第104話 愛した人を殺しますか?
アヴィルは転移陣から降りると、颯爽とわたしの方まで歩いてくる。その瞬間、槍のような緑のツタが数百本、アヴィルに迫った。彼は間一髪で横に転がる。右の腕と足が切断されている。
「ラムズ?! 何してるの?! なんでアヴィルに攻撃するの?! 聞くって言ったでしょ?!」
「は? 聞くのはお前だろ。俺の用事はこっち」
ラムズは外したことに舌を打って、何かを詠唱する。
「【地よ、覚めよ ── Tarrex Pergimin】」
地面が急に盛り上がった。床が生き物のようにぐにゃりと曲がる。すぐに元に戻ったけど、アヴィルはバランスを崩して倒れている。わたしは走ってラムズに近寄り、彼の腕を引っ張る。
「やめてよ! 攻撃しないで! なんでこんなことするの? ひどい」
「ひどい? 何が? さっぱり分かんねえ」
ラムズはわたしの手を払い落とそうとする。わたしはラムズの目の前に立って、攻撃できないようにした。
ラムズは溜息を吐いて手を下ろす。でもメラメラと青い炎を瞳に湛えている。必死でそれを押しとどめ、ラムズは皮肉の篭った声で言った。
「じゃあ早く聞けよ。王子様に」
わたしはキッとラムズに視線を飛ばして、アヴィルに向き直る。アヴィルの服や腕はもう回復したみたいだ。
「アヴィル、その……」
「来てそうそうに殺されんのかよ。ったく。だいたいメアリはなんでそっちにいんだよ? 塔は出ないっつったよな?」
アヴィルは自分の指をボキボキ折って、わたしの後ろのラムズを睨んでいる。
「アヴィル、わたしは塔を出るわ。ごめんなさい。アヴィルはわたしのことが好きだから──」
言い終わらないうちに、アヴィルに腕を掴まれる。背後から抱きすくめられ、囁き声が耳にかかった。
「いなくなんねーよな? メアリ」
「ごめんなさい、わたしは外に出たいの……。アヴィルはその、わたしが人魚に戻ったらどうするつもりだったの? 期限付きの愛って……」
「え? なんで突然そんな話?」
「いえ、その……」
アヴィルはなんてことないという風に、さらりと言った。
「死ぬんだよ。一緒に死ぬ。大丈夫、殺す時は優しくすっから」
「賭けは俺の勝ち」
ラムズが目の前でツタの魔法を放ち、アヴィルの手足にそれが絡みつく。ツタに電撃が伝っていく。ツタの周りが黄色く光り、電撃はギザギザとアヴィルに向かって走る。アヴィルはびくりと身体を震わせ、わたしを離した。
「ラ、ラムズ……。ダメ、殺さないで……」
「おい、今聞いただろ? 今だってこいつはメアリを殺すんじゃねえか? 俺には勝てねえからなあ?」
ラムズは嘲る声で言った。アヴィルが鋭い視線を向ける。
「うっせえな!
【砂塵よ、嵐を起こせ ── Arena Tempes】!」
アヴィルはラムズの方に砂嵐魔法を巻き起こした。大量の砂が舞い上がって、わたしは嵐の外に放り出される。尻餅をつく。
人くらいの大きさの砂嵐がぐるぐる回っている。目の前は黄土色の嵐。中で何が起こっているのかは分からない。
しばらくして砂が床にパラパラと落ちていった。目を擦ってラムズたちがいた方に目を凝らす。
──うそでしょ?
ラムズの心臓に短剣が刺さっている。ぐらりとラムズの体が傾いていく。
「【地を杭に、出現せよ ── Iacution Appares】」
アヴィルがひらりと手を動かした。地面からおびただしい数の砂の杭が現れる。茶色く尖っていて、怪物の腐った歯が並んでいるみたいだ。
ラムズは剣山のような杭の上で手をつく。足や腕に杭が貫通して、体に穴が空いている。床は血の海だ。
ラムズ……、死ぬの?
ラムズはわたしの方を一度見やったあと、面倒くさそうに心臓から短剣を抜いた。痛さを全く感じさせない顔で体を起こし、腕をぶるりと振る。
足や手に空いた穴がみるみる消えていく。
破れた服の隙間から、胸の深い傷が見える。それも徐々に薄まり、────消えた。
「お前、お前なんで。まさか──、そうか。うそだろ? だから、そうか。つまり……お前たちはまだ生きて────。ラムズ、お前は……」
アヴィルはチカチカと瞳孔を震わせた。一歩ずつラムズの方から後ずさっている。
どういうこと? 何が起こってるの? ラムズは、なんで?
