第82話 隷属魔法 *
※事前知識
*1 ワーウルフ
(化系殊人の一つ。つまり元は普通の人間で、神によって神力を依授(≒授与)された者。満月の夜にロコルウルフィードという魔物に変わり、理性がなくなり凶暴になる。
満月の夜以外は自分の意思でロコルウルフィードに変身することができる。ロコルウルフィードは討伐レベルC+ランク。ウルフィードについては下記を参照。
ワーウルフの神力は、ロコルウルフィードに変身できること、黒と灰色の混じったような髪の毛、赤黒い色の細い瞳。
本編では「第47話 シーフ」で初登場する言葉)
*2 ウルフィード
(討伐レベルCランクの獣系の魔物。いわゆる狼のような見た目の魔物。鋭い牙を持ち、黒と灰色の太い毛皮を持つ。ロコルは上位種の意。リルは下位種の意)
*3 ニンフ
(使族の一つ。自然に住む使族で、山にいる者はオレアード、海にいる者はネレイド、川にいる者はナイアド、木に住むものはドライアドと呼ばれる。それぞれ、草や水泡でできた髪の毛、服を着ている。名前が似ているが、エルフとは全くの別物。本編では「第13話 ニンフ」で初登場する言葉)
参照『愛殺―あいころ― 設定集』
・「化系殊人紹介」
・「用語説明―魔物一覧」
・「使族紹介①」
▶https://ncode.syosetu.com/n9557em/
────────────────────
*三人称視点 (?side)
「さあさあ、お宝はどこに隠そうかな~。この辺でいっかな?!」
パック・トリツキーはガムを噛みながら、軽い調子で二人に言う。まだ声変わりをしていないのかと疑うくらい、柔らかくて高い声だ。
頭には深紅の布を巻き、ポシェットを腰に巻いている。ダボっとしたオーバーオールのせいか余計に幼く見える。横で立っている、リア・フローレンスとは大違いだ。
「たしかにここでいいか」
リアがそう言って、三人は運んできたワーウルフ(*1)の女を乱雑に地面に下ろした。
パックはくちゃくちゃ音を立てたあと、横たわる女に向かってガムを吐き出す。リアが凛とした声色で言った。
「虚になる前に来れてよかった。闇に紛れて行動できなくなる」
リアは24歳の男だ。頬はこけ、垂れ目がちな目は眉のせいか鋭く見える。さらさらの金髪。顎まである前髪を左側で分けている。
大きく広がったフードを目深に被っており、怖い印象を持たせる。フード付きのコートは燕尾服に似たデザインで、膝まで長い。
「本当ね」
ジュリエット・フローレンスは小声でリアに返した。幸薄そうな顔で、華奢な身体だ。ストレートの灰色の髪は、萎れた雨を集めたよう。
三人は、ある森の洞窟にいた。さほど深い洞窟ではないが、既に日が落ちているため辺りは暗い。
パックは岩に埋め込まれた鎖を揺らす。がちゃりと重い音が鳴る。
「この鎖なら屈強なボクチャンでさえ捕まえておけるな」
焦げ茶色の巻き毛をくるくるいじったあと、パックはいたずらっ子の笑みでリアに振り返る。リアはパックの冗談に軽く手を振る。もう飽き飽きしているのだ。
「こいつは失敗したけど、とにかく隷属魔法は成功した。これで国は安泰だな」
「でもリアにぃ……やっぱり酷くないかなあ……」
リアの袖を引っ張って、ジュリエットは顔を俯かせる。髪と同じ灰色の小さめの瞳がゆらゆら揺れ、今にも泣き出しそうだ。
リアは振り返ると、少し腰をかがめて彼女と目を合わせた。
「ジュリエット、こうするって決めただろ? それにこいつはワーウルフだ」
「そうそう! というかジュリエットの髪の毛、ウルフィード(*2)みたいに逆立ってんじゃん、ははっ」
「へっ?!」
パックのからかいに、彼女は自分のグレーの髪の毛を必死に撫でつけた。だが元々逆立っていないし、そもそも彼女の髪が跳ねているところなんて誰も見たことないはずだ。
「パック、うちの妹をからかうのはよしてくれよ」
「はいはい。それで、サーキィさんはいつ来んだろ? あのおじいさん顔から火が出そうだよな。いっつも怒ってる」
