イジメられたくない私(ヒロイン)が悪役令嬢を全力で助けたら
◆1◆
「だれかっ、たすけてっ!! たすけなさいっ!!」
不意に通りに響いた、小さな女の子の切羽詰まった泣きそうな声。
晩ご飯は何にしようって眺めてた露店の店先に並ぶニンジンやタマネギから、思わず声のした方を振り返って……私の心臓はドクンと激しく跳ね上がった。
なびくふわふわのプラチナブロンド。
ちょっぴり吊り目気味のつぶらなエメラルドグリーンの瞳。
可憐な桜色の唇。
透き通るような白い肌。
しかも着てるのは、フリルやレースをふんだんに使った、パステルピンクの可愛らしい、とんでもなくお高そうなドレス。
まだ私と同じ十歳だけど、将来とんでもない美人になるぞって目を奪われるくらいの美少女が、買い物客で賑わう通りの向こうから必死に走ってきていた。
十四歳の彼女しか見たことないけど、こんなとんでも美少女、見間違えようがない!
フライレッタ公爵令嬢エメラディア・バールックだ!
「待ちやがれ!」
「絶対に逃がすな!」
「確実に始末しろ!」
そしてその後ろからは、明らかにエメラディアを追う、物騒な事をドスの利いた声で叫ぶ数人のならず者みたいな男達。
しかも、覆面を被って、抜き身の剣を握り締めて。
さらにその向こうに見えるのは、一台の豪華絢爛な馬車、それと護衛の兵士達とヤバイ連中のお仲間達の大立ち回り。
これってまさか……ううん、絶対間違いない!
設定にあった、あのエメラディア殺人未遂事件だ!
「だれかーっ!! 見ていないでたすけなさいーっ!!」
設定通り剣を振り回すヤバイ連中やフライレッタ公爵家に関わるのを怖がって、買い物客達はみんな道を空けて誰一人助けようとしない。
もうエメラディアは半泣きだ。
「もらった!」
ヤバイ連中の一人が真後ろまで追い付いて、手にした剣を振り上げる。
振り向いたエメラディアが悲鳴を上げて、咄嗟に方向転換して路地へと駆け込んだ。
間一髪の空振り。
勢いで行き過ぎてたたらを踏んだヤバイ連中も、慌てて路地へ駆け込み追いかける。
「ハッ!? ちょ、そっちヤバイんですけど!!」
想定外の遭遇に思わず茫然としちゃってたけど、呆けてる場合じゃないよ!
この状況、とんでもなくヤバイ!!
「おばちゃん! あとで取りに来るから買い物カゴあずかってて!」
「あっ、ちょっとリリアちゃん!?」
露店のおばちゃんの返事も聞かずに全力ダッシュで、エメラディアが入った路地の一本隣の路地へ駆け込む。
「あっちの道がああなってるから、こっちからこう行って……!」
頭の中で近所の地図を思い出しながら、幾つかの角を曲がる。
そして目的の丁字路まで後一歩ってところで、目の前をエメラディアが走り抜けようと飛び出してきた。
ナイス私、間に合った!
「待って! そっち行っちゃだめ!」
慌てて腕を伸ばして、エメラディアの腕を掴んでこっちの路地に引っ張り込む。
「っ!?」
「あっちに行ったらスラムに出ちゃう! こっちから行けば通りにもどれるから!」
ビックリして目を見開くエメラディアにお構いなしで、強引に腕を引っ張りながら、がむしゃらに来た道を逆走する。
さすがお嬢様、走り慣れてないせいか、遅いし、息切れしてるし、ふらついてるし、今にも倒れそう。
「どっちへ行った!?」
「こっちだ!」
ひいぃぃ!? 追いかけてくる!?
これ、追い付かれたら私も一緒にズバッとやられちゃうよね!?
「がんばって、もうちょっとで通りだから!」
「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……あ、あなたは?」
「わたし、リリア、この近くのくすりやの娘なの!」
そう、私はリリア。
まだ平民なんで、名字はない。
これから四年後の十四歳になった時、超レア属性の光の魔法に目覚めて、それを切っ掛けに男爵家の養女になって名字を貰うの。
それから王立グランフィールド学園に編入して、ここグランフィールド王国の第一王子、宰相の長男、騎士団長の次男、王国一の大商会の長男、隣国の第二王子って豪華絢爛で色々とハイスペックなイケメン達と運命的な出会いを果たす。
そして、光の魔法を駆使しながら彼らを助け、また助けられて、絆を深めながら学園生活を送り、彼らと恋に落ちる予定。
そう、ここは乙女ゲーム『あまねく光と幸せを』の世界。
もしくはそれとそっくりな世界。
中身の私は元日本人で、小さな会社でOLやってたオタク女子だ。
よく覚えてないんだけど、多分、私、過労か何かで死んじゃったんだと思う。
気付いたらこの世界で、リリアに転生してたってわけ。
実は、そういった色々を思い出したのが三日前の話。
実家の薬屋の手伝いをしてる時に、棚の薬ビンが落ちてきて頭にガン! ってね。
おかげで、もう、ね……絶望した。
前世で死んじゃったことじゃない。
転生先が、数多やってきた乙女ゲームの中で、なんでよりにもよって『あまひか』のリリアなのか。
だってこの『あまひか』、悪役令嬢とその取り巻きのイジメが、そりゃあもうえげつないの。
嫌味を言われる?
足を引っかけられる?
教科書を破られる?
階段から突き落とされる?
そんなの、序の口。
インクを頭からドボドボぶっかけられて、髪もドレスも大惨事になってダンスパーティーに出られなくなる。
着ているドレスをズタズタに切り裂かれて、男子も通る中庭に放置される。
それを受けて、男を誘ってるとか、あばずれとか、淫乱とか、水をぶっかけられたり、ゴミを投げつけられたりする。
突き飛ばされて倒れたところを寄って集って蹴られて痣だらけにされて、痣が消えるまで部屋に引きこもらなくちゃいけなくなって、デートや学園行事どころじゃなくなってしまう。
バッドエンドも、大概誰かに殺されるし。
数少ない死なないバッドエンドですら、顔を刃物でズタズタにされて一生顔を隠して生きないといけなくなるし。
こんなプロット、誰が考えた!?
