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Chapter.7 瀬更沂るうつと紅月杞

「ただいまー」


 玄関の鍵を開けて家の中に入ると、リビングから女性の話し声が聞こえた。

 時刻は午後の七時半。来客にしては少し遅い。

 こんな時間にうちにきている人間は限られている。


「帰ったよ」


 靴を脱いでこの家で唯一明かりの点いているリビングに顔を出すと、


「おかえり。お疲れ様」


 口の開いたスナック菓子の袋を手に、薄ピンクの布張りソファーに身を委ねた髪の長い女性が言う。わが姉、紅月(くこ)である。


「あ、葎。お邪魔しー」


 その隣にはぼくと同年代の女の子が腰掛けている。ショートの前髪をヘアピンで留めた、くりりとした瞳の少女だ。


「るうつ。夕飯に帰らなくても良いのか?」

「ん。今日はこっちで御馳走になったから」


 るうつが立ち上がって食卓の方を示す。

 食器の代わりにテーブルを占有しているお菓子の山から見て、とっくの昔に食事を終え、いまは女子会の真っ最中だったらしい。


「お母さんに頼まれておかず持ってきたら、今日はお姉ちゃんひとりでごはんだって言うんだもん。それじゃああんまりにも寂しいでしょ? だから私が一緒に食べることにしたの」


 ねー、と声を揃える女性陣。


「久し振りに女の子同士で盛り上がっちゃった。やっぱり持つべきものは生意気な弟くんよりも可愛い妹よね! るうちゃん、葎と交換でうちの子にならない? 瀬更沂(せさらぎ)のおばさんも葎のこと溺愛してるし、悪い話じゃないと思うな」

「んー。どうしようかなー」


 とんでもないことを言い出す。


「弟を隣家に売るんじゃない。そしてるうつも悩むな」


 一週間くらいならそれもアリだけど。

 わが紅月家とるうつの家――瀬更沂家はそれぞれ一軒家のお隣さん同士だ。

 もともと両親たちの仲も良く、同じ年に生まれたぼくとるうつは殆ど家族同然に育てられた。紅月家が忙しいときは瀬更沂の家にお世話になり、瀬更沂のおじさんおばさんが用事で出掛けるときはるうつをうちで預かる。そんな間柄なのでぼくはるうつばかりか、彼女の親御さんにも自分たちの息子のように可愛がられている。特におばさんに至っては男の子がほしかったというだけあって、うちの母親よりもぼくの味方をしてくれる。

 動物カメラマンをしている父の仕事の関係で、現在ぼくの両親は海外に住んでいる。くこ姉とぼくのふたり暮らしは年齢も年齢なのでさほど苦労はしていないが、るうつ含め瀬更沂家のみなさんはいつもぼくたち姉弟を気に掛けてくれ、本当に感謝を言葉で言い尽くせない。

 とはいえ。最近はるうつとも随分とご無沙汰だった。ざっと二週間振りだろうか。

 この春までは中学が一緒だったので毎日顔を合わせていたのだが、学校が別々になるとまるで生活リズムが合わない。環境は日々変わっていく。いつまでも昔のままではいられないのだ。


「葎も昔はるうちゃん、るうちゃんって私の後をいっつも追い掛けてきて可愛かったんだけどなー」


 るうつは下唇に人差し指を当てて思い返すように言う。


「ちょっ、るうちゃん!! そういう恥ずかしい過去話は語らなくて良いから!」


 この幼馴染みは、ここまでで築いてきたぼくのキャラを根底から崩す気か。第一印象がどれほど大切かということを、まるでわかっていない。


「それがいまじゃ、休日デートとしけ込んで。お姉ちゃんに聞いたよ、叉弥香さんって言うんでしょ?」

「また余計なことを」


 ひゅーひゅー、と口笛を吹くフリではぐらかそうとするくこ姉。


「古典的だな! しかも音出てないし!」

「口笛って案外難しいのよね」

「……よくもまあ、それで誤魔化そうと思ったよ」


 ノリと勢いだけで大抵は乗り切れると確信していたらしいところが、逆に怖ろしい。


「で。どうだったの、デート」

「結局そこに戻るんだ!?」

「うん」


 興味津々、期待に満ち満ちた瞳で断言される。

 女子高生の恋バナに掛ける情熱ほど迷惑なものはない。学校でからかわれ、遊園地で弄られて、唯一の安息の地である自宅でさえもネタにされる。 ぼくの平穏はどこにあるのか。


