第84話 オ伽噺 *
*三人称視点 (ラムズ side)
玩具の兵隊に体を触れられ白い閃光を見たあと、ラムズは大理石でできた部屋の中にいた。玩具の椅子に腰掛けて、目の前にも小さな玩具の机。青色で、周りが金で縁取られている。
その机の正面に、ラムズをこの場所に飛ばした兵隊が三人立っている。
「オマエ、人間、チガウ」
「もちろん。お前らも神に創られたのか?」
「ソウダ」
「使族ではねえな」
「アノ街ノ、番人ノヨウナ、モノダ」
「最近創られたのか? 何を知ってる?」
一瞬間が空いて、また兵隊が答えた。
「知ッテイルコト、全テ、言エバ、イイノカ?」
「言えるなら」
くるみ割り人形は滞ることなく、すらすらと話し始めた。
「コノ街ガ、デキタ理由。ワタシノ、役割。ワタシノ、仕事。人間ト、ソウデナイ者ノ、違イ。魔法ヲ、カケル相手。話シ言葉」
「それだけか? それ以外は何も知らないのか?」
「知ラナイ。神ハ、最低限ノコト、ノミ、教エタ」
「……なるほど。さて、じゃあ俺が人間じゃないと分かったところで、何の用だ?」
おそらくヴァニラとメアリも、同じような部屋に飛ばされたのだろう。いくら神造域とはいえ、ここまでおかしな場所は初めてだ。
だがラムズは、そう思ったあとすぐに考えを改めた。迷宮のことを思い出したのだ。神造域ゆえ、やはり何が起こったって不思議ではない。
「物語ヲ、作レ」
「作ればここから出してくれるというわけか?」
「ソウダ。神ハ、オ伽噺ガ、好キナノダ」
「知ってる」
ラムズは足を組んで、首を傾げた。
さっきから喋っているのは、真ん中に立つくるみ割り人形だ。彼だけ一際体が大きい。街にいる時は、兵隊の身長はラムズの半分くらいだったが、今はほとんど変わらない。
兵隊が大きくなったのか、ラムズが小さくなったのか──。
「お伽噺はどんな話でもいいのか?」
「魔法ガ、必要。ナンデモイイガ、主人公ニ、悪イコト、起コルヨウニ、シロ」
「魔法ねえ」
間延びした声でそう呟いたあと、ラムズはしばらく思案した。無機質な沈黙が続く。その間、兵隊のネジの巻かれる音も、ラムズの鼓動の音さえも聞こえなかった。
ラムズはぱっと何かを思いつくと、紛い物の微笑を瞳に宿しながら、艶めいた声で囁いた。
「悪い魔法といえば、俺がこの世で一番残酷だと思う魔法があるんだ」
兵隊は興味をひかれたのか、それでもぴくりとも体を動かさずに機械的な音で聞き返す。
「ナンダ?」
「体温がなくなる魔法」
「ナゼ、ソレガ酷イ魔法、ナノダ?」
ラムズはやけに芝居がかった調子で、相手を宥めるように言葉を繋いだ。
「体温がないってことは死んでるのと同然だろ。人が一番恐怖するものは“死”だ。てことは、死体のような体は酷い魔法じゃないか?」
「──ワタシハ、使族デハナイ。ダカラ、分カラナイ。ダガ、オマエガ、ソウ言ウナラ、ソウナノダロウ」
「一つ賢くなったな」
無表情のまま、兵隊はコクリと頭を一つ下げた。
「ちなみにメアリはどこにいる?」
「同ジダ」
「今と同時刻、こうやって尋問を受けてるってことだな?」
「ソウダ」
「メアリのところにいるくるみ割り人形も、お前と同じなのか?」
「同ジ。全テ同ジ。複製物。ダガ……」
ラムズはぴくっと眉毛を上げて、その先に耳を傾けた。
「モウ一方、今ハ乗ッ取ラレテイル」
「誰に?」
くるみ割り人形は口を閉ざし、それ以上は話そうとしなかった。ラムズは「賭けてみるか」と呟くと、足を組んでこれ以上ないほどの微笑みをにこりと魅せた。
「それじゃあ、お望みのものを話そう」
蒼の瞳を光輝に瞬かせて、流れるように声を綴っていく。だがそれは、物語というよりは詩を唄っているようだった。
Once upon a time あるところ
強欲傲慢尊大な 酷い男がおりました
慈悲の心も持たぬ彼 怪物とさえ噂され
千客万来こきおろし 果ては神さえ白眼視
飾らぬ老婆を侮れば 到頭神罰下されし
