神の遣い
学生時代に書いた童話です。児童文学かもしれません。とても楽しく書きました。ファンタジーが好きです。とある先生に提出させて貰ったものです。また、これの前身になるお話は、賞に応募致しました。長めの童話と思いますが、読んで下さると嬉しく思います。
あるところに、ほとんどまっくらな世界で暮らす人たちがいました。そのひとたちは、誰が最初に見つけたかわからないのですが、辺りをほんの少し照らしてくれる火を大事に、神様のように尊敬して、生きていました。
まっくらな世界の中には、ひとつの村しかありません。
その村のまんなかには、大きな火が一つ、ついています。それと、自分たちで作るマッチだけが、身近からまっくらい辺りを照らす光です。みんなが明かりを求めてマッチをするので、村の中にはマッチの匂いが濃く漂っていました。
そんなほとんどまっくらな世界ですが、みんなの頭のずっとずっと上に、ひとすじの明かりがさしこむ場所があります。村までは届かないけれど、明るいそれを、みんなは月と呼んでいました。村のみんなは、あの月の光が、もっと強く、村を照らしてくれたらいいのに、と思っていましたが、月が村を照らすことはありませんでした。
あるとき、その月の光がとても強いときがありました。
村のはずれに住む一人の男が、それをぼんやりと見上げていました。月の光は強かったけれども、村を照らすほどではありませんでした。けれど、男は見たのです。月の光がなにかにぶつかって、不思議な色になっているところを。男は初めて色というものをハッキリとみました。
そして男は、このまっくらな世界が、どこまでも続くものではないと分かったのです。だって、もしこの世界がずっと続いているなら、月の光がぶつかるようには見えないはずですから。
「この世界は、どこまでも続いているわけじゃないんだ!」
男はそう言うと、村の真ん中の火がある場所に行って、みんなにそれを話すことにしました。
「みんな、聞いてくれ! この世界はどこまでもあるわけじゃない! あっちの方に世界のはしっこが、絶対にある」
男 は言いながらさっき、月の光がぶつかっていた場所を指さしました。しかし、どうしたことでしょう、そこには光のぶつかる場所もなければ、男の見ていた不思議な色もありませんでした。
みんなは、男の話を笑いました。みんなは、世界はずっと続いていると信じていたからです。そしてなにより、男と同じように、不思議な色を見た人は、一人もいなかったからです。笑いながら、自分のしごとに戻っていくみんなに、男は必死に世界のはしっこがあることを言いますが、結局誰もしんじてはくれませんでした。
男は、家に帰って、座って考えました。ずっとずっと考えたうえで、男はどうしても世界のはしっこがあることをみんなに分かってもらいたくなりました。世界にはしっこがあるなら、もしかしたら、その外に月のような、火と違う消えない明かりがあるかもしれないと思ったからです。そこで男は、自分で世界のはしっこを、確かめることに決めました。
男は次の日、食料と水、毛布やなんかをリュックに詰め込んで、不思議な色があった方向へと行くことに決めました。村を離れようとした時、シュ、という音と焦げる匂いとともに、男の横でマッチの火がつきました。そこには女の子が立っていて、じっと男を見つめるのです。
「わたし、しってるよ。せかいにははしっこもあるし、つきのあるほうにも、はしっこがあるよ」
女の子がそういうので、男はビックリしてしまいました。誰も信じない話を、これから男の確かめようとしていることを、まだちいさい女の子が知っているというのですから。
「それは、本当かい? 本当に、世界にははしっこがあっって、月のところにも端っこがあるのかい?」
「そうよ。だって、わたしみたもの、つきのむこうを、なにかがとおっていくのを。それと、つきのひかりがね、なにかにぶつかるのだって、みたの」
女の子が言い終えるよりも前に、マッチの火が消えて、辺りは再びまっくらになりました。
「だから、おねがい。つきのあるほうのはしっこに、いってほしいの。そこからさきに、なにがあるかおしえて。わたしきっと、みんながほしいっていってるつきみたいな光がそこにあると思うの」
男はもっとビックリしました。女の子の言っていることが、自分の考えていることと、一緒だったからです。ふいに男の手に小さな暖かい手がふれました。女の子は、男に自分の持っていたマッチを渡しました。
「これね、けっこうながくつくんだよ。村のまんなかの火だって、これでつけつづけてるんだから」
そういうと、おんなのこの手は男の手を離れました。それから、走るような軽い音がして、辺りはしんと静まりました。
男はマッチを大事にリュックに入れると、ゆっくりと、村と反対の方へ歩き始めました。
村のマッチの匂いが懐かしくなるくらい遠くまで、男は歩きました。自分の家から持ってきたマッチは、ここ数日でほとんど使いきってしまいました。女の子からもらったマッチは、ここぞという時のために、とっておきたかったので、リュックの底に入れたままです。
男がマッチも使わず闇の中を歩いていくと、ドン、と何かにぶつかりました。よくわからない、固いものです。男はそれをさわりました。すべすべ、ひんやりとした感触は、初めてのものでした。
そこで男はマッチを擦りました。そうすると、なんということでしょう、そのすべすべしたものは、男がみた不思議な色と、同じ色になったのです!
