25歳の祈り
無責任な人の中には、そうとしか生きられない人がいる。そんなことに気がついたのが25歳の頃だった。
当時付き合っていた人はずいぶん年上で、自由を謳歌して、好きなことを好きな時にする人だった。真面目であること、将来のために生きること…人生をそうやってがんじがらめにしていた私とは対照的だった。その自由さに恋をして、同時にとても不満だった。
――今度行こうよ、あの店
――うん
他愛のない会話が実ったことはほとんどなかった。
――どうせまたダメなんでしょ
――そんなことないよ、いつか行こうよ
――いつかって、いつ?
連絡は気が向いたときにしかこない。その割に、私が誰かと楽しく過ごしていれば嗅ぎつけてすぐに連絡がくる。熱心に活動しているわけでもないのに突然デモに参加して、政権を批判する。どこかに行こうと言われて同意しても、日程を合わせようとすると無視された。私が興味を持ったものを先回りして経験し、なんでも教えようとする。傷ついた人に寄り添うくせに、自分は平気で他人を傷つける。会いたいと言えば連絡が途絶えるくせに、突然目の前に現れる。
振り回されていた。たぶん、そういうことだった。あなたにはもう二度と会わないと宣言して、すぐに別の人と付き合うようになった。自傷行為のような別れ方だと思ったのは後になってからだ。当然、次に付き合った人とはうまくいかなかった。
――そんなに好きなら、もっと頑張ればよかったんだよ。今からでも行ってみろよ。
私の背中を押してくれただけの優しい人を踏み台にした。幸せになる価値など自分にはないのだと思った。だから、戻らなかった。どちらにも。
疑問だけが残った。あの人はどうしてあんなに無責任だったのだろう。将来のことなど考えず、永遠に「今」を続けようとした人。自由で気楽そうで、いつもどこか寂しそうで、好奇心に目を輝かせていた人。恋心にけりをつけるために、私はあの人のすべてを知ろうとした。
物を書く人だったから、読むべきものは大量にあった。無防備に晒されていた個人的なブログや、出版された学術書、雑誌のインタビュー。ひとつひとつ時間をかけて、あの人が見せなかった彼の心の輪郭を描いていった。
幼い頃に家庭環境が安定せず、急いで大人にならなければいけなかったこと。20代で命を削って努力して、その夢に手が届かずに心を病んだこと。自分のことを理解してくれなかった周囲。深く愛した人は去っていった。期待しても何も叶わないのだと、繰り返し繰り返し学習してしまった人生。最後に彼は諦めた。愛や信頼を期待することを、希望を描くことを。
長い資料の最後を読み終わった時、不意に彼への執着心が消え、恋心はそのまま同情へと姿を変えた。少年時代の彼や、若かった頃の彼がどれほど辛かったのか。想像が及ばないほどの痛みを一人で受け止めるしかなかった時代。背を向けることでしか生きることができないような悲しみ。そんなものを抱えて、どうして人に優しくなんかできるだろうか。むしろ、そんな状況の中でも彼は充分に優しかったのかもしれない――。
そう思った後、私も諦めてしまった。彼を暗闇の中から引っ張り出して、楽しさや幸せや嬉しさや、そんな前向きな気持を味わってもらうことを。
心のどこかに驕りがあった。私なら彼を救えるかもしれないという根拠のない自信。それは彼の怒りを掻き立てたのではないだろうか、どんなに傷つけても許されると思うくらいに。それでも最後まで私を追い詰めようとしなかったのは、彼の優しさだったのだろうか、あるいは弱さだったのか。
欲しい物にためらいなく手を伸ばし、好きな人に好きだと言ってしまえる私のことを彼はどう見ていたのだろうか。世間的には充分に大人だったけれど、彼と比べたらまだまだ未熟で若さに溢れ、失敗さえも許された私。憎んだのだろうか、呆れていたのだろうか、それとも興味がなかったのか…。
何も考えられなくなって初めて、私は彼のために祈った。
心の痛みに背を向けたあなたが、いつか救われますように。あなたが最期に目を閉じるそのときまでに、どうか。今の苦しみの中で想像もできなかったような安らぎを手に入れて、幸せだと心から思える日が来ますように。
そしてもしも許されるのならば、
――そのとき、あなたの幸せを心から喜べる私でありますように。
どうしようもなく幸せになってほしいけれど、私なしで幸せになるかもしれないあなたのことが憎いから。