Chapter.4 思惑
「さて、と――」
宗像さんたちと別れた後、ぼくたちはそのまま昼食をとることにした。
ぼくはマルゲリータのピザ(メニューにはピッツァとあったけど、ぼくはピザと呼ぶ派だ)を、那木はあまりお腹が空いていないということで、サンドイッチのセットを頼んだ。
「これからどうする?」
朝方、事務所でお話を伺った際に頂いたパンフレットを広げている那木に訊く。
「記事を書くからには人気のアトラクションとか乗っておいた方が良いんじゃないの?」
そういう意味でもフリーパスのプレゼントはありがたかった。
「うーん。どうしようかなぁ」
サンドイッチを口に運びながら悩む那木。
眉間に皺まで寄せて真剣そのものだ。
「紅月はどこか行きたいとことかある?」
「ぼくは、特に――」
KLGは前にきたときに目ぼしいところをだいたい押さえたので、これといって乗りたいものとか、入りたいアトラクションというのはない。
「つまらない男だねー。女の子と遊園地に行って、出てくるのがそんな台詞とは」
「つまらない男で悪かったね」
誰が付き合ってやったと思っているんだ。
むしろ個人的な希望を述べれば、この場でしばらくぼうっとしていたいくらいである。
彼女と一緒にここを訪れたあの日も、そういえばこの『スプラッシュ!』で昼を食べたっけ。ちょうどそう、例のカップルらしき男女が座っているあの席だ。
柄でもなくセンチメンタルな気分でなんとなく見つめていたら、視線に気付かれてしまったようで、女の子の方に思いっきり顔を逸らされた。き、気まずい。
「――紅月」
窺うような那木の声にふと我に返る。
やけにしんみりとした口調だった。
「ん? 午後の予定でも決まった?」
「ごめん」
急に肩を落とした那木の言動に、ぼくは戸惑った。
謝られた理由にまるで見当が付かない。感傷に浸っている間に、何か聞き落としてしまったのだろうか。
「紅月は最初からKLGにはきたくないって言ってたのに、あたしがムリヤリ連れてきたりなんかしたから」
「いや、まあそれは言ったけどさ」
「今日の紅月、ずっと変だった」
「失礼な。ぼくはいつも普通だ。普通も普通、一般人の中の一般人であることを常に心掛けて――」
「ううん。どこか物想いに耽ってるような感じだもん。いまだって、あたしが何回も話し掛けてるのにぼんやりしてた」
「それは――」
そんなに何度も呼ばれていたとは気付かなかった。
彼女のことを思い出していたから、か。
「やっぱりダメだねー、あたしは」
那木がつとめて明るい調子でおどけてみせる。
「本当はさ。今日に限らず、紅月がちょっと前まで元気がなかったのはわかってたんだ」
力なく言う那木の言葉に虚を突かれた。
それはぼくの絶対の秘密。失恋の痛手のことを指しているのだ。
自分では表に出さないよう最大限の注意を払って、周りの人間に気取られないよう平静平常を装っていたつもりだったのに。
那木にはそこまで悟られていたらしい。
「だから紅月をちょっとでも元気づけてあげたくて、それでKLGで少しでも憂さが晴らせたら良いな、と思って取材に誘ったんだよね。でもまさか、よりにもよってこの場所が原因だったとはね。失敗失敗」
たはっ、とわざとらしく額に手をやって天を仰ぐ。
今日の取材にぼくを駆り出したのにはそんな理由があったのか。
てっきり、ぼくはまた面倒ごとに巻き込んできただけかと――。
那木の真意を知って、ぼくは思わず黙り込んだ。
「そういうわけだから、ごめん。反省してる」
那木は俯き、頭を垂れた。
那木叉弥香は天真爛漫でいつも元気いっぱいな女の子だ。ぼくはいままで、こんなにも落ち込んでいる那木を見たことがなかった。
そしてその原因を作っているのは他でもないこのぼくだ。ぼくが本心を誤魔化して、表向きを繕ってきた結果がこれなのだ。ぼくを案じて、傷つけたと思って自分を責めている。