「ここがきっと世界の果てだ」
男はそういうと、そのすべすべしたものを撫でました。何でできているのか分からないそれを、しばらくしゃがんだり背伸びしたりして撫でていると、背伸びをした時、くぼみのようなものを見つけました。男は上を見ました。もしかしたら、このくぼみは、たくさんあるかもしれない。そう思って、男はそのくぼみに手をかけて、よいしょ、と力を入れて体を持ち上げます。そして片手を伸ばして、すべすべしたものをいっぱい撫でて、また新しいくぼみを見つけました。
「これなら、上までいける!」
男はにっこりと笑って言うと、少しずつ、少しずつ上へと登り始めました。よいしょ、よいしょ、とかけ声をかけながら、男は上へ上へと向かいます。ただ、男が登っているところは、とてもすべすべしているので、男は何度も滑り落ちそうになりました。それでも手足に力を入れて、男は登り続けました。休むこともなく、男はすべすべを登っていきます。そうして何時間経ったころでしょうか、あるくぼみに手をかけたところで男が上を向くと、まぶしくてしょうがないくらいの明かりがあるではないですか! 男は驚いて、まばたきをいっぱいしました。そして、もっと明かりが近くなるまでがんばって、すべすべしたものをよじ登り、そしてついにおしまいのすべすべのくぼみに手をかけました。ヨッコイショ! 男が思い切り声をあげてよじ登ると、急に周りが全部明るくなりました。そして、真っ暗なのは、自分の登ってきたすべすべだけになってしまいました。
「なんだぁ、ここは! マッチも火もなしで、こんなに明るい場所があったのか!」
男は何度も辺りを見回してから言いました。目がこぼれそうなくらいにまん丸になっていました。そのときです、急に後ろから、シュー、と何かがこすれるような音が聞こえてきました。
「ん?」
男が後ろを向くとそこには大きな大きな目と、細くて長い舌がありました。男はそれを見たことがありましたが、あまりにも大きいので、驚きました。そこには、にじ色のうろこをした大きな大きな蛇がいたのです!そして、男が何か言う前に、口を大きく開けて、パクリ! おおきな蛇は男を一気に飲み込んでしまいました!
「うわぁぁぁぁ!」
男 は少し暖かい、柔らかいものの上を滑っていきました。男の叫び声が蛇ののどの中に響きます。そして男はどんどんどんどん滑っていきました。
男がやっと止まれたのは、どのくらい後のことか分からないくらい後のことでした。止まった場所で、男が立ち上がると、足下はちょっと男のクツがうもれるくらいに柔らかく、触ってみると温かかったです。男はポケットからマッチを取り出すとシュっと音を立て、一つ灯りをつけました。マッチを持っても自分の近く以外は明るくなりません。だから男はマッチを持ったまま歩き回りました。そうすると、男が最初に止まった場所からちょっと歩いたところに、ひとつの祠があるのを見つけました。祠は神様のいる場所です。なにの神様か分からないけれど、男は手を合わせました。
「どうぞ、このまま蛇に食われたままで終わりませんように」
男 が願い事を口にしていると、マッチの火が消えました。新しいマッチを持って、火をつけた時です、急にまっくらの中から声が聞こえてきました。
「誰かいるのかーい?」
男は驚きました。自分以外に蛇に飲まれた人がいるのが分かったからです。
「おーい、いるぞ!いるぞ!」
男は言いながら走りよりました慣れない地面で走りにくかったのですが、できるだけ速く走っていると、向こうからもっと早く走ってきた人がいました。その人の顔が見えるようになった時、その人は男より、男の手に持ったマッチを見つめていました。
「あかりだ!」
男が口を開こうとするよりも早く、相手が口を開きました。男は、もう消えそうになっているマッチと、驚いたように目をまん丸にしている相手とを見比べました。
「マッチがどうかしたのかい?」
男が首を傾げると、相手は急に、マッチを持つ男の手を両手で握りしめました。
「あかりだ! あかりだ!!」
相手の声は次第に大きくなっていきます。男が思わず後ろに下がり気味になっていると、ふっとマッチの火が消えました。真っ暗な蛇の中では、男には相手の顔を見ることはできませんでしたが、相手からの視線は感じました。
「おい! 今のあかりは何なんだ!? もう一度明るくできないか!?」
