Chapter.17 女の戦いと仲直り
――あの後。羽燐からはさんざんお叱りの言葉を頂いた。不謹慎な姿を知り合いに見られてしまったのが相当堪えたらしい。
当然、再び正座である。
「むぐはもう、本当に! ああいう態度がむぐの悪いところだよ。デリカシーのなさに掛けては天下一品なんだから。あの状態で、あたしが雰囲気に呑まれずにいられるわけないってば! むぐに悪気がないのは知ってるよ、でも悪気がないからって悪くないわけじゃないよ。むしろ性質が悪い。端立さんを怒らせた原因だって、結局はそこにあるわけでしょ。今日はもう帰って良いから、ちゃんと端立さんに謝ること」
そこまで一息に言って、ぼくは探偵部の部室から摘み出された。
「あとKLGの約束、忘れないでね。また後でメールするから」
ドアをぴしゃりと閉める前に、羽燐は説教口調で付け加えた。
なんだこれ、新しいツンデレ? ――なんて口走るような愚かな真似は勿論しなかった。
しかし。羽燐の言うことも尤もだ。
事故とはいえ、さっきのアレはさすがにマズかった。不本意ながら“女たらし”と呼ばれているらしいぼくは仕方ないにしろ、羽燐にまで悪い噂が飛び火したら洒落にならない。そういう意味では、目撃された相手が生徒でなかったのは不幸中の幸いだったかもしれない。紅月葎、猛省すべし。
南校舎を四階まで上り切ると、廊下は昼休みに遊びに出た生徒たちで溢れていた。予鈴までまだ余裕はあるが、そろそろ教室に帰り始める生徒もいてなおさら混み合っている。
「紅月君」
一年G組の教室に向かう途中で宮原さんに声を掛けられた。
ちょうど自分のクラスに戻ろうとしている最中だったのだろう。
「宮原さん。今日の昼はごめんね」
「ううん。私も昼練あったし」
「そうなんだ。水瀬さん元気にしてた?」
あの断末魔を聞いてしまっただけにちょっと気になっていた。
すると宮原さんは穏やかに笑って、
「元気だよ。だいぶ大人しくなったけどね」
今後、宮原さんを怒らせるようなことは絶対にしまいと誓うぼくだった。
「ただ叉弥香も今日は新聞部のミーティングがあるって言ってたから、結局飯島君ひとりになっちゃったんだよね……」
宮原さんが浮かない顔になる。思いの外、気にしているらしい。
「まあ飯島だったら、なんだかんだで端立あたりに拾われて楽しくやってるだろうから大じょ――って、宮原さん!?」
どよーんと沈んだ顔をした宮原さんが、暗い笑いを浮かべている。
励ましたつもりだったのに、なんか物凄く落ち込まれたんですけど!
そんなに気に病んでいたのか。飯島なんかのために、優しすぎるよ……。
とはいえ、このままでは宮原さんの面談に関わる――。確か本日、この後からだったハズだ。
「よし、わかった。まだ時間はあるし、飯島の生存を確認しに行こう」
「うん」
言うと、宮原さんがぱっと表情を明るくした。
どちらにしても1Iと1Gは同じ方向だしね。
「それで、調査の方は何か進展した?」
一路、一年G組を目指し歩みを進めていると宮原さんが訊いてきた。
「昨日の今日だからね、まだなんとも。続報が入り次第番組で伝えていく予定なので乞うご期待、ってやつ」
「あるある。結局、それっきりフェードアウトしちゃって絶対放送されないんだよね」
宮原さんもその手の番組はよく見ているらしかった。
それから、いまやっている何々のドラマが面白いなどと取り留めもない会話をしながら一年G組までやってくると、タイミングが良いのか悪いのか、教室の前で端立依藍が張り出された掲示物を眺めていた。ひとりのようだ。
「こんにちは」
どう切り出そうかと逡巡していたら、宮原さんが声を掛けた。
「宮原さん。――と、紅月くん」
