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呼び方

「育実、一緒に食べよう!」

「う、うん!」


 月曜日、午前の授業が終わり、育実は日直なので、黒板を消しているときに一桜に誘われた。

 手を洗いに行ってから、机を向かい合わせにして弁当を広げた。


「あれ?育実の弁当、いつもと違くない?」


 いつも育実の弁当を見ている一桜には違いがすぐにわかる。


「今日は自分で作ったから」

「本当に!?すごいじゃん!どれかもらっていい?」

「ふふっ、どうぞ」


 一桜がエビカツを箸で取ろうとしたときに顔を上げたまま、手を止めた。どうしたのだろうと、育実も顔を横に向けると、一桜は璃穏を見ていた。

 何を考えているのか、一桜本人に教えてもらうことにした。


「どうかした?」

「白沢が弁当を持ってきている」


 ここで育実はやっとわかった。

 今まで璃穏は購買で売られている弁当やパンを買って食べていたのに、今日は違うから一桜は驚いていた。


「親に頼んだのかな?」

「さ、さあ?」


 璃穏の弁当を作った人が目の前にいる育実とは一桜は思っていない。

 育実は弁当を食べながら、璃穏が弁当箱を開けようとしている姿を観察していると、クラスメイトの阿佐部友希あさべともきが璃穏に話しかけた。


「珍しいな。母親に作ってもらったのか?」

「違うよ」

「まさかお前が?」


 的外れなことを言い、璃穏も育実も苦笑いする。


「そうじゃない。誰かは秘密にさせて」

「まさか彼女か!?」


 友希が大声で言ったので、教室にいたクラスメイト達が一瞬、時間が止まったように動かなくなった。


「どうなんだ?」

「ち、違うよ!」


 璃穏が否定すればするほど、友希は疑いの眼差しを向ける。


「本当に違うから・・・・・・」

「さっさと弁当を開けろよ。どんな弁当か見せろ」

「わかったから、ちょっと待って!」


 璃穏が慌てて弁当の蓋を開けると、友希は目を輝かせた。

 二段重ねの弁当箱に入っているおかずはエビカツに卵焼き、ウインナー、ほうれん草のおひたし、エリンギのベーコン巻き、ふりかけがかかったご飯。

 友希が卵焼きを手で取ろうとしたときに璃穏がすばやく蓋を閉めたので、悲鳴を上げた。


「痛てて!おい、指!挟むなよ!」

「だって何も言わずに取ろうとするから!」


 友希が痛がっていても、璃穏はやめようとしない。


「じゃあ、卵焼きをもらってもいいか?」

「駄目だよ、自分の昼食があるのだから」

「言っても言わなくても、くれないじゃないか!」


 璃穏と友希が弁当のことで言い争いをしているところを育実や一桜を含め、他の生徒達も珍しいとばかりにじっと見つめていた。

 弁当のことで二人が言い争いをするとは思わなかったので、育実は驚きを隠し切れなかった。


「さっさと食おうぜ。時間がなくなっちまう」


「いただきます」


 璃穏は育実を一瞥しながら言った。育実は自分の弁当を食べているので、気づいていなかった。

 また友希に食べられそうになってはいけないから先に卵焼きを食べて、目を見開いた。今朝、卵焼きを作るのに入れたものは白だしで、ちょうどいい味つけだった。


「やっぱり美味しい」

「良かったじゃねぇか」

「うん!」


 次々と弁当を夢中になって食べる璃穏を見て、友希は購買で買ったパンを見つめて溜息を吐いた。

 誰だか知らないが、璃穏に弁当を作る人が誰か友希は気になっていた。


「お前さ、笑う奴だったんだな」

「ん?」


 弁当を食べている璃穏を友希はまじまじと見ていた。


「いや、いつも無表情で、ほとんど話さないから意外だったんだ」


 それは友希を含め、他の人達も見ていたので、同じことを思っていた。


「自分の好きなものを食べたときとか、面白いことがあったら、笑っているよ」

「彼女でもできたのか?」


 どうやら弁当を見たときからずっと気になっていたようだ。


「違うよ」

「本当か?」

「うん。でも、妹みたいな、ペットみたいな女の子と話すようになったよ」

「何だそりゃ・・・・・・」


 しっかりと耳を傾けていた育実は椅子から落ちてしまいそうになっていた。

 本当だったら、文句を言いに行きたいのだが、そうしてしまうと一緒に住んでいることがバレてしまうので、何とか堪えた。璃穏がそんな風に思っていたことにショックを受けていると、暗くなった育実を一桜は心配していた。


