Chapter.11 ヒツジ男とは何ぞや?
説明回というか、蘊蓄回というか……。
多少重ためですがお付き合いください。
部員数たった一名からの創部が認められている御音学園において、すべての部活動が部室を持つということはまず不可能である。そこで生徒会執行部は毎年、各部活動の前年度の活動実績によって部室を宛がうかどうかを判断する。部屋の位置は実績のある部から自由に選べるようになっていて、五階建ての部室棟のうち下階ほど人気が高い。理由は簡単だ。いくらエレベーターが付いているとはいえ、一番上まで上がるのは時間も掛かるし面倒くさいのだ。
わが未確認生物研究会の部室は四階にある。得体の知れないテーマを掲げた部活動でありながらもある程度の実績を認められているのは、ひとえに新聞部との提携関係の賜物だ(新聞部は、当然のように一階の最も良い場所に部室を構えている)。
そのUMA研の部室で現在、ぼくたちは会議の真っ最中だった。
「――と、いうわけなんですけど」
ヒツジ男の調査をすることになった経緯と先ほどの水瀬さんの目撃談、おまけでくこ姉から聞いた人魂騒動についてひととおり語ったところで、ぼくは室内に集まる面々の反応を窺う。
広さは通常教室の半分程度。部屋の真ん中には会議室で使われているのと同じ長机がふたつ並べられ、向かい合っての議論がしやすいようにセッティングされている。だいたいどこの部でもこの形がデフォルトだ。
その他にも壁際にはスチール製の本棚、キャスター付きのホワイトボード、小型のテレビと再生専用のDVDデッキの載ったチェストが置かれているため、結構狭い。
おまけに机上の一角は先代の遺産だというチュパカブラだのジャッカロープだのモスマンだのといったUMAフィギュアに占有されているし。こんなマニアックな代物、いったいどこで買い集めてきたのだか。
「ふうむ、なるほど。廃工場のヒツジ男か――。面白そうではあるな」
痩身で目つきの悪い部長がレンズの細い眼鏡のブリッジを押し上げ、ぎらりと瞳を光らせる。
「夜々先輩もそう思いますよね!」
「夜々先輩はやめろ」
部長は唐風夜々という自分の名前を酷く毛嫌いしている。曰く、気取った名前をつけちゃった感満載で痛々しい。夜とか月とか闇だとか、暗黒系に類する漢字は部長の中ではNGネーミングなのだそうだ。
――って、ぼくの名前も『紅月』じゃん!
「いくつもの夜を越えてまた新しい朝が来る――。恰好良いのになあ。ねえ、依藍ちゃん?」
「う、うん」
アンダーリムの赤い眼鏡を掛けた端立が、なんとなく押し切られる形で頷いた。軽い遠視の入っている端立は、授業中や部活中はだいたい眼鏡スタイルだ。ただし眼鏡っ娘的なたおやかさではなく、きりっとした家庭教師のような佇まいなのが端立らしい。
「まあ、そんなことはどうでも良いんだが。生物として考えるとこれはどうなんだ?」
「ぼくもそこが疑問なんですよね」
いくら水瀬さんの目撃証言があるとはいえ、直立二足歩行で羊頭人身の生物というのがどうにも受け入れられない。生態系云々はとりあえず措いておくとして、単純にそんな生物がこの地球に住んでいそうかと問われれば、ぼくは迷わずに否と答えるだろう。そんなもの、それこそモンスターの類だ。UMAの基本的な立ち位置である新種生物予備軍の概念からは遠く掛け離れている。
「そのあたりの考察は追々だな。まずは基本的なところから検めていくとするか。咲良」
「ええ」
天使の輪が光る艶のある黒髪を腰まで伸ばした女の先輩が、嬉しそうに腰を上げる。
咲良美透先輩は昨年度、一年生にしてミス御音に選ばれたほどの美人さんだ。スタイル抜群で成績も堂々の学年第一位。恋管応のファンクラブ会員は女子も含めて三桁に上るという話だが、当の咲良先輩は部長ひと筋だと高らかに宣言している。そう、このふたりは付き合っているのだ。
三年の部長、二年の咲良先輩、端立とぼくの一年組で構成された未確認生物研究会に那木を加えた計五名。これがいまこの部屋にいる全員である。
咲良先輩は自分のところにホワイトボードを引っ張ってくる。