端立が少しびっくりしたような顔をする。ぼくや那木とは違って、端立と宮原さんの関係はほんの顔見知り程度――友人の友人くらいの付き合いしかないのだ。
それにしても、ぼくの名前のところで軽く眉をしかめたのを見るに、まだ怒っているな……。
「端立さん、飯島君いる?」
「飯島くんなら、ついさっき男バスの人たちに連れられて出て行ったけど――」
「そうなんだ」
残念そうに呟いたのも束の間、宮原さんは改まった口調で質問する。
「ね、端立さん。飯島君、お昼どうしてた? 今日は私たち誰も一緒じゃなかったからちょっと気になっちゃって」
「どうって――」
「もしかして端立さんが誘ってくれたのかな、って」
宮原さんの言葉を聞いて端立がこちらを睨む。
確かにそんな話はしたけれども、別に深い意味があったわけじゃ――いや、羽燐に言わせれば、ぼくのこういうところが不用意なのだろう。このままでは火に油を注ぐばかりだ。
「端立って、ほら。普段怖いけど実は結構優しいから、飯島がひとり淋しくご飯を食べてたら放ってはおけないんじゃないかと思って――」
「怖いって何よ!」
おだて作戦が裏目に出てしまった。
「わたしは別に――。飯島くんは雁葉さんと食べてたし」
「そっか。教えてくれてありがとね」
答えを聞いて安心したように見える一方で、宮原さんは存外複雑そうでもあった。
しかしそんな表情もすぐに引っ込めて、
「じゃあ私はそろそろ戻るね。端立さん、紅月君。またね」
宮原さんは小さく手を振って去っていった。
今度こそふたりきりだ。昼休みも残り数分。ここで端立に謝っておかないとずるずる長引いてしまう。
「あの、依藍さん?」
「――いあ!?」
ぼくの呼び掛けに、端立は尻尾を踏まれたネコのようにびくっと身体を震わせた。
「な、なな、なんでいきなり名前で呼んでるのよっ!」
「なんで、って――ノリ?」
「ノリでそういうこと言わないでっ」
殆ど悲鳴みたいな勢いだった。
頬を朱鷺色に染めた端立がもう、と呟く。
「とにかく。昨日のことを謝りたくて」
「別にもう怒ってないわよ」
そのわりには憮然とした言い方だ。深い溜め息までついちゃって。
「ほんと紅月くんと話してると、怒ってた自分が馬鹿らしくなってくる」
「酷い理由で許されてるのな、ぼく」
「許したんじゃない。呆れてるの」
「すみません、調子に乗りました」
乙女心は複雑だ。
「どうせ飯島くんたちとお昼を食べなかったのも、そのことを乱刃さんに相談しに行ったからなんでしょ」
はうあ。こんなところにも名探偵が。
「手段は褒められないけど、そこまでしてくれたのは素直に嬉しかったから」
こっ恥ずかしい台詞をさらりと述べる。こういうことを臆面もなく言っちゃうんだよな、端立は。こっちの方がよほど赤面しそうだっての。
「それじゃあ、これで仲直りということで」
「やっぱりわたし、紅月くんのこと嫌いかも」
にっ、と笑ってみせると、端立が不服そうに零した。
「――で」
ぼくは、自分の周りをぐるりと見渡した。いつの間にやら、ぼくと端立は大勢の同級生たちに囲まれていた。
大体がG組の生徒だが、中には他クラスの知らない連中もちらほら交じっている。後ろの方には1Iに帰ったハズの宮原さんの姿もあった。
「なんだよ、修羅場じゃないのか」
「いや、ここから那木さん含めて修羅場になるぜ」
「端立さん、良かったね」
「また紅月かよ、ふざけんな」
――等々、好き勝手言ってくれる。
そして、その一番手前ではわれらがクラス委員長、恋バナ大好き女子高生の雁葉笹がにやにやとやけに楽しそうにしていて――。
「相変わらず仲良いねー。ひゅーひゅーだよ!」
「てか、ネタ古っ。いまの若者に通じないだろ!」
トレンディすぎる台詞で冷やかしてきた。
しかし、なるほどね。こうやって悪評が広まっていくわけか。