シナリオライターは、悪役令嬢を徹底的に嫌って欲しいからイジメに心血注いで書きましたってインタビューでドヤってたけど、力の入れドコロが違うでしょう!?
なんでイケメンとのキャッキャウフフに心血注がないの!?
スタッフ、私に土下座して!
とにかく四年後、私はそういう目に遭わされるわけ。
ゲームなら『悪役令嬢と取り巻きどもむかつく!』で済んだけど。
断罪されて、それこそ『ざまぁ!』で爽快だったけど。
もうね、リアルでそんな目に遭わされるって分かってて、誰が学園に行きたいって思う!?
イケメンと恋愛出来なくていいから、イジメとバッドエンド回避したいじゃない!?
これが悪役令嬢だったら、破滅回避のために日頃の行いを改めればいい。
名もないモブなら、知らぬ存ぜぬで好きに生きればいい。
でもヒロインの場合、上手く立ち回ろうと下手にシナリオ変えると、ヒロインと悪役令嬢の立場が逆転して、逆にヒロインが断罪されたりするじゃない!
もし他に転生者がいたら、その人達の行動結果の煽りをモロに受けるじゃない!
本当にもうね、どうしたらいいのやら……。
そんな中で、ふと思い出した設定があるの。
それは悪役令嬢について。
傲慢で、捻くれてて、人間不信で、平民を人間として見てない、自分より下の者には何をしても許されるって考えてて、婚約者の第一王子と自分と家族以外の人間はみんなゴミくらいにしか思ってない。
そんな悪役令嬢の道を歩む切っ掛けになった事件が過去にあった、って設定。
そう、それが今まさに目の前で起きてる、後の悪役令嬢になるフライレッタ公爵令嬢、エメラディア・バールック殺人未遂事件なんだ。
「はぁ、はぁ、わ、わたくし……もうっ……」
「あと少しだから、がんばって!」
前世の記憶を思い出したのが三日前。
絶望して部屋に引きこもって。
どうにかしてイジメとバッドエンドを回避しようって、なんとか気力を奮い立たせて部屋から出て来たのがついさっき。
それでいきなりエメラディア殺人未遂事件に出くわすなんて。
これはもう、全力で助けろって神様が言ってるようなもんでしょう!?
「はぁ……はぁ……も、もう……むり……」
「通り見えた! あとひといきだから!」
エメラディアは必死に助けを求めたのに誰も助けてくれなかった。
しかもスラムに迷い込んでしまって、ヤバイ連中とはまた別にスラムの住人に乱暴されそうになってしまう。
それで一気に人間不信になって、自分を助けようとしなかった平民を嫌い、憎み、同じ人間として見なくなってしまったんだ。
もしここでエメラディアが悪役令嬢堕ちを回避したら、学園に通ってもイジメられなくなるかも?
そんな打算もいっぱいある。
だけどやっぱり、たった十歳の女の子が怖い目に遭って、人間不信になるほど心に深い傷を負ってしまうのを、黙って見過ごせないじゃない!
「やったぬけた――わあっ!?」
通りに飛び出した途端、エメラディアが足をもつれさせて私にぶつかって、二人一緒に石畳の上を転がる。
「立って、はやく!」
「はぁ……はぁ……」
ああ、もう声も出せないほど疲れ切って、これじゃ立てそうにないんだけど!?
「へへっ、ようやく追い付いたぜ」
やばっ! 追い付かれた!
「手間をかけさせやがって」
「そっちのガキも一緒にぶっ殺してやるよ」
ひいぃ!?
やっぱりそうなっちゃうよね!?
もしかしてこんなところで二人一緒に殺されてバッドエンド!?
まだなんにも始まってないのに、三日目でゲームオーバーなの!?
「たすけてぇーーーっ!! お嬢様ここっ! ここにいるからはやくぅーーーっ!!」
「チッ、このクソガキ!」
「おい、さっさと殺せ!」
「見付けたぞ!」
「お嬢様を守れ!」
もうね、その後はよく覚えてない……って言うより、見てなかったから分からない。
振り上げられた剣を見て、思わずエメラディアを力一杯抱き締めて、ギュッと目を瞑ってたから。
護衛が駆け付けて来てくれて助かったんだって分かったのは、『もう大丈夫だ、よくやったねお嬢ちゃん。だから、もうお嬢様を放しても平気だよ』って、何度か優しく声をかけられて肩を叩かれて、ハッと我に返ってからだった。
◆2◆
「お……おじゃましま~す……?」
「ふふっ、いらっしゃいリリア、ようこそわたくしの部屋へ」
本日、フライレッタ公爵家へお呼ばれされました。
なぜ!?
いや、先日偶然エメラディアを助けたよ?
馬車に同乗してたおじいさんの執事さんにも感謝されたし、エメラディアも感謝してくれたし、公爵様からは褒賞金も貰ったよ?
でも普通そこでおしまいだと思う。
本来は出会うはずのなかった二人なんだから、次に会うのは学園に入学してからって思うじゃない。
それがなぜにお家にご招待!?
「リリアはわたくしの命のおんじんでしょう? だからわたくし、どうしてももっとお話がしてみたかったの」
椅子に座ってニコニコ笑顔。
その可愛さ、控え目に言っても天使じゃないかな!?
「リリア、どうしたの? わたくしの顔をじっと見て」
「えっ? あ、あの、エメラディア様があんまりにもかわいくて……見とれちゃってました」
「まあ、リリアったら」
照れながら花が綻ぶように微笑むエメラディア。
天使! 天使がここにいます!
はぁ~……こんなとんでも美少女の天使が、あんな悪魔みたいな悪役令嬢になっちゃうなんて……。
だって、Gや汚物を見るような目でリリアを見ながら、心臓に刃物を突き立てたり、馬乗りになって高笑いしながらリリアの顔をズタズタに切り裂いたりするんだよ、四年後に。
そんな人に関わっちゃっていいのかな、シナリオにもないのに……って、すでに自分からがっつり関わっちゃってたね。
いや、こうなっちゃったらむしろ積極的に関わるべき……?
この先も私がこの天使を守りながら仲良くなって、第一王子ルートにさえ入らなければ、あんなえげつないイジメとかバッドエンドとか、本気で回避出来ちゃったりする……かも?
