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愛した人を殺しますか?――はい/いいえ  作者: **** 訳者:夢伽 莉斗
第5巻 玩具の街と銀の塔
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第95話 塔の家と歌

 あれから三日過ぎた。

 何度言っても、アヴィルは家──塔から出してくれなかった。アヴィルは一人で転移(テレポート)魔法を使って、わたしのための食べ物を持ってくる。

 わたしが「食べない」と言っても毎日作って、それを机に並べた。人間の子供しか食べれないくせに、料理の方法は知っているらしい。最初は意地を張って食べないでいたけど、根負けした。こんなところで我慢していても仕方ない。



 わたしは窓辺に手をかけた。窓は家の中に、居間にあるこの大きな窓しかない。


 両肘をついて外を見る。外は霧がかかったような景色。どこか変な感じなのだ。ぼやけていて、ほとんど何も見えない。周りが森だってことと、この塔の周りに池があることはかろうじて分かる。

 窓枠から下を見ると、地面まで15メトルくらいある。飛び降りるのはもう試した。なんだか見えない壁みたいなものがあって、身体ごと外に出すのは無理だった。腕だけなら出せるのにな。


 なんだかここは、高い塔になっている家みたいだった

(家の中も天井が三角形になっている。塔の天辺(てっぺん)みたい。木の幹の中にできているような雰囲気の家だっていうのは話したわよね。外と通じるのはこの窓だけ、ドアもない。アヴィルは一人で転移陣を使って外に出ているみたいだけど……)。


 外に向かって腕を広げる。


「ハァ……」


 どうやって逃げればいいの。なんで閉じ込められているの……。



 “閉じ込められている”と意識して三日、わたしはとある記憶を酷く思い出すようになっていた。

 忘れていたかった思い出。壊してしまいたい(いしぶみ)


 ──水槽の中に、閉じこめられた時の記憶だ。


 三年前のことだ。人間に捕まってしまって、逃げるタイミングもなく、巨大な水槽の中へ入れられた。

 そんなに長いあいだ閉じ込められていたわけじゃない。水だって綺麗で、食べ物にも困らない。水槽の外の景色も一望できた。

 だけど、酷く窮屈で、息苦しくて、死んでしまいそうだった。息は吸えるはずなのに、水の中で溺れてしまいそうだった。


 今まで生きてきた大海原と正反対の環境──。

 自由に好きなところへ泳げたわたしにとっては、『どこかに閉じこめられる』というのは本当に(うれ)えることだった。


 そして今回、アヴィルにまた閉じこめられている。

 今はまだ耐えられる、耐えられるけど……いつまで気を強く保てるかわからない。逃げることも外を見ることもできないこの場所で、一生自由を謳歌することができなくなった?

 広大な海を泳ぐように、自由に好きな場所へ旅をすることができない?


 

 なんだか今までの自分じゃないみたいだ。

 全部が全部悪い方向へ考えてしまう。嫌な記憶や辛い現実ばかりが脳裏に浮かぶ。


 だけど、わたしはまだ自分を捨てたくない。諦めたくない──だから、まだ、大丈夫……だよね?

 まだ頑張れるはず……よね?


 とにかく気を強く持とう。外面だけでも、彼には屈しないようにしなきゃ。



 そんな思いとは裏腹に、意図しない涙が零れていた。

 気を紛らわそうと歌を歌う。人魚として海の中にいた頃に、よく歌っていた歌──。


 変な空気のせいか、歌声は全く響かない。


 ──そうだ。ラムズ、ここに来てくれないかな。ラムズならこの場所だって見つけ出せるかもしれない。どうにかして連れ出してくれるかも。

 でも彼は……優しくしないって言ってた。自分で道は切り開け、とか。わたしが交換条件を出さないと助けてくれない。教えてくれない。だから今回も……ハァ。



 しばらくのあいだ暇つぶしに歌っていたら、突然指先が(うず)き始めた。


「痛い!」


 急いで腕をしまった。(てのひら)がじんじんする。歌の()()を使った時みたいだ。無意識に使っていたってこと? 爪の先も痛い。わたしはゆっくりと手を開いた。


 ──なに、これ。


 爪が赤紫色になっている。しかも今までよりも厚い。なんで? 何が起こってるの?