遭えば災難 老婆は神眼
呪いのかかった男は 愛を求めて息をする
彼の館は薔薇の城
紅玉、真珠、瑠璃に翡翠
色とりどりの薔薇一本
旅の商人 頂戴せんと手を伸ばす
薔薇の強盗商人に 怒り心頭男は
慈悲なき命令 科すところ
「お前の娘 館に連れて寄越しなさい
これはけじめ お前の素行の罰なのだ」
泣く泣く家路 帰る商人
かくして娘 男の城にやってきた
長い歳月 悲劇は流れ
男は娘に愛を抱く
あと少し 彼の呪いの解れまで
あともう一歩ともう半歩
娘は男に希う
「少しのあいだ 帰してほしい
私の愛しき 家族の元へ」
男渋々これ承知
娘は館を去ってゆく
されどもしかし これ如何に
いつまで経っても
どこまで待っても
彼女はずっと 帰ってこない
水は喉を通らなく
風は自身を避けてゆく
味も匂いも消え失せて
欲いう欲は失われ
太陽 永劫、沈みつつ
彼の目が写すは 悲しい無
こと切れ寸前 彼の命
薔薇はとっくに枯れ果てて
庭の野草は荒れ果てた
そこに戻った愛する娘
男を抱き上げ涙した
私も愛していたのだと
怪物まがいの彼でも私は……
「あなたを愛していましたわ」
愛しき言霊 鍵となり
男の呪いは解けたとさ
はてさて呪いはなんでしょう
それは────
そこで不意に詩が終わると、くるみ割り人形は不機嫌そうな声で、口を上下に動かした。
「男ハ、ナンノ魔法、カケラレタ?」
「何がいいと思う?」
「オマエガ、一番酷イト思ウ魔法ニ、スル」
ラムズは唇に歪んだ笑みを纏わせた。目の前の玩具の机に肘をついて、畳みかけるように言う。
「じゃあ、心が消えたことにしよう。同情する心が消えたんだ。運命の相手──その娘以外の者に対して、慈悲の心を覚えることができない。……愛することも」
「ソレダケジャ、大シタコト、ナイ」
ラムズは胸元のサファイアのネックレスを弄んだ。そりゃそうだろう。兵隊が求めているのは、『酷い魔法』だ。
「サッキノ、話デ、イイジャナイカ」
「えっ、まさか体温を消すってことか?」
ラムズは瞠目し、ぱちんと言葉を返した。
「ソウダ。ソレガ、一番酷イ魔法…………」
くるみ割り人形は怪しく笑った。
瞬間、部屋の中の机や椅子が浮き上がり、全てがぐるぐる回り始める。天井や壁も溶け合っていく。目眩を感じさせるような空間の中で、自身の規則正しすぎる心拍だけが脳内で響いている。
だがそれも、すぐに全て元通りになった。
「オマエニ、魔法、カケタ」
「そりゃどうも」
「オマエハ、マ、マ?>ホ……」
カチカチ、カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ
「魔ホ@kx、カ&aFヶ¥、?ル……ナ、ニ+/j!」
カチカチカチカチカチ────
狂ったように兵隊のネジが回り始めた。
うるさいくらいに部屋に反響する音。後ろにいた小さな兵隊二人のネジも、逆回りで動いている。
そして先ほどと同じように空間が歪んだ。吸い込まれるようにして壁が消えていく。
カチカチカチカチカチカチ、カチカチ、カチ、カチ、カチ────
兵隊のネジを回す音は、いつの間にか時計の針を打つ色に変わっている。音はそのままラムズの心臓を震わせた。
もう大理石の部屋はどこにもない。
玩具の椅子も机も、どこかに溶けて消えてしまっている。
夜空が見えたかと思えば、一瞬にして日が昇る。太陽は一つだけじゃない。二つも三つも並び、それが凄まじい勢いで右へ左へ動いた。月が現れ、闇が世界を包み込み────。
「ミラーム」
「五年ぶりだな、ラムズ」
くるみ割り人形がパカリと真っ二つに割れて、男が現れた。赤から黄色、緑、青、黒、様々な色に七変化する長いコートを着ている。
髪の毛は銀色。風はないのに、どこか流れるようにうねっている。瞳孔のない黒い目の中には時計の針がある。
白いシャツには古代文字とルーン文字が刻まれ、腰のズボンにはチェーンがかかっている。懐中時計を下げるためのチェーンだ。