うん、もうシナリオ変えちゃったし、それでいこう!
「リリア様、お茶をどうぞ」
メイドさんが香り高い紅茶を注いでくれて、目の前のお皿にはクッキーの山が!
この世界のリリアとしての十年間の記憶もあるから覚えてるけど、甘いお菓子なんて贅沢品、ほとんど食べられなかったんだよね。
「ふふっ、それは全部リリアのよ。だれも取らないから、えんりょなく食べてね」
ついクッキーをガン見しちゃってて恥ずかしい!
でも食べていいなら遠慮なく。
「ありがとうございますエメラディア様、いただきます。はむっ……おいしいっ!」
パクッと一口食べた十年ぶりのクッキーの、甘くて美味しいこと美味しいこと!
なんたって公爵家でお嬢様に出される最高級品だからね、次から次に手が伸びて止まらない!
「ふふっ、リリアったら。そんなに気に入ってくれたならうれしいわ」
ああ天使! エメラディアってマジ天使!
その天使の微笑み、まさにプライスレス!
改めて誓おう、この天使の微笑みは私が守ると!
「ねえ、わたくし、リリアのことをいっぱい知りたいわ」
紅茶とクッキーを楽しみながら、普段私がどんな生活をしているのかとか、何が好きなのかとか、エメラディアがすごく聞きたがるから、なんでも話してあげる。
だって、クッキーのお代わり貰っちゃったし。
そしたらもうね、エメラディアが笑ったり、驚いたり、コロコロ表情を変えるのが可愛くて可愛くて。
だから私もエメラディアのことを聞くと、これがまた嬉しそうに話してくれるの。
おかげですごく楽しくて、いっぱい話が弾んじゃった。
そんな風にどれくらいの時間お喋りしてたか、不意にドアがノックされて一人の男の人が入ってきた。
オールバックに撫で付けられたプラチナブロンド。
きっつい吊り目で蛇のように細いエメラルドグリーンの瞳。
不機嫌そうに、への字に引き結ばれた唇。
透き通るような白い肌。
これでもかってくらい贅沢に仕上げた貴族の服。
細身のイケオヤジだけど、目つきがこれでもかってくらい悪い。
もう、見ただけで何者かって分かるね。
「まあ、おとうさま。どうしてこちらに?」
「図々しくまたあの平民の娘が来ていると聞いてな」
あからさまに私をゴミを見るような目で見て、私がつまんでたクッキーを見ると、フンと蔑むように鼻を鳴らした。
「何をしに来たのかと思えば、菓子をたかりに来たのか。これだから下賤な平民は卑しくてかなわん。金なら十分にくれてやっただろう」
腹立つな、もう!
お茶菓子くらいケチケチしなくてもいいじゃない、金持ちのくせに。
せっかくの楽しいお茶会が台無しだよ。
「おとうさまったら、リリアにしつれいなことを言わないで。わたくしがしょうたいしたのよ」
「エメラディア、付き合う相手は選びなさい。お前は選ばれた高貴なる生まれの娘なのだ。第一王子の婚約者として立ち、ゆくゆくは王妃としてこの国を統べる存在なのだぞ? それをこんな下賤な平民と親しくしているなどと知れたら、いい笑い者だ。フライレッタ公爵家の名に傷が付く。王家にも面目が立たん」
「おとうさま! リリアはわたくしの命のおんじんなのですよ!?」
「だから十分に金はくれてやっただろう。それに味を占めてさらにたかろうと、エメラディアに近づいたか? なんと浅ましい。これだから賤しい生まれの者は汚らわしくてかなわん」
「おとうさま!」
「……分かった。今日の所はこれで引き下がるが……」
最後にジロリと私を睨む。
思わず、ヒッて変な声が出ちゃったくらい、冷たくて蔑む視線だった。
それ以上何も言わずにフライレッタ公爵が部屋を出て行ってくれたから、思わずほっと胸を撫で下ろしちゃったよ。
「ごめんなさいリリア、おとうさまが……」
「い、いえ……」
いやはや、本当にもうあの父親にしてこの子あり。
ゲームで悪役令嬢エメラディアが言ってた台詞と、ほぼ同じだったよ。
あの事件のせいで平民のことが嫌いになって、人間不信になって、父親からあんなことを聞かされ続けたから、きっとあんな風に育っちゃったんだ。
だから、男爵家の養女になったとはいえ、平民上がりのリリアが高貴な生まれのイケメン達、特に婚約者の第一王子に近づくのがどうしても許せなくて、悪役令嬢として立ちはだかったんだろうね。
でも……今ならそれは防げるはず。
「リリア、顔を上げて。あなたがうつむく理由はこれっぽっちもないわ」
エメラディアは椅子から降りると、自分で椅子をガタガタ動かして私の隣にぴったり置くと、そこに座って私の手をそっと包み込む。
ちっちゃくて可愛い手が、精一杯私を励ますように。
「あのね、はずかしいけど、わたくしも本当は、平民なんて……って思っていたの。だっておとうさまから、さんざん平民のひどいところを聞かされてきたから」
あの親父、やっぱり!
「あの時も、わたくしがどれだけたすけてって言っても、だれもたすけてくれなかった……だから、やっぱりおとうさまの言うとおりなんだって、そう思いかけていたわ」
でもね、ってエメラディアが眩しそうに目を細めて微笑む。
「リリアがたすけてくれたわ。リリアまで殺されてしまうかもしれないのに、ひっしにわたくしを抱きしめて守ってくれた。そんなリリアが、おとうさまの言うような、げせんな平民なんかであるはずないわ。わたくしね、リリアのおかげで平民を見直したの」
「エメラディア様……」
なんて眩しい天使の微笑み!
これ、もしかしてやったんじゃない!?
悪役令嬢堕ち、確実に防げたよね!?
……いや、でもまだ油断は禁物だ。
だって、ゲーム本編開始まで、まだあと四年もあるんだから。
あんな父親が側に居たら、いつまた悪役令嬢に堕ち始めるか分かったもんじゃない。
きっとそれを防げるのは私だけなんだ。
ヒロインが、ゲーム本編開始前に悪役令嬢と何やってるんだって話だけど……。
もういい、そのことは考えない!
