13.善意は脅迫に置き換わる
開始から状況が悪化してしまったと感じるのは正しい。俺の指示により、奈子が柊の両肩を抑え込んでいる。教師にとっては自分たちに不都合な事態になるから、柊を動けなくしていると思われているようだ。
「生徒が教師を脅すのか?」
「いえ、これは純然たる善意による行動です。今、柊が行動を開始すれば大惨事ですよ」
「俺にはお前たちが不都合を隠そうとしているように見えるのだが」
「なら、本人に聞いてください。何をするつもりなのかと」
「分かった。柊。何をするつもりなんだ?」
「先生が信じてくれないから、もう一度窓から飛び出そうとしている」
その言葉で動揺が広がったのは生徒だけだった。担任はどうやら信じていないか、もしくは他の可能性を考えているのかもしれない。安全対策が完璧な状況を想定しているのであれば、柊を甘く見過ぎている。
「先生。一つ忠告しておきます。今回、窓の下には何もありませんから」
「何を馬鹿なことを言っているんだ。柊だって言っていただろ。マットが無ければやらないと」
担任が念のためにと窓の下を確認したが、そこには一畳分のマットすらもない。心底驚いたように柊を見ているが、これは脅しなんかじゃない。この馬鹿はやると言ったら、絶対に実行する。
「冗談とかハッタリじゃないのか?」
「奈子。状況説明」
「それなりに本気で抑え込んでいる。むしろ、誰かに手伝ってほしいくらい」
暴れようとしている人間を抑え込むのは考えている以上に困難だ。奈子は経験や柊の行動をある程度分かっているから、抑え込めているがそれもいつまで持つか分からない。だからさっさと先生にある一言を言ってほしい。
「いや、常識で考えろ。何の準備もせずに、三階から落ちたら無事じゃ済まないだろ」
「人にはやらなければいけない時がある」
「こんな馬鹿みたいな理由で人生捨てようとするな!」
柊自身は死ぬつもりでやろうという心構えではないのだが。一歩間違えば確かに死に向かって一直線だが、俺と奈子だけは柊が死ぬとは思っていない。なんやかんやあって、結局は骨を折る程度で済むのではないかと。
「別に失敗するつもりでやるわけじゃない。花壇まで飛べば、柔らかい地面だからワンチャン無事で済む」
「人生をワンチャンに賭けるな!」
九割がた失敗するフラグだなと思ったのは俺だけじゃないだろう。しかも花壇までは結構な飛距離を要する。窓の縁を全力で蹴って、更に助走を合わせてもギリギリ届くかどうかだ。
「いいか、柊。命を簡単に捨てるものじゃないぞ」
「いや、だから死ぬ気はないって」
「こっち側から見たら、自殺するとしか思えないんだよ!」
「またまた。人間が三階から落ちた程度で死ぬわけがないじゃない」
「「「いやいや、死ぬから」」」
流石に話を聞いていたクラスメイトすらツッコむ羽目になっているのだが。何人かは「お前限定の話をするな」と言っているし。すでに収拾がつかなくなっている状態に委員長が諦めの境地に入りだしたぞ。
「それじゃまるで、私が普通じゃないみたい」
「お前みたいな狂人のどこが普通なんだよ!」
「先生まで私のことを狂人と言った!」
「言動がどう聞いても狂人のそれにしか思えないんだ!」
一体何の会話をしていたのか忘れるような混迷模様だ。すでに俺の手から事態が離れ始めているような気がするが、軌道修正の必要はあるか。まだ問題が解決したとはいえないからな。
「先生。分かりましたね。柊はこういう生徒なんです。常識で計るのは間違っています」
「確かに柊はまともじゃない」
「奈子、離して。流石の私も我慢の限界だから、先生の教師生命を道連れにしてやる」
「絶対に離すんじゃないぞ!」
柊の暴走によって、こちらにイニシアティブが移ったな。だが、気を抜いてはいられない。いつ柊が拘束を抜け出して馬鹿な真似をするか分からない状況だから。何で教師よりも、生徒の方が危険なのか。
「昨日の件は柊の暴走であり、俺達は無実である。それは確固たる真実であることは理解しましたよね?」
「いや、だが。それを証明する方法はないだろ」
「奈子。そろそろ疲れてきたんじゃないか?」
「そうだな。腕の力が抜けそうだ」