歪な懐中時計には1から7の数字がめちゃくちゃに並び、針が数十本めまぐるしく回っている。
吸い込まれるような闇と光が混じった空間の上で、ラムズと彼は立っていた。
ラムズはごくりと唾を飲む。会ったのは初めてだ。威圧的な雰囲気に圧倒されていることを誤魔化すように、先に口を開いた。
「……わざわざそっちからお出迎えとは」
「まあ、大した用事はなかったんだけどな」
「この街に来た者は、皆こうして神と会うのか?」
「いやいや、そういうわけでもない。地の神アルティドの悪戯さ。分かるな?」
時の神ミラームは呆れとからかいを含んだ目付きでラムズを見た。そして、さっと手を掲げる。
昇っていた太陽が消え、闇と光の抗争が四散する。一切の音が消え、光も闇もない。
無。
──ピタリと全ての時が止まった。
「さてラムズ、一つ聞こう」
「ああ」
「お前にとって、大切なのはどっちだ?」
質問の意味はすぐに分かった。
まだどちらも手に入っていないものだからだ。そして、両方とも今一番手に入れたいものだからだ。
時の神の瞳の中で、時計の針がゆっくりと回っていく。周りはまた、動き始めた。太陽や月が沈んだり昇ったりしている。光が走り、闇が何かを吸い込もうとしている。
ラムズはしばらく逡巡した。ミラームが物憂げな声で話した。
「答えなくてもいい。お前のことは、たしかにかわいがってやっている。だが甘やかしすぎると怒られるのだ」
「神の事情ってやつだろ」
「そうだ。だから全てお前の思う通りに行くとは限らない」
「はいはい。そんなのいつものことだ」
時の神ミラームの口が、裂けるように笑った。永遠を感じさせる瞳の中で、針が逆に回り出す。
異常な速さで針はむちゃくちゃに狂奔した。ミラームの瞳を見ていたラムズは、そこに取り憑かれそうになった。
ミラームは腰元の懐中時計を手に取って、何回か振った。
カチ。カチ。カチ。
狂気を孕んだ瞳が微笑む。
彼の持つ時計は生々しく、目を背けたくなるほど醜く美しい。──命の形。ラムズはなぜか、それが自分の命であると確信した。
「さっきは上手いことやったな」
「お褒めに預かり、光栄です」
ラムズは恐怖を隠すようにわざとらしく笑うと、片手を胸の前に持ってきて礼をした。白銀の髪がさらりと揺れ、サファイアの目が静かに明滅する。ミラームはククッと笑った。
「お巫山戯が過ぎる。まあ、だからお前は滑稽なのだが。そうそう、次はあの少女を立ててやるといい。その方がずっと楽しめる」
「たしかに。そう作っておくよ」
「頼んだぞ。なに、二年も九年も変わらないさ。それではな」
時の神ミラームはさっと手を振った。彼のコートがひらりと舞い、下半身を覆う。服が背景に溶け込んでいく。首から下が完全に消え、瞳や髪の毛も吸い込まれる。
最後に、傾けた三日月のように避けた口だけが残り、真っ赤に嗤った。
そしてラムズは、クリュートに戻っていた。
しばらくして、ヴァニラが戻ってきた。今までもずっとそばにいたと思ったくらい、気付いたらそこに立っていた。
酒瓶は手に持っているままだ。ヴァニラはラムズのほうを見上げ、あどけなく笑った。
「ラムズは早かったの」
「何してたんだ?」
「物語を作るのに時間がかかったの……」
「お前も魔法をかけられたのか?」
「魔法? ヴァニはかかってないの」
時の神ミラームの言うように、たしかにあれは地の神アルティドの悪戯だったようだ。ヴァニラは訝しげにラムズを見ている。
「ラムズは何かかけられたの?」
「何も変わらねえよ」
ラムズは本当のことを言った。彼女を見ないまま一歩踏み出すと、ブーツがコツンと地面を叩く音がした。目を細めてヴァニラを視界の隅に残したあと、独りでにんまりと笑った。
ポケットに入った自分の懐中時計に、なんとなく指で触れる。カチカチと針の動く音が、体の芯まで震わせた。