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Chapter.30 閃き

 台所からは香ばしい揚げ物の匂いと、くこ姉とるうつのお喋りが聞こえてくる。

 おじさんとおばさんもたまには夫婦水入らず外食でもしたいでしょう、とくこ姉がるうつをわが家の夕飯に招待したのだ。それだとなんだか、るうつが置いてきぼりみたいで可哀想な気もするけど、お姉ちゃんたちと食べるご飯は愉しいから良いのだと彼女は言う。孝行娘だ。

 それはそれとて。くこ姉たちが腕に頼を掛けて夕餉の支度をしてくれている傍らで、ぼくはリビングのテーブルにて英語の宿題に励んでいた。なんと真面目で殊勝な高校生であろうか。

――が、これがなかなか難しい。

 次第に飽きてきたぼくは、集中力を切らして教科書のページを適当に繰り始める。授業中でも退屈なときはついつい先の方を見てしまうものだ。


「――あれ?」


 その途中で妙な引っ掛かりを覚えてぼくは手を止めた。

 「動物の名前を英語で言ってみよう!」という内容の、中学生の教科書にも載っているような特別珍しくもないコラムだ。ゴリラ、タヌキ、カモノハシ、シカ、サイ、イタチ、ヒツジ、センザンコウ、ウシ、ヤギ、カバ、ペンギン……。ところどころマニアックなチョイスが見られるのはネタ切れだったからなのか、制作者の趣味なのか。

 しかしながら、ぼくの目を惹きつけたポイントはそこではない。

 ヒツジ――。

 もしかしてぼくたちは、根本的なところで勘違いを犯していたのではないだろうか。

 だが、待てよ。そこからどう論を拡げたら良いのかがいまいちわからない。

 いっそのこと全面的に羽燐を頼ってしまおうかとも思ったが、これはぼくの物語だ。それに端立までもが危険な目に遭ってしまった以上、いくら探偵といっても、おいそれと羽燐を巻き込むわけにもいかない。今回のヒツジ男事件に限ってみれば、羽燐はせいぜい相談役(オブザーバー)――友情出演みたいなものなのだ。


「はいはい、お待たせー。テーブルの上、片してね」


 くこ姉が本日のメイン料理であるカニ爪揚げを盛った皿を運んできたので、急いで教科書類を除ける。次いで、タイのカルパッチョにビシソワーズ、カマンベールチーズやスモークサーモンを載せたリッツなどパーティーメニューさながらの豪勢な品々が次々と並べられていく。


「今日って何かの記念日だっけ?」

「ううん。給料日がきたから奮発してみました」


 両親と離れて暮らしているわが紅月家の食卓は、ぼくとくこ姉の当番制で賄っている。ぼくも昔は料理なんて一ミクロンもしたことがなかったが、そこは習うより馴れろの精神でレシピどおりにつくれば案外おいしくできるものだ。


「豪華だね、お姉ちゃん」

「ふっふっふっ、私に掛かればこのくらい朝飯前よ」

「正確には夕飯前だけどね」

「さあ、冷めないうちに頂きましょ」


 くこ姉に促されてぼくたちは着席する。くこ姉とるうつが隣同士でその向かいにぼくが座る。三人のときはいつもこの布陣だ。


「いただきます」


 手を合わせておじぎする。


「そういえば葎、ヒツジ男の件は何か進展あった? 私の方は結局、噂話以上の成果は得られなかったけど」


 カルパッチョを自分の皿に取り分けつつ、るうつが訊いてきた。

 わざわざ友達を当たってくれたとは感謝の念に堪えない。


「それがさぁ、ぼくも見ちゃったんだよね。ヒツジ男」

「ええっ、どういうこと!?」


 るうつが食いつくと同時に、スープを飲んでいたくこ姉が盛大にむせた。大丈夫かな。


「どうも何も、実際に灰名工場にいたんだよ」


 端立が襲われたことについては心配を掛けると良くないので伏せておく。


「それで、ちょうどいま事件の全容を掴めそうな取っ掛かりを得たところで――」

「そんな冷静に話してる場合じゃないでしょう! 大発見じゃない!」


 くこ姉が興奮して訴える。

 自分のときの悔しさがあるから余計なのだろう。


「その取っ掛かりっていうのは?」


 対してるうつは比較的冷静だった。

 ぼくは皿に載っているカニ爪をひとつつまんで口に放る。

 適度なしょっぱさと、じゅわりとジューシーな味わいが腔内に広がった。絶品だ。


「うん。ヒツジ男って日本では――」


 殻の中に残った身をほぐして食べようとぱきりと爪を開いたところで、ぼくは硬直する。

 そしてテーブルの上の料理を改めて、端から順に眺めていく。


「くこ姉、るうつ」


 話を中断して呼び掛けたぼくに、ふたりは訝しそうに視線を返す。


「ちょっと閃いちゃったかもしれない」

「閃いた、って何を――?」

「このカルパッチョはヒラメじゃなくてタイよ」


 くこ姉のわざとなのか本気なのかよくわからないボケは放置して、


「るうつ、今日って何日だっけ?」

「三〇日だけど」

「となると昨日は五月二九日か。くこ姉、カレンダー貸して。できれば紙のやつが望ましい」

「え、うん」


 さっぱり状況がわからないままにくこ姉が席を立ち、リビングに置いてある卓上カレンダーを渡してくれる。

 それを受け取って、ぼくはひとつひとつの日にちを確認していく。

――やっぱりだ。

 KLGを訪れた日のこと、くこ姉の怪談話、水瀬さんの証言、UMA研での検討会、鈴芽さんと桐生さんへの聞き取り、工場探索、『キューティクル』での調査会議、ヒツジ男との遭遇、そして今晩の食卓――。この一週間の出来事が次々と脳裏に甦ってくる。

 この謎は、解ける。

 ぼくは確信に満ちた声で言った。


「次にヒツジ男が現れるのは六月五日だ。その日、ヒツジ男には捕まって貰う」

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