相手が興奮して高くなる声で言いました。男は首を捻りながら、少なくなったマッチのうちの一本を手探りで取り出して、シュ、と音を立てて擦りました。
「おぉ!」
相手の感嘆の声が聞こえました。
「さっきからマッチになにを驚いているん……だっ!」
男が問いかけるよりも前に、目の前の相手は、男の手を引っ張って走り始めました。力強く引かれて、男はつられて走るしかありませんでした。ふにふにとした蛇の中の地面に、転ばないようにするのがやっとで、男は相手が止まるまでただ走ることしかできませんでした。
どのくらい走ったでしょう。男の持っていたマッチの火が消えた時、相手の足が止まりました。相手が振り返るのが気配で分かりました。
「もう一度、もう一度あかりをくれ! みんなにも見せてやってくれ!」
相手の言葉に、男はハッとしました。暗闇で見えませんが、辺りには人の気配が確かにありました。男は少し悩んだのですが、マッチを取り出し、擦りました。女の子から貰ったマッチ以外では最後の二本のうちの一本でした。
「あかりだ! あかりだ!」
マ ッチの先端に火がつくと、辺りはざわめきました。男はようやく見ることのできた辺りを見回します。ずいぶんたくさんの人がそこにはいて、家のようなものも見えました。男が辺りを見回していると、男を連れてきた人が、一歩前にでて、高らかに声をあげました。
「神様の祠のところに、この人はいたんだ。神の遣いに違いない!」
「は?」
男は目をまん丸にしました。相手の言うことが分かりませんでした。
「神の遣いがあかりを持ってきた!今こそ神に祈るときだということだ!」
辺りの人々…村人でいいでしょう、はみんな口々に好きなことを言っています。その中でも一番年寄りに見える人が、声を大にして言うと、辺りのざわめきが止まりました。
「そうだ、神様に祈るときがきた!」
「そうだ! この乾きと飢えを癒すときがきたんだ!」
「神の遣い。私たちを助けてくれ!」
村人みんなが、じりじりと男の方へ近づいてきます。男は勘違いだと叫びたい気持ちでしたが、村人たちのせっぱ詰まった妙な怖さに、ゴクリ、と唾を飲み込みました。
「お、俺は……」
男が口を開くと、同時に、マッチの火が消えました。ちょっとだけ間が空いて、再び村人たちがざわめきます。
「おい、あかりが消えたぞ」
「神の遣いはまだここにいる、大丈夫だ」
「いや、しかし、あかりがない男が神の遣いといえるか?」
「じゃあ、なんだ? あの男はただの余所ものか?」
「余所ものは、危ない。知らない病気を持ってくるし、争いの種になる。余所ものなら、追い出すかどうかしてしまわなくては」
ざわめきを聞いていた男は、その中にぞっとする言葉を聞いてしまいました。追い出すかどうか、と言っているものの、男には、殺してしまえというように聞こえたのです。誰かが、男の腕をつかみました。ぞっとして、男は思わず慌てて声をあげました。
「いかにも、わたしは神の遣いだ。しかし、限られたあかりしか、神は私に持たさなかった。それが神の答えである。神は、皆に試練を与えた。私に持たせた限られたあかりで道を切り開けと、そうおっしゃった。そして、神は私にそれを助け、働けともおっしゃった」
男は自分でもなにを言っているのか分かりませんでした。しかし、口は勝手に動いたのです。辺りが再びざわめきます。
「やはり神の遣いだった」
「いや、まて、まだ分からない」
「そうだ、もう一度あのあかりを見せるまで、私たちは信じるわけにはいかない!」
村人達が次々に声をあげていきます。そうだ、そうだ! とみんながあかりを見せろというので、男は最後の一本になったマッチを、シュッと音を立てて擦りました。火が小さく揺れて、それからぼんやりと辺りを照らします。村人達は、おぉ! とどよめきました。
「神の遣いだ! 神の遣いがきたぞ!」
「みんな宴の用意をしろ! ありったけの水と飯を持ってくるんだ!」
一人の年老いた村人が叫ぶと、村人はみんな、あちらこちらに散らばって、家の中に入ったり、出たりと大忙しでした。男の持っていたマッチの火が消える頃、目の前にはたくさんの村人がいましたが、それ以外に大した変わりはありませんでした。男の目の前には、水の半分ほど入った樽が一つと、木の実のようなものが、大きな葉っぱの上に、数個乗っているものしかありません。男が黙ってそれを見ていると、村人達は心配そうに男を見つめます。