「ぼくと那木とはそんな関係じゃないと何度言えば――」

「知ってる知ってる。だって、葎の本命はこっちの娘だもんね」

「へ?」


 意味深な笑みを浮かべながら、るうつはこれみよがしに一枚の写真を取り出した。

 雲ひとつない快晴の空の下、白いテーブルが眩しい屋外で、噴水をバックにひと組の男女の写真だった。いかにも楽しげにはしゃいでいるミディアムボブの女の子が、やや強引に男の子の左腕に自分の右腕を絡ませている自撮りの写メ。

 それは、つい数時間前にも訪れていたレストラン『スプラッシュ!』の風景で。

 写真の中で焦ったような顔をしている少年は、紛うことなくこのぼくだった。


「ちょ、こ、れ――」

「チョコレートは明治だよね」

「お姉ちゃんはロッテ派かな」


 己の好みをのほほんと語らう女子たち。

 問題はそこじゃないだろ! どういう話の拡げ方だよ。


「違くて! どうしてるうつが、ぼくと(はるか)の写真を持ってるのさ!?」


 るうつの手から件の写真をひったくる。

 ぼくと彼女が一緒に収まった唯一の写真。二度と取り戻すことのできないあの日の思い出、お互いを知るには短すぎたぼくたちの時間――。これはぼくが大切に保管していたものだ。

 彼女と別れてしばらく経って。ぼくは携帯のフォルダに残っていた写メを、誤って消してしまわないように、と、秘かに焼いておいたのだ。

 自分でも未練がましいとは思っている。けれどそれでもぼくはまだ、彼女の存在を吹っ切ることができないのだ。綺麗さっぱり忘れだなんて、そんなこと到底ムリな話だった。

 だから、その写真を本棚のハードカバーの間にしまって――。


「あ」

「こないだ葎の部屋から借りた本に挟まってて、こっちの方がびっくりしたよ」

「やっぱりそれだったか!」


 つい先日、借りたいものがあるから持っていっても良いか、とるうつからメールがきた。長い付き合いなので、特に何がどうとも聞かず、ふたつ返事で了承したのだが、まさかそれがよりにもよって、秘中秘の一冊のことだったとは。

 こればっかりは、確認を怠ったぼくのミスである。るうつに責任はない。 それ以前に、大切なものがなくなっていることに気付けよ、ぼく。


「――遥さん」

「は?」

「遥さん、て言うんだ、その娘」

「ぎゃあああ」


 頭を抱えてその場にしゃがみ込む。

 勢いで名前バレまでしちゃっているし。不注意にすぎる。

 打ちひしがれたぼくは、両膝を床について四つん這いのまま視線を落としていた。


「そこまでショックを受けなくても……」

「これは本気で凹んでるパターンね」


 心配の色が滲むるうつに対し、くこ姉はしたり顔で両腕を組む。

そのまま腰を落とし、慰めるかのように肩を叩く。


「ま、良いじゃない。早いとこ家族に話しておいた方が、あとあと楽よ?」

「何の話!? ていうか、くこ姉、人に語れるほど恋愛経験豊富ないでしょ!」

「葎、アンタ言ってはならないことを言ってくれたわね!」

「だって事実じゃん」

「何おう!」


 そのまま掴み合いになる。組んず解れつの姉弟喧嘩である。

 いや、完全にぼくの八つ当たりなんだけど。こんなことはしょっちゅうなのだ。

 そんな目の前の光景にるうつは止めに入るでもなく、あくまでもマイペースに呟いた。


「でもさあ、なんか良いね。その写真」

「うん?」

「何が?」


 くこ姉とぼくが呆気にとられたように、同時にるうつを見上げた。マウントポジションを取られた状態で、ぼくの方がやや不利な状況だった。


「ん。いつになく葎が嬉しそう」

「そうかねぇ、そんなこともないと思うけど」


 こんな、どうしたって無理やり腕を絡ませられて迷惑そうにしているぼくが嬉しそうに見えるとはねぇ。るうつは変わっている。


「葎は素直じゃないからねー」


 むにー、とくこ姉が楽しそうにぼくの両頬を引っ張る。

 弟の身からしてみると、くこ姉みたいに正直すぎるのもどうかと思うのだが。


「そんな可愛くない弟くんに免じて、この話はここで終わりにしてしんぜよう」

「それは感謝致します」


 くこ姉のお尻がぼくの身体の上からどかされる。つくづく、高校生と成人した女性の戯れとは思えない幼稚さだ。

――それもまたいとをかし、というやつだ。

 瀬更沂るうつと紅月杞。小さい頃からずっと一緒にいる彼女たちと過ごすこんな時間も、これはこれで嫌いではないのだった。


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