「ヒツジ男はその名のとおり、ヒツジに酷似した頭部にグレーの体毛が生える筋肉質な身体を持ち、直立二足歩行を行う半人半獣のUMAよ。アメリカではゴートマンの名前で通っているけれど、日本では一般的にヒツジ男と呼ばれているわ。頭には大きな二本の角、その瞳はネコのようで黄緑色。腕と爪は長く、脚が逆関節だったという話もあるわね」
自分の下に引っ張ってきたホワイトボードに列挙した特徴を書き込みつつ、咲良先輩はその横に想像図まで描いてみせる。
「ヒツジ男の目撃例で特に有名なのは一九六四年の一件ね」
言いながら咲良先輩は板書する。
一九六四年八月。アメリカはカリフォルニア州ベンチュラにあるアリソン渓谷でハイキング中の少年たちが白昼堂々ヒツジ男と遭遇した。彼らは驚きにあまり急いで逃げたため、特に危害は加えられなかったという。この事件が新聞で報じられて以降、同地域にてヒツジ男の目撃がしばらく続いた。
「後の別証言では、大きな木の枝を棍棒代わりに振り回し、ドライブ中の若者の前に現れて自動車を破壊したという話も出ているので、決して大人しい性格というわけではなそうね」
メモも資料も携えずに諳んじる。これが全部、頭の中に入っているのだ。
何を隠そう、御音学園一の美人女子高生は熱烈なUMAマニアなのである。それも半端なものではない。「ニューネッシーについてなら一晩語り明かせますけど、何か?」というレベルだ。
ぼくや部長なんかは「いるものはいる、いないものはいない」という割とドライなスタンスをとっているし、端立に至ってはUMAというものに最初からあまり関心を持ってすらいないのだが、咲良先輩はとにかく肯定派。ネッシーもイエティもモケーレ・ムベンベも心の底から信じている。
「棍棒とは、それはまた嘘くさいな」
「甘いですね、部長。ヒトやチンパンジーに限らず道具を使用する動物はどんどん判明しています。カラスが小枝を使って幼虫を捕まえることや、タコがヤシの実を隠れ蓑にすることだってあるんです。ましてやヒツジ男ですよ! ヒトとヒツジのハイブリッドですよ! 道具を使わない謂れはないでしょう」
「道具使用とかいう問題なのか?」
動物が自分の身体の延長線上として物を利用し、目的を達成する行動を道具使用という。目的達成のために道具を使用するということは、それだけ高い知能を有していることを意味するのだが――。
「そもそも、そのハイブリッド系ってのが怪しいんだよなあ」
「アメリカはやけに多いですよね、ハイブリッドUMA」
部長の意見に端立が乗っかる。
カエル男にトカゲ男、オオカミの姿をした半人半獣のシャギー。フクロウ人間ことオウルマン――はイギリスだったか。人間と動物の特徴を兼ね備えたハイブリッド型のUMAは、既知生物の亜種や絶滅動物が正体と目されているものとは根本から異なり、悪魔や西洋妖怪といったイメージに近しく、まさしくモンスターと呼ばれるに相応しい姿をしている。恐らく宗教的な側面も関係しているに違いない。
「日本でいえば河童や鬼の目撃談があった、みたいなニュアンスですか?」
「喩えが古いよ、紅月。どっちかっていうと人面犬とか口裂け女みたいな感じじゃない?」
「それでもひと昔前な気がしなくもないけど」
「ナギちゃんの言うとおりね。ヒツジ男はひとつの都市伝説として見るのが正しいのかもしれない。これも面白い話があってね――。実はヒツジ男の目撃証言はアメリカ広域に渡っているんだけど、特に多いのがカリフォルニア州のサンタ・ポーラ周辺の地域なの。ヒツジ男の最初の目撃例は一九二五年頃。当時のサンタ・ポーラにはビリワック・デリーという酪農工場があって、ここが軍の秘密工場なんじゃないかと囁かれていた曰くつきの場所だったの。しかも一九四二年に閉鎖されるとしばらくして幽霊が出た、ヒツジのような怪物を見たという話がちょくちょく寄せられている。問題の工場からとってビリワック・モンスターとも称されているくらいよ。どう、怪しいと思わない?」
「あたしとしては、陰謀論はちょっと――」
興奮して畳掛ける咲良先輩に対し、那木は一歩引いた意見を述べる。
