Chapter.6 ヒツジ男の噂
「良い、紅月くん? わたしと飯島くんは決してデートをしてたわけじゃないから」
「う、うん」
端立の気迫に押されて、とりあえず頷いてしまった。
そんなこと、改めて言われなくてもわかっている。デートでもなければデートの監視というわけでもあるまい。
飯島は皆まで言わなかったが、要するにこのふたり、ぼくのことを心配してくれていたのだろう。それは、こうして紛らわしに遊園地に誘ってくれた那木と一緒である。
失恋の件は自分の中で一応の折り合いをつけた。元より他の誰かに話そうとは思わない。上手く表現できないが、これは自分の中に大切にしまっておきたいぼくだけの物語で、外に出した途端にあっさりと掻き消えてしまうような気がするのだ。
ならばそれは表に出すまい。そう決心して自分自身いつもどおりの紅月葎でいたつもりだったのだけれど、どうやら思った以上に誤魔化し切れていなかったらしい。
はっきりとした理由まではわからずとも、彼らはなんとなく、ぼくの様子がおかしかったことくらいは勘付いていたようだ。まったく、本当に良い友人たちだよ。
ぼくは心の中で感謝した。
しかし端立、そんなに強固に否定しなくても――。
端立の隣で飯島ががっくりと肩を落としている。いまのひと言が相当効いたらしい。
ぼんくらのぼくでもわかるくらいに、飯島という男は端立ひと筋なのだ。
「依藍ちゃんもなかなか天然なとこがあるからね」
那木が小さな声でぼくに言う。どんまい、飯島。
陽光浴びる『スプラッシュ!』の白テーブルを四人で囲んでの昼食タイム。
合流、というのも妙な言い方だけど――取材もすべて終わったことだし、せっかくだから午後は飯島と端立も交えて四人で園内を回ろうと那木が提案したのだ。
「くっそ! こうなったらやけ食いだ! 那木さん、メニュー借してくれ」
「ほいほい」
半泣き状態でやけ食い宣言をした飯島に、那木が素直にメニュー表を手渡す。
マンゴーアイスパフェ、パンプキンケーキ、苺のミルフィーユ、クリームぜんざい、それから紅玉りんごのタタン……。
「飯島くん。これ、ひとりで食べるつもり?」
しばらくして、注文の品が次々と運ばれてきたところで端立が嘆息しながら訊ねる。
「やけ食いって言ったろ」
意思は固かった。
世の中には男子は甘いものが苦手という風潮があるようだけど、ばくも飯島もスイーツの類は大好物である。女子だけが好きだと思うな、甘いもの。ん、五七五。
「そういえば、『キューティクル』の近くに廃工場があるじゃん?」
ひと口大に切ったケーキを頬張り、飯島が思い出したように言う。
『キューティクル』というのは、市内の学生に人気のパフェのおいしい喫茶店だ。御音学園からはやや遠いが、ぼくたちもよく足を延ばして訪れている。
「言われてみればあるね」
昔からある古びた工場跡だ。取り壊されることもなく、まるで最初から廃墟だったかのような自然さでそこに建っている。
「あそこ、最近出るらしいぜ?」
思わぬ話題だった。
「で、出るって――お化け?」
端立が気持ち後ずさる。座っているのであくまでも気持ちの問題だけど。
気の強い端立は自分の弱み――お化けギライを他人に覚られまいと頑張っているようだったが、声が震えている。ついでに補足すると、端立は虫と雷も大の苦手だ。
その点、那木はうずうずしながら次の言葉を待っている。
お化け屋敷じゃあんなにびびっていた癖に、好奇心だけは人一倍だ。
「いいや、端立。お化けじゃなくって――」
端立から飯島に鋭い殺気が向けられる。無駄に脅かさないでよ、といったところか。
お化けよりも端立の方がずっと怖いとは死んでも言うまい。
「どうやらあの辺りで最近、ヒツジ男なる獣人が目撃されてるらしい」
「ヒツジ男?」
真っ先に訊き返したのは端立だった。
「UMA、ってこと?」
「ん。そういうこと」
問い掛ける端立に飯島は満足そうに答え、ぜんざいの生クリームをスプーンで掬う。
「――食べる?」
「いらない」
速攻で拒否られて、飯島のあーんをしよう作戦は空しくも失敗に終わった。哀れなり、飯島彦二。
てか、たとえ恋人同士であっても友達の前でそれはやらないだろう。どんだけバカップルだ。
ぼくでさえそんな戯れをしたことは――って、いかん。横道に逸れてしまった。
「ヒツジ男っていうと確か、アメリカだっけ?」
恐らくは同じことを考えていただろう端立に確認する。
「アメリカね。体毛に包まれた筋肉質の身体にヒツジの頭を持つ、羊頭人身の怪物。日本で目撃されたって話は聞いたことないけど」
一般人には馴染みのない名称でも、UMA業界(?)ではわりかし有名なのである。
「へー。そんなのがいるんだ」
那木が感心したような声を上げる。
「いるっていうか、いるかもしれないって話なんだけどね。UMAだし。で、飯島。その噂話のヒツジ男はどんなやつなんだ?」
