第83話 くるみ割り人形
Vol.Ⅴ 玩具の街と銀の塔
We say that our tears are shed to grieve over the death of our dear, though it's actually just for ourselves.
われわれは、われわれの大切な人の死に涙を流しているのだと言いながら、実際はわれわれ自身のために涙を流している。(ラ・ロシュフーコー)
クリュートの街も、街門の兵士と同じようにおかしかった。まるで玩具の街みたいね。
まず建物の形が全て同じで、見た目も似ている。異常過ぎる統一感。急勾配のとんがり屋根は、べったりオレンジ色に塗られている。家の壁は茶色か黄緑。
一番おかしいのは、それがたった今塗られたばかりという感じなのだ。ペンキが剥がれているところや、屋根の木が剥げかかっているところがない。完璧に綺麗なまま。
地面は土じゃなく石畳で、これも規則正しく並んでいる。汚れ一つない。
「なんていうか……」
「貴族の子供の遊ぶ玩具みたいだな」
「本当なの! かわいいのー! 歩いている人もお人形みたいなの」
たしかに人形みたいかも。着ている服がそんな感じだ。薄汚れた服を着ている人はいないし、奇抜な格好をしている人もいない。普通の都市なら多種多様な服装が見られるはずだけど、揃って似たような服を着ている。
女の人は貴族らしいドレスで、男の人はタキシード。どの服も新品に見える。職によってはドレスやタキシードじゃ仕事が大変だと思うんだけど。
そして話に聞いていた通り、子供の姿は全くない。どちらかと言えば子供が喜びそうな街並みなのに。
わたしはさっきラムズが呟いていた言葉を思い出した。アサイ……なんとかってやつだ。
「さっき言っていたの、なに?」
「さっき?」
「アサイム……」
「あれか。クリュートが神造域になったっつったんだ。知らねえのか?」
「ええ。なにそれ?」
ラムズは横目でわたしを見たあと、投げやりに言った。
「めんどくさい。ヴァニラにでも聞け」
──はいはい。今日は意地悪なラムズなわけね。わたしはヴァニラの方を見た。でもヴァニラもヴァニラで、頬をぷくっと膨らませて頭を振っている。
「ヴァニめんどうなの~」
「なんでそんなにみんな面倒くさがりなの?」
「知らん。こいつに酒でも奢ってやれよ。もしくは俺に宝石を寄越すか」
この二人、そういうものがないとやってくれないわけ? 一応一緒に旅してるっていうのに。もういいや、聞かなくて。街の人に聞けばいい。
わたしは二人を追い越してずんずん歩いた。俯きがちに、地面を蹴るようにして足を動かす。
本当、嫌んなっちゃう。たしかに頼りすぎるのはよくないけど、知らないことくらい教えてくれたっていいのに。なんだか仲間はずれにされてる気分。
その時、変な音が聞こえ始めた。カチッ、カチッと時計が刻むような音。そしてわたしたちの目の前で、それが止まった。
──玩具の兵隊。
ヴァニラの身長くらいの、ゼンマイ仕掛けの赤い兵隊だ。
今度こそ本物の玩具──のはず。少なくとも人間じゃない。使族でもこんなの見たことない。
わたしはちらっとラムズたちの方に振り向いた。ラムズもヴァニラも不思議そうな顔で見ている。
兵隊はみんな背中にゼンマイが付いていて、それがくるくる回って動いている。10人くらいの赤い兵隊が並んだと思ったら、今度は一人だけ見た目が違う、少し大きな兵隊が一歩踏み出した。
「ワレワレ、兵隊。『ラトス』ト『マシィ』、倒ス」
「ラトスとマシィって、Fランクのあの汚い魔物よね?」
「ああ、そうだ」
ラムズが返事をして、兵隊たちの前に立った。ラムズが返事をする。
「俺たちはラトスじゃない。見れば分かんだろ」
「オマエタチ、使族。人間カドウカ、確認ス。行ケッ!」
いやいや、「行ケッ」って。こんな玩具の兵隊にわたしたちがやられるわけないでしょ。
小さな兵隊たちが、それぞれわたしたちを取り囲む。ラムズたちも首を傾げているだけで、攻撃はしてない
(わたしたちは一応海賊だけど、無差別殺人者ってわけじゃないのよ。意味のない殺しはしないの。まぁこれは別に使族じゃないから殺してもいいけど……)。
赤色の兵隊のネジがカタカタと回る。これ、いつか止まらないのかしら。兵隊の一人が、わたしの手に触れた。
──真っ白な視界。
体がふわりと浮いた。
いつの間にか目を瞑っていたらしい。目を開けると、さっきとは全く違う場所にいた。
最初に見た変な門と同じく、薄汚れた白い大理石でできた狭い部屋だ。わたしは玩具の椅子に座っていて、目の前に玩具の机が置いてある。赤色で、黄色い縁どりのされた机だ。
灯りはどこにもないけど、別に暗くはない。扉や窓もなく、完全な密室だ。そもそもどこから入ったんだろう?
