Chapter.1 ぼくと那木との関係は
レストラン『スプラッシュ!』の屋外テーブルはまだお昼前ということもあってか、ぼくたちの他には二組のお客しかいなかった。やんちゃ盛りの姉妹を連れた四人家族の親子連れと、高校生くらいのカップルと思しきふたり組。女の子の方は水色のカーディガンに白のロングスカート、緩く結わった茶っぽいおさげ髪、目深に被ったキャスケット帽の下からサングラスを覗かせて、ドリンクのストローに口をつけている。相方の男の子は席を外しているが、こちらもサングラスを着用していた。紫外線対策は万全のようだ。
まだ五月の下旬とはいえ、既にかなり暑いこの陽気。強い日差しが照りつける屋外よりも屋内テーブルの需要が大きいのは、当然といえば当然だった。
ぼくは目の前に座る宗像さんに言う。
「すみません。わざわざ飲み物まで――」
『スプラッシュ!』という名前の由来らしい飛沫を上げる大きな噴水をぐるりと囲むように、シンプルなデザインの丸テーブルが一〇数卓置かれている。よく晴れた空と太陽の下では、並んだ白テーブルはよく映える。
そのうちのひとつ――噴水に極めて近い四人掛けのテーブル席に、ぼくと那木、それからグレーの作業服を着た男の人がふたり座していた。茶髪で背の高い二〇代半ばの西野さんと、小柄で年配の宗像さん――息子とその父親くらいに年が離れている。
ぼくと那木の手元にはそれぞれ、宗像さんにご馳走になった炭酸飲料の入ったグラスと名刺が一枚ずつ置かれている。高校生相手に誠に恐縮な対応だ。
「いいえ。むしろ宣伝して貰うのはこちらの方なんですから」
宗像さんが目尻に皺を作る。
「そのとおり。御音学園の新聞部に学校新聞で紹介されれば、うちとしても一二分以上に元が取れる。ジュースの一杯や二杯、大した投資じゃあないっすもんね」
宗像さんに同意を求めた西野さんが思いっ切りその耳を引っ張られる。
「またお前はお客さんの前で。今日も遅くまで残されたいのか」
「勘弁してくださいよ、昨日も夜勤だったのに」
本気で痛がりタップする西野さんの様子に、ぼくと那木は吹き出した。
「困ったやつですみません。紅月君、那木さん、こいつの言うことは気にしないでください」
至極申し訳なさそうに宗像さんが言う。
――なんというか、本当の親子みたいだ。
「それより、どうでした? うち自慢のお館は」
「すごく楽しかったです!」
そう訊かれて即答する那木。
嘘をつけ、嘘を。
「あんなに大きな悲鳴を上げてた癖に?」
「それを含めて楽しんでたの!」
「はいはいそうですか――うぐっ」
ぼくの右脛にがこっ、と蹴りが入る。地味に痛いんですけど。
テーブル下の凶行に気付いていない宗像さんがにこやかに微笑んでいる。
「ぼくはどちらかといえば、疲れたって印象の方が――。死ぬ気で走ったので」
アレの腕が頬に触ったときは、生理的嫌悪感に思わず鳥肌が立ってしまった。あんな気味の悪い怪物に追い掛けられるなんて、恐怖以外の何ものでもない。
たとえそれが、お化け屋敷の作り物だとわかっていても――。
お化け屋敷『夜宴の館』は、秘密の館で夜な夜な行われる悪魔崇拝の儀式に潜入する、というコンセプトのアトラクションだ。潜入者(お客)は館に仕掛けられた様々なトラップを掻い潜り、儀式に没頭する魔女やら悪魔やらその他諸々に見つからないように奥へ奥へと進んで行く。館の最深部には魔力の宿った“黄金の鍵”が秘蔵されており、それを無事持ち帰ることが潜入者の最終的な使命である。しかし魔女とてそうそう親切ではない。鍵には強力な監視役が付けられていて、ひと度、定位置から動かそうものなら、後は知ってのとおり。ヤツに捕まったらゲームオーバー。逆に見事出口まで逃げ遂せれば、持ち帰った“黄金の鍵”の小瓶が戦利品としてプレゼントされる。これがまたお土産にも最適ですごい人気なのだとか。
もう何度目になるのか、那木がうっとりとしながら瓶を揺らすと、からん、と涼しげな音が鳴る。
その様子を眺めた西野さんが言った。
「あれをクリアできる人、意外と少ないんだよな」
