Chapter.37 一手
「はっ、まさか高校生ごときにこの計画が見破られるとは思ってなかったぜ」
着ぐるみ越しのためにくぐもった声で喋りながら、ヒツジ男は自分の背中に手を回し、ジッパーを下ろす音と共に徐々にそのガワを脱いでいく。
白の長毛で被れているので一見しただけでは殆どわからないが、ヒツジ男の背中には目立たぬようにチャックが隠されているらしかった。驚くべき造型レベルだ。
「未確認生物研究会の活動ってわけか」
バナナの皮が剥けるが如くヒツジ男の頭がぺろんと前に落ちて、見知った顔が現れる。
若い茶髪の男性は自嘲するかのように笑っていた。
「つい二週間前は、よもやこんな形で相見えることになろうとは思ってもなかったけどな。なあ、少年」
「西野さん、どうしてこんな――」
「ひったくりの理由なんて金目的に決まってるだろう」
信じられないといった顔をしている那木の問いに答えながら、西野さんが両足を交互に着ぐるみから抜き去り、すぐ後ろへと脱ぎ棄てる。
「そっちのお嬢さんも悪かったな。いや、お嬢さん的にはおいしいシチュエーションだったかな。王子様に助けて貰えたんだ」
「――お、おうっ!?」
急に話を振られて狼狽する端立。
そんな彼女を伸ばした右腕で庇うようにして、飯島がふたりの間に割って入った。
「端立にちょっかい出したら俺が許さない」
「飯島くん……」
しばらく睨み合いが続いたかと思うと、次に西野さんはぼくと那木、飯島と端立をそれぞれ品定めするように眺めていく。
「――なるほどねえ。なかなかに複雑そうじゃないか、え?」
「あなたには関係ない」
飯島の背後に守られながらも、端立は凜として言い切った。
――なんというか、残酷だよね。
こういうとき、女子は強い。ぼくなんかは羽燐の言葉が頭をよぎって軽く動揺してしまった。
そんなことは重々承知している。だが、いまは目の前の出来事に集中するべきだ。たとえ問題の先送りだと言われようが構わない。それについて論じるタイミングはまだ先だ。
少なくとも、いまではない。
「西野さん、自首してください」
ぼくたちはヒツジ男を捕まえにきたわけではない。
捕まって貰いにきたのだ。
ヒツジ男の正体が西野さんだと思い至ったときから、ずっとそのつもりだった。
着ぐるみ泥棒とひったくり行為がどの程度の罪になるのかはわからないけれど、心象を考えれば逮捕されるよりも自首した方がずっと良いに決まっている。縁あって知り合った仲だ。できることなら微罪で済んでほしいと思うのが人情というものだろう。
「――わたしも。もしあなたが自首するのであれば、襲われた件については水に流して誰にも話さないと約束します」
飯島はその言葉を快くは思っていないようだが、黙って端立の意思を尊重することに決めたらしい。
那木はというと、無言で成り行きを見守っていた。
僅かばかりの沈黙が訪れ、西野さんはぼくたちの提案について真剣に吟味するように、腕を組みながら瞼を閉じた。悪い話ではないハズだ。
それからゆっくりと目を開けると、
「わかった。自首しよう」
観念したように右手が差し出された。
「ありがとうございます」
交渉成立。言いながら、ぼくは西野さんからの握手に応える。
あの日のKLGでも見たにやりという笑みが西野さんの顔に浮かび、ぼくも同調するかのように笑ってみせた。これにて平穏無事に一件落着――と、事件解決にひと息ついたときだった。
西野さんが握った右手をぐっ、と力強く自分の方に引き寄せ、ぼくは思わずつんのめった。
「甘いぜ、少年」
そのまま西野さんが大きく足を上げ、ぼくの腹に勢いよく蹴りを見舞う。
「――っ!」
大きく反動がついた状態で蹴倒され、ぼくは声にならない呻きを上げる。
打ちつけられた衝撃に加え、鋭い痛みを背中に感じる。そこら中に散らばっていた器具の残骸や瓶片が刺さったようだった。
「紅月っ!!」
「紅月くん!?」
飯島が即座に端立を背に回す。
予期せぬ展開についていけない様子の女子ふたりとは対照的な、素早い反応だった。さすがは運動部というべきか。
しかし、そうなると那木の方が無防備になってしまうわけで――。
「ごめん、紅月」
そんな台詞に上半身を起こす。見ると、西野さんが那木のことを羽交い絞めにし、どこから取り出したのかその首筋に、冷徹にきらめくナイフを突きつけていた。
「捕まっちゃった」
てへ、と舌を出す那木。
「可愛こぶってる場合じゃないだろっ」
しかもそんなラブコメの「きちゃった」みたいな言い方で。余裕か!