「ちゃんと来るって」
パックの軽口は無視して、リアは淡々とした声でそれだけ返した。
ジュリエットは二人の会話はもう聞いていない。ワーウルフの女の腕に鎖を通している。女がときおり「うっ」と呻くたび、ジュリエットは肩をびくんと震わせた。
「代わるよ、ごめんジュリエット」
「へっ? あ、ありがと……」
リアとジュリエットを横目に、パックは唇を尖らせる。
「美しい兄妹愛ですことで」
その声は洞窟内でいやに響いた。リアは耳をそばだてたあと、一気にまくし立てる。
「パック、そのお喋りな口をいい加減閉じろ。誰かがやってきたらどうすんだ?! 穏健派のやつがいないとは限らないんだからな。そもそもこの魔法は誰かに聞かれたら悪用される可能性だってある。もしプルシオ帝国のやつらなんかに知れたら……! 実際の戦争まで、ちゃんと隠しておくんだ。今回もこのワーウルフを──」
「はいはいはいはい、もう分かったって。聞いた聞いた。耳にタコができるくらい聞いたから。見てみろよ、かわいい妹も呆れてるぞ」
リアははっとして目の前の妹──ジュリエットに目を移した。ジュリエットはきょとんとした顔をしている。リアは溜息混じりに呟いた。
「まったく……」
「でも本当に効くのか? あの魔法?」
「もちろんだ。もうこのワーウルフで実験しただろ」
リアは金色の髪をがしがしと掻いた。彫りの深い顔が歪む。リアの視線の下、ワーウルフの女は両手両足を岩の鎖に繋がれている。
「ねえ、この人、いきなりウルフィードに変身しないよね……」
ジュリエットは、ワーウルフの女から一歩後ずさりながらそう言った。リアがこくんと頷く。
「大丈夫だ。ちょっと頭もおかしくなってたけど、明日か明後日にはきっと治ってるよ。それに僕たちが化系殊人の心配をする必要なんてあるか?」
ジュリエットとパックはそろって首を振った。
「ない」
「ないね」
リアは満足そうに頷いた。
「そういうことだ。よし、こいつはもうこんなもんでいいだろ」
リアは、普段は優しいその顔に憎しみを浮かべる。ワーウルフの女の足を思い切り蹴った。
「ふん、使族のできそこないがっ」
「ボクチャンもやろーっと」
パックはしゃがむと、器用にワーウルフの服を切り裂いた。丸い目をくりっと動かして、後ろに立つジュリエットに視線を向ける。
「ジュリエットもやっとく?」
「わたしはいいや……。起きたら怖いもん」
「大丈夫だって。さっきの見ただろ、もう我を失ってたし……きっとウルフィードにはもう変身できなくなっちゃったんだな」
リアはそう頷くと、女の首元をなんとなく見やった。鎖と十字でできたネックレスのような模様が、赤い色で皮膚に掘られている。
パックが先頭になって、彼らは洞窟を出た。パックはいつもの通り、軽い足取りで地面を踏んでいく。リアは辺りを警戒していた。ジュリエットはリアの後ろで怯えている。
リアに向かって、彼女はおどおどと声を上げた。
「早く洞窟から離れたい……」
「大丈夫。きっとじきに死ぬさ。殺してもよかったけど……飢え死にの方が辛そうだからな」
「たしかにそうだよね」
パックも二人の会話に頷いたあと、腕を頭の後ろで組んで、空を仰いだ。
「それにしても、よくあんな魔法があったよな。隷属魔法かあ。ボクチャンもついにパック様なんて呼ばれたり? 『ちこうよれ』なんつって。誰を奴隷にしようかな~」
ジュリエットは少し顔を明るくさせて話した。
「わたしは女の子がいいな。男の人はやっぱり怖いもん」
「ジュリエットは臆病だな。隷属魔法で縛れば死ぬまで命令を聞かせられるんだ。怖がることなんて何もないよ」
「そっかぁ。男の人の方が強いし、じゃあやっぱりその方がいいかな?」
リアは顎をさすった。そのあと耳の後ろを少し掻く。ジュリエットの頭をぽんと叩いたあと、にかりと笑う。
「奴隷にするとはいえ、ジュリエットの周りに男がいるのはいやだな。やっぱり女の子にしよう」
「うん! 赤髪の女の子がいいな。かわいいもん」
