和菓子
育実が唐突に質問したのは夕食を終えたばかりのときだ。
「璃穏君、吸い物に何か入れてほしい具材がある?」
「へ?」
実は前から似たようなものばかり入れていたことを父親に言われた。
そのことを育実が教えると、璃穏は納得して、元気に松茸を入れてほしいことを頼んだ。
「却下」
「空夜は?何か希望はある?」
「うーん・・・・・・」
空夜は少し考えてから、たけのこを希望した。たけのこだったら、わかめや豆腐と合う。
「他に何があるかな?」
「肉とか」
空夜が言ったことに、璃穏も悪くないと思った。実際、料理の本に豚肉あるいは鶏肉を使った吸い物のレシピを読んだことがある。
この後も白菜やごぼう、にんじん、ちくわ、油揚げなど、それらを組み合わせながら、今後は吸い物を作る予定。
「俺の嫌いなものを入れなかったら、それでいい」
空夜は宿題がたくさんあるらしく、急いでそれをやりに行った。
育実が皿洗いをしようとすると、璃穏が止めた。
「育ちゃん、駄目だよ」
「あ・・・・・・」
数分前、育実は外にゴミを捨てに行っていて、そのときに足を滑らせて、手を怪我してしまった。
家の中に入ると、それに気づいた璃穏が手当てをしてくれた。
「俺がやるから」
「ありがとう」
璃穏がやってくれる代わりに、育実はテーブルを拭いたり、使った調味料を元の場所に戻した。
「璃穏君・・・・・・」
「どうかした?」
「さっきの話、結局中途半端なところで終わっちゃったね」
食事中に母親が恋人について話をしていて、育実達もいつかできることを想像していた。
「璃穏君、空夜はひどいよね?」
「ふふっ・・・・・・」
話を聞いているときに空夜が育実の彼氏は丈夫な人でないと、育実に怪我を負わされることを言っていた。
「もう、笑わないでよ・・・・・・」
「面白かったから」
何かフォローをしてくれることを期待していたのに、笑うだけで終わった。
「いくみん!おはよう!」
「お、おはよう。種房君」
いつもと違う呼び方で挨拶をされ、育実は目を大きく見開いた。
「潤一、いつから信多さんのことをそうやって呼ぶようになったの?」
「今日からだな!」
悠の質問を投げられ、潤一は笑顔で言い放った。
璃穏も悠も怪訝そうな顔をしていて、育実と潤一はそれに気づかず、コンビニの新商品について話をしている。
昼休みになっても、育実と潤一は横に並ぶように座り、それを見ている一桜はイライラしている。
「ちょっと落ち着けよ」
「友希、静かにして」
「はい・・・・・・」
友希が宥めようとしても、一桜は彼を睨みつけた。
「一口食べる?はい」
「いいの?ありがとう」
潤一は発売されたばかりのパンを一口分手でちぎって、育実に渡した。
「美味しい!」
「だろ?」
楽しそうにしている二人を一桜が見ていると、潤一の動きが止まった。
「今来さんも食べたいの?」
「くっ!いらないわよ!」
一桜は弁当に視線を落とし、それをさっさと食べてしまった。
放課後に一桜は潤一にどうして急に育実との距離が縮まったのか問い質すことにした。
「それで何?」
「だから、育実と急に仲良くなった理由を知りたいの!」
苛立ちをぶつけるように、目の前にある机を両手で強く叩いた。
「いくみんから何も聞いていないの?」
「そうよ!」
そもそもどうしてそのことが気になるのか潤一が質問すると、一桜は育実の友達だから知りたくなったことを伝えた。
「ちょっとしたことがきっかけだな」
「それを知りたいの!」
知りたいことを知ることができず、一桜の声がだんだん荒っぽくなる。
「そんなに嫌?」
「な、何が?」
潤一と育実が仲良くなることが嫌なのか質問すると、一桜はぐっと押し黙った。
「他の男子がいくみんと一緒にいるときもそうだよね」
「な・・・・・・」
予想外のことを言われた一桜は言葉を失った。
「今のような顔をしている」
「どういう・・・・・・」
一桜は育実が男子達と楽しそうに喋っている姿を見る度、悔しそうな、寂しそうな顔をしている。
否定することができない一桜は唇を噛んで、黙り込んでしまう。
「他の奴らと一緒にいるからって、いくみんが完全に離れて・・・・・・」
「私は!」
一桜は大声を出して、潤一の話を遮った。
「男子達が話をしているからって、そんな顔していない!」
「本当に?」
「本当よ!もういいわ!」
自分のことを理解しているような言い方をされて腹が立ったので、一桜は潤一を押し退けて、さっさと外へ行ってしまった。
その頃、育実と璃穏はいつものように二人で帰っていた。
「育ちゃん、どこへ行く気?」
「帰るんだよ?」
「やっぱり忘れている・・・・・・」
冷蔵庫の中が少なくなってきているので、買い物をするように母親に昨日頼まれていた。