机の向こう側には、三人の兵隊が並んでいた。赤い服に黒い帽子、金色の剣をさしている。
真ん中の兵隊だけ少し大きく、他の二人とは違う種類だ。彼はリーダーかな。さっき話しかけてきた兵隊と同じ格好をしている。そしてたぶん、くるみ割り人形ね。なぜって、口が四角い形に空いているから。
「オマエ、人魚。人間、チガウ」
「そうよ。だから元の場所に帰して。ラムズたちはどこ?」
兵隊はさっきとは違って、わたしと同じくらいの身長だ。むしろ、くるみ割り人形の方がわたしより大きいくらい。
くるみ割り人形が四角い口を上下に動かす。機械的な声が流れた。
「人魚ダガ、呪イ、カカッテイル」
「そうね。そんなことも分かるの?」
「ワカル。出タイナラ、物語、作レ」
「物語?」
「ソウ。童話。神ハ、オ伽噺ガ好キ」
この兵隊、何がしたいんだろう? 神様の遣いかなにかなの? つまりこの兵隊やクリュートは神様が創った──とか?
「物語を作れば、この場所から戻してくれる?」
「戻ス」
「他のみんなは?」
「同ジダ。戻サレル」
くるみ割り人形は口を閉じた。
お伽噺ねえ。うーん。どんな話でもいいのかしら。どうせお伽噺にするなら、現実とは違う方がいいわ。それにわたしは人魚だから、人魚の話にしよう。
「じゃあ話すわね。あるところに、人魚の女の子がいたの。彼女は人間に恋をしたので、一緒に暮らしたいと思い、神様にお願いして人間の足をもらった」
ここまででも、十分お伽噺になる。だって本物の人魚が、人間の足が欲しいなんて言うわけないもの。
わたしは続けた。
「人間になった人魚は、恋をした人に会いに行った。でも、彼は他に好きな人がいたの。だから人魚は、独りぼっちになってしまった」
「ソレデ?」
「人魚が困っていたところ、仲間の人魚が、神様から彼女を元の人魚の姿に戻す方法を教えてもらったの。それは、ある魔法の短剣で恋した人を殺すという方法よ」
「ホウ」
くるみ割り人形は笑った。ううん、本当は笑ってない。だってくるみ割り人形は、口を上下に動かすことしかできないから。でも、そう見えたのだ。
「人間になっている人魚は、恋をした人を殺そうとしたわ。でも、結局殺すことができなかった。人魚は海に身を投げて、泡になって消えた。お仕舞い」
(人魚は寿命で死ぬ時、水の泡になって消えるの。殺された時だけ、体が残る。ふつう人魚なら元に戻りたくて相手を殺すと思うけど、これはお伽噺だからね。それに海に身を投げても死なないと思うわ)
兵隊のネジがカチカチと回った。くるみ割り人形が前に一歩進む。
「面白イ。ダガ、人魚ハ、願イヲ叶エテ、バカリ」
今度は、くるみ割り人形から声が聞こえたんじゃなく、この部屋全体から響いてきたような気がした。
「そう? 死んでるし別にいいでしょ?」
「神ハ、ソンナニ、優シクナイ。ヨッテ、付ケ足ス」
「好きにして」
「人間ニナッタ人魚」
くるみ割り人形の手がカタカタと音を立てて上がった。機械混じりな声の裏に、地の底から震わすような音色が混じっている。
「歩クタビニ、ナイフデ、抉ラレルヨウナ、痛ミ、アル」
「そ、それはさすがに可哀想ね」
なんで? 今までのくるみ割り人形とは違う。
こわい。
恐怖? 畏怖? 何かがわたしにのしかかってくる──。
「恋ヲシタ、罰ダ」
わたしは震える声でなんとか返した。
「……ふ、ふうん。まぁ、いいんじゃない?」
くるみ割り人形が嗤った。途端、目の前の椅子や机がふわりと浮いた。壁や床がぐにゃぐにゃ歪み、わたしの体も浮いている。森の香りがする。壁の白と机の赤色が混ざって、どこからか風が吹き付け────
──すべて元に戻った。
さっきいたところと同じ、白い大理石でできた狭い部屋だ。
「い、今のなに?!」
「歩イテミロ」
三体の兵隊のネジが回っている。ネジの回る音だけが、嫌に部屋の中で響いた。
恐る恐る椅子から立ち上がった。
「痛い!」
びっくりしてすぐに椅子に座った。痛すぎる。足の裏が────そう、まるでナイフで抉られたような痛みが──。
「なに、なにこれ? どうしてこんなことするの?!」