最悪だ。こうなる怖れがなくもなかったから、今夜のことを那木と端立には報せなかったというのに。仮にも端立に首を絞めた前科のある西野さんの言葉を、ああも簡単に信用して鵜呑みにするなんて。愚かすぎる。
「那木さん!」
「とりあえず大人しくしといて貰おうか」
叫ぶ端立に対し、右手のナイフをこれ見よがしにアピールしながら、元いた位置まで戻っていく西野さん。
当の那木はじたばたとあらん限りの力で抵抗を試みるも、小さな身体で暴れたところで大して支障もない。体重が軽いため持ち運びやすいことこの上なく、はっきり言って理想の人質だった。
「紅月! 男だったら捕まった女の子のひとりやふたりくらい助けてよ!!」
「そうしたいのは山々なんだけどね……」
片膝を立てた状態のぼくに那木がムチャ振りしてくる。
ていうか、ナイフで脅されているとは思えない元気さだな!
それはともかく。那木を助けるのは当然としても、下手にぼくたちが動こうものなら西野さんはすぐさま強行手段に訴えてくるだろう。考えどころだった。
飯島に視線を向けるも、良い案は浮かんでいないらしく、小さく目を伏せられる。
それに飯島には端立がいる。まずはそちらの安全を保つのが最優先だ。となると、あちらふたりにはあまり迷惑を掛けられない。ぼくがなんとかしなければ。
「那木さんをどうするつもり?」
端立が強い口調で訊ねる。
「さあて、どうするかねえ。どの道このままじゃ俺の悪行はもろバレだ。おまえら全員、消えて貰うしかないな」
別段、逆上している様子はない。狂気に駆られて目が血走っているなんてこともない。極めて普通に冷静に、それがさも当然の答えであるかのように西野さんは言う。
「本気で犯罪者になりたいの?」
「そんなもん、着ぐるみ盗んでひったくりやった時点で踏み越えた一線だよ。あんたのことだって殺し掛けたしな」
威圧するような西野さんの目つきに端立が怯む。
強がってはいても、あの夜の出来事が端立の心に恐怖を植え付けたことは間違いない。それでも端立は、一度は彼を許すと言い、いまは友人のために自分を奮い立たせているのだ。
凄いよ、端立。
「西野さん、こんなことして宗像さんも悲しんでると思うんですけど」
田舎のお袋さん作戦でた!
