前の話:商人とアイテムボックス2
男はゆっくりと噛みしめるように椅子に腰を下ろした。
彼がいる部屋はそこまで広くはないとはいえ、この街に住んでいる者たちの家に比べると十分に広い。
この部屋には大きめであり上質な木材で作られた机があり、上質な革張りの椅子があり、本棚、小机、来客用の机、椅子などなど。
それぞれ置かれているが歩くスペースは十分にある、そんな一室。
この街で言えば、寝室とリビングを合わせたくらいの広さになり、十分裕福だと言える。
「俺が……ここまで」
男はこの街で親から継いだ小さな商会の会頭であったが、今ではこの街を差配するほどになっていた。
大きく稼ぎを上げることができるようになり、数年でこのような大きな商会に建て替えることができたのである。
あまり様変わりした部屋を感慨深く見ていたところに、無遠慮に入り込んできた男がいた。
そしてその男は来客用の長椅子にドカリと腰を下ろし、そのままゴロンと寝ころんだ。
「……どうだった? アリト」
「心配することねぇよ。あいつらだって俺には逆らえねぇし」
「そうは言うがな……」
「俺に任せておけば大丈夫だって! ここまでデカくなったのは俺のおかげだろ?」
「……そうだな」
アリトと呼ばれた男は体を起こすと、どこからかワインとグラスを取り出して飲み始めた。
それを男は何か言いたそうにしつつ、言葉を飲み込んでいた。
この街に貴族はいない。
国、という認識もない。あくまで街である。
そして同じような街が周囲に6つあり、それぞれの街の有力者が差配している。
これらの街をすべて取りまとめて収める国という形ではなく、貴族などもいない。
そのためまとまているわけでもなく、手を取り合っているわけでもない。
同じような規模で同じくらいの人口の街。
であれば、その街を差配している者にとって他の街はライバルであり、負けるわけにはいかない相手となるのだ。
そんな街の一つをアリトがいる商会が支配している。いや、支配した。
元は違う有力者が差配していたのだが、一気に膨れ上がった資本で奪い取ったのである。
もちろん闘争はあったのだが、それすらも資本で殴るように兵を雇って押しつぶしたのだ。
アリトたちの金もうけは簡単だった。
アリトの『アイテムボックス』は大量に物を入れられ、入れたものは腐らず新鮮なままなのだ。
この力があれば、物をしまっておくための倉庫は不要になり、あっても小さいもので済み、管理も簡単で済む。
まずこれによってこれまでの維持費を大いに減らすことが出来た。
そして品を大量に仕入れることができて、運搬費も人ひとり分しかかからない。
これによって掛かる経費も大いに減らすことが出来た。
さらにしまった物は腐らず新鮮なままのため、食料などを豊作で安い時に買い込み、不作のときなどに放出した。
場合によっては、これまでであれば仕入れても日数の関係で運搬できないものも売ったりした。
確実に高い収益が見込める物、収益が見込める時に売ることが出来た。
相手をつぶす際には、物資を買い占めてほとんど流通させない、なんていうこともやったりしたのである。
相手もアリトたちを警戒しただろうが、『アイテムボックス』を使ってる所さえ目撃されなければ誰にも分からない。
倉庫や屋敷を調べても出てこない。
空の倉庫を襲撃して逆に潰されたということもそれなりにあったりもした。
本当に『アイテムボックス』というものを知っていたり、目撃でもしない限り、人々にとっては想像することもできないものだったのだ。
街を差配するようになってから他の街のトップとも交流するようにもなった。
互いに裏でも表でも競うことになっているが、順当にアリトたちの影響力が大きくなっている。
そして今回、アリトが会ってきたのは各街のトップで、新年と貨幣を統一するという話し合い、いや通達だった。
各街のトップは早々変わるものではない。
各街の住人たちで話し合って決めているわけではなく、その街の有力者。資本や影響力が強い人がトップに立つ。
当然、資本があれば影響力も強く、影響力が強ければ金集めもしやすい。
なので、ほとんどはトップに経った一族が差配し続けることになる。
アリトたちのようにのし上がってトップに経つという、いわば下剋上というのはあり得ないことだった。
だが実際にそれを成し遂げ、他の街のトップより資本を集め、その資本によって各街への影響力も強めていたのである。
下手にアリトたちと敵対しようものなら、何かしらで生活に影響が及んだ街の住人から目の敵にされかねないほどになっている。
