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ケンコンイッテキ  作者: もりを
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 それは、ある誘拐事件からはじまった。

 四月はじめののどかな午後だった。その日、新入学生であるオレは、美大のキャンパスを意気揚々と歩いていた。これからひとりで過ごす新天地だ。親元を離れ、生まれてはじめて漕ぎ出した大海原。今日からはじまるガクエン生活はどんな刺激に満ちているんだろう?希望にあふれ、小舟の上からゆったりとした水平線をながめるような気分だった。

 ところがそのとき、うかつにも嵐が接近していることを察知できなかった。そいつは背後から音もなく忍び寄り、今まさに自分を飲みこもうとしていた。

「ふぁいとーっ!」

 突如、平安は打ち砕かれた。至近距離から発せられた出し抜けな大声が耳をつんざき、凪いだ心の海原に逆巻く荒波をたてる。

「ぜっ」「おうっ」「ぜっ」「おうっ」「ぜっ」「おうっ」・・・

 驚いて振り向くと、そこには小山のような体躯の男たちがいた。こちらを取り囲むように隊伍を展開している。やつらは、のほほんと歩くウブな新入生をエサとする野獣の群れのようだ。そろり後ろから近付き、襲いかかってくる。

 オレの細長い背中は、見る見る巨大な肉塊に吸収された。連中はかるく足踏みをしながら、統率された淀みのない動きで獲物を絡めとったのだ。

「ふぁいとー、ぜっ」「おうっ」「ぜっ」「おうっ」「ぜっ」「おうっ」・・・

 奇妙なかけ声で応答し合っている。か弱き子羊は、すっかりワナにはまったことを知った。密集にくるまれて逃げ道をふさがれ、身動きがとれない。これからどんな目に遭わされるのだろう?頭上から発せられる咆哮の大音響と不安感とで、頭の中がまっ白になっていく。

 やつらは、一様に太い横シマのシャツを着ていた。そのむくつけき風貌と相まって、集団脱走した囚人を連想させる。知性というものがまったく感じられない。ウッホ、ウッホと吠えて威嚇しながら、ためつすがめつ捕獲した新入生の骨格、肉付き、運動能力、といったものを吟味しているようだ。なんという侮辱的な扱いであることか。なんとかここから脱出しなければ。この位置取りはやかましくて、熱苦しくて、くさすぎる。オレは必死で考えた。

ー力ではかなわない・・・なんとかやつらのスキを見つけなければ・・・ー

 おしくらまんじゅうのようにもみくちゃにされながら、やつらを冷静な目で分析してみる。すると、集団の中にオサが存在することがわかってきた。ぶ厚い唇にミソっ歯、天然パーマ。筋肉のみっしり詰まった四角四面のからだつきで、首がなく、毛むくじゃらの大男だ。まるで毛の生えた岩のように見える。そいつが猛り叫ぶと、周囲が呼応して動くのだ。

 そのオサが言った。

「ほれ、おめーも声ださんかい」

 なんとオレに向かって要求してくる。

「ぼ・・・ぼく、も、ですか・・・?」

「あたりめーだろ。ふぁいとーっ!ぜっ!・・・ほれっ」

 バカな。そんな恥ずかしいマネができるわけがない。オレはこう見えても、文化と教養をまとったれっきとした人類なのだ。やつらのごとき史前の動物と同化するなど、屈辱以外のなにものでもない。断固として口をつぐみ、うつむいて他人のふりをした。

 しかしオレを救出してくれる者など、キャンパス内には存在しない。当然だ。身ひとつでこの地にきたばかり。友達すらいない。遠く周囲を取り巻いてこちらをながめる学生たちは、たまたま捕獲された犠牲者への哀れみのまなざしと、自分でなくてよかった、という安堵感を漂わせている。そう、オレは生け贄だった。いつもそうなのだ。ヌーがいつもライオンに食われているのと同じ理屈で、オレはいつもこの手の連中に絡まれる。そんなにも草食的お人好しに見えるのか?うっかり群れから離れて単独に行動するのがいけないのか?

「おい、どーした。声だせよ」

 大男はなおも求めてくる。その攻撃は執拗だ。ところが、その隣にいた小さくてコロコロとした丸メガネが、やさしくフォローをしはじめた。

「きみもやってみようよ。ね。さあ、ほらっ」

 グッドコップ・バッドコップというやつだ。ひとりが攻めたて、もうひとりが穏やかに接することによって、徐々にほだされていくというわけだ。ビター&スイート。ムチ&アメ。ただの力ワザでなく、周到に役回りを決めているところを見ると、多少の知恵はついているようだ。ただの筋肉バカではないということか。

 戸惑いつつも、しかたなしに声を出した。

「お、おう・・・」

「へー、いいじゃないいいじゃない」

 丸メガネがヨイショしてくれる。

「ばーろー、もっとでけー声でねーのか。腹の底からよ」

 プレッシャーをかけるのは、毛むくじゃら大男の役割だ。オレは、どうにでもなれ、と大声を出した。

「おう・・・」

「もっともっとー。ぜっ!」

「おうっ」

「ぜっ!」

「おうっ!」

 するとやつらは、満足げな笑みを口元に浮かべはじめた。まったく薄気味の悪い連中だ。

 ところがいつの間にか、オレは自分の行きたい道をそれ、やつらに誘導されるがままに足を運ばされていた。やつらは、実に人さらい集団だったのだ。

 こうして拉致されたひとりの新入生は、その15分も後には、ズタズタのスパイクに、薄く華奢な足の甲を通させられていた。

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