「あのエメラディア様……わたし……」
ああ、でも言っていいのかな、こんなこと……。
それで、やっぱり平民は生意気だとかなんとか思われたら……。
「なあにリリア? わたくし、リリアの言うことならちゃんと聞くわ。だから、えんりょしないで、わたくしに聞かせて?」
ああもう、本当に天使なんだから!
「じゃ、じゃあ……」
深呼吸して、慎重に言葉を選びながら、私の思ったことを伝える。
「平民だって、嫌なものは嫌なんです……痛いのも、嫌われるのも、悪口を言われるのも……自分を嫌いな人は、好きになれない……嫌いになっちゃいます。でもそれと同じように、やさしくしてくれる人にはやさしくしたいし、ほめられたらうれしいし……好きになってくれた人は好きになっちゃいます」
――だって生まれが違っても、同じ人間なんだから。
そこまで言っていいか分からなくて、最後の言葉だけは飲み込む。
でも、エメラディアにはそれが分かったのかも知れない。
ちょっと目を見開いて驚くと、わずかに目を伏せて深く考え込む。
そして、瞳を上げて私を見ると、それはもう花のように微笑んだ。
「そうね、リリアの言うとおりだわ。嫌なことをしたり、悪口を言ったりする人は、好きになれないわよね。逆に、リリアみたいにやさしくしてくれる人にはやさしくしてあげたいし、リリアのこと好きだから、わたくしのことも好きになってほしい」
「エメラディア様……」
分かってくれた……!?
私の言いたいこと、ちゃんと分かってくれた!?
これでまた悪役令嬢堕ちが遠のいたんじゃないかな!
◆3◆
あれ以来、私とエメラディアは頻繁に会うようになった。
週に一度はエメラディアからご招待されるし、小旅行に誘われて泊まりがけで一緒に遊びに行ったこともある。
「ようお嬢ちゃんいらっしゃい。さあどうぞ」
なんて、もはや顔パスで門番さんが通してくれるし。
「リリア様と知り合われてから、お嬢様はとてもお優しい顔をされるようになりました。その上、私達使用人に労いのお言葉まで下さるようになったんです。これも全てリリア様のおかげです、ありがとうございます」
なんて、メイドさん達も感謝してくれるし。
フライレッタ公爵家での私の評価は鰻登りだ。
それに家人達からもエメラディアはすごく慕われるようになって、お屋敷の雰囲気がとても明るくなった。
ただし、公爵様だけは相変わらずだけど。
私がフライレッタ公爵家に出入りしてるのは当然公爵様の耳に入ってるわけで、わざわざやってきては、嫌味を言ったり、追い出そうとしたり、エメラディアに近づかないよう脅してきたり、色々とやってくれたんだよね。
でも、そのたびにエメラディアが私を庇ってくれたんだ。
逆に、相手がどんな人物かをちゃんと見ないで、平民ってだけで一括りにして見下すべきじゃないって、怒ってくれて。
これってもう、悪魔のような悪役令嬢堕ちなんてあり得ないくらい、天使になった証拠じゃないかな!?
「いらっしゃいリリア。庭のバラがとってもきれいに咲いたから、リリアといっしょに見たかったの」
メイドさんに案内されて広い庭の一角にあるバラ園に通されると、パッと顔を輝かせたエメラディア。
公爵家のご令嬢としてはしたないくらいドレスの裾を翻して私に駆け寄ってくると、それはもう嬉しそうに私の手を取ってそのまま手を繋ぐ。
「本日もごしょうたいありがとうございます、エメラディア様」
「もうリリアったら、わたくしのことはエメラディアって呼び捨てにしてって言ったでしょう? 親しいお友達のように気安く話してって、この前もおねがいしたわよね?」
「は、はい……えっと…………うん、さそってくれてありがとうエメラディア」
「ふふっ、どうしたしましてリリア♪」
もうね、こんな感じにもはや親友?
身分差なんか無視してタメ口になっちゃったし。
何かと手を繋いだり、腕を組んだり、ちょっとスキンシップが多くて距離が近いけど、それも私を慕ってくれてるって思えば全然気にならない。
親愛の情のお返しって、私から手を繋いだり腕を組んだりすると、頬を染めてそれはそれはもう嬉しそうに微笑んでくれるんだ。
目の保養だし、天使のような美少女と触れ合えるなんて、むしろ役得だよ。
「ね、見てリリア。こんなにあざやかな赤。とってもきれいでしょう?」
「うん、すごくきれい。でもエメラディアの方がもっときれいだよ」
驚いたようにバラから私の方に振り返って、エメラディアがぽっと頬を染める。
「も、もう、リリアったら」
うん、今のは私もちょっとどうかと思った。
キザったらないね。
でも、愛おしそうにバラを眺めるエメラディアの横顔が、本当に綺麗だったんだから仕方ないよ。
しかも照れて口元をもにょもにょさせてるエメラディアの可愛いこと可愛いこと!
この天使、ハグしてうちに持って帰っちゃ駄目かな!?
でもね、そんな天使のようなエメラディアでも、色々と悩みがあるみたい。
「あのねリリア聞いてくれる? 先日ね、マチルダ様がおっしゃっていたのだけど、クレイマター侯爵家のサフィーア様が、わたくしのことを、冷たくて、いばりちらして、嫌な女の子だって言ってたって……わたくし、サフィーア様に嫌われているのかしら。リリアもわたくしのこと、そんな女の子だと思っている? リリアにそんな風に思われて嫌われたら、わたくし生きてはいけないわ」
うん、ちょっと大げさだけど、本人としては、しゅんとなっちゃうほど深刻な悩みなんだね。
サフィーアって確か、宰相の長男の攻略ルートで出てきたライバルキャラだ。
エメラディアが第一王子の婚約者で、サフィーアは宰相の長男の婚約者の座狙いで、お互いゆくゆくは夫を立てて国を盛り立てていく立場だからって、エメラディアと仲良くしたいって思ってたんだ。
エメラディアが悪役令嬢としてやり過ぎちゃったせいで、見切りを付けられちゃうんだけど。
でも今のエメラディアなら、問題なく仲良く出来るはず。
それに名前に覚えがないから確証はないけど、そのマチルダってエメラディアの取り巻きの一人かも。
やたらとエメラディアに近づいてくる人を攻撃して遠ざけたり、あることないこと吹き込んだり、気に入られようと媚びを売るのに必死だった取り巻きのご令嬢がいたから。
エメラディアに容姿を確認してみれば、正解だったみたい。
これは、エメラディアを守るためにも、悪い影響は排除しないとね。
「わたしはエメラディアがそんな子だなんて全然思わないし、嫌ったりしないよ」
「本当? わたくしのこと嫌いにならない?」
「うん、なるわけないよ。だってエメラディアのこと大好きだから」
「よかった~……」
そんなに大げさに安堵するなんて、可愛いんだから。
でも、私の手をにぎにぎするのは、ちょっとどうなんだろう?