UMAの正体考察では人気の陰謀論ではあるが、ジャーナリスティックな視点からはそんな「いかにもなストーリー」は受け入れ難いようだった。
「まったく。学年一位がそんなものに騙されるなよ」
「成績とUMAは別腹です。だって部長、そう考えると辻褄が合うと思いません? ヒツジの頭をした獣人なんて自然界ではまず考えられない。仮にヒツジ男がビリワック・デリーで極秘に進められていた遺伝子実験によって生み出された怪物だとすれば、多少の無理筋も通るんじゃないかしら」
超肯定派の咲良先輩らしいっちゃ、らしい発想だ。
「残念ながら咲、それはあり得ない」
「どういうことです?」
「ビリワック・デリー自体が実際にあった工場なことは確かだ。しかしながら、そこで極秘の実験をしていた証拠はひとつもない」
「それは“秘密”だったから証拠が隠滅されているだけとも考えられますよね?」
うーん。映画の見すぎな気がしなくもないけど、絶対にないとも言い切れない。
「そうくるか。なら、決定的な理由をひとつ――端立?」
「わたしもそう思って調べてみました」
「さすがだな」
端立はおもむろに立ち上がると、自分の鞄からグリーンの教科書を取り出した。
「生物?」
那木とぼくは互いに顔を見合わせる。
いくら生物とはいえUMAには関係ないだろう――って、
「そうか!」
「何、紅月!? あたしにも教えてよ!」
どうやら咲良先輩もその失念事項に気付いたらしく、苦い笑みを浮かべている。
「えっとね、那木さん。ここに『遺伝子研究の歴史』っていう項があるでしょ?」
端立が教科書の半分あたりを開き、那木に対して差し出す。
「これによると、遺伝子が二重螺旋構造であることが論文として発表されたのは一九五三年。さらに遡ってDNA=遺伝子の存在が初めて証明された実験が一九四四年。しかもいまでこそ正当に評価されているものの、当時はこの研究成果は認められていなかったそうよ。わたしも詳しい内容まで理解してるわけじゃないから割愛するけど、当時の遺伝子研究のレベルはそんなものだったの」
「――それって、依藍ちゃん」
「そう。ヒツジ男の最初の目撃報告が一九二五年で工場の閉鎖が一九四二年でしょ。百歩譲って人間とヒツジの合成生物を生み出すことが可能だとしても、遺伝子の仕組みすら解明されていないこの時代には到底不可能な所業だったハズよ。よってヒツジ男がビリワック・デリーで行われていた秘密研究の末に生み出された実験動物という説は間違い。単なる都市伝説ね」
「なるほどねえ。そこまで考えてなかったよ」
ありがと、と感心した様子の那木が教科書を返す。
「軍の科学力が知られている以上に進んでいた――なんて言っちゃうのは野暮というものね」
咲良先輩が自嘲気味に呟く。それを言い出したらキリがないし、なんでもありになってしまうというのが自分でもよくわかっているのだ。
トンデモな正体論ばかり唱えていては、いつまでも経ってもオカルト扱いから抜け出せない。オカルトという言葉は多くの場合、真面目に取り合っても仕方ないモノとして、少なからず嘲笑の意味合いが込められている。だからこそ、UMAの正体は現実に即したところに答えを求めなければならない。
何故なら、UMAは冷やかし半分のオカルトなんかではなく、あくまでも未発見の動物なのだから。
別にいなくたって構わない。たとえ事実を突き詰めていった結果「いない」ということになったとしても、そこに至るまでの過程こそがUMA研究の楽しさであり、醍醐味だ。
ジェニー・ハニバーはガンギエイの干物を加工したものだったし、スカイフィッシュはモーション・ブラー現象によるハエの羽ばたきの錯覚だったけど、彼らの名前はUMA史に確かに刻まれている。間違いあってこその研究史――それで良いじゃないか。「いない」とわかったところで、その魅力は何ら色褪せたりはしないのだ。
「カリフォルニアといえばビッグフットの目撃も多いことから、ヒツジ男をビッグフットの同類として捉える向きもあるようだが、まぁ苦しいなりにも野生のクマの見間違いあたりで妥協するしかないんだろうな」
部長はそう言ってこの話題を終わらせた。




