2ピース目
ローズピンクの口紅と、ほんのりとしたファンデーションを施している志帆。彼女の化粧顔を見るのは、滅多になかった。
年配の女性従業員は、顔面キャンバスの例えでコテコテに塗られている。
比較する訳ではないが、断然、志帆の自然の顔立ちが綺麗で文句なしだった。
「何をそんなに見られているのですか?」
戸田のまじまじと注ぐ眼差しに気付く志帆は、はにかんで言う。
「いや、僕の身なりがヨレヨレだものだから、浅田さんには失礼かな? と、思ったら」
咄嗟の出鱈目だった。こんな時にしかも、あの岡村の前で彼女を意識したような言い方は断じて避けようとしての発言だった。
ちょっと時間を遡ったあの時の岡村の言動も気になった。
ーー本当に浅田に手を出すつもりではなかったのだな?
意味ありそうな感情も含ませていた。
チャンスかもしれない。
幸いに呑みの場所だ。酔ったどさくさで、岡村の有りとあらゆる事を聞き出せる。おまけに財布はその人持ち。よし、一番最高お勧め一品である《積んで崩して本鮪! 三種盛り》を遠慮なく注文することにしよう。
戸田の胸の内、まさに悪魔が乗り移る。目先の欲望を満たすように、メニュー表の有りとあらゆる品を指差していく。一応、岡村の反応も確認すると、冷静さを保っている様子。よしよし、しめしめ。うはうはうは……。
木目調の座卓に隙間なく、品が店員よりどかどかと運ばれてくると、戸田の目尻が下がり頬も緩んでいった。
「よし、とりあえず一通り揃ったから此処で乾杯するぞ!」
「食事を楽しみながら呑むとは……。岡村さんも拘りがあるのですね?」
「ちびりちびり、運ばれてこられるのは鬱陶しい。ただ其れだけだ」
気が短いのか温厚なのかさっぱりだ。戸田はそんな思考を膨らませる。
「厨房はそのお陰でいつもてんやわんや状態。なんて、営業の丸木さんが言ってましたよ?」
微笑して言う志帆に岡村の眉が吊りあがる。
「あいつめ……」
「あら? 此処だけのお話しですよ。と、言ってもとっくに有名になっていますけどね」
ナイス突っこみ! 戸田も堪らず、ニヤリと歯を見せる。
岡村は「ごほっ」と咳払いをすると、生ビールが注がれるジョッキを手にして「はい、お疲れ様」と言う。
がちゃりと、一斉に乾杯をすると、ぐびぐびと喉を鳴らす。そして、割り箸を歪に割りお通しとして出された《小松菜の煮浸し》に戸田が真っ先に箸を着ける。
「この《揚げ出し豆腐》豆腐の味を活かした味付けがいいですね?」
「《鰈の唐揚げ》は骨までじっくりと揚げてあるから、全部食べられる。浅田、赤ワインはどうする?」
和気藹々。志帆と岡村は戸田を眼中に入れることなく、出された品を吟味しながら会話を弾ませる。
もぐもぐ……。確かに旨い。特に《アスパラのベーコン巻きチーズのせ》は幾らでも口に入る。まるで蟹を貪るように戸田はひたすら、呑んでは食ってを黙々と堪能していた。
ーー風月乱花とバトルン。あと、鬼サワーを頼む。
岡村は店員を呼び日本酒、赤ワイン、サワーを注文する。
その様子を戸田は《鶏の軟骨揚げ》をごりごりと噛み締めながら凝視していた。正しくは、その座卓に置かれる数々の呑み空かした器だった。
どれくらい呑んだのだろうか? 確か生ビールを二杯、いや、三杯? 其れから日本酒のオンパレード。そして、更にその追加と来ている。
岡村の豪酒に感服するしかなかった。志帆も負けじとその気がある。腹は満たされ、酔いもほろほろ。流石に戸田もリバースに近い状態だった。其れでも彼等は一向にその手を止めるどころか、席さえ立ち上がる事さえなかった。
「戸田、どうした? 折角頼んだサワーが温くなるぞ」
完全素面と言うべきの岡村が指差す器に戸田は怪訝になる。
「これ、僕が呑むのですかあぁあ?」
「色はグロテスクだが、健康趣向の店主のオリジナルだ。様々な漢方成分配合で自然の跳躍を充たしてくれる! 呑みやすく、果肉もトッピングされているぞ。おまえみたいな『熱血漢』にはうってつけだ」
おだてているつもりだろうが、その目は何となく企みがある。改めて、その器に目を移す。
大ジョッキに並並。どろりと、して尚且つどす黒い液体。サワー特有の炭酸の泡は何処へやら?
ーー呑めよ……。
岡村は目でそう訴えている。全身に迸る戦慄、受ける殺気。戸田は瞬時に酔いが醒め、更に一気に空腹を覚える。
ついでに隣の志帆の顔も見る。
ーー岡村さんて、部下思いですね? そのご厚意を満遍なく受けられて、戸田さんも幸せですよ。
あくまで、勝ってな解釈だった。彼女の事だ、きっとそう気持ちを表している。そんな眼差しだった。
突きだしかける顎を引き、何事もないように笑顔を作る。
ーーそう、思惑をけして悟られないようにするのだ。
戸田は自身と戦った。一人は女装をした自分、もう一人は肉厚な自分。双方はにらみ合うと箒、菓子箱、合体超合金玩具、昔飼ってたザリガニ等を投げ付けていく。
ーー岡村さん、バスの時間が無くなっちゃう。
志帆の嘆きが戸田の空想を掻き消す。岡村もまだ、しつこく睨み付けていた。
ーーはい……。
完敗だった。乾杯を今一度したかった。口に含むと同時に灼熱と燃え盛る《液体》味は苦く、酸っぱく。例えるならば幼い頃無理矢理食べさせられて、それ以来見ただけでも身震いする生臭いレバー煮の食感。
戸田の目の前に色鮮やかな花の園。
気が付けば、岡村と大音量を轟かせる歌の箱の中だった。
ーー岡村さん、下手くそーーーー。
『ずんどこどっこい、ほい、さっさーーーー』
温谷 健の《ずんどこほいだよ! ザンルさん》をひとり熱唱する岡村の顔が、勝ち誇っていた……。