「ああ。殆どいま端立の言った特徴と大差ない。目が緑に光ってて、襲われた女の人もいるらしい」
「襲われた!? 本当だとしたらかなりやばくないか、それ」
「噂では警察も動いてるとかいないとか。でも、そこまでくるとかなり眉唾っぽいな」
なるほどねえ。色々と尾ヒレがついてしまって、どの程度信用できるものかはわからないけれど――とりあえずはそういった話らしい。
「ちょっとした都市伝説、というわけか」
日常の打破と非日常への近接。世の中の学生諸君は、こういった話題に常々憧れているからなぁ。
既に非現実的な厄介ごとに浸食され切っている身としては、あまり歓迎できないが。
「ちなみにその話は誰に聞いたの?」
那木が訊ねる。
情報源を明らかにしておきたいのは新聞部員の性分だろう。
「女バスの一年生。男子の中にも知ってるやつが何人かいたから、それなりに広まってることは間違いないよ」
飯島の入っているバスケ部は、弱小文化系のUMA研とはそもそもの規模が違う大所帯だ。それだけに様々な人間がいて、話のネタも雑多に飛び交っている。
半人半獣のヒツジ男――。その話が本当なのかどうかはとりあえず措いといて。少なくとも複数人が別経路で話を仕入れ、噂になっているとなると無下にはできない。
とはいえ。いざ真剣に取り合うとなると、どうしてもひとつ気になる問題があった。
「でも飯島くん、あの辺りって街中よね」
「ん? そうだけど。それがどうかした?」
どうやら端立も同じ部分に引っ掛かっていたらしい。
いくら御音が山に面し、お隣の桐南市まで行けば海水浴場まである地方都市だからって、件の廃工場があるのは御音市街と住宅地のちょうど境目あたり。ちょっと歩けば『キューティクル』を始めとして、学校やビルだってある。家だって建っている。
「そんな街中に、得体の知れない怪生物が突如として現れるものかしら?」
「それも含めて」
那木が素敵なことでも見つけたかのように嬉々として、胸の前でぱんと手を叩く。
う、この展開は。
「調べよう、紅月!」
「……言うと思ったよ」
きらきらと瞳を輝かせながら、こちらを覗き込んでくる。
好奇心の塊でできている那木が、こんなに『面白そうな話』を放っておくハズがない。
そして新聞部とUMA研の提携関係から、ぼくや端立が引っ張り出されるのもまた必定である。いつものパターンだ。
「まあ、ここで断ったところで部長たちが知ったらどうせ那木と同じことを言うだろうし――」
「UMA研としては異論なし、ね」
端立がぼくの言葉を継ぐ。
そういうこと。
「飯島はどうする?」
ぼくと端立、那木はそれぞれ部活動の一環として調査活動を行うが、前述のとおり飯島はバスケ部員だ。文化部とは違って練習だって忙しい。何もムリしてぼくたちに付き合う必要はない。
「相変わらず冷たいよな、紅月は。そうやって、いちいちちまちま考える」
「別にそんなつもりは――」
「小難しいことは良いんだよ。親友だろ?」
「“級友”ね」
肩を組もうとする飯島の腕を振りほどきつつ、異議を申し立てる。
確かに飯島とはよくつるんでいるし、直接本人には言わないが、頼れるやつだとも思っている。しかし同時に、ぼくにとって飯島は素直な気持ちを認めるのがこの上なく癪な相手でもあるのだ。まぁ、子供っぽい思考かもしれないけど。
だからとりあえず、ぼくは飯島のことを “級友 ”と称している。親友でも心の友でもなく、“級友”。ぼくがそう呼んでいるのは飯島ひとりだけだ。
「ま、どっちでも良いけど。というわけで俺も参加表明」
「でも実際問題、部活の方はどうするのさ?」
「甘いな、紅月。明後日から面談期間だ」
「あ、そうだった」
すっかり忘れていた。なるほど、それなら問題ない。
面談期間中は全学年午前授業で公式的にはすべての部活は活動休止という話だった。うちのような弱小文化部は活動していようがしていまいが誰も気に留めないけれど、運動部はそこらへん厳格だ。第一に音が出るし、第二に場所も取る。面談で何人も抜けるようではチームを作るスポーツでは余計に難しいだろう。
「軽い筋トレくらいはやる日もあるけど、基本的には空いてるから大丈夫」
飯島の視線は既に端立の方に向けられていた。目的はそっちか。
不純だなぁ。こんな動機で良いのだろうか。
「良いの良いの。みんなで一緒の方が楽しいじゃん」
ぼくの考えていることを察知した那木が、朗々として言う。
「それじゃあ、今回の調査はあたし、紅月、依藍ちゃん、飯島君の四人で行うことに決定!」
五月の終わり、ぼくたちは御音の街をにわかに騒がす『ヒツジ男事件』に首を突っ込むことになる。
天気は快晴、絶好の行楽日和。開校記念日のこの日、物語は幕を開けた。
これにて第一章は終了です。
次回、第二章以降は毎週月、水、金の週3回更新で掲載していきたいと思います。