制服のポケットに手を入れると、そのときにもらった買い物メモが入っている。
「忘れちゃっていた・・・・・・」
「やっぱり・・・・・・」
角を曲がってまっすぐに進むと、スーパーが見えてきた。
スーパーに入る前にメモに書いてある買うものを確認すると、自動ドアにぶつかりそうになった。
「あっ!」
「育ちゃん!?」
璃穏が強く育実の腕を引っ張ったので、彼の腕の中に入ってしまった。
出入口を行き来する他の客達が二人のことをじろじろと見ていることに全く気づいていなかった。
「育ちゃん・・・・・・」
「はい・・・・・・」
ちゃんと前を見て歩くように注意をされてから、二人でスーパーの中に入った。
果物や野菜は高いものばかりなので、必要な野菜だけを買い物籠に入れた。
「高いね・・・・・・」
「そうだね。育ちゃん、豆腐は入れないの?」
育実の記憶ではまだあったはずなのだが、璃穏はなかったと言い張った。
豆腐のコーナーへ行き、豆腐を手に取って、他のものも見る。厚揚げも買おうか迷っていると、璃穏が声をかけてきた。
「いくら預かってきたの?」
「五千円だよ」
財布の中を確認すると、それは正しかった。
「璃穏君、何か買いたいものはある?」
「お、俺はいいよ!」
璃穏も好きなものを買っていいことを言われていたので、遠慮しなくていいことを伝えた。
「遠慮なんてしていないよ」
「本当?」
「うん」
璃穏は欲しいものは特にないが、聞きたい話ならある。
「育ちゃんさ・・・・・・」
「何?」
口を開いたり閉じたりしてから、続きを言った。
「告白されたって、本当なの?」
「・・・・・・どうして」
潤一のことを気にしていた悠が直接話を聞いたらしく、育実に告白をしてから、仲良くなったことを教えてもらった。
そうなると、璃穏はもう育実のところでいつまでも世話になることはできない。
璃穏は育実の恋人ではないのだから、ただの邪魔者でしかないので、家を出て行くことを考えていた。
「受け入れたんだよね?」
「違うよ!」
肯定されると思っていたのに、育実が否定をしたので、璃穏は鞄を落としかけた。
「嘘・・・・・・」
「本当だよ」
二人の仲が一気に進展したから、てっきり受け入れたものだと思い込んでいた。
潤一と育実が友達になったことを聞かされて、璃穏は家を出て行かなくていいから安心した。
「・・・・・・そろそろ買い物の続きをしようか」
「ん?うん・・・・・・」
この話が終わって、育実と璃穏は肉のコーナーへ行くことにした。
今日買う肉は焼肉用の肉なので、二、三パック買うようにメモに書いてある。
「何の肉が食べたい?」
「俺は何でもいいよ」
「じゃあ・・・・・・」
焼肉用の牛肉が安いので、それを選んだ。
焼肉を食べるのは久しぶりなので、夕食が焼肉であることを知っていた空夜はとても喜んでいた。
いつもみんなで買い物をすると、カートを押しながら行くのに、二人だとそれがいらないので、重さが軽く感じる。
飲料が並んでいるところへ行くと、璃穏がにんじんやトマト、レタスなど数十種類の野菜が入っている野菜ジュースを凝視している。
「あれ?野菜ジュース、好きだった?」
「いや、懐かしいなと思ったんだ」
昔、親に野菜ジュースを飲まされたことがあるらしく、正直好みでなかった。
「フルーツジュースは?何種類か入っているもの」
「それは昔ときどき飲んでいたな」
高校生になってからは紅茶やコーヒーなどを飲むようになった。
璃穏はアイスコーヒーを取って他の商品も見ているので、育実は先にデザートのところへ向かう。注目したのはプリンで、その中から手に取ったものは丁寧に蒸し上げたなめらかプリン。
買い物籠に入れようとすると、横から璃穏がなめらかプリンを取って見ている。
「璃穏君も食べる?」
四個まとめて入っているプリンもあるので、どうするか確認すると、璃穏は別の商品を選ぶようだ。
「どれも美味しそうだね」
「ずっと見ていると迷うね・・・・・・」
璃穏が選んだ商品はぶどうゼリー。育実が食べたことがないものなので、少しだけ興味がある。
その商品も買うことに決めて、少し離れた場所からレジを見ると、結構人が並んでいる。
「もう少し商品を見てから並ぼうか」
「そうだね」
必要な商品を買い物籠に入れ、忘れていないかどうかを確認してから、二人は歩き出した。
「育ちゃん、空夜から聞いたんだけどさ・・・・・・」
「・・・・・・何?」
璃穏にこれを言われると、育実は咄嗟に身構えてしまう。
「昔、滑り台で遊んでいたとき、後から滑った育ちゃんが前にいた空夜に思い切りぶつかったこと」
「よっぽど痛かったんだね・・・・・・」
その話はたまに空夜が思い出したときに話をしてくる。
育実もしっかりと記憶に残っていて、懐かしい思い出であることを空夜に言うと、本人は怒っていた。