那木が上目遣いで――あの距離、あの身長差なら確実にそうなっているハズだ――自分を人質にしている張本人に訴える。動物の赤ちゃんは守ってあげたくなる本能を刺激して敵を減らすために敢えて可愛くつくられているというけれど、那木の小ささもそれに近いものがある。
――って、頼むから余計なことするなよ! 下手に刺激して殺されでもしたらどうするつもりだ。
「それもいまさらの話だろ。俺は既にあの人を裏切ってる」
「確かし」
西野さんの言い分に納得する那木。籠絡されんな。
「どちらにしてもおまえらは調子に乗りすぎた。未確認生物研究会だか探偵ごっこだか知らねえが、下手なことに首を突っ込むからこうなるんだ。自業自得だな」
「はんっ、責任転嫁かよ。本格的に終わってるな」
飯島たちがやり合っている中、ぼくは依然片膝立ちのまま、使えるものはないか探っていた。素直に立ち上がらなかったのは、床に転がる壊れた器具類をどうにかして活かせないかと画策していたからだ。
――これは。
スラックスの右ポケットに入れた手に触れたそれは、『キューティクル』で捜査会議を行ったあの日、たまたま突っ込んでそのままになっていたものだった。使える。
ぼくは辺りをさり気なく見回して適当な大きさの空き瓶を認めると、飯島と言い合う西野さんに覚られないようにして手元に寄せる。剥がれ掛け、色褪せてしまったラベルには殆ど消えそうな文字でエチレングリコールと書かれていた。
こんなところにあったとはね。このタイミングじゃなけりゃあ、もっと喜んだのだけど。
エチレングリコールは可燃性の薬品。いくら空とはいっても危険性は伴う。それでもぼくに考えつく策といったら、これくらいしかない。後は運を天に任せけり、だ。
所要時間は頑張っても約五秒。その間、どうあっても注意を逸らす必要がある。
ぼくはポケットの中で準備を整え、大きな声で叫んだ。
「端立、足元! ネズミ!!」
「きゃあっ!!」
全員の視線が一瞬ぼくに向いた後、悲鳴を上げて飯島の背中にしがみつく端立と、その足元へ向けられる。いまだ。
バラしておいたマッチ棒とその箱をポケットから取り出し、軸の先を勢い良く側薬に擦ると、着火したマッチを瓶の口に放り込む。
「これでも食らってろっ」
狙いを定め、でき得る限りの勢いをつけて、即席の火炎瓶もどきを力いっぱい投擲する。
放物線を描いた飛び道具が那木の頭上ぎりぎり、西野さんの右頬を掠めた。一瞬の後、派手派手しい音を立ててふたりの後ろへと落下した。
「ナメた真似してくれるじねえか」
怒声を響かせ我鳴る西野さんが、那木の左頬にナイフの切っ先を押しつける。
「那木さんっ」
かろうじて切れてはないようだが、無言で顔を歪めていることから見ても、痛みは感じているらしい。ぼくの行動が西野さんの逆鱗に触れたことは確実であった。
「くだらない策謀のせいで可愛らしい顔が傷ついちまうが仕方ないよな。恨むんならバカなことやった彼氏を恨みな。カッコつけて反抗したところで、当てらんなきゃ意味ねえんだよ」
「彼氏じゃないし!」
絶対絶命のピンチ下でも減らず口を叩く那木にはほとほと感心させられる。
――さておき。
「西野さんは知らないかもしれないけど、ぼくはこれでもコントロールは悪くなくてね」
「ああ!?」
言葉の意味を量り兼ねるといったふうに西野さんが眉をひそめる。
「つまりまあ、端的に言って。――狙いどおりの計画どおりだ」
ぼくがにやりとしてみせると、西野さんは慌てて後ろを振り返る。
ぱちぱちと炎の爆ぜる音。そこには、西野さんの着ていたヒツジ男の着ぐるみが無造作に脱ぎ棄てられており、砕け散ったガラス瓶から転がり出た火の点いたマッチが、長い白毛に引火してオレンジの炎を上げていた。
「クソっ」
一〇年以上も放置されてちゃあ、やっぱり人魂カラーにはならないか。いや、可燃性物質に着火して爆発が起こるような事態にならず、むしろ良かったのだが。
「那木!」