「なにか言ったか? 大丈夫?」


 アヴィルがやってきて、壁に背を預ける

(誘童笛(ギャラルホルン)は森に置いてきたらしい。それでも服は変わっていない。来月になってハーメルンが変わるまではこのままだと言っていたわ)。

 わたしの爪に気付いたのか、アヴィルが腕を掴んだ。


「なんだこれ。んんー? メアリ、今何してた?」

「別に……歌ってただけよ……」

「歌?」


 振りほどこうとしても、アヴィルは腕を離さない。じっと爪を見ている。……何なのよ、もう。

 アヴィルは眉をひそめたあと、わたしの方に真剣そうな顔つきで言った。


「神力持ってるか? 歌で操るやつ」

「ええ、まぁ……。なんで分かったの?」

「知ってっからだよ。それ使わねえ方がいーよ。そのままでいてえなら」

「どういうこと?」

「これは本来人間にかかる依授(いじゅ)だ。化系(トランシィ)殊人(シューマ)のセイレーンになるはずの依授。化系(トランシィ)殊人(シューマ)って通り、人間にかかるんだ。メアリにかかってるのはおかしーな。けどとにかくそう。だから使うな」


 嘘ついてる? だってこの歌の力って、アヴィルのことだって操ることができるわけだし。操られたくないからそう言っている気がする。

 わたしはとりあえず頷いた。アヴィルはわたしの疑念を感じ取ったのか、溜息と共に言葉を落とした。


「メアリ」

「なに……」

「そんなに睨まなくてもいいだろ。どうしたらいいんだ? どうしたら好きになってくれる?」

「知らない。なんでみんな、そういうこと言うの?」

「みんな?」

「ラムズも好きにならせるとか言ってた」

「ラムズ? あいつもメアリのこと好きだったのか?!」


 アヴィルの眼がギラギラ光った。わたしはびくりとして腕を放す。アヴィルがそれに気付いて、顔を和らげる。優しい顔でわたしを覗き込んだ。


(わり)い。けど、ラムズもメアリを狙ってるっつーことじゃん」

「そう……かもね。何を好いているのかも分からないけど」

「んー、告白されたのか?」

「そうね」

「キスは俺がしただろ? 他に何かされた?」


 いったん黙った。アヴィルにわざわざ話すようなことじゃない。でもアヴィルが(すが)るような目でわたしを見るから、ポロリと零してしまった。


「一緒に寝たり、とか」

「は? まじで? 付き合ってねえのに?」


 自分のことは棚に上げて、何を言ってるんだろう……。まぁたしかに、本当にキスの話は知らなかったらしいけど。話によると、人魚は全ての使族の中でも相当純潔らしい


(エルフは意志がないから頼めばやってくれる。ヴァンピールは性欲が強いから、そういう(たぐい)のことは大好き。アークエンジェルは金を払えば大抵のことはしてくれる。ケンタウロスは簡単にキスはしないけど、人魚ほどは重くないんだとか。ラミアと仲が悪いから、関わったことがないってアヴィルが言ってた。

 妖鬼(オニ)はそれぞれ。でも少なくとも、人魚よりもキスは軽い。ナイトメアは《変身能力》を持っていて、実態がないらしい。頼めばキスをしてくれるけど、アヴィルは無味でつまらなかったとか言っていたわね)。



 わたしはアヴィルに返す。


「でもアヴィルだって一緒に寝てるじゃん……」

「俺は恋人だからいーの」

「恋人じゃないってば」

「んー……。けど、恋人じゃない男とキスしたなんて嫌だろ? そうしたら、俺と付き合っていた方がよくねえか?」


 そう言われたら、そうなのかな……。

 アヴィルにキスされたあと、もしもそのまま放っておかれたとしたら、それはそれで嫌だ。それこそなんでキスをしたのか分からない。付き合っているなら──付き合うことになったなら、あのキスが人魚として絶対にあるまじき行為とまでは言えないって、まだ否定できる気もする。

