第91話 魅惑魔法
ラムズは一度下を向いたあと、またわたしの方を見た。囁くようにして言葉を落とす。
「ラミアは子供を作れない」
わたしは一度唇を軽く噛んだ。ぎゅっと拳を握ったあと、淡々とした声で返す。
「ラミアは子供が作れないから、分からないのね。自分の産んだ子供を殺される悲しみが。──皮肉だわ。まるでラミアは、子供を作れない腹いせに人間の子供を食べているみたいに見える。もしかすると、他の使族には本当にそう見えているのかしら?」
「かもしれねえな」
ラムズの返事に小さな違和感を覚える。
彼はそう思わないんだろうか。つまりラムズは、子供を作れないんだろうか。──ラミアと同じなの?
「子供を作れないなら、ラミアには愛もないの? 恋愛はしない?」
「ラミアは、愛し方を知らないな」
「愛し方を知らない?」
「捨てられるだろ。親に。仮に殺されなくても、ラミアは親に捨てられるんだ。親が人間だから、もはや親つっていいのかも分からない。ラミアはみんなそうだ。15までは普通に愛してもらえるだろうが、そのあとに裏切られる」
「そっか……。ラミアは家族が作れないだけじゃなくて、家族を持てないのね……」
「そうだな。そういうことにもなる。どっちが先なんだか」
ラムズはそこで言い淀んだ。わたしはラムズの瞳を覗き込む。
「どっちが先って?」
「ラミアは風の神セーヴィと闇の神デスメイラ、時の神ミラームが創った。つまり?」
急に話を振られて、わたしは一瞬慌てた。風の神と闇の神。司る言葉は──。
「風の神は嫉妬や尊敬、闇の神はたくさんあるわ。唯一、真実、死、忘却、束縛……」
「それだ。嫉妬と束縛」
「それがラミアなの?」
「ああ。ラミアの愛は重いんだ。子供が作れず家族もいない──だから『嫉妬と束縛の使族』なのか」
子供が作れず家族もいない。だから大切な人を持つ他人に嫉妬する。大切な人を手放して独りになりたくないから、束縛する。──そういうこと?
「もしくは神がその不幸に合わせてこんな使族にしたのか」
「不幸? 家族が作れないことは不幸なの?」
嘲ける声が言った。
「それはあんたの方がよく知ってんだろ。家族がいて、子供ができることによって何が変わんのか。それを失ったらどう思うのか」
「なあ?」、無垢さと妖気さを混ぜたような笑顔で、ラムズはそう付け足した。
わたしたち人魚が子供を作る理由──。
それは、相手のことを愛しているからだ。子供はその人との合わさったものの証。その人とわたしの一部みたいなもの。
そもそも愛し合う行為もそうだ。他の使族は知らないけど、わたしたち人魚は気を許した人としか触れ合わない。関わろうとするのは、相手のことを慕っているから。相手と仲良くなりたいから、相手を知りたいからだ。
──って、最近はそういうわけにもいかなくなってきたんだけどね。
「そうね。子供を作るのは、相手と一緒になりたいからだわ。一応愛の結晶みたいなものだから。人魚は子供に酷く目をかけることはないけれど……」
「そんなに家族愛みたいなもんはねえのか」
「ええ。むしろ早く自立するように育てられる感じね」
「なるほど。ケンタウロスとは真逆だな」
わたしは少し考えてから、ラムズに言った。
「でもそれじゃあ、ラミアは愛の結晶がないんだわ。前にも後ろにも。家族や子供が全く作れないラミアは──」
「一生孤独だな」
──孤独だな。
ラムズの言葉が、なぜか頭の中で谺した。彼の冷たい言葉がぐるぐると回る。曖昧に頷いて、返事をした。
「子供を作れないって、悲しいことなのね。でもニンフやエルフも作れないと思うけど、それはいいのかしら」
「ニンフはそもそも恋愛をしないからな。女しかいねえだろ。それに木を植えれば子供みたいな存在ができる。生まれる時も自然から生まれる。エルフは“中庸”で感情や意志がない。だから最初から“悲しい”とすら思えねえんだろう。ラミアは15までは愛を貰ってる以上、よけいに愛に飢え、愛を知らないんだ」
「最初から愛を貰わなかったら、欲しいとも思わないってことね」
「そういうことだ」
「これも赤ちゃんの話と似てるわね。生きる楽しみを知らないままに死ねるなら、その方がずっといいって」
「たしかに」
ラムズは唇だけを歪ませて笑った。目だけは、死んだようにピクリとも動かない。
ラミアももしかしたらそう思っているのかもしれない。生まれた時点で捨てられていたら、最初から愛なんて知らずに済んだのにって。一度失ったものだからこそ、余計欲しくなる──。