「そうやってすぐ陰口をたたいたり、あることないこと告げ口したりする人のほうが、わたしは嫌いだなぁ。だって、もしかしたらわたしの見てないところで、他の人にわたしの悪口言ってるかも知れないし」
「……そう、ね…………そうかも知れないわね」
さすがにお友達だって思ってるその子を悪く思いたくないのかも。
あんまりしつこく言うと逆効果になりそう。
これは、一応楔を打ち込んだってことで、後はエメラディア次第かな。
「それとそのサフィーア様のことだけど、そういう噂話って、だれかが言ったそのままを、うのみにするんじゃなくって、ちゃんと自分で確かめたほうがいいと思うな。もしかしたらサフィーア様は、本当はそんなこと言ってなくて、エメラディアと仲良くしたいって思ってるかも知れないよ?」
「そうね……わかったわ。リリアが言うんだもの、わたくしからサフィーア様にお声をかけてみる」
「うん、それがいいよ」
後日、勇気を出して話しかけたところ、全部誤解で、とても仲良くなれたんだとか。
今度お茶会を開いて、ご招待したり、ご招待されたりするらしい。
私以外に仲のいいお友達が出来ちゃうのはちょっと寂しいけど……いいお友達が増えたみたいで、よかったよかった。
それ以来、何かとエメラディアから相談されるようになった。
「ねえリリア、おさそいされた誕生日パーティーにつけていくリボン、こっちとこっち、どっちがわたくしに似合うと思う?」
「こっちがいいよ、絶対」
これは即答しておく、ちょっと食い気味なくらいに。
「エメラディアと初めて会った日、かわいいピンクのドレスを着てたよね。エメラディアはむらさきよりピンクが似合うと思う」
だって、紫も似合うんだけど、悪役令嬢の時のエメラディアのイメージカラーが紫だったから。
「まあ、おぼえていてくれたの? うれしいわ♪ じゃあこっちのピンクにするわね」
とまあ、こんな可愛い相談から始まり――
「この前おさそいされた誕生日パーティーでね、初めて会った男の子がいじわるなことを言うのよ。せっかくリリアが似合うって言ってくれたピンクのリボンを、似合わないって、自分は水色が好きだから水色のリボンをつけろって。ひどいと思わない?」
「あ~~……それはきっと、エメラディアがかわいかったから、お話しするきっかけがほしくて、そんなこと言ったんじゃないかな?」
多分、その子の一目惚れだね。
「だとしたら、あの子はぜんぜん紳士じゃないわね。お話したい子をけなすなんて。悪口言ったら嫌われちゃうって、しらないのかしら」
ぷんぷんとご立腹のエメラディアも可愛すぎ!
とまあ、ちょっと甘酸っぱいお話とか――
「リリアは、さいきん町にできたっていう人気のカフェ、行ったことあるかしら?」
「あ、ケーキがおいしいってひょうばんのお店だね。ちょっとお高いから、まだ行ったことないなぁ」
「そう、なのね……」
「もしかして、食べてみたい?」
「えっと、その……ええ、ちょっぴり」
ちょっぴりじゃなくて、興味津々みたい。
「メイドさんに頼めば、買ってきてくれるんじゃない?」
「そうじゃなくって……」
ああ、カフェで食べるって雰囲気も一緒に味わってみたいんだ。
でもあの事件以来、お屋敷から出て町に行くのが、まだ怖くて勇気が出ないんだね。
「じゃあ、わたしもいっしょに行こうか? もし前みたいなことがあっても、またわたしが守ってあげるから」
「本当!? うれしい! ぜったい、やくそくよ?」
これで、少しは町が怖いってトラウマが薄れてくれたらいいな。
とまあ、可愛いお願いを叶えてあげたりとか――
「あのね、おさそいが二通きているの。でも日にちが近くて、どちらかしか出られないの。どうしたらいいかしら」
「そのおさそいって、どんなおさそい?」
「おとうさまのはばつの方のおとうさまの還暦のお祝いと、サフィーア様のお茶会で知り合った子の誕生日パーティーなの」
ああ、それは……派閥のことを考えると、その方のお父様の還暦のお祝いに出るべきだよね。
それに、サフィーアは他派閥だから、多分その子も他派閥の子のはず。
大人なら、どっちを優先すべきかは考えるまでもない。
でも、還暦のお祝いって、十歳の女の子が楽しめるかって言われると、すごく微妙。
それに、エメラディアはチラチラと誕生日パーティーの招待状の方を気にしてる。
そっちに行って、その子と仲良くなりたいんだね。
「はばつのお祝いは、公爵様が出れば十分だと思うから、エメラディアは行きたい方に行けばいいんじゃないかな? お友達と仲良くするのは大事だよね」
「そうかしら……おとうさま、許してくれるかしら?」
う~ん……叱られそう。
あっ、そうだ。
「じゃあ、こう言ってみたら? しょうらい王妃様になるときのために、社交界で、年の近い女の子の味方は、はばつをこえて、たくさんつくっておいたほうがいいからって」
「まあ……リリアすごいわ! それならおとうさまも許してくれそう!」
とまあ、派閥うんぬんは平民にとって重たいけど、行きたい方に背中を押してあげたりとか――
そんな感じで色々な相談に乗ってあげたってわけ。
なんて言うかね、おかげでエメラディアの見てないところでこっそり、メイドさんからエメラディアについての相談をされるようになっちゃったりしてね。
「お嬢様はリリア様にお心を許され、とても頼りにされていらっしゃいますから、リリア様から言って戴ければ、きっとお嬢様も聞いて下さると思うのです」
なんて言われて。
ちょっと……ううん、かなり嬉しかった。
もちろん、ただ仲がいいだけじゃなくって、喧嘩もしたよ。
原因も忘れちゃうような、他愛ないことなんかでだけど。
でも、仲直りするたびに、もっと仲良くなれた気がして、それもまた嬉しかった。
前世の記憶を取り戻した直後は絶望したけど、今はこの世界のリリアに転生出来て良かったって思ってる。
将来、親友を第一王子に取られちゃうのが悔しいくらいに、ね。
◆4◆
そして、あっという間に三年が過ぎて、私達は十三歳になった。
ゲーム本編開始まで、あと一年。
そんなある日の、いつものお茶会でのことだった。
「はぁ……」
「どうしたのエメラディア、溜息なんて吐いちゃって」
扇で口元を隠しながら憂い顔で溜息なんて、見とれて溜息が漏れそうなんだけど。
「せっかく天使のように綺麗な顔が台無しだよ?」
「もうリリアったら……」
照れたように微笑んで、それからまた憂鬱そうに目を伏せてしまう。
「私じゃ大して力になれないと思うけど、話くらいなら聞くよ? 話せないことなら無理には聞かないけど……誰かに話すだけでも、少しはスッキリすると思うな?」
「ありがとうリリア。いつもあなたはわたくしの事を考えてくれて、心が軽くなるわ」
ああっ、その微笑み眩し過ぎ!
