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 高さ二十メートルほどの木が生い茂る鬱蒼(うっそう)とした森の中を荷馬車が凄まじい勢いで走っている。荷馬車を牽く二頭の馬の鼻息は荒い。御者の中年男は顔を歪ませている。

 荷馬車を護衛するように若い男が三人、馬で駆けていた。男達は辺りを警戒しながら荷馬車に追従している。


「だから森を通るのは嫌だったんだよ……」


 御者がそう呟くと、荷馬車の左側を走っていた男が何かに射られた。しばらくすると態勢を崩し、馬から滑り落ちる。


「くそっ、またか!」


 御者が馬に鞭を入れる。さらに勢いを増した荷馬車のスピードが上がったと思った瞬間、二頭の馬の足が何かに引っかかった。馬は前のめりに崩れ、荷馬車は宙を一回転して地に落ちた。護衛の二人も続いて馬から放り出される。

 よろよろと立ち上がった護衛の一人が木々の間に張ってある物に気づいた。蔓を寄り合わせた簡単に千切れそうにはないしっかりとした細い縄だ。


 荷馬車の下敷きになって気を失った御者を助け出していた護衛の一人が倒れた。首筋に矢のような物が刺さっている。残った護衛は倒れている馬に備えてある剣を手に取った。

 荷馬車が来た方向から蹄の音がする。

 護衛は剣の柄を強く握りしめた。

 一頭の馬がゆっくりと近づいてくる。薄汚れた茶色の下衣に紺の長袖という装いをしている馬上の人物は黒い布で顔を覆っていた。服の袖から出ている手は褐色の肌をしている。

 護衛は隠れるように近くの木の幹を背にした。


「命を取るつもりはない」


 低くかすれた女の声。

 護衛には聞く耳を持つ気などない。すでに三人も矢で射られているのだ。


「矢で射た三人なら、そのうち動けるようになるはずだ。積み荷を明け渡してくれれば何もしない」


 女の声は落ち着いている。

 護衛の頭の中には女をどう処理するかという事しかない。

 護衛は大きく息を吐き、気を落ち着かせる。その時、向かいの茂みが少し揺れた。そう思った次の瞬間に首筋に木の枝が突き立っていた。浅く刺さったそれを引き抜くと、何かで削ったように先端が鋭く尖っている。しまった、と思った瞬間にはもう遅かった。身体中にじわじわと痺れが広がり、木の幹にもたれかかるようにして倒れた。

 茂みの中から誰かが出てくる。背が低く、まだ子供のようだ。馬上の女と同じように黒い布を顔に巻いている。


「食べるものあるかな?」


 幼さの残る少女の声が近づいてくる馬上の女に向けられる。


「あればいいが」

 

 女達が荷馬車の物色をしていると、もう一頭馬が走ってきた。


「食いもんあったか?」


 馬を飛び降りた人物は少年のようだ。少女と同じくらいの背丈をしている。顔には何も巻いていない少年の肌は褐色で、その瞳は深紅に染まっていた。


「外れだな」


 女が木箱の中からコルクで栓がしてある瓶を一つ取り出す。積み荷は全て酒だった。

 少年が舌打ちする。


「また木の実生活かよ」

「文句を言うな。食べる物が容易に手に入るだけましだろう」


 彼女たちの故郷はこの森がある大陸の北端に位置するジルグードであり、極寒のその地では店で買う以外に食糧を調達するのは難しい事なのだ。


「そりゃあジルグードよりはいいけどさ。さすがに飽きるって」


 少年はなにやらぶつぶつと言って、倒れている護衛の懐をまさぐっている。食べるものを探しているのだろう。

 女は手に持った瓶のコルクを抜いた。そのままぐぐっと酒をあおる。その様子を見ていた少女に女は瓶を向けた。


「お前も飲むか?」


 少女はそう言われると、少しだけ首を横に振った。



 

 

 その森は大陸の南部を統べるハウストン王国の北東、ザレグ領に位置していた。北に向かえば大陸を二分するように雄大な山脈が連なっている。

 