「だいたい無駄なんだよな。対して遠くもない街ごとに金貨とか貨幣の形が違って価値も違うとか」
アリトが懐から取り出したコインを興味なさそうに指で弾き、また手に戻ったコインを机に放り投げる。
「んでもって月日の表し方も街ごとで違うとか馬鹿だろ?」
「いや、その街を差配していた人たちが決めるもんだからな。特別な日とするわけだから」
「祭りとかそんなのは勝手にしてかまわねぇよ。でもな、一年の始まりが違うのはどうかと思うぞ」
アリトの言ったことは商人であれば誰しもが心に思うことではあるが、思うだけでそれに合わせて動くだけだった。
わざわざ統一させようなどと考える者は存在しなかったのだ。
だが、諸々統一させてしまえば楽になることは確かなので、男はそこで何も言えなくなる。
男はアリトと友人、手を取り合って商会を大きくしてきた仲間として言い合える仲ではあるが、それでもアリトの機嫌を大きく損ねることはできない力関係にもなっていた。
それも当然だろう。
彼らの稼ぎ方はアリトの『アイテムボックス』に頼っているのだ。
稼げば稼ぐほどに『アイテムボックス』は欠かせなくなり、その力を持つアリト次第になっていくのだから。
「んじゃ、俺は出かけてくるわ」
「……ああ」
まて出ていくアリト。
ただし今度は仕事ではなく飲みにである。
まだ陽は高く、商会としての仕事は当然残っているし、無くなりもしていない。
しかし、アリトに文句を言えないし、強くも出れなくなっているため言葉を飲み込むしかなかった。
「失礼します」
ノックの後、一人の男性が入ってくる。
この商会の従業員だった。
「こちらを持ってきました」
「ああ、ありがとう」
差し出された紙を手に取り眺めていく。
この商会で管理している物の数。そして現在の収支など多岐にわたっていた。
「……これでいいんじゃないか」
「恐れながら。こちらの数字、実際には確認できておりません」
「……私が確認しておく。ご苦労だった」
「わかりました。失礼します」
従業員が部屋を出ていく。
その姿を見送って男はため息を吐いた。
従業員が指摘した内容は男もすぐに気づいていた。
だが、それはどうしようもないものだった。
それはこの商会で仕入れていて残っていると思われる品の数。
倉庫を持たず、アリトの『アイテムボックス』にしまっているため、実際の数が確認できないのだ。
取り出したりしまったりするのはアリトしか出来ず、他からは中身の確認はできない。
だから、仕入れた数量をメモしておき、そこから販売するたびに出した分を差し引いていく。
そうすれば抜けはないはずだが、人のやることに絶対はない。
どこかで書き損じや書き間違え、というのはあり得る。
常に最新のメモを持っているとは限らず、記憶頼りで行う、ということだってあり得ないわけじゃない。
そうした場合、実際の在庫を見て数えればいいのだが、如何せん『アイテムボックス』にしまっている。
そのため、アリトにしか確認できなくなっているのだ。
しかし、アリトが『アイテムボックス』の中身を常に整理し、把握しているとも思えない。
普段の勤務態度などから周囲はそう見ているし、一緒にやってきた男としてもアリトはそういう性格ではないことを理解していた。
以前ではアリトに在庫を聞くことをしてきたが、曖昧な回答が多かった。
そのため、実際にすべて出させて確認するということをやってきたことがある。
だが、商会が大きくなれば仕入れる数も多くなる。
中身がどれだけ残っているか出してみないと覚えていないこともあり、大きな倉庫内でやらなければいけなくなる。
どこかのタイミング毎にすべて出してもらって確認するとなると膨大な作業になってしまうのだ。
そうなるとその間拘束されることになるアリトが面白いはずがなく、いつしかこの作業を断るようになった。
「じゃあ在庫は?」と聞けばまた曖昧な数の答えとなり、「本当か?」と確認すれば「俺が信じられないのか!」と喧嘩になる。
不機嫌が続けば『アイテムボックス』の使用を拒否されることもあり、大きく稼ぐためには折れざるをえなくなるのだ。
今ではそのアリトの曖昧な回答の数値を基に記録をつけて行くしかなくなっているのであった。
こうなってしまえば、誰も分かっていないものが出来やすい。
だれも確認できないものだから憶測するしかなく、ちょっとした不満はそこに向けられていく。
分からないのだから、そこに原因があると思いたくなるし、本当にそこが原因の場合も十分に高い。
アリトを加えてから急激に大きくなった商会。
その急激さゆえに固まらなかった土台は傾いていた。
ここまでお目通しいただき、ありがとうございます。