ただでさえとんでも美少女だったのが、この三年で輪をかけてさらにとんでも美少女になるなんて!
数年後には傾国の美女って呼ばれて、近隣諸国に知らない人はいないくらいになるんじゃないかな。
エメラディアを取り合って戦争が起きても、私は納得するね。
「お言葉に甘えて、聞いて貰っていいかしら?」
「もちろん!」
「ありがとうリリア。やっぱりわたくしの味方はリリアだけよ」
エメラディアが私の手に手を重ねた。
相変わらず柔らかくてすべすべで綺麗な手だなぁ。
エメラディアって本当に手を取り合ったり、握ったりが好きだよね。
「これはまだ決定ではないから、他言無用でお願いね」
「うん、分かった。誰にも言わない」
エメラディアは頷いてから、声のトーンを落とす。
「お父様が、第一王子とわたくしの婚約を正式に決定しようとしているの」
「へえ、それは――」
おめでとうと言いかけて、その言葉を飲み込む。
すごく憂いを帯びた瞳が揺れていたから。
実はまだ、エメラディアは第一王子の婚約者じゃない。
貴族同士の権力争いでゴタゴタして、婚約者候補は複数いても、一人に絞られてなかったんだ。
三年前、エメラディアが襲われて殺されそうになったのも、この権力争いのせい。
第一王子の婚約者、未来の王妃で国母の最有力候補が、何を隠そうエメラディアだったから。
それでゲーム本編開始の一年前、ようやくケリが付いて、エメラディアが正式に婚約者になった……と言うのが設定だ。
ゲームのエメラディアは、権力争いで勝ち残った自分が婚約者なのは当然、貴族令嬢の頂点たる王妃になって国を支配して当然、高貴なる自分こそその役割に相応しい、って傲慢な考えで、それを吹聴して回ってた。
その行き過ぎた態度を、第一王子には疎ましく思われてたんだ。
だから平民上がりのリリアが第一王子に近づいて、婚約者の、ひいては王妃の座を奪われることが許せなくて、えげつないイジメに走ったわけだ。
ちなみに、そのゴタゴタで起きた様々な問題をイケメン達は抱えてて、リリアが光の魔法を駆使して助けて、政治問題や権力争いを解決していきながら、絆を深めていくことになる。
だとしたら確かに、そろそろエメラディアが婚約者に決まる時期だ。
でも、悪役令嬢堕ちしなかった天使のエメラディアは、せっかく第一王子の婚約者になれるのに、ちっとも嬉しそうじゃないんだけど……。
「――もしかして、嫌?」
「ええ……リリアだから言うけれど、嫌なの」
うわっ、きっぱり『嫌』って言っちゃったんだけど!?
「それは……どうして? ゆくゆくは王妃様って、すごいことなんじゃないの?」
「ええ、それはそうよ。わたくしも、幼い頃からいずれ王妃になるのだからと、学問と礼儀作法は厳しく躾けられてきたもの」
だよねぇ。
お茶会してる時に話でしか聞いてないけど、厳しくて大変だって愚痴ってたしね。
「でもね、あのア……考えな…………大変純真で無邪気でいらっしゃる第一王子がお相手となると……」
今、『アホ』とか『考えなし』とか言いかけたよね?
えっ? 第一王子ってそんなキャラだったっけ?
元平民のリリアにも分け隔てなく接してくれて、その言葉にもちゃんと耳を傾けてくれて、リリアが冤罪をかけられた時も信じてくれた、成績も学年トップの知的で優しいイケメンだったはずだけど。
でもそういう意味では、エメラディアも私に対してそんな感じだよね?
すごく相性がよさそうなんだけどなぁ。
「不思議そうね?」
「うん、だって、そんな評判聞いたことないし。私はその第一王子に会ったことないから、よく知らないけど」
「あの方は誰であろうと分け隔てなく接して、話を聞いて下さるのだけど……」
「だけど?」
「どんな言葉も疑いもせず、鵜呑みにされるのよ」
「えっ、それって……」
え? なに? つまりそういう性格だから、元平民のリリアにも分け隔てなく接して、話を聞いてくれてたってこと?
実はそんなお花畑な人だったの!?
