第115話 暖炉の火
そう思ってはいたけど、今日はサフィアの夢を見た。最後に見たのはラムズに血を吸われた時。それから銀の塔では全く見ることがなかった。
サフィアへの思いは消えていたと思ってたのに、ラムズと再会したらなぜかそれが戻ってきた。こうやって夢を見ると、余計に辛くなるばっかりなのに────。
サフィアと一緒に砂浜に座って、打ち寄せる波を永遠に見ている。
彼の肩には金色の肩章がのっていて、腕や胸元のボタンも豪華だ。文字通り、本当に王子様みたい。
貴族──王子様────。
あなたは、どこにいるの?
『サフィア。あなたに似た人がいるの』
金色の髪の毛がふわりと風で揺れて、サフィアは藍色の瞳を細めた。
『そうなの? どんな人?』
『あなたとは正反対よ。もっと冷たくて、少し怖くて──。わたしに優しくはしてくれないわ』
『正反対かぁ。僕になんて言ってほしいんだ?』
夢の中のサフィアの瞳が、ラムズの目みたいにまたたいた。ラムズの目──。それは、サファイアの宝石、宝石みたいに綺麗な瞳だ。目の中に影と優しさがあって、それがわたしの心臓をくすぐる。
『サフィアもラムズもわたしのことを助けてくれた。そういう意味で、重ねていただけかもしれないわよね』
『そうだね。君がそう思うなら、きっとそうだよ。どうしても気になるなら、たしかめてみればいい』
サフィアは首をかしげて笑った。
たしかめる? 本人に聞くってこと? でもそれはもう聞いたことがある。それにもしもふたりに何か繋がりがあるとしたら──。わたしは殺すってことをラムズに伝えてしまった。だから本当のことを教えてくれるわけがない。
『メアリ、無理はしないでね。僕はずっと待ってるから』
本当は待ってるはずがない。殺しにいくのに。それに、サフィアは本当にこんなに優しかった? もう分からない。わたしの夢の中のサフィアと、本物のサフィアの境目が、もう────。
わたしははっとして目を開いた。夢から覚めた。
知らないうちに涙を流していたみたいだ。
物凄い轟音が響いて、心臓まで震わせる。
雷だ。
外は真っ暗に見える。雨も降っているし、太陽もなさそうだ。そもそも今が何時かも分からないけど。
それにしても、雷か。いくら春だからって、風の神セーヴィもほどほどにしてほしいわ
(春は風の神セーヴィの操る季節だからね。雨や雷、風の激しい日が多いのよ)。
窓の向こうがピカっと光って、さっと目を逸らした。大きなベッドに一人きりだ。部屋はラムズのところよりは狭いけど、宿屋に比べたら当たり前に広い。
一人になるの、ちょっと久しぶりだな。
ぼうっとした頭で、サフィアやラムズのことを考えた。
どうしてラムズとサフィアを重ねてしまうんだろう。
たしかに瞳の色は似てるし、よく見ると顔つきも似ていないとは言えない。
それにラムズは少し不健康そうな肌の色だけど、顔の造形はまるで王子様みたいに整っている。サフィアもそう。ラムズが『海賊の王子様』なら、サフィアは『陸の王子様』?