でも、それは大きな誤解だった。そうじゃないんだよ、那木。全然違う。早とちりも良いとこだ。
ならば、ぼくもきちんと伝えておかなければならないだろう。
ぼくがどれだけ彼女に感謝しているのかを。
「那木」
こちらに顔を向けた那木の目元が心なしか赤くなっていた。
――まったく。そんなに自らを追い詰めることもなかろうに。
自然、自分の表情が和らぐのを感じた。
「なんで笑ってるのさ?」
ぼくのリアクションが意外だったのか、那木がぶすっ、と頬を膨らます。
「確かに、ここはぼくにとって特別な場所で、色々と思い出すこともある。だから、ぼくはここにくるのを嫌がったし、正面から挑む勇気もなかった」
無言でぼくの言葉を聞いている那木。
「――だけど、那木がこうして連れ出してくれたことでひとつわかったことがある」
「わかった、こと?」
「うん。わかったこと」
「何?」
「ん、意外と大丈夫だったってこと」
あんなに避けていたハズの場所だったのに、いざ訪れてみると思った以上に平気だった。あまつさえ、お化け屋敷でそれなりに楽しんでいる自分がいた。ここに足を踏み入れるのはもっと覚悟がいる、と。ぼくが勝手に思い込んでいただけだったのだ。
それは彼女との想い出が風化していくようで悲しいことではあるけれど、一方でいつかは乗り越えなければならない壁でもある。
その踏み出すきっかけをくれたのは、いま目の前にいる那木だった。
「ぼくは、こうしてここに連れてきてくれた那木にはすごく感謝してるんだ。那木が謝る必要なんてどこにもないよ」
「紅月」
那木が大きく目を見張り、曇っていた表情が一挙に晴れる。
それを受けて、ぼくは右手で那木の髪をくしゃくしゃにしてやった。
「――って、やめてよ! セクハラ反対!」
憤然とする那木にぼくの右手が払い除けられる。
ええー、そういう展開!?
「公共の場で人聞きの悪いこと言うな!」
案の定、ぼくたちの方にお客さんの視線が集まっている。先ほどよりも人が増えているだけに洒落ならない。なんてことだ。このままじゃ、ぼくは周囲にセクハラ男として認知されてしまう。
「だいたい紅月は、女の子が髪の毛をセットするのにどれだけ時間掛けてるかわかってないでしょ?」
「セットって――。那木の場合、いつもツインテールで統一じゃん」
「よくそういうデリカシーのない発言が平気でできるよね。あたしだって違う髪型にすることもあるし、たとえおんなじツインテールだって、今日は上手くできたとか、昨日は結び目が気に入らなかったとか、色々あるのっ」
那木が乱れた髪を手櫛で梳きながら言う。
ううむ、よくわからん。
「そもそも同級生の女の子の頭を撫でるとか、常識的にあり得ないでしょ!」
「確かにそれは仰るとおりです」
迂闊だった。なんというか、那木は背が低いせいもあって、どうにも小さい子にするみたいな扱いにしてしまいがちなのだ。父性本能を刺激される、というのも変な話だが。
「ロリコン紅月」
「いや、それは自分がロリっ娘だって認めてることになるけど、良いの?」
「そ、それは違うけどっ!!」
墓穴を掘るとはまさにこのこと。背が低いことは那木の長年のコンプレックスなのだ。
「紅月くん、言いすぎ」
いつの間にやら、すぐ背後に例のカップルらしき男女が立っていて、キャスケットの女の子がぼくの言動を制する。
――どうしてぼくの名前を知っているんだ。
「依藍ちゃんっ!!」
「きゃ、ちょっと、那木さん!?」
一瞬の出来事だった。真正面から那木に抱きつかれて、キャスケットの少女のサングラスがずり落ちる。
普段とは異なり、変装用に栗色の髪をおさげに結わったその娘は――。
「端立!?」
少し恥ずかしそうに頷く彼女は、間違いなく同じクラスの端立依藍で。
となると、もうひとりの “彼氏 ”の方は。
「よ、よぉ」
引きつらせた笑顔でサングラスを外した彼は、言うまでもなくわが級友、飯島彦二であった。