街のことはもう気にしないようにしよう。ラミアの話を聞いたら、彼らのことも可哀想だと思った。子供がいなくなる人間も可哀想だけど、ラミアも同じくらい可哀想。
もうどちらかが妥協するしかないんだろうな。人間が子供を差し出すか、ラミアが絶滅するか。
ラムズの言う通り、幸いクリュートの人間たちは子供がいなくなることを何とも思っていない。それならこのままにしておくのが一番いいのかもしれない。
どこもかしこもラミアの街になっているわけじゃないしね。
話が終わって、わたしは麻布に寝転んだ。言うほど洞穴から離れた場所じゃないせいか、少し生臭い匂いが漂ってきた。ラミアはもうみんな食べ終わったのかしら。
わたしが顔をしかめていると、ラムズもなんだか苦しそうな顔をしていた。匂いが嫌なのかな? でもヴァンピールなら血の匂いくらい平気だと思うんだけど。
「どうかしたの? 匂いが嫌なの?」
ラムズは一瞬こちらを見た。青い瞳が影って、暗い色に見える。その奥で、めらめらと青い炎が渦巻いている。ラムズは大きく息を吐いた。
「違う」
「じゃあ、なんで?」
ラムズはわたしの体を起こした。瞳の奥が透けて見える。彼の瞳は変幻自在に色を変える。今は、なんていうか────。
彼の突き刺す眼に体が凍り付いた。
ラムズがゆっくりと近付いてくる。体の自由が利かない。口も動かせない。心臓の鳴る音は、彼にも聞こえそうなくらいうるさい。
冷たい視線がわたしの瞳を舐め、そのまま下に移る。首筋を見て、彼はわたしの腕を取った。
そのまま引き寄せて体を掴み────。
「なんてな」
ぱっと腕を離された。ドキドキが止まらない。疼く心臓をなんとか落ち着けて、固まっていた唇を動かした。
「な、なんだったの……」
ラムズの冷たい眼がこちらを捉えた。真っ直ぐに言葉が飛んでくる。
「ほしい」
「なにが……?」
「血」
「えっ、あ、そういうことね……」
ヴァンピールなら、たしかに食べてるところを見て血の匂いを嗅いだら、吸いたくなるわよね……。わたしの喉が、ごくりと音を鳴らした。
「今飲まないとダメなの……? それに他の人のを吸ってるんじゃなかった?」
「メアリに好きだって言ってからずっと吸ってねえんだ」
「え? そんなに?! ずっと吸ってないの?!」
「ああ」
「なんでよ……。吸わないと生きられないでしょ……」
ラムズのことを覗き込んだら、彼はびくりと肩を震わせた。いつもよりも挙動不審だ。やっぱり血が足りてないのかな。
「ヴァンピールは誰かに好きだっつったら、そいつ以外から血を吸うのは申し訳なくなるっていうか。少なくとも俺はそう」
「わたしは気にしないけど……」
「まあ、だよな。けど俺は嫌だから。メアリが嫌って言うならいい。無理はさせられねえからな。言ってみただけ」
ラムズは最後、ちょっとからかいを含んだ声で付け足した。
でもそんなこと言われたら、いいって言うしかないじゃない。どうしよう。
ラムズはまたわたしの顔を見て、そのあと首の方に視線を動かした。いつもより顔が険しい気がする。さっきのアヴィルみたいと言えばそうかも……。なんだか飢えているみたいだ。
「分かった、いいわよ」
彼の瞳がぱっと見開いた。本気で驚いている。
「いいのか?」
「うん。それにラムズは、さっき話してくれたでしょ」
「なにを?」
「ラムズのこと。ラミアの話をしてたけど、なんだか自分のことも言っているように見えたわ。分からないけど、さっきの言葉は本物だったのかなって思ったから」
「だから代わりに吸わせてくれんのか?」
わたしは視線を泳がせた。
「ん、そう言われたらおかしいような気が……」
「もうダメ。一回言ったら取り消しはなし」
ラムズは笑うと、わたしの腕を引いて首元に顔を近づけた。ドキンドキンと胸が鳴っている。怖い。怖いけど、普通の怖さと違う。興味があるっていうか、心をくすぐられるような──。
ラムズが顔をあげて、ふと思い付いたように言った。
「魔法かける?」
「えっと……魅惑魔法?」
「そう。どっちでもいい」
「普通はかけるの?」
「まあ」
「どっちがいいのかな」
「どっちでも好きなように?」
ラムズは首を傾げて笑った。たまにラムズは、どこか幼いような笑顔を見せることがある。笑顔って言っていいのかは分からないけど。
魅惑魔法をかけられたことはないし、一度くらいかかってみたいかも。魔法の耐性を付けるっていう意味でも。
「じゃあ、かけて」