 袖を捲って褐色の肌を露にした少女が木に登り、手ごろな太さの枝を折って下に落としていた。枝を数十本一まとめにして蔓で括って肩にのせる。この森に住み始めて二ヶ月が経ち、初めは苦労したこの作業も難なくこなせるようになっていた。

 

 少女は逃亡中の奴隷だった。半年ほど前、ジルグードが国土を広げるため南部侵攻を始めた時、父親がまとまった戦費を必要とした。そのため双子の弟と一緒に奴隷商人に売られたのだ。

 そのあと山脈の北側の麓にあるナゼルという大きな街の娼館で下女として働かされていた。

 

 三ヶ月ほど前に同じ娼館にいたハンザというジルグード人の娼婦が客の男を殺して逃亡した。その時に少女は彼女について行ったのだ。目的は自分と同じように奴隷として売られた弟や友人を探すことだった。ハンザは同胞のよしみか、何も言わずに協力してくれている。

 

 ナゼルの奴隷商人から手に入れた売買リストで二人の居所はすぐに分かった。友人のセドルはナゼルの西にある農場で働かされていた。すぐに解放して今は一緒にいる。

 だが、この森に来てからは何も進展がなかった。

 少女の弟は森の近くにあるマルケイという小さな町にいるのに、ハンザが二ヶ月間なにも行動をしないことに少女は若干苛立ちを覚えはじめていた。


 まとめた枝の束を担いで森の中を歩く少女の額から汗が流れ落ちている。背中まで伸びている黒髪は一つに結んでいた。

 しばらくすると底の浅い川があった。森の中に唯一ある川だ。そこを沿って南に進むと、少しだけ開けた場所に出た。川の近くに洞窟がある。その入口に座りこんで何かをしているハンザがいた。ハンザは作業をしながら少女を横目で見た。


「セドルを見なかったか?」

「知らない。それ、まだいるの?」


 ハンザは石の上で草をすり潰していた。この草は即効性の痺れ毒になるのだ。それを木の矢に塗って使っている。


「まだ必要になるだろうからな」

「いつまで盗賊みたいなこと続けるの?」

「さあな」

「いつになったらラズを助けるの?」

「焦っても仕方ないだろう」


 ハンザの淡々とした返事に少女は語気を強める。


「すぐそこの町にいるのになんで何もしないの?」

「ここはハウストン王国だ。ジルグード人というだけで怪しまれるだろう。それにナゼルで殺した奴隷商人の仲間に見つかるかもしれない。慎重に行動すべきだ」


 ハンザは奴隷の売買リストを奪うために奴隷商人を殺していた。そしてその事はハウストン王国側にも情報として入っている。


「奴隷商人を殺したのはあなたでしょ」

「リストがなければ二人の居場所は分からなかっただろう」

「分かってるんだから早く助けてよ!」

「わがままな奴だな」


 少女は木の束をハンザの目の前に放り出した。作業をしていたハンザの手が止まる。


「臆病者! 本当にジルグードの戦士なの? もっと勇敢なものだと思ってた」


 ハンザがゆったりと立ち上がったと思ったら、強烈な体当たりが少女の体を突き飛ばした。一瞬息が止まるほどの衝撃だった。地面に這いつくばった少女が顔をあげハンザを睨みつける。

 ナイフが少女の目の前に転がった。


「殺し合いがしたいのならそう言え。いくらでも相手してやる」


 少女はナイフを手にし立ち上がった。震える手で力いっぱい握りしめたナイフをハンザの腹めがけて突き出すが、それを何食わぬ顔で避けたハンザに首根っこを掴まれて地面に叩きつけられる。


「そんなに力んでいたら殺せるものも殺せないぞ」

「殺しがしたいわけじゃない」

「無力な者は何も為せないさ。これじゃ弟を助けるなんて無理だろうな」


 川の上流から上半身裸のセドルが歩いてきた。背中に大きな布の袋を背負っている。


「何やってんだよ? 食べられそうな物集めてきたから飯にしようぜ」

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