「オマエ、魔法カケル相手。オマエ、ナニモ分カッテナイ。自分ノ任務、忘レテル」
「なんの話?! 任務?! サフィアを殺すって話? それならちゃんと覚えてるわよ」
「違う。違うぞ、メアリ。そうじゃないんだ」
目の前のくるみ割り人形の口が、裂けるように笑った。二重にも三重にもブレて見える。森の香りと、甘酸っぱい木の実の匂い。
白い壁が剥がれて、緑と溶け込んだ。周りに魔木の芽が出て、ぐんぐん伸びて行く。太い幹になった。
地面は土になっている。天井が消え、頭の上に鬱蒼と茂る枝が見える。体を揺らし、木が口々に喋っている。
何を喋っているのかは分からない。でも、なぜか話しているのは分かる。目の前で魔植が生え、みるみる成長していく。花が咲いて、すぐに枯れた。
「何が起こった……の?」
「メアリ、お前は分かっていない。分かってな──い────ん────」
くるみ割り人形がまたブレた。ゆらゆら揺れ動き、周りの景色が溶けていく。木は枯れて、土はさあっとどこかに流れていく。木の実の匂いはもうしない。
でも、なんだか懐かしい感じがする。
ここは──。
これは────。
「メアリ」
くるみ割り人形が悲しそうに微笑んだ。
体中に水が駆け巡り、瞳から涙が零れた。胸がぎゅっと掴まれて、痛いくらいに悲しい。
わたしには分かる、これが誰なのか。赤色の服に黒い帽子──どう見ても兵隊だけど、彼女は(いや彼?)は、兵隊じゃない。
圧倒されて口を開けない。
全身が緊張に縛られて────、ぱっとそれが消えた。
彼がやったんだ。彼──つまり。
「水の神ポシーファル……」
くるみ割り人形が豪快に笑った。嵐の海みたいな笑顔だ。
「そうだ。よく分かったな。人魚を創ったのは俺だ。だから君と話すのは本来俺のはずだろう?」
人形とは思えないくらい、彼は優雅に腕を広げた。正面と左右の大理石の壁が、パタンと後ろに倒れる。
そして、わたしは海の上に立っていた。
一面見渡す限りの青。ゆらゆらと波が色を付けて光っている。潮の香り、波の音が聞こえる。
本物の、海だ。
くるみ割り人形が、美しく微笑む。くるみ割り人形の顔なのに、今まで見たもののなかで一番美しかった。
「貴方を助けることはできないわ。運命を変えてしまうのは良くないの。それは時の神ミラームに怒られてしまうのよ」
「そ、そうなの……」
「あなたが好きな水の神はなあに?」
水の神ポシーファルは、ゆらゆらと揺れ動いた。色んな姿に見える。色んな声にも聞こえる。瞳の色もくるくる変わっていく。
朝の海の色から漆黒の嵐の海へ、貫くような藍と、虹色に輝く美、涙を湛えた悲哀の瞳────。
言葉足らずな質問だけど、わたしはポシーファルが何を聞こうとしているのか分かった。
水の神ポシーファルは、美の神であり、高潔の神であり、海の神で、悲しみの神でもある。わたしが一番好きなのは──。
「高潔の神、かしら」
「そう言うと思ったよ」
くるみ割り人形がくるくる回ったかと思うと、目の前に男の人が現れた。
──そう、高潔の神だ。
見ただけで分かる。すっと通った鼻筋に、透き通るような、でも厚く白い肌。彫りの深い目鼻立ちだけど、派手な顔つきではない。
ぴしっとした藍色のジャケットとズボンを履いて、革製の黒い靴。色を塗ったばかりのように、光に反射して輝いている
(といってもキラキラ輝いてるわけじゃないわ。とにかく新品そのものってこと)。
彼の瞳は藍色。こちらを貫くような意思の強い瞳だ。髪の毛は誰も近寄れないくらい、黒くて真っ直ぐ。それを短く刈り込んでまとめてある。
「どう? 君の思うとおりかな?」
「ええ、もちろん。もちろんそうよ」
「それはよかった」
ポシーファルは手をぽんと両手で叩いて、上品に笑った。ポシーファルが手をさっとかざすと、水でできた肘掛け椅子ができる。彼はそこに深く腰掛けて、わたしの方にも手をかざした。
後ろに椅子ができる。いつの間にか、わたしは立っていたみたい。
ポシーファルに促されるまま、椅子に座った。
「わたしに……怒ってないの? 人間に恋をしたわたしに……」