だからこそ価値があるのだろう。
実際のところ、ぼくたちもかなりギリギリの勝負だった。
「しかし館の造りにしても怪物の造形にしても、本物と見紛うほどリアルで驚きました」
「紅月、本物見たことあるの?」
「ないけど! 普通、そこに突っ込むかなー」
本当は驚いたなんて表現じゃ易しすぎる。あまりに迫力があって本気で怖かったくらいだ。幽霊は「いる」派のぼくにとって、お化け屋敷なんて悪ふざけがすぎているとしか思えない。
まあ、那木があれだけ喜んでいるのなら、その努力も報われたというものである。
なにせ、出てきて最初の台詞が「紅月、ありがと! 一生大切にする!」だもんなあ。
「はははっ。あれでもまだ本意気じゃないんですが、存分に楽しんで頂けたようで何よりです」
ぼくたちの言葉に嬉しそうに目を細める宗像さん。遊園地職員の鑑だ。
「それはそうと」
西野さんが急ににやにやし出す。
――イヤな予感がする。
「ふたりって付き合ってんの?」
「なっ!」
「へっ!?」
ぼくと那木が同時に発した素っ頓狂な声に、屋外テーブルの数少ない客の視線が注がれる。
「いやいやいや――ぼくと彼女はただの友達です! それ以上でもそれ以下でもなく!」
一瞬の遅れをとって、態勢を立て直したぼくは全力で否定する。
那木もぼくの言葉にひたすらこくこくと頷いている。
「へーん。『彼女』ね」
疑わしげな目つきの西野さん。
「そっ、いまのは言葉の綾で――」
いかん、完全に遊ばれている。
宗像さんもこの件に関しては特に戒めようとせず、ほくほくと成り行きを見守っている。
第一、ぼくには好きな娘がいるのだ。いや、『いた』になるのかな。失恋とは少し違うけれど、まぁ似たようなものだ。彼女とはもう二度と、逢うことはない。
実はこの『キリズ・リトル・ガーデン(KLG)』には以前、その娘ときたことがあった。
そんなわけだから、西野さんに訊かれたときには、なんとなく気が咎めてつい辺りを見回してしまった。
「今日は単なる手伝いというか、付き添いというか――。ともかくそんな感じで。そもそもぼくは、新聞部ではなく未確認生物研究会ですし」
ぼく、紅月葎と那木叉弥香は私立御音学園高校に通う一年生だ。ここ、御音市の名前を冠した御音学園は充実した校内設備とそれなりのレベルで知られる私立高校で、生徒総数は全校でおよそ一二〇〇名。一学年にざっと一〇クラスほどある計算である。
そしてもうひとつ。御音学園は部活動がさかんなことでも有名だ。学校案内のパンフレットなんかを開くと、大抵どの学校でも“さかんな部活動”なんてフレーズが決まり文句のように使われているが、御音のそれは他の学校のものとはちょっと違う。
本当に部活動がさかんなのだ。
御音学園では“生徒の自主性の尊重”という教育理念の下、部員数一名から部活動の立ち上げが認められており、野球部、サッカー部、水泳部、茶道部のような比較的メジャーどころから、部員全員でかくれんぼを行う「かくれん部」、生徒会直属のファンクラブ運営団体「恋愛管理応援部」、竹馬愛好会「竹馬の友」など、魑魅魍魎(?)な部活たちが跋扈している。
これらマイナー部活動の多くを占めるのが文化部であり、ぼくが所属する未確認生物研究会もそのひとつだ。
総部員数、たった四名。三年生と二年生が各一名に、一年生がぼくともうひとりという弱小部活である。
「未確認生物っていうとアレだよな、ネッシーとか雪男みたいな――」
うろ覚えといった具合に西野さんが訊いてくる。
「はい。Unidentified Mysterious Animals――略してUMA。ネス湖のネッシーや中国の野人、日本のツチノコのような、未だ学術的な発見には至っていないものの、各地で目撃が相次ぐ未知の動物たちのことです。未確認生物研究会は、そういったUMAについてあれこれと討論したり、場合によっては実際に調査を行ったりする部活動なんです」
