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手紙はルーズリーフと書籍で

作者: 伊那

この物語は、『この話をキミに』という短編小説の続きとなっております。

前作を読まなくても話が分かるようには、書いていません。

あらかじめご了承ください。

「あ」

 思わぬところで思わぬものを見つけたため、思わず声をあげてしまった。

 この日私はコンビニで立ち読みをしていた。普段は買わない雑誌に、気になる特集が掲載されていたので手に取った。雑誌を軽く流し読みをするつもりがけっこう夢中になっていて、はっと我に返ったところだった。

 コンビニの広い窓のむこうに、よく見知った顔があった。

 気づいた時にはキミが隣にいた。窓の向こうにいた時にも見えた、同級生らしい友人を連れて。その同級生の男の子は不思議そうな顔をして私とキミの顔を眺めている。

「おれ、用事があるから先帰ってて」

「え、何この人と知り合いなの?」

 私から視線をはなさないでキミは言う。同級生の子は困惑と興味が入りまじった目をしている。

 まずい。なんとなく、いやな予感がする。

「じゃあ私はこれで……」

「ハルさん」

 さりげなくコンビニを出ようとしたのに呼びとめられた。足を止めたりはしなかったけど、後ろからの一人分の足音もやまなかった。

「テスト終わりましたけど」

 どこかつまらなそうな声音。そっけなさそうでいて、しかし弱くない意思のこめられた声。

 外は夕暮れだった。まばゆいオレンジの光がさす。私の背後にある気配が消えない。

「そ……そうですか」

「避けるのやめたんですか。めっちゃ近所ですけど」

 そう、私はコンビニで立ち読みをしていた。長居をするつもりはなかったのに、立ち読みのせいでしてしまった。彼の行動範囲内で、うろうろするつもりはなかったはずなのに。雑誌の特集が悪いんだ。

 私は歩き続ける。自宅とは反対に向かっているがあてなどない。何しろ私の自宅は彼の自宅とかなり近いのだ。なんとなく、どちらも目指す気になれない。

「それともテストが終わったから待っててくれたんですか」

 彼の声が少しだけやわらいだ。

「……違います」

 言ってから、しまったと思った。キミの機嫌を損ねたと。

 振り向くと案の定、嫌そうなキミの顔。

「テスト終わったらおれの告白ちゃんと考えるって言ったくせに」

 不機嫌そうにむくれて、足を止めた男の子。年はたしか十五歳くらい。

 ええはい、分かっていますとも。

 中学生と付き合う? ないない! ありえない!

 って言ったら切れられて拗ねられたからテスト間際に何言ってるの勉強しなさいってたしなめた。

 拡大解釈されました。

 というか、私に恋愛感情を向けるって事自体ありえない。それも相手はまだまだ若い。きっと、一筋縄じゃいかない家庭に生まれて、私みたいな大人が珍しいだけ。

 私だって精神は子供みたいなもの。だから誰かに憧れや恋情を抱かれるはずがない。そう言ったのに、違う、と。

 確かにキミは一度さらりと好きだと言ってきた。でも私は気にしなかった。でも気にしなすぎたら彼は休日のたびにうちに来るようになったり、出かけようとか誘われたりした。

 いやいやおかしいでしょ、ってツッコんだら改めて好きとか言われまして。いやいやいや。

 で、言い争いの末学生の本分は勉強だからそれも出来ない子供とは向き合えない、ぐらいの事を言って先伸ばしにしたのだった。

 てゆうか十五歳と付き合うって犯罪じゃないのか?

「キミは私の事を誤解していますよ。全然大人じゃないし、憧れの対象にもなれない」

「別にハルさんのこと大人とも憧れるとも思ってませんけど」

 なんかひどい事言われた。しかも白けた顔で。

「……キミはきっと今はまだ視野が狭いから。大人になった時視野が広がって、私のような人間は石についた(コケ)みたいなつまらない存在だって気づくんですよ」

「苔にだって研究者がいます。苔と研究者に謝ってください」

「え、え? ご、ごめんなさい」

 何故か謝罪を強要された。でもそんな事言ったら今やどんな分野にも研究者はいるのではないでしょうか……。

 ふてくされながらも、変なところであげ足をとっても、私を見上げる彼の瞳は、やけに真剣だった。あんまりにも生真面目だった。彼は、少しだけ言葉を口の中で咀嚼して、口を開いた。