「育実?どうかした?」

「ううん、何でもないよ!」


 いつものように笑顔で言った育実が嘘を吐いていることくらい、一桜は見破っている。

 自分が普段からドジをしてしまうから、仕方のないこと。璃穏の弁当の中にたこさんウインナーを入れたから、子どもっぽいと思われたのかもしれない。

 育実はそうやって、自分に言い聞かせた。


「育ちゃん、ありがとう。美味しかったよ」

「どういたしまして」

「またよろしくね」


 放課後、中庭へ呼び出された育実は璃穏から空になった弁当箱を受け取った。

 弁当を食べた後もずっと璃穏は笑顔でいたので、いつもと違って、数人の生徒達が話しかけていた。


「隠れて渡すのなら、家で渡してくれていいんだよ?一緒に住んでいるのだから」

「そうだけどさ・・・・・・」


 すると、璃穏の顔が少しだけ赤くなった。


「ちょっと恥ずかしくて、会社帰りの夫が妻に渡すみたいじゃない?」


 まさか璃穏がそんなことを考えているとは思っていなかった。


「そこまで考えるんだ・・・・・・」

「育ちゃん、いつから料理をするようになったの?」

「小学生くらいからかな」


 小学生の頃から母親と料理をしていき、徐々に力がついた。

 一人で料理をするときに、最初は失敗が多くて、まともに食べられるものがなかった。クリームシチューを大きな白玉団子にすることもあれば、白身魚を黒身魚にしてしまうこともよくあった。

 振り返れば、懐かしい思い出だった。

 

「今度はさ、竜田揚げを入れて。それと卵焼きにねぎを入れて」

「了解」

「楽しみだな」


 璃穏は育実の料理をとても気に入った。

 今まで何度も母親の料理や外食をしていて、美味しいものをたくさん食べたけれど、育実の料理は何度食べても飽きなかった。


「今日は驚いたよ。いつもは俺に近づかないのに、みんなが来るから」

「初めてちゃんと喋っていなかった?」

「そうだね、阿佐部君が弁当のおかずを食べようとしたときは焦ったよ」

「驚いた・・・・・・」


 友希が弁当箱の蓋で指を挟まれていても、璃穏はすぐに力を緩めなかった。それを見て、クラスメイト達が笑っていた。


「今日の夕飯は何を作るか、もう決めている?」

「ううん、まだ決めていないよ。何がいい?」


 璃穏は野菜炒めをリクエストした。


「じゃあ、それに中華スープも作って、餃子は?」

「食べたいな」

 

 今日の夕食の献立が決まった。材料は揃っているので、スーパーへ買いに行く必要はない。


「これから別のところで昼食を食べようかな」


 璃穏は小さな声でそう呟いた。


「どうして?」

「育ちゃんの弁当を死守するために」

「そんなに嫌なんだ・・・・・・」

「もちろん!」


 友希に弁当を食べられそうになったことが相当嫌だったようだ。他のクラスメイト達も璃穏の弁当を覗き込んで見ていたので、狙われる可能性がある。

 弁当を渡すときは人目に見つからないようにするのに、一緒に帰ろうとする璃穏を見て、育実は彼がどうしたいのか、よくわからなかった。

 寄り道をすることなく、二人で家に帰ると、空夜が先に帰っていた。


「おかえり。どこかへ行っていたのか?」

「ただいま。ううん、どこも」

「空夜、ただいま」

「璃穏兄ちゃん、おかえり」


 璃穏も育実と同じように言うので、本当の家族のようだった。

 言い慣れるまで璃穏は照れていたが、それを聞く育実も照れていた。それを見ていた空夜はいつも二人をからかった。

 