なに言ってるんだろう。独りでにくすくすと笑った。
とにかくそれでも、まったく関係ないのはたしかだ。
それにもしも本当に繋がりがあるなら、最初にラムズに「サフィアって知ってる?」って聞いた時、答えてくれたはず──。
でもそれじゃあ、なんで彼らが重なるの? どうしてラムズの台詞に既視感を覚えるの? 二人とも助けてくれた人だから? うん、きっとそれね。やっぱりそれだけだわ──。
うとうとしてきて、布団に潜る。もう一度眠った。
◆◆◆
「いやぁあぁぁああぁああ」
自分の叫び声に飛び起きた。全身に汗をかいている。腕を抱えて何度もさすった。
こわい。
今度はアヴィルの夢を見たのだ。ううん、アヴィルじゃなくてネヴィルの方。なんでまた彼が────。
もう見たくないのに。もう忘れたいのに──。
アヴィルのことは別に嫌いじゃない。嫌いじゃなかったけど、ネヴィルは本当に怖かった。彼にされたことは本当に怖くて、嫌で──。鳥肌が立ち、頭がぐらぐらしてくる。
もう寝たくなくて、布団から出た。広い部屋を一望したあと、扉を開けて廊下に出る。
廊下は長く、例の星空の絨毯が敷いてある。壁には宝石を使ったランプが一定の間隔で置かれ、ほのかに光を灯していた。
ラムズは寝てるのかな……。
歩くたびに、みしりみしりと床が軋んだ。まだ天気は荒れているみたいだ。雨や嵐の音が聞こえる。ネヴィルの笑みも思い出して、余計に怖くなった。
みんながいた時は、怖くなかったんだ……。
当たり前のことに今更気付いた。あの塔を出てからはヘレウェスやヴァニラたちと一緒に外で寝たし、昨日まではアリスやヴァニラと宿に泊まった。
そして今日初めて一人で寝て────。
軽い目眩を覚えて、わたしは壁に寄りかかった。壁に背を預けて、そのまま崩れ落ちるように座り込む。
「怖いよ…………。サフィア……」
サフィアの太陽みたいな笑顔を思い出そうした。でも、全く出てこない。金色の髪が脳裏にちらつくだけだ。
歪んだ視界に海を思い出し、少しだけ懐かしい気持ちになる。サフィアのことを考えているのに、海も恋しいなんて。
しばらく廊下で泣き続けていたら、奥の白い扉が開いた。ラムズの部屋だ。彼はわたしを見つけて訝しそうに頭を傾けた。
ゆっくり近付いてくる。
わたしは急いで涙を拭いて立ち上がった。涙の痕はもうないはずだ。ラムズはこちらまで来ると、銀の髪を掻いて口を開く。
「こんなとこで何してんだ?」
「いや、何も……起きちゃったから……」
「泣いてたのか?」
どきっとして、わたしは後ずさる。なんでバレてるの?
「見りゃわかる。泣いた痕があんだろ」
ラムズはさっと手を出して、わたしに魔法をかけた。全身が水で浸される。浄化魔法だ。さっきの悪夢で汗ばんでいた体がすっきりした。
「まだ3時だ。もう一度寝とけ」
ラムズは背を向けてわたしの元から去ろうとした。わたしはさっと彼の腕を掴む。
「なに?」
あれ、本当になにしてるんだろう。
わたしは慌てて彼の手を離した。なんでラムズの手を取ったんだろう。視線を泳がせて、「なんでもない」と呟く。
ラムズは首をかしげたあと、今度こそ背を向けた。
遠ざかるラムズの背中を見てから、部屋に戻ろうとした。でも、ふと思いとどまってまた彼のことを見る。
『たしかめてみればいい』
ラムズがサフィアかどうか、たしかめてみればいい。
いや、こんなので分かるとは思えないけど、でも今は────。
今は、どうしても一人になりたくない。だけど、ラムズはわたしが好きで、つまりアヴィルと同じで……。
わたしはやっぱりラムズに背を向けて、とぼとぼと廊下を歩いた。あてがわれた部屋の扉をぎいっと開ける。
黒色のソファに腰を下ろした。壁や床は大理石でできていて白かった。でも床のほとんどは大きな絨毯に覆われている。これも例の星空の絨毯だ。
銀や赤、青の星がチラチラ瞬いて、それがゆっくりと動いている。どんな原理になっているのかは分からないけど、すごく綺麗だ。
何分経っただろう。ぼうっとしながら絨毯を眺めていたら、ノックをする音が耳に入った。ラムズかな? ソファから立ち上がって、扉を開けに行く。
「ラムズ?」
「──はい」