「大人だって視野狭いやついるだろ。大人が全員後先考えて行動してるって言うのかよ。そもそも大人っていくつになったらなれるんだよ。二十歳? そんなの日本が勝手に決めてるだけでアメリカとかだと飲酒はもっと早く出来るって聞く。大人げない大人だっているし大人な子供もいる」

 キミがどんどん生意気になっていく。今なら私も、反抗期を迎えた我が子を持つ母親の気持ちがわかるかもしれない。

「……かわいくない」

「かわいくなくていいんです。“かわいいコドモ”なんてごめんだ」

 キミは、課題の量を不当に増やした教師でも見るような目付きで私を睨んできた。私はため息をつく。課題で思い出した、彼の、学生の本分。

「……テストは、うまくいきましたか」

「とーぜん」

 見栄かもしれないが彼は胸をはった。

私は悲しくなりながら笑った。

 たとえば。私自身を過大評価するならば。ちょっと厳しい家庭で育った彼にとって私は、はじめて出会ったまともな大人だった。優しい大人に見えたかもしれない。家族でも友人でも教師でもないから、かえって気が楽で、私と話す事はいい息抜きになった。もしかしたら、私は彼の気晴らしを手伝えたのかもしれない。だから、もっと一緒にいたいと願い、それを恋か何かと勘違いした。

 でも、それは誰だってよかったはずだ。あの、かしましい家から連れ出してくれるのならキミは、私以外にだってついていった。

 そもそも私は、人に好かれるような人間じゃない。まったくのダメ人間なのだから。

 たとえキミの気持ちが本物でも、問題は私の方にある。

「私には無理です。キミを傷つけたくない。私といたら、キミはそのうち……」

 私を嫌いになる。そんな事になったら、私だってうれしくない。

「そんなことない。それに、傷ついたってかまわない」

 彼は、まるで今まさに傷つけられたというような眉のひそめ方をした。

 私が悪者みたいではないか。

 そんな風に、くもりのない信頼を寄せられたら――信じてしまいそうになる。

 私は、この男の子の瞳が見れなくなった。

「……でも、一過性のものですよ」

「いっかせいって何」

「一瞬のものです」

 私は、私を好きだなんて言う人間を信じない。

「……そんなこと、ない」

 声は小さくなかった。でもわずかに、揺らいで聞こえた。

 ほらね?

 自信がないでしょう。私もそう。自分の事を信じきる自信がない。

 私は私を好きだと言う人間など好きになれない。

 何故なら私は私自身を好きではないから。私が嫌う私を、どうして他者が好きになれる? そんなはずがない。

 ただ私は、この上なく私が嫌いなだけ。

 だからこの上なく、卑屈になれる。

「もしキミの気持ちが一過性のものじゃないなら」

「その時考えます」

「なんだよそれ」

 納得のいってない者のあげる声。

 私は歩き出した。もう立ち止まらずに。


 私が他人を信じられないだけなのだ。

 これは私の問題。

 ふたたび本気でキミを避けはじめた私に、最初はキミも負けなかった。家のチャイムを鳴らしたり戸を叩いたり。

 けれどそのうちに彼は諦めた。

 私の方でも仕事が入っていたので家にこもっていた。雑誌に載せる短編小説を頼まれていたのだ。

 書き上げたのは年下の男との別れを決意した女の話。

 我ながら私生活が影響しすぎている。でも、うけた。私の小説は恋愛特化したものは少なかったから、これまでよりは恋愛小説だった。どうやら世間では恋愛小説がうけるらしい。まあ別れる話だけど。

 短編小説が載った雑誌が送られてきたその日、私は奇妙なものに気づいた。

ルーズリーフだ。折り畳まれたルーズリーフが何枚か郵便受けに入っている。なんだろうと思って開いてみれば。

『一過性じゃないって証明するために、手紙を書きます。返事はなくてもいいです』

 差出人名を見なくても、すぐに分かった。私にこんな手紙を出すのはキミだけだ。

『とりあえず何書いたらいいか分からないから今日あった事を話します。ちゃんと勉強してます。夏休み明けに体育祭があるので、体育祭委員を決めました。おれはならなかったけど。そのうち出る競技も決めると思います。おれは運動部なので強制参加させられると思います』