「怒りながら話していたよね?」
「ううん、笑っていた」
璃穏は笑っていたことを言うものの、育実は信じられなかった。
笑いながら話すときがあるが、そのときも空夜の目は笑っていない。
「・・・・・・空夜に何か菓子でも買おうかな?」
だけど、この金は自分のものではないから、別の場所で買うことに決めた。
「プリンを分けたらどう?」
「これは分けるけど、自分の金で別の店で何か買うことにするよ」
「そう?」
プリン以外のものをあげて、空夜を喜ばせたい。
歩いている途中で片栗粉を買わないといけないことを思い出したので、それも買い物籠の中に入れた。ほかにもいくつか入れてから、レジで買い物籠を置いた。
「思っていた以上に買っていない?」
「足りるから平気だよ」
支払いを済ませて袋に買ったものを次々と入れ、店を後にする。
「それで空夜の土産、何を買うか決めた?」
「・・・・・・まだ」
別の日にゆっくりと考えようかと思っていたとき、和菓子屋が目に留まった。普段滅多に行かないところで、今までたった1度しか行っていない場所。
育実と璃穏が入ると、店員がお茶と饅頭を用意してくれた。
「美味しいね」
「うん。本当だね」
食べた後、商品を見ると、いそべ餅が置いてあるので、それを凝視する。
空夜がときどきいそべ餅を買って食べていることを思い出した。
「いそべ餅をください」
「はい」
店員は笑顔でそれを袋に入れて、その間に財布から小銭を出した。金を支払って商品を受け取り、店を出た。
璃穏は商品を見ていたものの、支払いが済んだときに見ることをやめた。
「良かったの?何も買わなくて」
「うん、見ていただけだから」
二人で家に帰ると、鍵を開ける前に空夜がドアを開けてくれた。
「ただいま。空夜」
「おかえり。育実。璃穏兄ちゃん」
「何をしていたの?」
育実の質問に返事をしようとした空夜は視線を下に落とした。
「えっと・・・・・・ゲーム?」
どうしてそこで疑問系になるのか、育実と璃穏は謎だった。
「それに漫画も・・・・・・」
「わかった」
どうやらひたすら遊んでいたようなので、育実はスーパーの袋を抱え直して、キッチンへ向かおうとすると、それが手から離れていた。
いつの間にか空夜がそれを持っていて、黙ってキッチンのテーブルへ置いてくれた。
「ありがとう」
「いいって、これくらい」
優しい弟だと璃穏が空夜に言うと、空夜は育実が重そうに持っているから、持っただけであることを伝えた。
ほんのりと空夜が頬を赤く染めていることに気づいた育実は不思議そうに見つめている。
「ほ、ほら!早く片づけないと!」
「う、うん!」
育実の視線に気づいた空夜は片づけるように育実を急かした。
「空夜、土産があるんだ」
「本当!?」
璃穏の発した言葉に、空夜は表情を明るくした。
「俺じゃなくて、育ちゃんが買ったものだよ」
「それを先に言ってくれよ」
それで何を買ってくれたのかと、瞳を輝かせている空夜に育実はいそべ餅を渡した。
「ありがとな!育実!」
「どういたしまして」
早速いそべ餅を食べようとしているので、空夜も手伝うように言って、それを中断させる。
彼は重い腰を上げて、璃穏と育実の手伝いをする。
「ぶどうゼリー、璃穏兄ちゃんの?」
「うん、そうだよ」
後で一口分けてもらうことになった空夜は喜んでいた。
「それにしても・・・・・・」
空夜はちらりとテーブルに並べている買った商品を見た。
「金、足りたのか?」
「足りたよ」
買った数が多いので、絶対に不足したと思っていたが、意外にも足りていたので、空夜は内心驚いていた。
「そうだ!」
「何?」
テーブルの端においてある袋の中から抹茶わらび餅を取り出した。
「空夜も育ちゃんのように買ったの?」
「いや、違う」
父親が買ってきたもので、その袋の中には他にも和菓子が入っている。
「柏餅?」
「ああ」
ちなみに柏餅は母親が買ってきたものらしい。
家の中に数種類の和菓子が一気に集まるとは思っていなかった。
「璃穏兄ちゃん、どっちを食べる?」
「俺は・・・・・・」
抹茶わらび餅と柏餅を交互に見て、璃穏は柏餅を選んだ。
「育ちゃんはどっちがーー」
「ん?」
育実は空夜に土産として買ったいそべ餅を彼と一緒に食べている最中。
口の中に入っていて何も言葉を発せない育実はどちらも今はいらないことを手で示した。
「育ちゃん!それは空夜のだよね!?」
「少しくれるらしいから、もらったんだよ」
「美味しいか?育実」
育実が美味しいことを言うと、空夜もいそべ餅を食べ始める。
二人で仲良く食べているのを見ていると、空夜がいそべ餅を璃穏にも分け、璃穏はそれを受け取り、口の中に入れた。
「どう?璃穏兄ちゃん」
「美味しいよ」
久しぶりに食べた和菓子はとても美味しいと感じた。