ラムズに突き出されたコップには、暖かいココアが入っていた。ラムズって優しいのかしら? 本当によく分からない。
「あ、ありがと……」
ラムズは冷たい視線でわたしを見下ろしてコップを渡したあと、そのまま去ろうとした。
……言わなきゃ。ごくりと唾を飲む。喉から掠れた声を絞り出した。
「……待って。行かないで」
外の雨音に混じって、わたしですら聞こえないくらいの声だった。
でも、ラムズは振り返った。銀の髪に影がかかって、青い瞳が黒っぽく見える。ラムズは少し視線をずらしてから、頷いた。
「チェスの途中だったんだ。やるか?」
「うん、やる」
どうせ相手にはならないけど。
ラムズが持ってきたココアを手に、彼の後ろについていった。
案の定、わたしは負けまくった。三戦目が終わって、ラムズは笑いながらチェスを元に戻している。
「本当に弱いな。こんな早くゲームが終わったこと、ほとんどないぜ?」
「う、うるさいわね……。しょうがないでしょ」
ラムズは手でホワイトダイヤモンドの王妃の駒を弄んでいる。指のあいだをくるくると回っていく。
「ラムズはチェスがすきなの? 本も?」
「んー、まあ。チェスはすきだ。本も好きかな」
「ふうん……。ねえ、ラムズ」
わたしは恐る恐る、彼に問いかけた。でもすぐに後悔して、ぱっと口を噤む。
ラムズは肘掛け付きの揺り椅子に座っている。わたしの正面よりも、少し斜め向き。
椅子はもちろん宝石の装飾がついたやつだ。木は金色に塗られ、ところどころ、シンプルなデザインで銀色や青の宝石が模様を作っている。
わたしたちの右横には暖炉があった。白い煉瓦できた暖炉。中の炎は黄色く燃え、たまに火の粉がきらりと光っている。ときおり青白い炎が黄色い炎を包み込んだ
(暖炉って言っても、なぜかそんなに暖かくはないわ。特殊な炎なのかもね)。
「面白いこと、してやろうか」
ラムズは暖炉を見ながらそう言った。わたしが首を傾げると、ひょいっと手を掲げる。
暖炉の炎が渦巻いたと思ったら、火でできたヒッポスが現れた。ヒッポスは黄色い鬣を揺らしながら、暖炉の中をくるくる駆け上がっていく。
ヒッポスが消えると、今度は炎が海のようにしなった。ざざーっと波の音が聞こえてくるくらい、本物の海に見える。赤い海はふわっと湧き上がり、ドルフィードがその波にのって泳いだ。
海の中から人間が姿を表したかと思うと、それは人魚だ。人魚はドルフィードと一緒に火の波の中を泳いでいく──。
さあっと海が砂のように消えて、ドラゴンが現れた。その横には人間の騎士が剣を掲げて立っている。ドラゴンの後ろにはお城。茨に巻かれ、誰も近寄れない。騎士がドラゴンに向かって駆け出すと、炎はぱっと四散した。
わたしは時を忘れて暖炉の中を見入った。色は赤色しかない。それなのに、ありありとその情景が浮かんだ。
フェアリー、お姫様、ニンフ、森、月夜────ラムズはなんでも作り出せた。
まるで暖炉の中でお伽噺が始まってるみたいに。
そして炎が暖炉いっぱいに大きく広がったかと思うと、今まで見たものが夢だったとでも言わんばかりに、ふつうの炎に戻った。
「すごい…………。よくこんなことできるわね」
「まあ、暇だからな」
ラムズはゆらゆらと揺り椅子を動かした。
──暇だからな。
ラムズのその目に何を映すのか知りたい。5000年も生きてきたんだ。暇どころじゃないはず。
ずっとずっと長い歳月を生きている。ラムズはこの世界やいろんな使族、──そしてわたしをどう思ってるんだろう。
「ラムズは、何を見て生きてきたの? 5000年って、長い?」
ラムズの眼がわたしをちらりと見た。天井を仰いで、物憂げな声を流す。
「長いさ。想像できねえくらいにな」
一瞬の沈黙。炎がパチパチと音を立てる。
「ラムズは、昔もそんな感じだった?」
何をもって「そんな感じ」と言ったのか分からない。でもラムズは頷いた。
「ずっとこう。人間の作る世界がどんなに発展しても、どの使族が絶滅し、新しい使族が生まれても──。俺は、ずっと変わらない」
ラムズの本質はどこにあるんだろう?
前にラムズは、話し方を変えられると言っていた。雰囲気もラムズは操れる。それはもう、まるで別人みたいに。
でも彼は「変わってない」と言った。本当のラムズは、いったいどこにあるんだろう──?