「貴族達が権力争いで汚い真似を平気でする昨今、他人を疑わない純真で真っ直ぐな性格になられたことは、奇跡とも言えるわ」
うん、私もそう思う。
でも……。
「けれど、第一王子が、ゆくゆくは国王になろうというお方が、それではお話にならないわ。腹黒い貴族達が何を吹き込むか分からないのに、それを疑いもせずに信じるような考えなしのアホでは、いずれこの国は立ちゆかなくなってしまうに決まっているもの」
あ、『考えなしのアホ』って、しっかり言っちゃった。
「なるほど……そんな第一王子と結婚したら、その尻拭いと負担が全部王妃のエメラディアにのしかかってきちゃうわけだ」
「ええ、その通りよ……」
それは……確かにそんな王子様と結婚するのは嫌だなぁ。
ゲームだとそんな風には描かれてなかったけど、現実だとそんなお花畑になっちゃうのかぁ。
でも……ゲームの悪役令嬢のエメラディアは、それでも結婚したかったはず。
なんで?
負担がのしかかってくるのは同じはずなのに……。
あっ、もしかして、自分が国政を牛耳るつもりだったから?
傲慢で、捻くれてて、人間不信だから、心の底では第一王子すら信じてなくて、全部自分が取り回して、王国に君臨すればいいって思ってた?
……あり得る。
あの悪魔のような悪役令嬢のエメラディアならあり得る。
でも、天使のエメラディアはそんなこと考えもしないみたいだ。
「私が口を出せる話じゃないけど……そんな話を聞かされたら、エメラディアが第一王子の婚約者にはなって欲しくない、かな……」
もはや親友と豪語して憚りない天使のエメラディアには幸せになって欲しい。
ましてや、実はそんなアホな子だった第一王子を親友同士で取り合う事態になるなんてことは、絶対に勘弁して欲しい。
「本当にそう思ってくれる?」
エメラディアの手が、きゅっと私の手を握り締める。
だから、その手の上に、もう片方の手を重ねて優しく包み込む。
「もちろん、エメラディアには不幸になって欲しくない。いつでも笑って幸せでいて欲しい。本当なら、私がそんな風にずっとエメラディアを守って幸せにしてあげられたらいいんだけど……」
でも私には、それが出来るだけの身分も力もないから……。
その言葉を飲み込む。
握り締めたエメラディアの手が、ピクリと小さく震えた。
「……本当にそう思ってくれる?」
同じ言葉を繰り返すエメラディアに、私は頷いた。
でも、頷くことしか出来なかった。
エメラディアには幸せな結婚をして欲しいから、なんとか第一王子の婚約者になる話をなしに出来ないかな?
公爵様に直談判は……うん、怖くて無理。
だってあの公爵様、未だに私を蔑んでて、エメラディアに会いに来るのを嫌がってるからね。
「何か私に出来ることないかな……」
思わず、ポツリと零れてしまった言葉に、またエメラディアの手が、ピクリと小さく震えた。
「……あるわ」
「え?」
「あるわ、リリアに出来ることが……いいえ、リリアにしか出来ないことが、たった一つだけ」
じっと真っ直ぐに私を見つめてくる瞳が、熱っぽく、わずかに潤んでる。
「分かった。私に出来ることがあるならなんでも言って。全力で力になるから」
考えるより先に頷いてた。
だって、そんな潤んだ瞳で見つめられて助けを求められたら、親友として助けないわけにはいかないでしょう?
「ありがとうリリア……あなたにはいつも助けられてばかりね」
「当然でしょう」
だってあの日から、私はエメラディアを守るって決めたんだから。
「ありがとうリリア、大好きよ」
「私も、エメラディアが大好きだよ」
ああ、なんて眩しい笑顔!
この笑顔を守れるなら、私はなんだってやってあげる!
「じゃあリリア、これからすぐに出かけるわ。一緒に来て」
◆5◆
ガラガラと馬車が街道を走る。
あの後すぐ、エメラディアはメイドさんに指示をして荷物をまとめると、その足で馬車に乗り込んで、私も一緒に押し込められた。
さすがエメラディアは公爵令嬢で、荷物が多いこと多いこと。
結局馬車三台に分乗して、一番前の馬車に私とエメラディア、後ろの二台の馬車に荷物とメイドさんって構成だ。
「エメラディア、それでどこに向かってるの?」
隣に座ったエメラディアに、移動を始めてようやく落ち着いた今、やっと尋ねる。
「ふふっ、リリアったら、本当にどこに行くかも聞かずに、迷わず付いてきてくれるなんて。だから、そんなあなたが大好きなの」
ああ、だからその天使の微笑み、眩し過ぎる!
それにそんなにストレートに言われたら照れちゃうじゃない!
「それで、どこに?」
ちょっと照れ隠し入っちゃった私に、エメラディアがますます眩しく微笑む。
「いま向かっているのはね、港よ」
「港? 船でどこか行くの?」
「ええ、ブラオバルト王国へ」
「ブラオバルト王国!?」
それって、断罪イベントで国外追放される先じゃない!
せっかく悪役令嬢を回避したのに、なんで自分から国外追放されるはずの国に向かってるの!?
「ブラオバルト王国はおばあさまの故郷で、今はおばあさまの姉の息子、つまりお父様の従兄に当たる公爵様がいらっしゃるの」
まさかそんな設定があったなんて。
だから、国外追放先がブラオバルト王国だったんだ。
「つまりその公爵様を訪ねるってこと?」
「ええ、その通りよ」
それは……すごい長旅になりそうなんだけど?
私、家にはエメラディアのところに遊びに行くとしか言ってないのに。
「えっと……それでいつ頃戻って来られそう?」
港に着いたら船に乗る前に、せめて家に手紙を送って、しばらく戻れそうにないことを伝えないと、お父さんとお母さんに心配かけちゃう。
「戻らないわ」
「……は?」
「だから、もうこの国には戻らないわ」
「ええぇっ!?」
ちょ、ちょっと待ってそれって……。
「家出!?」
「ええ、そうよ」
ちょっと待ってちょっと待って、いきなり家出なんて!
しかも私、家出に巻き込まれてる!?
なんのために!?
「だって、第一王子の婚約者になるのも結婚するのも嫌だって、いくらお父様に言っても聞く耳を持たないのよ」
え、もう嫌だって伝えてたんだ?