「ほう、私を怒らせるのが怖いか?」
高潔の神ポシーファルは、顎を手で触った。威圧的な声だけど、怖がらせようとしているわけじゃない。もしそうしたいなら、彼は一瞬でそうできるはずだ。わたしを殺すくらい、造作もない。直感でそれは分かった。
「怖い……かな。神様は何を考えているの? どうしてわたしの前に姿を表したの?」
「質問が多いな。多いのは悪いことじゃない。だが今は──。そうだな、例えばラムズのことだが──」
ポシーファルはそう言いかけて、横を向いた。彼は苦々しい顔をして、右の方に手を払った。
「分かってる。そうだな、これはダメだ」
上品に笑った。誰かに話しかけられたのかしら。誰か──もちろん、他の神様に。
「一つ教えてやろう。君の力──依授されたその神力を与えたのは、地の神アルティドだ」
「地の神アルティド……。それがどうかしたの? この力はいったい、なんなの?」
「それを言うと運命を狂わせてしまう。運命をいじるとミラームが怒るんだ。さっきもそう言っただろう?」
ポシーファルは少しイライラしているように見えた。わたしはきゅっと口を噤んで、恐る恐る頷いた。ポシーファルはそれを一瞥したあと、満足そうに言う。
「このままだとあまりにも君に情報が少ないから、不公平だと思ったのだ。しかも地の神だけに好き勝手やられるのは、私も腹が立つんでね」
ポシーファルの周りで、水でできたヒッポスが駆けていく。わたしがそれに目をやると、彼が笑った。機嫌を戻してくれたのかもしれない。
「ヒッポスは私が考えたんだよ。そのあと、色んな神に真似されてしまったけどね」
「そう、なのね」
彼は真剣な顔付きに戻して、真っ直ぐにこちらを捉える。
「話を戻そう。君は、なぜ神力をもらったのか、それを考えてみろ」
「分かったわ」
「だがそこまで気にしなくてもいい。君はまだ私の創った人魚なんだから、な?」
ポシーファルの含みのある笑いに鳥肌が立つ。彼が怖くなった。でも、逃げられない。足が動かないのだ。
──まだ私の創った人魚。
つまりポシーファルはまだわたしを見捨てていない、そういうこと? 呪いについては今は怒ってない? でも、選択によってはわたしは捨てられる? 人間になるだけじゃなく、いつかのスキュラやヒュドラのようになってしまう──?
ポシーファルは肘掛けにトントンと指を落とした。
「さて、君にも恋愛をする権利くらいはあるはずだ」
「恋愛?」
「そういちいち聞き返すな。私は君を創ったが、君の父親ではない。聞けばなんでも答えるとでも思っているのか?」
やばい、きっと怒らせた。
ポシーファルは立ち上がった。身長差は30センチもないはずなのに、ずっとずっと大きく見える。
「いいか。お前は使族で、私は神だ」
彼の声がぐわんぐわんと身体中に響き渡る。
「お 前 は 、 た だ の 使 族 だ」
そう言われた瞬間、急に自分がちっぽけな存在に思えた。
地面を這う、小さな小さな魔物よりもちっぽけな存在。
この人がちょっと手を挙げるだけで、水の泡になって消えてしまうような存在。
そう、わたしはただの使族──。こうやって神様と対等に話そうとしている時点でおかしいんだ。わたしは一体なにをやっていたの?
よろよろと椅子から立ち上がると、無意識に彼の前に跪いた。
周りで湧き立っていた水音が徐々に静まり、朝の海のように穏やかになった。
「私は、私の教えたいことを君に伝えに来ただけだ」
少しだけ顔を上げて、ポシーファルを見る。ポシーファルが言葉を漏らした。
「ミラームもアルティドも、全く己のことしか考えていない」
独り言みたいだった。
水の神ポシーファルはこちらを見ないまま、さっとわたしの足元に手を掲げた。足の周りがキラキラ輝く。全身に水が駆け巡って、ふっと力が抜けた。
周りにあった海が、滝のように流れて消えていく。
「地の神に侮られるのは癪だからな。それにその足じゃあ、つまらない。物語が止まってしまう」
海の波のように透き通る声が、どこかで聞こえた気がした。
※ラトス&マシィ→ねずみ