11ピース目
英司は指定休日を自宅で過ごしていた。本来ならば志帆と昼御飯を堪能していた筈だっただろうに、気の毒過ぎる情況が……同情出来ない。
楽しみは先伸ばしにする程、喜びは倍増するものだ。と、英司は自分に言い聞かせながら自室の壁掛けの時計を見上げる。
まだ、こんな時間か? 仕事がない日が退屈だと思ったのは恐らく初めてだと、畳の上をゴロゴロと転がり始めるが、不運はやはり訪れてしまった。
調子に乗ってタンスに激突をしてしまい、衝撃で落下した木彫りの熊の耳が英司の額を刺してしまった。鏡を見ると血が滲んで目の中にも滴る形相に動揺した勢いで寝転ぶ飼い犬である作蔵の腹部に踵で踏みつけて、反撃として右脹ら脛に噛みつかれる。
会社が安全に過ごせる……。仕事があるのがこれ程ありがたいものだと実感した英司だった。
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「今日は帰れ!」
次の日、英司の頭部に巻かれる包帯を見る岡村は激怒する。
「ほんの五針縫っただけです。岡村さんには迷惑を掛けるなんて、ありません」
「バカちんっ! 理由はどうあれ、そんな格好で場内をうろちょろされたら従業員が騒ぐ!」
「えー? どうしてですかぁあ」
「労災が発生したかと、真っ先に言い寄られるのは俺だ! 況してやあごはっちんの福本があっという間に言いふらすのはーー」
ーー戸田さん、最近元気がなかったと思ったら、やはり岡村さんが原因だったのですね?
英司は岡村の説教を志帆にすり替えて、言葉を思い浮かべた。
「そうですよね。場長の岡村さんが困ってしまうのはあんまりな話ですものね?」
「馬鹿な事を言うなっ! いいから、言う通りにしろ」
罵声ともいえる岡村の声に英司は堪らず身を竦める。
「岡村さん、僕はけしてそんなつもりではーー」
「まだ、反論するつもりなら俺も今後おまえには容赦無しだ」
岡村の目付きに殺気を覚える英司は一礼をして退社する身支度を整えると、逃げるように去っていった。
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さて、時間をどう潰そうか……。英司は足取りを重くしながら自転車を押して会社近くをさ迷っていた。出勤して僅か15分で早退が情けない。帰宅しても作蔵は警戒心剥き出しで吠えまくる筈だ。何とかして機嫌を直して欲しいと思いもするが、どうしたらいいのだろうかと翻弄しまくっていた。
餌付け……。に、掛けてみよう。
だとすれば、やはり近所の24時間営業の『ウッドハント』に寄って『セレブな犬・骨付きカルビ風味』を調達か……。
普段食べさせている『和め! 犬・ベジタブル』より高額だが、これも作蔵と和解をする為だ。
待っていろ、作蔵。と、英司は歩調を軽やかにアスファルトを踏みしめて寄道を決行する。
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『ワン、ワン、ワン』
「勘弁してくれよぉお。余分に買ってないから今食べたので我慢してーー」
がぶり、と作蔵に右腕を噛みつかれて悲鳴をあげる英司が履くジーンズのポケットから『コケコッコー』と鳴き声がする。
「はい、戸田です」
取り出したスマートフォンの画面に岡村からの着信表示に唇を噛み締めながら応答すると、早口の内容に衝撃を覚える。
ーーD部署の田村さんが作業中に転落したーー。
吹き抜けの業務用のリフトが二階の作業場に上昇していなかったことに気付かずに、製品が積まれた台車ごと一階まで落ちてしまった。
目撃者は志帆だった。告げる岡村の声が震えているのがスマートフォンを通じて英司に伝わる。
「解りました。ええ、今自宅にいますので会社に着くのは早くてもお昼頃になりますが……」
英司は作蔵と目を合わせ、通信を終了する。玄関で脚を縺れさせながら靴を履くと、全速力で自転車のペダルを踏みまくった。