「申し訳ありません。今、私たちの村には、これしか食料も水もないのです。本当にこれがすべてなのでございます」
年老いた村人が、肩を落として言いました。男は目を丸めました、
「これだけなのか!?」
男が言うと、村人達はみんなうつむいてしまいました。男は、水と木の実と村人を交互に見て、それから小さく息を吐き出しました。
「お、お気に召しませんでしたか?」
老人がおびえた様子で言いました。男は首を横に振ります。
「いや、そうじゃない。この食料と水は、皆で分けるといい。私は神の遣いだ。神の遣いに水や食料がいると思うか?」
男が言うと、村人達ははっとした様子でした。首を横に振る人もいました。男は本当は喉もからからでしたし、おなかも空いていたのですが、この食料や水を、村人達から取り上げる気にはなれませんでした。
「あぁ、先ほど疑ってしまって申し訳ありませんでした。我々は、これからあなたについていきます」
老人は目に涙をためて、みんなの代表をして言いました。それから、水と食料を下げた村人達は、しばらくすると老人を残して、そっと家家に戻っていきました。
「今日は私の家にお泊まりください」
一人残された老人が言いました。男は申し訳ないと思いながらも、ありがたいと、うなずきました。老人が歩き始めるのが分かりました。長いこと暗闇の中にいた男は、少しずつ辺りが見えてきたのです。
「ここ一年ほどですか、ご存じとは思いますが、私たちの村は日照り続きで水も食料もありません。だからこそ、神の遣いがきたのでしょうが……どうか、我々をお助けください」
老人が振り返って、ふにょふにょした地面にひざを突き、頭を深く下げました。男は慌てました。
「頭を上げてください。私は神から頼まれてやってきた遣いです。あなたがたを助けるのは、私の使命なのです」
老人は顔を上げました。その目にはこぼれ落ちそうなほど、涙が浮かんでいました。
「さぁ、家に行きましょう」
男が手をさしのべると、老人は震える手を握り、立ち上がり、うなずきました。
「えぇ、こちらへ」
老人は袖で涙を拭いているようです。男の胸は痛みました。俺にこの人達が救えるのだろうか? 男は思いました。弱気になりそうでした。けれど、ぎゅっと口を引き結びます。けれど、もう俺に残された道はこれしかないのだ。立派に神の遣いをやり遂げるしかない。男は自分に言い聞かせながら、老人の後をついていきました。
老人の家は、村の真ん中よりちょっと横にありました。村の真ん中には、男が蛇の腹に入ってからすぐに見た祠と、同じような祠がありました。
「さぁ、今日はもう遅いので眠られてください」
老人は、一つの部屋に男を通すとベッドをすすめました。男がベッドに横になろうとすると、老人は床に横になりました。男は驚きました。
「どうぞ、あなたがこのベッドを使ってください。大丈夫です、神の遣いは人とは違うのです。どのような場所でも快適に寝られるし、眠らないことだってできるのです」
男は老人の手を引いて、ベッドに老人を寝かせました。老人がありがたや、ありがたや、と涙声で言うのを、男は聞きました。
老人の寝息はなかなか聞こえてきませんでした。男は床に横になりながら、いつだったか分からないくらい前に、こうやって老人の小さな吐息だけを聞いた日があったことを思い出しました。それは、自分のおじいさんの吐息でした。おじいさんの寝ている姿が思い出されて、それから遊んでくれたこと、勉強を教えてくれたこと、そして何かの歌をいくつも教えてくれたことを思い出しました。男はその一つを、なんとなく口ずさんでいました。
蛇神様のおくちのなかで
火をたきゃアチャチャ
水の恵みよ
光の恵み
ほーらそれそれ
火をたけやたけ
日々の糧をば得んがために
男が歌っていると、不意にベッドにいた老人が起きあがりました。
「さすが神様の遣い。村では私の家だけが歌える神様ための歌をご存じとは。私たちの歌声は、神に届いているのですね」
老人がまた、ありがたや、ありがたや、と言うのが聞こえてきます。男は暗闇の中で一人目を丸めました。神様のための歌だって? これは私のおじいさんの歌だ! 男は混乱しました。この蛇の中で歌われている歌を、なぜ自分のおじいさんが知っているのか分かりませんでした。けれど男は、今の自分は神の遣いと言い聞かせて、動揺を外に出さないように目を閉じました。しばらくすると、老人の再び寝る音が聞こえてきて、その後に寝息が聞こえてきました。男もいつの間にか、眠りに落ちていました。