「ジュリエットのグレーに、リアの金色、あと赤髪の奴隷か。カラフルでいいじゃん!」
パックは雀斑の付いた顔をくしゃりと崩した。ポケットからまたガムを取り出すと、口に投げて噛み始める。リアはそれを横目で見たあと、「あっ」と声を上げた。幹の向こうを指差す。
「あれ、ニンフ(*3)じゃないか?!」
「うそうそ!? どれ?!」
パックは小柄な体を動かして、魔植を掻き分けていく。ジュリエットもあとを追いかけた。リアが小声で二人に話しかける。
「待てよ、そんなに急いだら逃げちまうだろ」
「あー。もういないやあ……」
パックは大きく肩を落として、リアの方に戻ってきた。ジュリエットも唇を噛んで残念そうな顔をしている。
「いつか会えるって。じゃあどうする? 街に戻る? 今日は森で過ごすか?」
「森に一票で!」
パックは頬に笑窪を作り、手をぱっと掲げて明るい声で言った。ジュリエットはくすくす笑いながら頷く。
「わたしも今日は森がいいなぁ。乙女の森って、過ごしてるだけで幸せな気持ちになるもん」
彼女の艶やかな長髪は、小さな草花がところどころ編み込まれており、たしかに彼女自身が森とよく似合っていた。
ジュリエットは深い溜息と共に、物憂げな呟きを零す。
「……あーあ、迷宮に行けたら言うことないのに」
「迷宮はなあ。妖鬼の知り合いがいればいいんだけど……」
ジュリエットは小声で「分かってる」と呟いた。リアは彼女の肩をポンポンと叩いて励ますと、優しい声色を出す。
「その代わり今日は森で過ごそう。さっき川を見かけたから水はある。木ノ実は──これいけるやつだろ?」
リアは、赤色の実がついた魔植に目を向けた。パックがわざとらしく拍手をする。
「さすがリア。魔植に関してはお手の物だな」
「パックには負けるよ。そのガム作ったのだってパックだろ」
パックは悪戯っぽく翠の目を細めたあと、嬉しそうに笑う。
「オレサマ天才パック様ってな! 今更だけど、こういうのって大丈夫なのかな?」
「木ノ実や魔木の成分を混ぜただけじゃないか。しかも売ってない。だから平気だろ。これくらいの工夫はしていかないと」
「わたしもそう思う。パック、ガムちょうだい?」
ジュリエットは小さな手をパックのほうに広げた。泥や煤で汚れた体だが、ジュリエットは気にしていない。もちろんパックもだ。
穴あきの黒手袋から覗くパックの指は、小柄な身体とは似合わず、ゴツゴツして皮膚が固そうだ。この指が器用に色々なものを発明してきたのをジュリエットはよく知っていた。
パックは地面を蹴りながら呟いた。
「早くサーキィさんに会いたいなー。ボクチャンの魔法の訓練、途中だったんだぜ?」
「わたしも。もっとたくさんの魔法が使えるようにならないと、戦いの時だって活躍できないかもしれないし……」
「大丈夫だよ。彼だって僕たちを裏切ったりしない」
リアは力強く言う。彼は拳をぎゅっと握り、夜空に桃色の瞳を向けた。暗闇で瞬く三日月に意思を誓う。
しばらく無言で空を見上げたあと、ふうっと息を吐いてなんとはなしに呟いた。
「あと数日で虚か。もうすぐ一年が終わる。来年に向けて、この計画をしっかり進めていこう」
「うん、大丈夫だよ。仲間もたくさんいるんだから」
ジュリエットはリアの後ろから顔を出して、優しく笑った。パックは二人に調子を合わせる。
「オレらが正しかったって、穏健派に認めさせてやろうぜ!」
「もちろんだ」
リアは破顔して、地面を強く踏み抜く。二人もそのあとに続いた。
彼らが去ったあと、例の洞窟へ月の光が地面を這うようにして忍び寄っていた。
満月の夜まであと────……。
Vol.Ⅳ 宗教 fin.
Let us consider that we are all insane. It will explain us to each other. It will unriddle many riddles.
われわれは皆、イカれていると考えてみよう。そうすれば互いを理解し易くなり、数々の謎が解ける。(マーク・トウェイン)