「育実、璃穏兄ちゃん、三駅先の駅の近くに新しい店ができたことを知っているか?」

「知らない」


 自分の好きなものが売られている店がオープンしたことを知った育実は目を輝かせている。


「クラスの女子達が買いに行ったらしいんだけど、安くて美味しいらしいぜ」

「買ってきて」


 璃穏が育実の顔を見て言った。今月の小遣いはすでに計画済みなので、買うとしたら来月以降になる。


「無茶を言わないで。金がないよ」

「本当に?」

「育実、金ならまだ余裕であるだろ?俺はわかっているんだからな」


 空夜が余計なことを言ったため、急速に冷たい空気が流れた。

 育実がそっと上を見上げると、璃穏が見下ろしていた。楽しそうに口元を上げて、笑顔になっているが、目だけは笑っていない。

 今まで見たことがない恐ろしい表情になっていた。嘘を吐いたことに対して怒っている。


「それだったら、買うことができるよね?近いうちに買いに行こうね」

「ちなみに値段はいくらぐらい?」

「一番安くて百五十円、高くて四百円だぜ」

「私の分は買わないでおこう」


 すぐに食べたいけれど、我慢することはできる。

 育実はゲームを数ヶ月前から電話で予約をしているから、少しでもお金が減らすことは嫌だった。


「どうして我慢をしようとするの?」

「ゲームを買うから」

「前にパソコンの画面上にあったゲームだよな?」

「そうだよ」


 育実がこれから買おうとしているのは女性向け恋愛ゲームに一年前からハマっている。

 育実がゲーム好きなのは空夜は当然知っている。空夜もよくゲームをやっているので、育実と一緒にやるときがある。


「だったら、嘘を吐いた罰は別の方法で払ってもらうことにするよ」

「別の方法?何をさせるの?」

「それはゆっくりと考えるよ。育ちゃんはそれまで待っていて」


 時間を長引かそうとする璃穏を育実は横目で見ながら、溜息が出そうになったので堪えた。

 翌日の午後は無事に時間を過ごして、学校が終わったときに璃穏と育実は一緒に帰っていた。周囲に生徒達がほとんどいなくて、いつも賑やかな場所が静かな場所のように思う。


「育ちゃん」

「何?」


 璃穏が急に立ち止まったので、育実も立ち止まる。


「俺が住むようになってから、名前をほとんど呼ばないね」

「そ、そんなことないよ!」

「そんなことあるよ」


 育実は当然、璃穏の名前を忘れてなんかいない。


「呼んでみて」

「はい?」

「俺の名前、忘れていないでしょ?だったら呼んで」


 呼び捨てにすることもできなかったので、こう呼ぶことにした。


「璃穏君」

「はい、育ちゃん」


 育実はこれから璃穏を呼ぶとき、君をつけて呼ぶことに決定した。


「これからはそう呼んでね」

「うん、わかった」


 次の日、学校の授業が全部終わったので、育実と璃穏は一緒に家に帰っている。


「育ちゃん、今日はみんな帰りが遅いでしょ?」

「うん。そうだね」


 それぞれ用事があることを育実も璃穏も知っている。


「たまには外で食べない?奢るから」

「いいの!?」


 家で作ることも外で食べることも育実は好きなので、素直に嬉しく思った。


「うん。金をもらったから」

「もらった?誰に?」

「親に」


 先日、璃穏が母親のお見舞いへ行ったときに父親もいて、そのときに育実のことや家族のこと、学校の話などをしていると、お金をもらった。


「いつもお世話になっているからね」

「そんな、いいのに・・・・・・」

「育ちゃんは俺の奢りだったら不満?」


 にっこりと笑う璃穏の笑顔は心から笑っているものではない。どす黒いオーラを纏っている。

 敏感な人がいたら、育実と同じように怯えているに違いない。


「お言葉に甘える」

「いい返事」


 先に家に帰って、私服に着替えてから、出かけることにした。

 普段は化粧をすることがない育実でもリップくらいは必要だと感じて、前に買ったリップエッセンスを塗った。


「育ちゃん、支度できた?」

「うん、できたよ」

 

 璃穏がじっと育実の顔を見つめている。


「璃穏君、どうかした?」

「いや、ひょっとして唇に何か塗った?」


 璃穏は自分の唇を指でトントンと叩いた。


「うん、リップエッセンスを塗ったよ。よくわかったね?」

「香りが漂ってきたから」

「それでわかったんだね」


 育実が使用したリップエッセンスは甘い香りがあり、唇に潤いをもたらす効果があり、ピンク色に色づける。この商品は育実にとって少し高い値段だけれど、色が気に入ったので購入した。

 璃穏が先に外へ出て、育実も出ようとしたときに強い風が吹いた。


「うわっ!すごい風だね・・・・・・」

「育ちゃん?」


 育実は驚いて声を出すことができなかった。璃穏の耳にイヤーカフスがついているから。


「それ、買ったの!?」

「うん、三日前に。いろいろなデザインがあるんだね。知らなかったよ」


 璃穏はイヤーカフスを気に入ったらしく、何度も触っている。


「まさか他にも買うの?」

「買うよ。もしかして、似合っていない?」

「そんなことないよ!」

「璃穏君は欲しいものがあれば、すぐに買うよね?」


 璃穏は欲しいものを買う。一方、育実は本当に必要かどうかをじっくり考えて、結局何も買わないことが多い。

 二人は正反対だった。


「そんなことないよ。ちゃんと小遣いを考えて買っているよ」

「そうなの?」


 育実から見て、とてもそうには見えない。


「うん。育ちゃん、何か欲しいものがあるの?」

「服とゲーム」


 最近お気に入りのブランドの店へ行ったら、可愛らしい服が数着あったので、一着くらい買おうかと考えたものの、値段は三千円。これからゲームを買う予定なので、貯めておかなければならなかった。