次の朝、といっても蛇の中は暗いので朝かどうか分かりませんが、とにかく男が目覚めたとき、老人はまだ起きてはいませんでした。よく寝ている様子の老人を見てから、男はあぐらをかきました。そして首を捻ります。
「さて、どうしたものか」
男は、この村の人々がみんな、外に出られるか、さもなければ飢えと渇きから癒される道はないかと考えました。しばらく、男はうーん、うーん、と唸りながら考えていましたが、なかなか良い案は浮かびません。男は、ふと思い出してリュックの中から村を出るときに女の子から貰った大事なマッチを取り出しました。そしてマッチを眺めながら何の気なしに、昨日歌った歌を口ずさみます。
「そうか!」
男は不意に大きな声を出しました。老人が驚いて起きてしまうくらいに大きな声でした。
「そうか! なるほど、分かったぞ」
「何が、どうしたんですか?」
老 人の声に、男はほほえみました。
「村人を集めてはくれないか?昨日の夜遅く、私は神からまた言葉を預かった。それを実行するのは早い方がいい」
男の言葉に、老人の目が期待に輝きました。そして大きくうなずくと、部屋を出て、家から出ていきました。
男は一人になってから、また女の子から貰ったマッチを眺めます。そしてそれを大事そうに握った後、ポケットにすべりこませました。そうして、男も立ち上がると家を出ていきました。
男が昨日村人とあった場所に、みんなは集まっていました。村人全員の期待のまなざしが、痛いくらいです。男は、ポケットの上からマッチを触り、自分の心を落ち着けました。そして辺りを見回します。暗闇に慣れた男の目には、村の家家が木でできているのさえ見えます。コホン、男は咳払いをして、それからゆっくりと村人を見回しました。
「木を集めなさいと、神はおっしゃった。小さな枝から大きな枝まで、木ならなんでもいい。そして、それを持って、私の祠まで来なさいと、神のお言葉だ」
男のこの言葉に、村人は驚いた顔をして、それからお互い顔を見合わせたりしていました。ざわめきが聞こえます。
男は、偉そうに言ったものの、胸の鼓動は早く、不安に体が熱くなりました。しかしそれを隠して、男は言葉を続けます。
「そして、それには村の若い男が数人必要だ。私と共に祠までいく選ばれた者が。さぁ、私と共に行きたいものは、手を挙げなさい」
またざわめき、そして少しして静かになった時、一人の若者が手をそろそろと上げました。
「俺で力になれるなら……」
その若者がぼそぼそとしゃべると、その隣にいた青年も手を上げました。
「俺も連れていってください。村を救う手助けができるなら、俺はどうなってもかまいません」
青年と若者は顔を見合わせ頷きました。そうして、その間に、何人かが手を挙げて、最後には7人の若者が手助けを名乗り出てくれました。男は満足そうに頷くと言います。
「さぁ、すぐに木を集めてくれ」
男のこの一言に、若者達はもちろん、村人全員が木を集めに行きました。そうしてどのくらいの時間が経ったでしょうか。男の前には、木の山ができあがりました。子供達の持ってきた小さな木の枝、大人の持ってきた家の壁ほどある大きな板状の木、とにかく様々な木が集まりました。
「では、これを8つに分けよう。選ばれた若者と、私が背負うために」
村人達は、木を選び選び、均等になるように8つの木の山を作りました。そして男が言うまでもなく、それを縄できつく結びました。男は、これは骨が折れる仕事だと思いました。目の前の木の束は結構大きかったからです。そして次の言葉を言う前に、男は緊張と不安で汗をかいた手をズボンで拭いました。本当に自分の考えがあっているかどうか、男には自信がありませんでした。けれど、ここまできたら、やるしかないのです。男はぎゅっと手を握って、心を決めました。
「さぁ、では選ばれし若者達よ、それを担ぐんだ。私たちは神の祠までいかねばならない」
男が言うと、若者達が緊張に唾を飲み込むのが分かりました。そして、一人一人、木の束を背負い始めました。男はもう中身はないリュックを放り、残った木の束を背負うと、それはずっしり重く、縄が肩に食い込みます。男は少し辛かったのですが、がんばってそれに耐えている若者達を見て、口をきゅ、と引き結びました。
「さぁ、いざ行こう」
