Chapter.2 KLGへ行こう!
那木がその話を持ってきたのは昨日のことである。
帰りのホームルームを終えた教室で級友の飯島彦二、雁葉笹と喋りつつ帰り支度をしていると、那木が凄い勢いで飛び込んできた。
「紅月! 明日、空いてる?」
何の前振りもなく、いきなりそう切り出してきたので少々面食らった。
「あ、飯島君、笹ちゃん」
ぼくの返事も待たず、那木の注意は友人たちの方に向けられる。
「お昼振り、那木さん」
「ちゃすこー」
ぼくよりほんの少しだけ背の低い童顔の飯島と、明るめのストレートをセンターで分け、制服のブレザーの下にパーカーを着ている雁葉がそれぞれに挨拶する。
ちなみに、雁葉によるとこの「ちゃすこ」というのは、「こんちわっす」から派生した言葉なのだそうだが、彼女以外に使っている人間を見たことがない。流行語大賞の受賞にはほど遠い。
そうこうしているうち、クラス中の関心が一様にぼくたちへと集まってくる。
「相変わらず仲が良いことで」などと勝手なことを言ってくる輩もいれば、意味ありげにやにやとしている者もいる。というか、後者は飯島と雁葉だった。
――こいつら。ぼくは好き勝手に騒ぎ始める周囲をうるさい、と牽制する。
「何、もうホームルーム終わったの?」
「うん。とっくに」
そんなギャラリーどもを歯牙にも掛けず、堂々たるピースサインで答える那木。
ぼくと那木は別々のクラスである。ぼくが一年G組で那木がI組だ。
その癖、那木は用事のあるなしに関わらず、しょっちゅう、うちのクラスに遊びにくるため、もはやクラスのみんなにはお馴染みの光景だった。
そして青春を謳歌している高校生連中は、こういうことには本当に目がない。もともと那木が目立つ存在だということもあって、訪問の度にこうして冷やかされるのだ。
「で、明日だっけ」
「そう。開校記念日で休みでしょ」
御音学園の開校記念日は五月二六日。確かに明日である。
「何かあるの?」
「ん。明日、『キリズ・リトル・ガーデン』に行かない? ほら、新しくできた――」
観衆から「おおぉ!」という歓声が上がる。
「お熱いねー、おふたりさん」
女子高生の中の女子高生、雁葉笹もここぞとばかりに囃し立てる。
他人の会話によくここまで盛り上がれるよなぁ。
『キリズ・リトル・ガーデン』はこの春にオープンし、早いもので来月一日にちょうど開園二ヶ月を迎える御音市郊外――山の麓につくられた大型遊園地である。経営母体は哺乳瓶から霊園までなんでもござれで、生産、流通、サービス業と手広く扱う、御音が世界に誇る大企業・OGMグループ。そんなOGMが今度はテーマパーク経営に参画したということでも話題となったのだが、そんな社会的背景にはなんの興味もない学生たちにとっては、目下のところ新たなデートスポットの誕生として大きな関心を集めていた。
那木によると、今回、新聞部ではこのKLGの特集を組むにあたって、取材を行うことになったのだという。それで助っ人としてぼくを駆り出そう――と、まあ、そういうわけらしい。
「ぼくがいたところで大した役に立つとは思えないけど。他の新聞部員と行けば良い話なんじゃないの?」
「みんな忙しいんだよ。ほら、うちも紅月のとこと一緒で少数精鋭型だから」
悪びれもなくそう言う。
一緒と言いつつ、それではまるでぼくが暇人みたいな言い方じゃないか。人にものを頼む態度としてそれはどうなのかという問題について、那木とはじっくり議論しなくてはならないらしい。
「悪いけど那木。ぼく、パス」
大袈裟などよめきが教室の中に広がる。
うーん、ぼくも彼らの反応には構わないことにしよう。いちいちムキになっていては、単に喜ばせるだけだ。
「えー、なんでよ紅月! どうせ暇じゃん!」
「やっぱりそれが本音か」
「しまった、バレたか」
まったく、こいつは。
しかし、何もぼくだって気分を害して言ったわけではない。断ったのには別にちゃんとした理由があるのだ。
あそこは。『キリズ・リトル・ガーデン』は、ぼくと、ぼくの好きだった女の子との想い出の場所だから――。
勿論、それをわざわざ那木に言う気はないし、言ってどうなる話でもない。
「新聞部の取材でどうしても行かなきゃいけないんだけどさ、ひとりじゃつまらないし――」
ぼくの心中などお構いなしに、上目遣いにちらちら視線を向けてくる。
捨て犬がやっと見つけた救いの主にすがるような、哀しみと希望を一緒に感じさせる目つきだ。ぼくは半歩後ずさる。
――そ、それはちょっとずるいんじゃない?