「どう考えても脅迫だろ!」
無実を証明するために手段を選んでいられる場合じゃない。担任から言質を得るためならば、誰かの犠牲だって厭わないのだ。そして、俺達の疑いが晴れなくても担任の罪が生まれるとしても。俺達は一歩も引かない。
「それに俺がお前たちの無実を証明すると言っても、柊が止まるとは限らないだろ」
「俺と奈子は柊との付き合いがそれなりにあります。だから柊の抑え方は心得ているつもりです」
「本当か?」
「先に先生が宣誓してくれるまでやるつもりはありませんけどね」
「やっぱり脅迫じゃないか」
がっくりと肩を落とす担任に俺達は勝利を確信した。幾ら担任であろうとも職を失う恐怖には耐えられなかったのだろう。俺達の良心も痛いさ。こんな非情な手段を取らざるおえなかったのだから。
「それでは先生。柊と俺達を信じると言ってください」
「お前たちを信じると奈落の底まで落とされそうな気がするんだが」
「それは気のせいです」
せいぜい骨までしゃぶりつくされるまで利用されるくらいだろう。だが、俺達にだって一線はある。その一線を越えない限りは大人相手に楯突こうとは思っていないさ。その一線を簡単に見失ってしまう連中に心当たりは大いにあるけどさ。
「分かった。昨日の一件は柊の勝手であり、他の連中はただ巻き込まれただけ。これでいいんだろ?」
「柊。アルマージュのシュークリーム二種で手打ちにしてくれないか?」
「仕方ない。それでいいよ」
絶対に他の連中はチョロいと思っただろうな。柊は基本的に甘味で釣れば、大抵どうかになってしまうのだ。更に同じものではなく、味の違うものが二個となればほぼ確定。俺と奈子で折半にすれば出費も抑えられる。
「柊。頼むから昨日みたいなことは今後しないでくれ」
「確約は出来ない」
「そこは確約してくれよ!」
「だって、何が起こるかなんて私にも分からないから」
その言葉で納得できるのは今のところ、俺と奈子だけだろうな。奈子も席に戻って溜息を吐いている様子から過去の出来事を思い出しているのだろう。突発的に行動を起こす柊だが、他にも理不尽なほど意味不明な出来事に巻き込まれる場合もある。
「いつか階段から転がり落ちそうな気はするな」
「何かの下敷きとかもありそうだ」
「お前たちは何の話をしているんだ?」
いつか柊の身に降りかかりそうな不運な未来の話だよ。危機回避に運を全振りしているために、日常的に柊は運が悪い。そうでもなければ、自動ドアに挟まれたり、頭から血を流すようなことが何度も起こるはずがないからな。
「先生。柊に自重しろという言葉は意味を成しません。だって、異常事態は向こうからやってくるんですから」
「例えばの話をしてくれるか?」
「柊。パトカー、救急車、消防車に乗ったことがあるのはどれだ?」
「全部」
「何でだよ!」
見事なまでのコンプリートに先程まで追及者だった担任にツッコミ役になってしまった。パトカーは事件の関係者として、救急車は病院への搬送で、消防車は理由が思い出せないと言っていたか。火事の現場に居合わせたのは記憶にあるけどだったな。
「基本的に巻き込まれ体質でもあるんですよ、柊は」
「むしろ、柊が引き寄せているんじゃないのか?」
「それは真理ですね」
大正解だと俺だって思うさ。そうでもなければ、数々の逸話が生まれるはずもない。ただ、その逸話がそれほど広まらないのも不思議だけどな。目撃者はそれなりにいるはずなのに、誰も柊が関係しているとは言わないのだ。
「先生。一限目が始まったけどどうする?」
「もう自習でいい。俺も疲れたし、何より他の教員に対する説明を考えないといけないからな」
「大変だね」
「誰の所為だと思っていやがる!」
柊の言葉に激昂する担任だが、それも仕方ない。本当に無差別に他人を巻き込むのが柊だから。とりあえず、俺達の完全勝利で昨日の一件は片付いた。次の騒動まではゆっくりできそうかな。
緊急車両コンプリートは割と平和な部類の理由ですけどね。
パトカーと救急車は上記の理由で。
消防車は職場体験会が理由だったでしょうか。
火事の現場に居合わせたのも本当ですけど。熱さが尋常じゃありませんでした。