どう考えても致命傷だったのに。
ラムズは服をパンパンと叩いた。
「服に穴が開いただろ」
隈のある眼を尖らせて、腕を掲げる。まるで白い霧が通ったかのように、物凄いスピードで刃風魔法がアヴィルに襲いかかった。
「【地よ、遮れ ── Petrwall】」
アヴィルは手を掲げ、岩の壁を作った。地面が盛り上がって、茶色い岩がそびえ立つ。高さはちょうどわたしくらい。ラムズがこっちに来れなくなった。
わたしに向かって、アヴィルがツタをするすると伸ばす。
「ちょっと、なに?! 何するの?!」
「いいから!」
彼の怒声にびくりとして、抵抗する手を止めた。アヴィルはあんなに怖い声を出したことなかったのに……。
アヴィルはそのツタを手繰り寄せ、わたしの腰を掴んだ。アヴィルのギラギラ光った眼がわたしを射抜く。
「もうこうするしかねえよな?」
アヴィルが短剣を掲げる。銀色の尖った刃が目前に迫る。──嘘でしょう? 本当に殺すつもりなの? 今?
「どうして? 愛してるならわたしの言うことを聞いてよ、なんで……」
「愛してるからこうすんだよ! 分かんねえのか?! 愛してるからこうすんの。メアリを失うくらいなら、一緒に死んだ方がマシだろ?!」
「分かんないよ……どうして? アヴィル、やめてよ」
「俺も分かんねえよ……」
アヴィルの瞳は優しく笑い、涙を滲ませた。彼の剣を持つ手が震えている。
「ただこれだけは言える。俺は誰よりもメアリが好きだって。そしてメアリがいなくなることに絶対に耐えらんねえっつーことも。メアリを殺して俺も死ぬ」
短剣が喉に突き刺さる────。
瞬間、にゅっと何かが伸びて、それが剣先を掴んだ。手だ。ポタリポタリと赤い血がわたしの首に滴り落ちる。
「時間切れ。
【砂塵よ、地獄と溶けよ ── Liquescyy Marena】」
──砂地獄だ。
急に足元の床が蠢いて、地面に引きずり込まれそうになった。足がもつれ、砂のようにさらさらと流れる床に吸われていく。
アヴィルがバランスを崩し、剣先がわたしの頬を掠った。
ラムズがアヴィルの体を電撃で覆う。体が黄色く光り、アヴィルはへなへなと地面に倒れ込んだ。
「メア、リ……」
わたしはアヴィルの方を見た。瞬間、アヴィルがわたしの方に襲いかかり、そのまま馬乗りになる。
ガタンッ、と床にわたしの背中が付く。
「アヴィル……やめてよ……」
泣きそうな顔で笑いながら、アヴィルは短剣を掲げた。
「ごめんな? 俺ラムズには勝てねえか────」
アヴィルの胸から血が吹き出して、身体から流れ落ちていく。氷の氷柱が心臓に刺さっている。わたしの胸にも刺さりそうなくらい、太くて長い。氷柱の先が皮肉のようにキラキラ光った。
どこからか、淡白な詠唱の声が聞こえる。凍えそうなくらい、冷たい声だった。
「【氷よ、燃えよ ── Gracrym Adleeque】」
アヴィルに突き刺さった氷柱は、先から真っ二つに割れて傷口を覆った。炎が燃え広がるように、アヴィルを凍らせていく。クリスタルのような氷の結晶が彼の体を這う。
アヴィルの掌から剣が落ちた。そのまま崩れ落ちるように、わたしの方へ倒れる。
アヴィル? なんで?
傷は治らないの?
ラミアは──《完全治癒》っていう能力があったでしょう?
ラムズみたいに、傷は塞がるんでしょう?
時が止まったようになって、一瞬何が起こったのか分からなかった。我に返って、アヴィルの身体をなんとか起こす。床に仰向けに寝かせ、彼の隣に座る。
「アヴィル? アヴィル……?」
「め、メアリ……」
アヴィルは虚ろな瞳でわたしを見上げた。氷はじわじわとアヴィルの体を侵食している。上半身が全て覆われるのも、もう時間の問題だ。
「むり、だ……。俺は……勝てな、い……。メアリ……お前だけ──だッ」
「アヴィル? なんで怪我が治らないの? アヴィル……?」
「メアリ、聞けよ……。あいつは、ラムズはラミアの──……本当は、死んで、いや違ッ……。宝石が──あいつッ宝石、好き……だろっ?」
「え? ラムズ? 宝石? なんの話? お願い、もう話さないで。治るから、治るから……」
「うそ、だ。ちがう、ありえ──ない。お前を。お前を、本当に愛してんのは、な……」
アヴィルの声が掠れていく。口から血が漏れ出して、唇を伝った。瞳が濡れている。涙と血が混じりあう。アヴィルの瞳が真っ直ぐとこちらを見て、脳まで貫いた。
彼の唇に顔を近づける。アヴィルがわたしの腕を握って、顔を僅かに上げた。囁くようにして、でもはっきりと言った。
「メアリを本当に愛しているのは、俺だけ、だ」
わたしの腕を掴んでいた手が緩み、瞼が閉じられた。がたんと手が床に落ちる。
新緑の鱗が首筋に現れる。干からびて、茶色く変色していく。体を覆う全ての氷が一瞬にして溶けた。
どくどくと鮮血と水が流れ落ちる。熱い血がわたしの手に触れる。
アヴィルの掌を見た。黒かった爪が戻っている。そっと指に触れる。
もう、冷たかった。
細かった息が徐々に小さくなり、
アヴィルは、死んだ。