ラムズは一瞬戸惑ったような表情を見せた。眉をひそめて、わたしに確認する。
「本当にいいんだな?」
「え、あ、うん……」
ラムズがわたしの前に手をかざした。怪しい笑みが映ったような気がして、でもすぐに分からなくなった。
頭が重くなり、ふわふわしている。元々眠かったせいか瞼が重たい。
意識が朦朧としてきた……。ぐわんぐわんする。お酒を飲んだ時みたい……。
「あー効きすぎてんな。聞こえるか?」
「うん……」
わたしはぼうっとしてラムズの顔を見た。あれ、ラムズってこんなに格好よかったっけ……。いつも不機嫌そうだし怒ってるように見えてたけど、むしろそれもいいかも……。だってその方が少しドキドキするっていうか……。
それになんだかサフィアに似てる……。どうしてだろう……。
ラムズがわたしの頬に手を触れた。冷たくて気持ちいい。でもなんだか身体が熱い。
「ラムズ……」
「おい。耐性がなさすぎる。なんでかけろっつったんだよ」
わたしはラムズの胸に倒れ込んだ。ラムズが受けとめて、わたしの肩を手で掴む。
「魔法解こうか?」
「飲まなくて、いいの? 飲まなきゃ……」
「はいはい。あとで俺に文句言うなよ?」
「何が? ラムズ……。なんだか格好よく見える……。どうして?」
「魅惑魔法だからな。そう見えねえとおかしい」
「そっかぁ……」
ラムズの背中に手を回した。彼も抱き締めてくれる。冷たいけど気持ちいい……。ずっとこうしてたい。もうラムズと抱き合うのに慣れちゃった。なんだか安心するし……。ずっとこのままでいたい……。
なんだか夢みたい。どうしたんだろう。
「まあ、いっか」
ラムズがわたしの耳元でそう呟いた。わたしを一旦放すと、こちらに視線を交わせる。蒼い視線がチラチラと揺れた。ラムズはさっと口を開けて、首元に顔を近づける。白銀に光る牙を見たような気がした。
冷たい唇が当たる。ひんやりして、鳥肌が立った。でも嫌じゃない。
尖った牙が二本、皮膚を切り裂いた。一瞬痛みを感じたと思ったら、身体の中の血が巡っていく。
──吸われてる。
心臓が疼いて、心拍が盛んに打ち立てた。
さっきはフワフワしてたけど、今度はドキドキする。何これ……。ラムズの腕をぎゅっと掴む。ずっとこうしてたい。ラムズの身体は冷たいけど、なんだか熱っぽい。
「あー」
「どうしたの……?」
「いや、んー。もうやめるわ、大丈夫」
「なんで? もうちょっと……」
ラムズは溜息を吐いて、もう一回血を吸った。気持ちいい。唇や息の冷たさに、身体が熱くなっていく。
こんなの初めて。なんで血を吸われると気持ちよくなるんだろう? これも魅惑魔法のおかげなのかな……。
「……痛い」
なんか噛まれた。首筋にビリビリっと刺激が走る。ラムズの腕を掴む。ラムズは顔を上げると、はっとした顔でわたしの方を見た。
「悪い」
ラムズの口の中が真っ赤だ。唇についた血を、赤い舌で舐める。
……どうしよう。またドキドキしてきた。ラムズの青い瞳がわたしの脳まで射抜いて、心を掴んで離さない。
「ら、ラムズ……」
「おい、あー。もう解く。このままだとまずい」
「ダメ……」
「ダメじゃねえ」
「ダメなのー」
わたしはラムズの腕を掴むと、そのまま胸の中に顔を押し込んだ。このままでいたい……。楽しいし、なんだか気持ちいし、それに少し眠い……。
このまま眠りたいな。ラムズに抱きしめられたまま、寝てたい……。
「メアリ。起きろ」
「いつも、こうしてくれる、でしょ……」
「そうだけど。ハァ……こっちの気も知らないで。離れろ」
「なんで……。酷いよ……」
わたしは顔をあげて、ラムズの顔を見た。
ラムズ──、ラムズ──…………。
「サフィ、ア」
視界がぼやけて、ラムズの顔が二重に見える。笑ってるはずがないのに、あの素敵な笑顔に見える。太陽にみたいに輝かしくて、見てるだけで癒されるようなあの────。
「おい。メアリ? なに言ってんだ?」
ラムズはわたしの体を揺すった。はっとして目を瞬く。金色だった髪の毛が銀に変わり、いつものラムズの顔が見えた。それでも──ドキドキはする。
「ラムズ……。お願い……」
彼は長い睫毛をパチパチと動かした。わたしから一瞬視線を逸らしたあと、ぐいっと頭を胸に押し当てる。
「あー分かったよ、寝ていい。こうしててやるから」
「うん……」
わたしは目をつむった。ラムズの心臓の音が聞こえる。ゆっくりだ。なんだか規則正しいから、時計の針みたい……。