男が言うと、若者達から、おぉ! と元気の良い声が返ってきました。そして男達は歩き始めます。重い荷物を背負い、なま暖かい、沈む地面を踏みしめて、彼らは出発しました。村人達が様々な言葉で、応援していました。
慣れない地面に足をとられながら、男は歩きました。その後ろを一列になった若者達が続きます。しばらく行くと、背負った木々を巻いた縄が肩に食い込んできました。じりじりと感じる痛みに男は顔を歪めました。けれど、その痛みよりももっと強く男を苦しめたのは、不安でした。もしかしたら、間違ったことをしているかもしれない、これで飢えも渇きも癒されなかった時、自分はいったい、どのような運命をたどるのか。考えていると、余所ものはどうにかしなくては、という村人の言葉が頭をよぎって、男の体は冷えました。どうにか成功させなくてはいけないのだと、思えば思うほど、男の足取りは重くなります。蛇の中の地面が、今までよりももっと靴を飲み込んでいるような気がしました。
男の考えを中断させたのは、後ろから聞こえてくる荒い呼吸でした。男は、ハッとして立ち止まり、振り返りました。男のすぐ後ろには誰もいませんでした。少し遠くに、辛そうに歩く若者達が見えました。彼らは、辛そうに、けれど必死に歩いています。男はふと、彼らが飢えと渇きに苦しんでいたことを思い出しました。彼らは、きっとしばらくの間、飲むことも食べることも満足にできていなかったのでしょう。それで、こんなに重い荷物を背負っては、苦しくて当たり前です。男の胸は苦しくなりました。そして懸命に男の後をついてくる若者達を、助けたい、という気持ちが強く男の胸に生まれました。
「一度、休憩にしよう。私が神の言葉を受け取らなくてはならなくなった。その間、木を背からおろして、ここに座って待っているんだ」
ようやく若者達が男に追いついてから、男は言いました。若者達が少しほっとしたのが分かります。男はそっと木を背から下ろして、若者達から離れた場所へ行きました。
男はあぐらをかいて、ぼんやりと上を見ます。蛇の体はいったいどのくらい大きいのでしょうか、天井のようなものは見えず、暗闇があるだけでした。男はまた、あの歌を口ずさみました。そうしていると、なんだか不安な心に、少しの明かりがさすような気がしたのです。そしてしばらくして、若者達の呼吸が普通に戻りました。それからもうちょっと間をおいて、男は若者達のところに戻っていきました。
「神は祠の前に火を捧げるようにおっしゃった。祠まではもう、そう距離も残っていない。さぁ、立ち上がれ。今こそ村を救うときだ」
男が言うと、若者達は顔を見合わせ、それから何か決意したように頷きました。
「行くぞ!」
「おぉ!」
一人の若者が叫び、ほかの六人がそれに続きました。そして、縄で擦れて赤くなった肩に、木を背負いなおしました。男もまた、木を背負いました。肩がジクジクと痛みましたが、男は歯を食いしばりました。ゆっくりと歩き出します。蛇の中には道はありませんが、男はなぜだか歩けばいい道が分かりました。
そうして、後ろの若者達に合わせてゆっくりと、一歩一歩踏みしめるように歩いて、どのくらいが経ったでしょうか。男は歩みを止めました。祠がやっと見えたのです。祠はなぜだか、薄ぼんやりと光っているように見えました。男は祠まで少し早足に寄っていきます。若者達も祠が見えたのでしょう、喜びの声が後ろから聞こえてきました。
祠の前に来ると、男は背中から木を下ろします。すっと肩が軽くなり、体さえ軽くなったような心地がしました。
「これから何をしたらいいんですか?」
同じように木を下ろした若者の一人が男に言いました。
「先ほど、火を捧げるとおっしゃいましたが、火とは一体何なのですか?」
若者達はみんな、火を見たことがないのです。男はポケットから大事そうにマッチを取り出して、残りが十分にあることを確かめてから一本擦りました。すぐに火が辺りを照らしました。女の子から貰ったマッチは、男の持っていたマッチよりも、もっと大きな火をともして、もっと光を暗闇に与えました。若者達が、間近でみる明かりに目を丸くして、興奮しているのが分かりました。
「これが火だ。神様が与えてくださった」
「神様が……!」
若者達はごくり、と唾を飲み込みました。そして、火をじっと眺めていました。男は歌い始めます。
蛇神さまの
お口の中で
火をたきゃアチャチャ
水の恵みよ
光の恵み
ほーらそれそれ