 店員がにこやかに話しかけてくれたのに、育実は笑顔を返すだけだった。


「お金がないの?」

「えっとね、ゲームを電話で予約したから、無理なの」

「そっか、前にも言っていたよね?もうすぐ?」

「三週間後に発売される」


 本当はもっと早くに発売されるはずなのに、急に発売日が変更になってしまった。

 そのことを知ったのは二週間前で、パソコンでサイトを開いたときに知ったので、育実は強いショックを受けた。


「急に沈んでどうかした?」

「発売日が遅くなったことを思い出して・・・・・・」


 育実が気に入ったものや欲しいものは大抵なくなることや遠ざかることが多い。


「それは嫌だよね」

「うん・・・・・・」

「じゃあ、今は忘れて、これから美味しいものを食べに行こう。できれば、育ちゃんの料理に似ている味のところがいいな」


 璃穏はかなり育実の料理を気に入っている。そのことが伝わり、育実はちょっと笑顔になった。

 何を食べようかと話しながら歩いていると、中華料理屋があったので、育実はそこで立ち止まった。


「ここにする?」

「ここは美味しいから好きだよ。璃穏君、どうする?」

「お腹が空いているから、ここにしよう」


 店内へ入ると、店員が席へ案内してくれた。椅子に座り、育実が挟んであったメニューを取ろうとしたときにメニューが横に倒れてしまった。

 それを見た璃穏はすぐに元に戻してから、育実にも見えるようにメニューを開いた。


「育ちゃん、店員さんが必死で笑いを堪えていたよ?」


 育実もそのことに気づき、余計に恥ずかしくなった。


「好きでやっていないのに・・・・・・」

「下手したら、箸までテーブルにぶちまけるところだったよ?」

「それにも気づいていたのね・・・・・・」


 育実は塩ラーメンに決めて、メニューを璃穏に渡すと、真剣に眺めている。

 璃穏はチャーシューメンにするか、ラーメンセットにするか迷っているようだった。メニューを閉じて、通り過ぎようとした店員を呼び止めて、チャーシューメンと塩ラーメンを注文した。

 注文を終えると、子どもが嬉しそうに飴を持って、育実達のテーブルを通り過ぎた。


「育ちゃん、スーパーとかで売っているお菓子を買わないね」

「そうだね。そもそもあんまり通らないね」


 育実はよほど食べたいものがない限り、自分で買うことはほとんどしない。


「どんなイメージを抱いていたの?」

「学校でも家でも、お菓子を誰かと仲良く食べている感じ」

「私はお菓子を学校へ持って行かないよ」


 友達と学校の近くの店へ行っても、飲み物を買うことはあっても、菓子を買うことはない。


「ちょっと意外だった」

「実はね、食べ過ぎると、口内炎ができるから」

「あれは痛いよね。すぐに治らないから」


 インターネットで口内炎になる原因を調べていると、最も多い原因は、食事中に頬の内側を噛んでしまうことや歯磨きのときに傷つけてしまうこと。他にも栄養の偏りやビタミン不足、ストレス、疲労や睡眠不足などがある。

 口内炎にならないようにするためには疲労やストレスを溜めないように心掛けることが必要。


「私、嫌いなものはあるかな・・・・・・」

「何が嫌いだったっけ?」

「たくさんあるの・・・・・・」


 育実が嫌いなものが多いので、璃穏は苦笑いをする。


「そんなに苦手なんだ」

「そう・・・・・。璃穏君は?嫌いなもの」


 璃穏が嫌いなものは豆だった。ちなみにグリンピースは食べられることを育実は知った。

 食べ物の話を続けていると、店員が注文したものを慎重な足取りで運んできた。


「お待たせいたしました」


 育実と璃穏はそれぞれの料理を見て、目を輝かせた。店員が去ったことを確認してから、育実は箸を手に取り、美味しさを味わった。


「美味しいね」

「また来ようね」


 育実は頷いてから、再びラーメンを啜った。


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