でも、あの公爵様じゃあ……。
「お父様は、どうしても王家にわたくしを送り込んで外戚になって、国母の父、国王の祖父として権力を握りたいのよ。だから私の意思は関係ないの」
やっぱり……。
「いや、でも、だからって家出なんて……」
「それにわたくし、想いを寄せている方が……好きな人がいるの」
「えええぇぇぇーーーっ!? 初耳なんだけどっ!?」
「ええ、初めて言ったもの」
まさか、エメラディアに好きな人がいたなんて全然気付かなかった……。
なんだかすごくショックだ。
好きな人がいるのを教えて貰えてなかったこととか、親友が取られちゃうこととか、他にもなんか色々とゴチャゴチャして、なんだかすごくショックだ……。
「それって……誰?」
第一王子じゃないってことは……。
まさか他の攻略対象の宰相の長男? それとも騎士団長の次男? 王国一の大商会の長男? 隣国の第二王子?
それともそれ以外?
つまり、フライレッタ公爵がエメラディアを第一王子と結婚させるのを諦めて、その人との仲を認めない限り、家出をやめないってこと?
それって……私本当に帰って来られるの!?
「誰のことだと思う?」
エメラディアが私との間に空いていた隙間を詰めるように、ぴったり隣に座り直すと、私の手に手を重ねて、私の目を真っ直ぐに見つめてくる。
「えっと……誰だろう? 私の知ってる人?」
「その人はね、常に自分のことよりも先にわたくしのことを考えてくれて、わたくしを守ってくれて、迷ったときは道を示してくれて、わたくしの幸せを望んでくれる人なの」
今の口ぶりだと、やっぱり私が知ってる人みたい。
「……いつも護衛してくれてる人とか?」
その条件に当てはまる人だと、他に思い付かないな。
あれ? でも今、付いてきてるのはメイドさんだけで、護衛の人は誰も付いてきてないな?
エメラディアのもう片方の手が、そっと私の頬に触れる。
「その人は、ちっともわたくしの気持ちに気付いてくれない、とっても鈍い人なの」
「……へ?」
なんでそんな熱く潤んだ瞳で私を見つめるの?
なんでそんな愛おしそうに私の頬を撫でるの?
「わたくしね、お父様を見て、なんて傲慢で嫌な人間なんだろうって、そう思うようになったわ。もし何も知らなければ、わたくしもあんな人間になっていたかも知れないと思うと……。だから、それに気付かせてくれたその人には、どれだけ感謝してもしきれないの」
ちょ、ちょっと待って……。
「何よりも、今わたくしがこうしていられるのも、その人が命懸けでわたくしを守ってくれたからなのよ」
ちょっと待ってそれって……!?
それが正解だって言うみたいに、甘く、優しく、美しく、エメラディアが微笑む。
「あの日、わたくしの手を引いて必死に走ってくれた。力尽きて倒れて、もう立ち上がることも出来ないわたくしを、守ってくれた。わたくしと一緒に斬り殺されるかも知れなかったのに、それでも逃げずにわたくしを庇って抱き締めてくれた」
「いや、ちょ、ちょっと待ってエメラディア……!?」
「あの日、あの時、あの激しい胸の鼓動は……そんなあなたに恋をしてしまったから」
いやいやいやいやいやいやいやいやちょっと待ってそれ絶対違う!
その激しい胸の鼓動は、絶対に全力疾走したせいだから!
絶対に殺されそうになった恐怖のドキドキだから!
いやもう吊り橋効果まんまだから!!
エメラディアがそんな風に想ってたなんて、三年も一緒にいたのに全然気付かなかったよ!?
「リリア……」
ああ、そんな愛おしそうに呼ばないで……。
そんな綺麗なエメラルドグリーンの瞳で見つめないで……。
「ま、待ってエメラディア、落ち着いて、ね? ね!?」
「わたくしは落ち着いているわ。リリアこそ、落ち着いて、ね?」
重ねた手を……って、なんで指を絡めるの!?
これって恋人繋ぎ!?
「か、顔っ、顔近いっ、近いから!?」
ああ、睫毛長い!
鼻筋がすっと通って高くて綺麗!
ツヤツヤで唇柔らかそう!
なんかすごくいい匂いがしてクラクラする!
整いすぎて、綺麗すぎて、天使すぎて、そんな顔を近づけられたら私っ……!
「逃げないで、ちゃんとわたくしを見て、ね?」
ああ、頬に手を添えられてエメラディアの方を向けられて逃げられない!
「――♪」
「――!?」
く、唇に柔らかくて温かい感触――!!
キ、キキキキキキキキキキキキキキキキキキキ――!?
「――はぁ……リリア、好きよ」
「っ!?」
ヤバイ……ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!!
心臓がバクバクする!
バクバクしすぎて飛び出しそう!
エメラディア綺麗すぎ! 天使すぎ!
それなのに好きとか! 私を好きとか!
私、そっちのケないし、ノーマルだし、普通に男の子が好きだし!
確かにエメラディアのことは憎からず思ってるけど、むしろ大好きだけど、それは飽くまでも親友で、そういう目で見たことは一度もないんだから!
「リリア」
だからそんな愛おしそうに名前を呼ばないで!
頭の中が茹だっちゃって、なんにも考えられなくなっちゃう!
そんな綺麗な顔で好きとか言われたら、エメラディアなら……エメラディアならありかも……って思っちゃうじゃない!!
駄目だこれ家出じゃない、駆け落ちだ!
二度と戻ってくる気がない奴だ!
なんでこうなった!?
何を間違った!?
ただ私はイジメられたくなくて、エメラディアに天使でいて貰いたかっただけなのに!!
「リリア……」
ああ駄目、またエメラディアの綺麗な顔が近づいてくる。
見とれる程綺麗で、目が逸らせない程真っ直ぐ私を見つめてくる天使の顔が。
逃げたいのに逃げられない……!
「――♪」
「――!!」
ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー!!
エメラディアの唇柔らかくて気持ち良すぎる!!
頭がぼうっとして、とろけちゃう!!
私、逆攻略されちゃってる!!
「ふふっ、リリアったら真っ赤になって、とっても可愛いわ」
こんなの駄目っ、私……私っ…………エメラディアに堕とされちゃうっ!!
ゲーム本編はまだ始まってもいないのに。
攻略対象にはただの一人も出会っていないのに。
そんなルートもエンディングもないのに。
「リリア、大好きよ、愛しているわ」
ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ、こんなの悪役令嬢との百合エンドに突入しちゃうっ!!