっぱりボクの部屋でした。虫取り網も籠も置いてあります。
「夢かぁ。」
あれが夢だったのかと思うと、ボクは残念な気持ちになりました。
ママが「怖い夢でも見たの?」と不安そうに聞きます。
「ううん。とてもステキな夢だった!」
「それは良かったわね。どんな夢?」
ボクはベッドから出て、夢で不思議な男の子に出会ったと話をしながら一階に降りました。リビングでは、パパがテレビを見ていました。
パパを見て何かを思い出したママが、ボクに聞きました。
「そうそう。昨日はどこまで遊びに行ってたの? パパが駅の近くであなたの靴の片っぽを見つけてくれたのよ。」
やっぱり夢じゃなかったんだ!
ボクは嬉しくなりました。
テレビが「昨夜の流星群は数十年ぶりの…」と言っているのを聞いて、ボクは声を小さくして言いました。
「ママ。ボクはね、流れ星の作り方を知ってるんだよ!!」