火をたけやたけ
日々の糧をば得んがために
男が歌っていると、若者達はそれに聞き入っていました。男はそしてマッチの火を吹き消そうとしましたが、なぜだか火は消えないで、ただ明るく温かくあたりを照らすだけでした。男は妙だと思ったのですが、男の村の真ん中の大きな火をつけ続けているマッチだったことを思い出し、それならおかしくない、と思いました。男は若者達に言います。
「運んできた木を、祠の前に積みなさい。小さい木を下に、大きい木を上に積むんだ」
男が言うと、フッとマッチの火が消えました。若者達は火に見とれていた目を瞬かせ、それから急いで木の縄をほどきにかかりました。男も自分が運んできた木の縄をほどくと、若者達と一緒に木を積んでいきました。
ちょっとして、男達は木を積み終えました。男はポケットからマッチの箱を取り出すと、シュっと音を立てて、火をつけました。そして、縄に火を近づけると、少しずつ縄をあぶり、縄に火をつけました。縄が燃え上がると、男はそれを小さな木の並べられた、木のタワーの下へと放り込みました。パチパチと、木のはぜる音が聞こえてきます。ちょっとずつ赤くなる木のタワーに、若者達の目は釘付けでした。そして煙が上がります。男は、あぁ、なんと懐かしい香りだろう、と思いました。男が自分の村を出てから、どのくらいが経っているのでしょうか。とたんに、男は村が恋しくなりました。
いよいよ木のタワーは燃えさかりました。もくもくと煙をあげ、橙の火をあげて、辺りを照らし、暖めました。そして、少しすると、肉の焼けるような、匂いが漂ってきました。若者の一人のお腹がグゥと鳴りました。男の鼓動はいよいよ速くなっていました。男の考えでは、そろそろ事がおこっていいはずなのです。
そして、それは唐突に訪れました。
男達の立っていた地面が、グラリと揺れて、それから大きく大きく震えました。木のタワーが崩れて、火が辺りに広がります。男達は火に当たらないように、必死に這いながら逃げました。そうして火が沢山の場所で燃え上がると、どんどん地面の震えが激しくなっていきます。
「やった!」
男は思わず叫びました。その声は、逃げるのに必死な若者達には届きませんでした。
蛇は、心地よく、とぐろを巻いて昼寝をしていました。すると不意に自分の喉がチクチクしました。それはどんどんひどくなって、そして喉の奥がとても熱くてたまらなくなりました。口を開くと煙が出てきます。喉の奥は痛いくらいに熱くって、蛇はとぐろを巻いていた体を伸ばすと、体を大きく揺すって、中で起こっている何か、をおさめようとしました。しかしそれは、どうにもできなくて、蛇はついに、ドン、と大きな音を立てて顔を地面につけ、近くにあった湖にそのまま顔をつっこみました。ゴックンゴックン、蛇は熱い喉を冷やそうと、必死に水を飲みました。
ドドーン、大きな音が鳴って、地面が一番大きく揺れて、止まりました。若者達は立ち上がると、互いの無事を確かめました。そして、男は一人、蛇の喉の向こうを見つめていました。そうすると、男の待ち望んでいた音がしたのです。ゴクン、ゴクン、ザァァァ……。
「なっ、なんだ!?」
若者達が聞いたこともない音に、驚きの声をあげました。そして次の瞬間、沢山の水が男達のいた場所をおそいました。水はとてもいっぱいで、木々の炎はすぐに消えて、水は男達を飲み込んで、村の方へと流れていきます。
村人達は、男達の帰りを今か今かと待っていました。すると、どこからともなく、水音が聞こえてきました。男達を飲み込んだ水は、いろんな場所に湖を作り、勢いを弱めて村へたどり着いたのです。その水の中から、男達は立ち上がりました。
「おぉ!」
村人達が驚きの声をあげて、膝くらいまである水をかきわけながら、走りよってきました。
「皆、無事だったのか!」
「水だ! 水があふれているぞ!」
「神の遣い、ありがとうございます!」
村人が口々に何かしらを言っていた時のことです、不意に風が村をかけぬけたと思うと、ゲェーップ! 大きな音とともに、人も家も吹き飛ばすほどの風が、村の後ろからやってきて、やっと水から抜け出せたというのに、男達は今度は吹き飛ばされてしまいました。