 キスされたのに捨てられるなんて、そんなの酷いし、悲しい。何の意味もなかったってことだから……。それこそ、人魚だったらこんなのありえない。

 実際はアヴィルにとって、あのキスに意味なんてなかったらしいけど。本当にただ、唾液が飲みたかっただけらしい。


 けど、無理やりキスされた相手と付き合うのも嫌。怖いし、また同じことをされるかもしれない。

 やっぱり、アヴィルなんていやだ。


 ラミアってよく分からない。

 わたしはアヴィルを盗み見るようにして眺めた。

 あれから彼は、本当にわたしのことを大事にしてくれていた。毎日「愛してる」って言ってくるし、嫌がることはしてこない

(と言ってもまだ三日しか経ってないけど)。



 アヴィルはわたしの頬に手を添えた。心配そうに見ている。


「俺じゃやだ?」

「うん……。無理やりキスするような相手と付き合うなんて、いや」

「そっ、か。だよな……」


 アヴィルが俯く。わたしは彼の横顔をなんとなく見ていた。悲しまれると困る。同情したくなるし。さすがに今は大丈夫だけど、ずっとやられるとどうなるのかわたしも分からない。



 しばらく見ていると、チロチロ動いていたアヴィルの瞳孔が止まった。光が消えて、瞳孔が消えたようになる。ビー玉みたいな眼。

 アヴィルがこちらを向いた。


「メアリ」


 アヴィルはわたしの腕を引いて、そのまま抱きしめた。……なに。どうして抱くの? あれから何もしてこなかったのに。

 わたしは胸を叩いた。


「放して。なに……」

「照れなくてもいーんだよ。もっと正直になれよ」

「なに、が……」


 アヴィルはわたしの身体を放した。歪な眼がわたしを突き刺す。細い指で顎を掴んだ。アヴィルの顔が近付いて、──キスされた。


「いやっ!」


 胸を思いっきり押して彼を離した。なんで? なんでまたキスしたの?

 反省したんじゃないの? いみ、わかんないよ。


 その場から立ち去ろうとする。アヴィルが腕を掴む。振りほどこうとしたけど、彼の方が力が強くてできない。


「いや! なんで?! 謝ってくれたじゃない!」

「カワイーなー。そんなに怖い目すんなよ」


 アヴィルは地属性の魔法でツタを出して、それで腕を縛った。やだ……。この前みたいにするの? なんで……?


 アヴィルはわたしの身体を引き寄せた。歩いて、近くにあった長椅子へ無理やり座らせる。足や身体を動かして抵抗しようとしたら、今度は闇属性の魔法で全身が固まった。末端がビリビリしている。異常解除、しなきゃ。

 魔法を使い──、あれ、身体が変だ。いつもなら全身に水がぐるりと回るような感覚が起こるはずなのに──。

 代わりに闇の属性の魔法をアヴィルに使おうとしたけど、全く何も起こらない。


「なんで? 魔法が……」

「あ、今頃気付いたー? 体内の魔力を()き止める魔法」

「嘘でしょ、なんで、やめてよ!」

「うっせえなあ」


 アヴィルはわたしに覆い被さってきた。顎を掴んでキスする。この前みたいに舌が口の中に入ってきた。

 わたしはアヴィルの舌をガリっと噛む。アヴィルが唇を離した。彼は笑いながらわたしを見下ろす。


「なかなかやんなー?」


 アヴィルはわざとらしく口を開けた。真っ赤な口の中から切れた舌の先が落ちていく。血も流れていない。すぐに舌が伸びて、元通りの長さになる。

 アヴィルの口角がぐいっと上がる。怪しい笑みを浮かべた。


「いくらでもやっていーぜ。意味ねえから」


 そう言って、またわたしの唇を封じた。わたしはもう一度舌を噛みちぎった。でもアヴィルはもう唇を離さなかった。頬に長い爪が当てられる。


 息ができない。嫌だ……。なんでよ……。もう分かんないよ、何がしたいの。分かんない。


 ──うそつき。



 わたしは抵抗するのをやめた。元々身体も動かないし、舌を噛んでも意味がない。歌おうかとも思ったけど、あれは本当に指先が痛いのだ。それに唇を塞がれてるから歌えない。

 こういうときはもう、現実逃避するしかないわよね。この行為のせいで、今も人魚から遠ざかっていくような気がする──なんて考えちゃだめ。わたしはわたし。人魚のわたしは、今もちゃんとここにいる。