 最初は、日記みたいだった。

『段々手紙を書くのにも慣れてきました。ちなみに返事はなくてもいいって書いたけど、あってもいいです』

 返信を要求されたけど、当然私はそれをしなかった。なんのための拒絶か、彼に分かってもらうため、返事など出さなかった。

『年の差があるからハルさんはおれの事本気にしないのかなと思ったけど、たぶんおれは同級生だったらハルさんに見つけてもらえなかったと思うから、今のままでいい。今のままのハルさんが好きだ』


『ハルさんに会いたい』


 ルーズリーフの手紙を、郵便受けに見つけても、取り上げない日々がはじまった。


 ルーズリーフがかさばる中、季節はうつろう。夏になっていた。

 私は夏の暑さが苦手だ。でも、冷房も得意ではない。だからあまり冷房をきかせずに過ごす事が多かった。

 言ってしまえば私の頭は夏の暑さに茹だってしまったのだろう。その行動は、おかしなほどに早かった。

「……またファンタジー書いちゃったんですけど……」

「なんでそんな申し訳なさそうに言うんですか紀野先生」

 ある時の打ち合わせで担当編集者に言うと、意外にも肯定的に受け入れられた。ファンタジーを普段書かない私が、以前書いた時にはあまり売れず、もう書くまいと思ったものなのに。

 結局その物語は出版に至る事に。

 ただ、冒頭に謝辞をつけるのは、やめた。

 そもそも日本では小説の冒頭につける謝辞はあまり一般的ではない。たいていは後書きに列挙するものだ。だから何らおかしな点はない。担当編集者にだって何も言及されなかった。


 その本が発売されてから、ファンレターがきた。


『返事、やっとくれましたね』


 ああ、ばれてる。

 謝辞をつけなかったのに、意味がなかった。

 誰かのために書いたつもりはなかった。本当に。あらすじだって、前回あの子に宛てたものとは全然違う、励ましの内容なんかじゃなかった。前回のファンタジーならまだしも、どうしてあれを手紙の返事と思えるのか。なんとなく生まれたものを、担当編集者に渡しただけ。だから何か、特定の相手の反応を引き出すようなつもりはなかった。

 それなのに。

 それなのに、キミは。

『今はその気持ちだけでもうれしいです』

 けなげで、ひたむきで、まっすぐで。

私が怖がってる事も見抜いていて、それすら受け入れようとしている。そんな風に錯覚するほど、優しくて、強くて、大きくて。

 何も、言ってないだろうが。

 どうしてキミは私を見つけてしまうんだ。

 きっと、

 救われたのは、私の方なのに。

 その本以外に返事なんて出さなかった。前にも後にも。

 ただ少し、避け続けるのにも無理があるのではないかと、思っただけ。


 仕事の打ち合わせを担当編集者としていた時、なにげなさそうに、言われた事がある。

「今回のファンタジーはけっこう売れ行き良好ですよ。続編を望む声も多いですし」

 読者の声は新たなる可能性を生む。売れると分かれば、ビジネスの世界では拒む事はしない。

 そう、今回のファンタジーは不思議と受けがよかった。前回のファンタジーを思えば、怖いくらいに。この間小さな本屋で平積みにされているのを見てビビったのこの作者(わたし)です。

「困ります」

「はい?」

「あれ以上書いたら……」

 知られてしまう。

 あれが、誰に向けて書いたものか。それを知る本人に、知られてしまう。

 キミが叩くドアを開けてしまいそうになる。

 その時、私は彼を拒めるのだろうか。それすら分からない。

 これからはちゃんと沈黙を貫かねばならない。そう思いたいのに、決意は出来なかった。

 もし、もし本当に彼の気持ちが一過性のものではないのだとしたら。考えてはいけないのだろうけど――

 未来について思いをめぐらせるのも、悪くないような気が、した。

続きがあります。

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