先にも述べたように、那木叉弥香という女の子は可愛いのだ。いくらそれがぼくの好みとは違っていたとしても、やっぱり可愛らしいその顔で見つめられると――弱い。
色恋に疎かろうが好きな娘がいようが、男子高校生の端くれたるぼくにだって、そのくらいの健全な思考はある。
「い、や、だ」
危うく落とされそうになるも、なんとか堪えてそう返す。
しゅん、と俯く那木にぼくの良心がずきりと痛む。
すかさず周りの男子たちから「じゃあ俺が!」「いや、僕が」と有志の声が挙がる。
断ったぼくが言うのも憚られるけれど、空気を読んだ方が良いときもあると思うんだ。
やがて、うー、という恨みっぽく唸るような声がして。
「お願い! 紅月、このとおりっ!」
がばっ、と那木は九〇度の角度で腰を折り、目の前で掌を合わせて頭を下げた。
この挙動にはぼくのみならず、周囲の人間も驚いたようで、刹那の沈黙の後、
「行ってやれよ、紅月」
「ここまでしてるんだぜ」
「鬼か、お前は」
「いや、悪魔か」
といった非難の言葉が噴出する。
「那木さん、かわいそー」
さらに雁葉が白々しく追い討ちを掛けると、今度は遠目に見ていた女子からも「紅月君サイテー」的な視線と罵声が浴びせられる。
「え、何!? ぼく、悪者扱いなの?」
極めつけに、左右を見回すぼくの肩に飯島がぽん、と手を置いて。ゆっくりと頷いた。
くっそ。雁葉、覚えてろ。
「ああもう! わかった、わかったよ! 行けば良いんだろ、行けば」
「ほんとに!? やったぁ!!」
那木の瞳が一瞬にしてきらきらと輝く。その表情はまるで子供そのものだ。
そんな純真無垢な笑顔を浮かべられたら、拒否なんてできないじゃないか。
「ありがと、紅月!」
再度、観衆から上がる「おおぉ!」という声。そして広がる拍手の輪。
だからなんなんだ、この茶番は。
「じゃ、詳しいことは後でメールするね。ばいばい」
すちゃ、と右手を掲げて颯爽と教室を出ていく那木。
「はぁ」
聴衆が散ったところでひとり溜め息を吐くぼくに、飯島が言う。
「ま、良いじゃん。デート、楽しんでこいよ」
「だから、デートじゃないって」
「いや、高校生の男女がふたりで遊園地はデートだろ。なぁ、雁葉さん」
「もち」
飯島が愉快そうに問い掛けると、雁葉は清々しく胸を張った。
「取材だよ、取材」
ぼくは強引にそう〆る。
そんなことを言い合っていると、軽くウェーブした肩口まである栗色の髪の女子生徒が教室に入ってきた。ぼくと同じ未確認生物研究会の部員で、クラスメイトの端立依藍である。
端立はぼくの姿を認めると、まっすぐこちらにやってきて訊ねた。
「紅月くん、いま那木さんが舌を出しながら戻っていったみたいだけど、何かあったの?」
「……ん?」
端立の言っていることの意味が理解できなくて、ぼくは首を傾げた。
やがてひとつの考えに至り、飯島と顔を見合わせる。
「那木、あいつ!!」
歯牙にも掛けず、だなんてとんでもない。那木は、大勢いた聴衆を上手いこと扇動して、強かにもぼくが遊園地行きを認めるような状況をつくったのだ。
まったく悪魔はどっちだよ。あの小悪魔め。
那木叉弥香、恐るべし――。