「寂しくないの? 家族は?」
「いない」
即答だった。
でも、その声に寂しさはない。懐かしさも羨望も──ただ、彼は事実を伝えただけだった。
「友達は? ずっと一人で、悲しくない?」
「悲しくねえよ。友達もいねえな」
「ヴァニラは違うの?」
ラムズはこちらを見ないままに、唇を歪めて笑った。からかうような口振りで話す。
「違うな。いつも仲良しこよしをしてるわけじゃない」
「……ラムズは、本当は優しいの? どうしてわたしを助けてくれたの?」
本当に聞きたいことが、不意に口に出た。彼はわたしを見ないまま答える。
「理由も変わらない。俺は優しくない。メアリに選択肢を与えるために助けた」
「選択肢?」
「メアリはあのままじゃ塔から出られなかっただろ。だから、俺と一緒に塔を出るかこのままでいるか、聞きに来たんだ」
「もしも塔を出ないって言ったらどうしたの?」
ラムズのふっと笑う横顔が見えた。
「アヴィルを殺して置き去りにした」
アヴィルのことは殺すのね。ちょっと笑いながら、彼に返す。
「置き去りに、するのね」
「もしかしたらあとになって、連れ出したかもしれないがな。というか、こんなこと聞いたってどうしようもねえだろ」
「そんなことないわ。だってラムズが分かんないんだもの。冷たいことを言っておきながら、ラプンツェルは一生懸命編んでくれたんでしょう?」
ラムズの乗る椅子が、前へ後ろへゆらゆら揺れる。
「聞いたのか、まあな」
「じゃあ、選択肢なんかじゃなくて、ただラムズがわたしを助けたかったんじゃないの?」
「いや、別に。あんたを助けたかったわけじゃない」
「じゃあどうして──」
揺れる椅子が止まって、ラムズがこちらを見た。射抜くような視線が、冷たくわたしに触れる。
「そう言ってなんになる? 俺は俺のために助けたし、編んだんだ。運命に言われるがままに。メアリのためにやったわけじゃない。そう言ってほしいならそう言うが、そんな優しさを、お前はほしいのか?」
わたしはぎゅっと口を噤んだあと、なんとか声を絞り出した。
「…………ラムズが、分かんないよ」
ラムズはわたしから視線をずらして、暖炉の炎をその蒼の瞳に映した。炎なはずが、瞳の中は海のように揺らいでいる。
「愛はエゴだ。自分のためにしか存在していないようなものだ。相手のためと言いながら、所詮全ては自分のため。俺はそう思う。優しくされたと思いたいなら、そう思えばいいんじゃねえか? 俺がどう思ってるかは関係ないだろ。受け取るのはメアリだ」
──分かるような、分からないような。
「人は自分の思うように相手を見、相手を作るんだ。俺を作るのは俺じゃない」
──わたしの思うようにラムズを見る。
もしかしてわたしは、ラムズとサフィアをわざと重ねているの? わたし自身が勝手に重ねてしまっている──?
わたしは立ち上がって、ラムズの前に立った。自分の思いも掴めないまま、言葉を吐き出した。
「やって」
ラムズは顔を上げる。青色の宝石が、静かな炎を湛えた。
「魔力、ラムズが流して。ラムズのこと、知りたいの」
彼はほとんど表情を変えないまま、空間に言葉を落とした。
「わかった」
お久しぶりです。相変わらず本編はなかなか書けていないのですが、お伝えしたいことがあったので更新頑張りました…!
☆文学フリマ東京37に出店します!
ブース名【Vermythic World】
第二展示場 Eホール か-6
webカタログ:
https://c.bunfree.net/c/tokyo37/h2e/か/6
以前書籍化した『愛した人を殺しますか?――はい/いいえ』を再販し、文学フリマで頒布することになりました! ワールドブックという、メアリとラムズの新しい番外編なども入れたカラー世界観本も作っています。特にラムズが好きな方は絶対楽しいと思います笑。興味を持ってくださった方はぜひ遊びにきてください。
『なろうで読んでます』と言っていただけたら凄く嬉しいです♡
一巻は5万字、二巻は10万字以上書き下ろしているので、なろうで読んだことのある方も楽しめます!
文学フリマ東京37【入場無料】
2023/11/11(土) 12:00〜17:00
・会場: 東京流通センター 第一展示場・第二展示場
・詳細: https://bunfree.net/event/tokyo37/
私のお品書きについては、note記事の方がわかりやすいかもしれません。11/11以降、boothでも通販します。
https://note.com/fairytale/n/n59f851b65dae
また、最近ムーンライトノベルズで『悪魔のキスは愛が死んでいる』という小説を連載中です。愛殺のラムズさんが悪魔という設定で新しく書いた、『愛殺』の二次創作のようなものです。悪魔と天使の歪愛物語です笑。愛殺よりさらにやばい歪愛で、ファンタジー:恋愛=2:8で楽しめます。
世界観設定などが全然違うのですが、一応ヒーローの中身はラムズなので、愛殺が好きな方で18歳以上の方はのぞいてみてください。




