異世界生活271日目①
異世界生活271日目 借金残り一千万アルフ
親愛なる母上様、いかがお過ごしでしょうか?
なんの合意もなされていない一方的に過ぎる異世界からの召喚でこちらの世界に来てすでに早半年以上が経ってしまいました。
本当に慣れて良いのか甚だ疑問ではありますが、人間の適応能力というのは恐ろしいもので、何となくではありますが、こちらの生活にも慣れてしまいました。あまりに急な召喚でしたので、そちらでは捜索願など出ていることでしょうが、こちらの世界ではそちらの現況を知る術もなく、ただただ忸怩たる思いです。
私の近況としましては、いきなり召喚されたものの、特別な力により選ばれて召喚された、なんてものではなかったのが運の尽きでしょうか。普通の冒険者志望者として一から鍛え直されて、今まさにデビューを飾ったところです。何故こんなことになってしまったかと言えば、召喚されたモノは旅団(そちらの会社のようなものです)の資産と見なされ、締結した契約によって、どうやら私は何の落ち度もないのにまあまあな成果を挙げねば帰ることすら認められないという状況に陥っていたようです。成果とは要するにお金なので、端的に言えば大量の借金を背負ったようなもんです。
その額、こちらの通貨でおおよそ一千万アルフ。そちらの世界と若干の相場の違いこそありますが、おおよそそちらの世界の金額と同じくらいの大変さと思ってください。
とんでもない額ですので、その成果を上げやすい仕事として、こちらではある程度メジャーな職種であるこの仕事を勧められました。そちらの世界でもこちらの世界でも、短期で稼ごうとすると体を張るしかないようですね。
さて、前置きはともかく。
親愛なる母上様。
貴女の子供は冒険者デビュー戦にて。
「のおおおおおおおおお! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」
早速ピンチを迎えています。
【三日前】
「もしかして、ここなのか?」
「もしかしなくてもここっぽいな」
春。暖かさが身を包み、辺りは色とりどりの花に彩られ、旅立ちの門出を祝福するような、そんな季節。こちらの世界でも元の世界でもその辺のイメージはあまり変わらないらしい。
異世界での生活も早半年を大幅に過ぎた。
召喚されてからこっち、師匠が「チュートリアル」と称したほぼ山籠もりのような生活を経て、何とか冒険者として最低限の能力を身に着けたと思ったら、次は実践編ということで、事務所を構えてあるから好きに使えと言わた場所までようやく到着。その場所に建っていた建造物を眺め、目に飛び込んできた景色に納得がいかず、師匠から示された住所を確認すること三回。ようやっと現実を受け入れなければならないということに気づき、隣にいた少女――アルアリア・イルアリアと言葉にして確認し合う。
「とんでもなくぼろいのだ……」
「物置かなんかじゃないのか、これ」
事務所とは名ばかりの、掘っ立て小屋のような佇まい。一応床はあるようなので、本当に掘っ立て小屋というわけではなさそうだが、それにしてもぼろっちい。手入れが全くされていないのだろう。壁は変色が激しく、蜘蛛の巣はあちらこちらに張っている。
「……とりあえず、入ってみるか?」
アルアリアは腰まで届く長い黒髪を揺らし、無言で頷く。
頷いたが一切動こうとしない。仮にも女の子なので、こういったところに入るのは抵抗があるのだろう。
視線はお前が先に入れと雄弁に語っている。こうなると動きやしない。
十五歳程度の、しかも小柄な体躯の女の子にこんな扱いをされるのにもイラっとするが、喧嘩をしても勝ち目がないから口を噤む。
「まあまあ、魔王様。案外中は豪奢なつくりとなっているかもしれませんぞ。カラミリル殿も魔王様にはそこまで辛辣な行いはしますまい」
助け舟を出してくれたのは、アルアリアの横をふよふよと漂っていた手乗りサイズの龍型精霊、神龍さんだった。今日も今日とて黒光りする鱗を光らせ手乗りサイズでふわふわとしているが、こう見えて超高位の精霊だ。そんな偉大な存在にもかかわらず、こういう時には率先してフォローをしてくれる。とても超上位存在であるとは思えない気配りだ。尊大さのかけらもない。
せっかくフォローしてくれた神龍さんの言葉も後半部部分には賛成だが、前半部分は同意しかねる。師匠がアルアリアに甘いのはいつものことだが、この掘っ立て小屋の中が絢爛豪華な装いとは到底思えん。
アルアリアもそこをよく理解しているのか、神龍さんのフォローでも特に動き出す気配がない。仕方なしに、僕がカギを取り出し、掘っ立て小屋のカギを開けて入り口の扉を開く。ギギギと古めかしい音を立てて開く扉からは、長年使っていなかったであろうあんまりよくない歴史を感じる。
開いた扉から中を覗いてみると、残念というべきか当然というべきか、荷物が中で散乱しており、雑然という言葉がこれ以上ないほど似合う場所となっていた。よく見ると机とか椅子とか事務所の残骸のようなものが残っていてその上に大量の荷物がのっかっている状態だったので、おそらく元々は本当に事務所として使っていたのだろう。ただ、目的を果たされた事務所を物置代わりに使っていた、という経緯が、入った瞬間でもすんごく良くわかる状態になっていた。
「うわー……」
後から恐る恐る入ってきたアルアリアも、中身を見るや、見るからに引いていた。無理もない。
不本意ながらも冒険者としてある程度の実力を身に着けた。ようやくたどり着いた門出には、門出には人間やはり多少なりともテンションが上がるものだ。少しは意気を挙げて事務所までやってきたが、早速片づけをやらなければならないという現実が心に重くのしかかる。
「今日やっとかなきゃならないのって、あとなんなのだ?」
アルアリアの言葉に、師匠から預かった手紙を再度開いて内容を確認する。
「とりあえず後は食料の調達とか、生活基盤を整えるのが最初にやることだな。後は、仕事の準備をするくらいだな」
「仕事の準備?」
アルアリアはあからさまに嫌そうな顔をする。準備イコール片づけをしなければならないと思っているのだろう。
「準備って言っても僕の準備だぞ」
「もしかして! 武器とか買うのか?」
「そうだな、それもあるが……」
そう、師匠に申し付けられてから、個人的に少し楽しみにしていたことでもある。
こういった異世界に来たら、試練とか、選ばれるとか、そういうイベント的なものに期待してしまうもんだ。しかしながら、特に隔絶した力を有して召喚されたわけでもない僕にとってはそんな特別なイベントなどこれまで縁のないものだった。その事実に無力感や若干の哀しさを感じたものだが、メモには、それを吹っ飛ばしてくれるような文言が書いてある。昔から染みついていた少年時代の憧憬というか、念願というべきか。
「精霊との契約に行ってくる」
恐らく多少のドヤ顔で僕は言った。