西野さん同様、燃え盛る着ぐるみに気を取られていた那木が我に返り、僅かに生まれた腕の隙間で身体を反転させて。無防備になっていた西野さんの右臑に渾身の一撃を食らわせる。足癖の悪さがようやく役立つときが来たか。
「――いっ」
弁慶さえも涙を見せるウィークポイントに不意打ちを受けた西野さんが、那木の拘束を思わず解く。自由になった那木がこちらへと駆け戻ってきた。
「せっかくチャンスを作ってやったんだ、ぽけっとするなよ!」
「もうちょっとわかりやすい作戦にしてよ。後ろの様子なんてわかんないだから」
「わかりやすい作戦じゃ意味ないだろ!」
成功したから良かったものの、那木に呼び掛けた時点で相手方の注意を引いたも同然だった。
「そんなにカリカリしなさんなって。結果オーライじゃん」
「ぼくは那木を心配して――」
「助けてくれてありがとね、紅月。あたしは信じてたよ」
にっ、と笑う那木。まったくもって調子の良い。
勝手に話を打ち切りやがって。
那木が助かったのを受けて端立と飯島が寄ってくる。
「那木さん、無事か?」
「大丈夫だった!?」
「心配掛けてごめんね、飯島君、依藍ちゃん」
とても人質にとられていたとは思えない元気さでピースサインをつくる。
「どうでも良いけど、とりあえず逃げた方が良さそうだよ?」
「だな」
ぼくの意見に飯島が同意する。
もともと時間稼ぎくらいにしかならない手段だ。着ぐるみの炎をなんとか踏み消そうと試みていた西野さんが、怒りの眼をぼくたちに向けてくる。
「コケにしやがって。もう許さねえ」
ナイフを構え、ゆらりと間合いを詰める西野さん。変に走ったりしてこないところが、逆に本気さを感じさせる。
後ろでは那木が窓枠を乗り越え、続いて端立が外に出ようと足を掛けていた。続く飯島はそのふたりを守る役で、殿のぼくは囮だった。
「じゃあな、少年」
既に、手を伸ばせば届く距離。西野さんが、ぼくの顔面目掛けてナイフを突き出す。
「紅月っ」
窓の外から那木たちが叫ぶ。かろうじて避けたつもりだったが、左頬にぴりりとした痛みを感じた。少しばかり切れてしまったらしい。コントロールは良くても反射神経が特別優れているわけではないのだ。
「ほお、避けたか。次は仕留めてやるよ」
「んぐっ」
西野さんがぼくの首を左手で掴み、再び凶器を振りかざす。狂気を宿したその瞳に気圧される。とりあえず、那木たちを逃がせただけでも御の字だろう。これだけできれば充分だ。あとは野となれ山となれ。
――そして、次の瞬間。
「っ痛あ!!」
ぼくの台詞ではなかった。
からん、と乾いた音を鳴らしてナイフが床に落ちる。
「ってててぇ!」
スーツを着込んだ若い男性が西野さんの右腕を、人体構造上適切でない方向に高々と捻っていた。彼は、馴れた手つきでさっさと西野さんを無効化してしまう。
「だ、誰――?」
屋内の状況を窺っていた那木が呆然とする。
「お待たせしてすみませんでした」
男性が観念して蹲る西野さんに手錠を掛け、ぼくに言った。
と、彼の後ろかられもん色のポニーテールがぴょこん、と顔を出す。室内に残っていたカーテンを引き裂いて燃え盛る炎をはたき消し、すべてを始末し終えたところだった。
「みんな、遅くなってごめんね――って、むぐ! 怪我しちゃってるけど平気なの!?」
彼女は、ぼくを見るなり血相を変えてがくがく肩を揺する。
「乱刃さん!?」
端立が屋外から驚きの声を上げる。乱刃羽燐はそれどころではないとばかりに、おろおろとぼくを心配していた。
左頬の傷を親指でなぞってみると、ほんのちょっとだけ血が付いた。
「だいじだいじ。大したことないよ。このくらいツバ付けときゃ治るって」
「じゃ、じゃあ、あたしが――」
緊張の面持ちで目を瞑り、羽燐がちろりと出した赤い舌先を震わせる。
「そういう不純異性交遊的な意味合いじゃないから!」
那木とか端立とか超見てるし!! 気持ちだけありがたく受け取っておこう。
その前にぼくにはやらなきゃならないことがあるのだ。
「ありがとうございます、葛城さん」
言って、ぼくは命の恩人に頭を下げた。