ちなみにこのUMAという言葉は未確認飛行物体=UFOにあやかって生み出された日本独自の造語であり、海外ではクリプティッドやヒドゥン・アニマルといった名称が使われている。
「けど、ネッシーって恐竜の生き残りだろ? 小学生じゃあるまいし、高校生にもなってそんな嘘っぽい話をよく信じられるな」
「確かに、一般にはネッシー=プレシオサウルスの生き残りという認識は根強いです。でも実は、現在ではプレシオサウルス説を唱える研究者なんて殆どいないんです。というのも、いくつもの理由から、ネス湖のような環境で首長竜の類が何世代にも渡って生き永らえているとは、まずもって考えられないからです」
「つまり、ネッシーはいないってことか」
「そこが難しいところなんですよね。ネッシーは首長竜とは違う別の未知なる生物かもしれないし、既知の動物の見間違いかもしれない。或いは、動物ですらなかったかもしれない。それがわからないからこそ、ロマンを感じるんです」
「ロマンねぇ」
西野さんは苦々しく笑って、腕を組む。男のロマンには、あまり心を動かされない性質らしかった。
「ぼく自身は、UMAの基本的なスタンスって“新種生物の予備群”だと思っています。たとえば、ゴリラは一八四七年、ジャイアントパンダは一八六九年、イリオモテヤマネコは一九六五年――いまや誰もが知ってる動物だって、学術的に“発見”されたのは一九世紀以降の話で、それ以前は地元の人間だけに知られている未確認な動物でした。そう考えると、UMAも、何も怪しげで特別な存在なんかじゃなくて、もっと現実的で近しい動物に感じてきませんか?」
尤も、より神秘的でそれらしいロマン溢れるエピソードも勿論ある。
二○○八年、ベトナム北部の湖で、ホアン・キエム・タートルと呼ばれる絶滅したハズの二メートル級のスッポンが発見された。この湖では古くから、巨大な怪物が棲んでいると囁かれ、大亀にまつわる伝説も残されているという。これぞまさしく、UMAがUMAらしく見つかった好例といえよう。UMAの存在は決して、夢物語の空想譚ではないのである。
「ふうん。言われてみればそうなのかもなぁ」
未だ少し腑に落ちない様子ではあったが、とりあえず西野さんにわかって貰えたらしかった。
小さなところからこつこつと。世間一般のUMAに対する誤った認識を訂正し、誤解を解いていくのもまた、未確認生物研究会の活動である。
「で、その未確認生物研究会が嬢ちゃんの新聞部とどう関係あるんだ?」
「あ、それは――」
話を戻す西野さんに那木が答える。
御音学園の部活動がいくらさかんだといっても、なんでもかんでも許可していたらシステムとして立ち行かなくなる。そこで生徒会は各部活の活動内容を精査し、成績・実績を残さない部には一切予算を与えないという措置を採っている。力のない部は朽ちるのみ、自然淘汰というやつだ。
それは弱小文化部であるところのわがUMA研にとっても看過できない問題であり、そのための打開策として編み出されたのが新聞部との提携関係だった。
新聞部は人数こそ少ないものの、伝統ある実力派の文化部だ。新聞部が定期的に発行している『御音新報』は学校新聞にあるまじき販売制にも関わらず、いつも売り切れ御免の大盛況。校内事情のあれこれから、学校周辺のグルメ情報や注目スポットの特集、怪談じみた話題まで“いま御音生が知りたいこと”をコンセプトに、多岐に渡った記事内容で生徒から絶大な支持を得ている。
当方、未確認生物研究会は情報通の新聞部から御音市周辺の怪しい事件の噂を仕入れ、一方の新聞部はぼくたちがそれを基に行った検証調査の顛末を記事として掲載する。これがなかなか生徒の評判も良く、新聞部側の購買促進の観点は元より、その号の売り上げがわが部の実績にも間接的に影響してくるので、いまでは互いに無視できない間柄となっている。
そして、新聞部と未確認生物研究会との連絡係を担っているのが、この那木なのだ。
「――と、そういうわけなんです」
今回のKLG訪問も新聞部による取材の一環だった。
そうはいっても、今回に限っては、ぼくが協力する必然性はあまりないんだけどね。