18ピース目
男は従業員の前で威嚇的な態度を示して、傍にいる英司でも聞き取れない声で自己紹介をする。
名は、満長史良。華やかな業種である『営業』を降ろされて英司と同期で『生産』に配属された。
『妖怪の弟子』と、異名を唱えていた岡村。今なら理解できると、英司は思うーー。
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「戸田くん。S部署は昼稼働しないと、今日の積込分が間に合わないよ」
「依子さん。僕は、満長さんの指示無しでは動けない」
志帆を凌ぐ胸の大きさ……。もとい、依子と呼ばれた女性従業員が英司を見上げていた。
背丈は英司の3分の2。依子は満面の笑みを湛えると、走り去っていく。
数分後。英司の前に現れたのは、こめかみに青筋を浮かべた満長だった。
「戸田、S部署の進捗状況が遅れてる報告をしなかった理由を言え」
「勝手な判断で僕は動けません」
「臨機応変しろと、岡村課長から指導を受けていただろう?」
「今の直属の上司は満長さん、貴方です。つい最近、僕に現場へ口出しをするなと『誰か』に指示されたばかりです」
眉を吊り上げる満長を、英司は見逃さなかった。
遡ること、業務終了後のミーティングが行われたのは昨日。生産数に応じての稼働時間を、各部署に指導したのは満長だった。加えて、英司に圧力を掛ける発言を班長が集まる目の前で浴びせた。
年末年始の慌ただしさを、英司は知っていた。取引先から発注数が通常の倍になる。新年まであと、二週間。とっくに追い込みを掛けてなければならない。何がなんでも業務時間内で生産するは無理だと、従業員達の『苦情』を独りで抱えていたのも英司だった。
「在庫、完全に足りないよ。払い出しをお願いしてよ」
出勤して早々の目の下に隈をこさえる英司を、依子が捕まえて言う。
「依子さんがS部署の班長でしょう? 満長さんに直接頼めば良いじゃないのですか」
「嫌よ。あいつ、人を見下しての喋り方するから」
「……。また、僕を嵌めるつもりでしょう?」
愛想笑いをする依子の羽織る白い作業着の襟を英司は背後から掴むと、そのまま場内の通路を踏み締める。
英司は依子を離すことなく、先日の『仕組まれた騒動』の怒りを膨らます。
『あの時』満長を呼んだのは依子だったと、他の従業員が英司に伝えていた。内容は、英司が進捗状況について依子と口論になっていたらしい。口を突いて都合よく解釈した『情報』を発信する依子の『顎』を英司は警戒していた。にも拘わらず、満長と対峙するという経験を不覚に味わってしまった。
「戸田くぅうん」
「猫被りの声しても無駄です。勤務歴32年の依子さん」
「私、5年後定年よぉおう。何で班長しないといけないの」
「正社員だからでしょう? だから、岡村さんは貴女を武本さんの後釜でS部署に配属させたのです」
ーーおーいっ! 先方に届ける品物は何処にある。
英司が依子を掴んだまま場内を一回りしてS部署に到着したと同時に、横幅が広い体格をした紺のジャンバーを羽織る男が激怒していた。
「寺田さん、配送は10時に出発でしょう?」と、口を尖らせる依子を英司は咄嗟に背後に回して、こう言う。
「申し訳ありません。昨日在庫確認して不足分は朝一番で生産するようにと、指示があったのです」
男の落胆する形相が英司の目に映る。
「岡村さんがいる頃は、こんな情況はなかったな?」
「はい、おっしゃる通りです。寺田さん」
「戸田さん、俺も含めてあんたが頼りだ。大変だろうが頑張ってくれ」
男……。寺田は英司の肩に掌を押し込むと、溜息を吐きながらキャスター付きの台車を押して、場内入り口前に停車するトラックに向かっていった。
「戸田くん、私も寺田さんと同じだよ。貴方が何とか踏ん張ってくれてるから、仕事が出来るの」
「依子さんは、息抜きの合間に仕事をされているのでしょう?」
英司は苦笑いを剥けて、依子の右腕を瞬時に掴む。
「何するのよっ! ああっ、間に合わなくなる」
「僕の飼い犬のお下がりで良ければ、首輪と手綱を差し上げます」
「いらないに決まってるでしょうっ! ちょっと、本当にーー」
「うちの作蔵がまだお利口さんですねぇえ」
ーートイレーッ!
依子の絶叫が、業務開始を知らせるベルと共に解き放されていった。