 大丈夫……。

 今されてることからなるべく意識を……逸らして…………。


 もう、いや……。




 しばらくして、アヴィルが唇を離した。顔を上げ、小首を傾げた。


「メアリ?」


 わたしは下からアヴィルを睨んだ。アヴィルは呆然とした顔でわたしを見ている。口元に視線が移った。アヴィルがわたしの唇に触れて、零れていた唾液をなぞる。


「俺、まさか……。またキスしたのか? うそだろ。あー……。ハァ。ごめん。本当に。先に言えばよかった」

「なにが。意味わかんない。早くほどいて」


 アヴィルはわたしの方を見下ろす。魔法をかけたことも忘れていたらしい。魔法を解除して、ツタをほどいた。



 アヴィルはわたしの身体を起こして、長椅子に座らせる。わたしは立ち上がって居間から出ていこうとした。でもアヴィルに腕を掴まれる。瞳が揺れている。


「行かないで」

「……なんで」

「話を聞いてくれ」

「なにが」


 わたしはアヴィルの方を見た。アヴィルは溜息を吐いたあと、ぽつりと言った。


「俺、たまに変なんだ。記憶がなくなるっつーか。意識が消える、みたいな。今もそうだった。メアリにキスした覚えねえんだ」

「何言ってるの」

「俺も分かんねえんだよ。けど本当なんだ。嘘じゃねえよ。本当はクリュートの森でメアリにキスしたのも覚えてねえんだ。途中で意識が戻ったんだけど……」


 黙ったまま聞いた。アヴィルは肩を落として、俯きながら話す。


「意識が戻った時にキスしてたからさ。そん時はメアリに普通に受け入れてもらえてるのかと思って、唾液欲しかったし、そのまましたんだ。だからあれは俺が悪かったって思ってる。けど今は本当に違う」


 アヴィルが嘘をついているようには見えなかった。泣きそうな顔をしているせいで、わたしが同情しているだけなのかもしれないけど。


 でも、どこか変だったかもしれない。さっきだって急に抱きしめてきて、意味が分からなかったもの。ずっと何もしてこなかったのに。

 夜は一緒に布団に入ってるけど、触れては来ない。キスなんてもってのほか……。


「よく、あるの」

「あー、まぁ。子供を食べてる時とか、あんまり記憶ねえんだよな。途中で戻ってくんだけど、食べる時にあんまり子供が泣いてると意識が飛ぶ」

「今も飛んでたの……」

「そう。嘘じゃねえよ。メアリがいいって言うまでは、もうしねえって言っただろ。でもしてたって……ことだよな」

「何が起こってるの……? ラミアの特徴なの?」

「ラミアの特徴じゃない。他に聞いたことねえし。とにかく本当にしてねえんだ。信じてくれ。俺を拒絶しないで」


 アヴィルの瞳がわたしを射抜いた。赤い瞳が揺れて、震えている。怖がっているような、そんな感じがした。

 わたしは長椅子に座った。さっきのキスを思い出す。慣れない、いやだ。怖い……。


「ごめんな、本当にごめん」


 アヴィルがわたしの頬に触れた。泣いていたらしい。気付かなかった。もう、泣いてばっかりだ……。


「抱きしめていい?」


 何も言わなかった。アヴィルは恐る恐る手を出して、わたしを引き寄せた。胸にわたしの顔を当てる。髪の毛をゆっくり触った。慣れない手つきで、指も震えているような感じがする。


「メアリ……。次またあったら、言えよ」


 わたしは僅かに首を下げる。アヴィルが回す腕を強くした。

 

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