次に男達が目を開けたとき、そこには眩しい光が青い空からふり注いでいました。男は一人、元の世界に戻ってきたことが分かり、喜んでいました。下を見ると、蛇が自分の尾を口に入れて、もう何も飲まないようにしているのが見えました。そして、外には水の減った湖や緑のきれいな山々、森、川、男の見たことのない色彩があふれていました。男は息をのみました。それは、村人達も一緒だったようです。不意に一人の若者が声をあげました。
「あれは、俺たちの家じゃないか!神は俺たちに光りも、きれいな何かも、水も、住む場所さえ与えてくれた! いこう、みんな! これからは、ここが俺たちの住む場所だ」
男がそちらを見ると、蛇のゲップにとばされた村の家家が、地面の上にチョコン、と小さく見えました。みんなが若者の言葉に頷き、滑って下におりて行っている中、男は一人、自分の住んでいた村を眺めていました。蛇の輪の中にある自分の村は、ちっちゃくて、いろいろな物があふれている外の世界よりも、ちょっとだけ、暗く見えました。男の手は無意識に、ポケットのマッチを握っていました。ほとんどの村人が蛇の体を滑っておりた時です、男に声がかかりました。
「神の遣い、我々と共に来てください。あなたがいてくれたら、我々はどんなに心強いか……」
声をかけたのは、あの老人でした。男はとっさに頷きそうになる自分を止めるのに苦労しました。このまま老人についていけば、自分はずっと、神の遣いとして、村人達と一緒に楽しく暮らせるでしょう。しかし、男の手の中にはマッチがありました。女の子のくれた、マッチです。
「それはできない。私は神の遣い。神の元に帰らねばならない。さぁ、あなたもお行きなさい。大丈夫です、神はどこにいても、あなた達を見守っています」
老人は、少し悩んだようでしたが、少しの後に頷いて、蛇の体を滑って、外の世界に消えていきました。
「さて……」
男は声をあげると、腕まくりして、自分の村をみました。はずれの方にある、自分の家。村の中心に燃えているだろう炎。マッチの香り、女の子。男は大きく息を吸い、蛇の内側に向かって蛇の体を滑って下りました。
男はそれからしばらく歩き続けました。男は、蛇が頭上を覆わなくった世界は、暗くなることはあっても、空に男達の呼んでいた月に似たものが辺りを照らしてくれることを知りました。そうして何度も、その月のようなものを見て、何度も明るく照らす何かが(男はそれを太陽と名付けました)空に現れるのを見たころです。男は自分の村に着きました。村のはずれに人はいなくて、村の中心からなんだか楽しそうな声が聞こえてきます。男が村の中心に走っていくと、そこには村の人々が、火の周りで楽しそうに踊って、食べて、飲んでいました。宴だというのはすぐに分かりました。男が端っこでそれを見ていると、声をかけられました。
「おまえ、今までどこに行ってたんだ? すごいぞ、月なんか目じゃない明かりを神様が与えてくれたんだ! さぁ、おまえも祭りに加われよ」
「神様が……? あぁ、それより、おまえ女の子を知らないか? このくらいの背で、村の真ん中の火をつけたマッチを持ってるんだ」
男が言うと、相手は眉を跳ね上げました。
「村の真ん中の火をつけるマッチ? そんなのあるわけないだろう? あの火は神様がくれたものなんだから」
「そうだけど、火をつけている誰かがいるだろう? 女の子なんだ、二つ結びの」
「そんな女の子、見たこともない。おまえ、いなくなる前に変なことを言っていたと思ったが、また変なことを……」
男達が話していると、ほかにも何人かがやってきて、そして女の子の話をする男を、うそつき、と言い始めました。男は気分が悪くなってそこを立ち去りました。そして村中を探しましたが、女の子は見つかりませんでした。
男は村のはずれの家に戻りました。そして、ポケットからマッチを取り出してみました。
マ ッチは、なぜだか一本もなくなっていました。そして箱の底に、ありがとう。と書かれていました。
「あぁ……そうか……」
男 はつぶやくと、おじいさんから教わった歌の一つを歌います。
蛇神さまの
おつかいは
いつもきまった
あの子です
けれどだれにも見えなくて
そっと光を足すだけです
蛇神さまの
おつかいは
いつもきまって
火をつける
蛇神さまの
おつかいに
会えたあなたは
運がいい
男はその歌を歌いながら、そっとベッドに座りました。窓から見える太陽が、沈むまでを眺めて男は眠りました。とても穏やかな気持ちで……。
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