Chapter.10 “いわくつきの紅月(クツキ)君”
改題しました。
タイトルを考えるのは本当に苦手で……。
いまいちしっくりくるのが付けられなかったんですよね。
内容は特に変わっていません。今後ともよろしくです。
宮原さんの心配はまったくの杞憂だった。逆に水瀬さんはヒツジ男の話を聞きたいと1Dの教室を訪れたぼくたちを、諸手を挙げて歓迎してくれたくらいだ。
どうやら喋りたくてしょうがなかったらしい。
「那木さんに飯島君、紅月君ね。みんなのことは波唖からよく聞いてるよー」
水瀬さんは少し眠たげな喋り方をする女の子だった。耳をくすぐるような高めの声が特徴的で、目を細めてのんびりと話すその様子はどこかネコっぽい。
「そうでなくとも那木さんと紅月君は結構な有名人だしねー。読んでるよ、『御音新報』」
「ありがと、奏ちゃん!」
自分の記事を読んでいると言われてよほど感激したのか、那木は水瀬さんの手を取って礼を述べる。初対面なのにごく自然に奏ちゃん呼ばわりしてみせるのが那木の那木たる所以だ。
――って。
「那木はともかく、ぼくも?」
「うん。一年G組の紅月葎君。新聞部の那木さんの彼氏で、あの乱刃羽燐さんとも仲が良くて、他にも色んな女の子にちょっかいを出してる“女たらし”だって――」
「そういうこと、本人の前で言っちゃうんだ」
聞いた限りじゃ最低な男じゃん、ぼく。どんな言われようなんだ……。
「てことは、やっぱり本当なの?」
「嘘だけど! 流言飛語も甚だしいけれど! ちょっと、那木からもなんか言ってやってよ」
噂話被害者の会の同志に援護を求める。
「まあ、あたしが紅月の彼女ってとこ以外は大方間違ってないよね」
「うおぃ、裏切り!?」
冷たい眼差しを浴びせてくる那木だった。
飯島と宮原さんに助け舟を出して貰おうにも、ふたりして適当な方向を見やってまるで聞いていなかったフリを決め込んでいる。何、ぼくってそんなイメージ持たれてるの!?
「それはそれとしても、紅月君たちの起こす騒動の数々は『御音新報』読者にはお馴染みだよ。“いわくつきの紅月君”てね」
「別にぼくが起こしてるわけじゃないんだけど――」
「ま、面白ければどっちでも良いんだけどねー」
けらけらと笑う水瀬さん。細かいことにはあんまり拘らないタイプらしい。
しかし、そうだったのか。新聞部とUMA研の提携関係の都合上、ぼくたちが遭遇した事件のあらましは記事として学校新聞に掲載されている。そのおかげでぼく――紅月葎の厄介な巻き込まれ体質も、全校生徒に対して半ば周知の事実となっているようだった。
そのうちぼくにもファンクラブなんかができちゃったりして――なんて妄想は措いといて。
「で、も。私的には飯島君の方が気になるかなー」
「お、俺!?」
いきなり指名されて飯島が戸惑う。
その反応を面白がるように水瀬さんは後ろ手に組んで腰を屈め、飯島ににじり寄る。
「そ。だって、あの波唖が――」
「カーナぁー」
「おっと。怖い怖い。怒りっぽいねー、波唖は」
かつてないほどの圧力を感じさせる宮原さんの台詞に、水瀬さんは悪びれる気配もなく肩を竦める。
なんだったんだ、いったい。宮原さんがそこまで怒るような話題というのはちょっと興味がある。
「ま、とにかく座って座って」
ささ、と勧められた先には既に準備万端整っていた。中央の一脚を囲むようにして半円状にセッティングされた四脚のイス。まるで図書館のおはなし会だ。準備万端すぎる。
「依藍ちゃんがこられないのは残念だったね」
「運悪く日直だったからなあ」
那木が心底残念がる。那木は端立が大のお気に入りなのだ。端立の方はというと知り合って二ヶ月が経とうというのに、未だに那木に対して人見知りが抜けないでいるのだけど。お互い一緒に行動する機会も多いのだし、ぼくとしてはこのふたりの関係がなんとかもっと近付いたものにならないかと常々考えているのだが、こればかりは端立次第だ。
「私がね、それを見たのは先月の初め――」
ぼくたちが席に着いたところで水瀬さんが真ん中のイスに座り、語り始める。
「正確には四月の一○日。入学してすぐの頃だったんだけどねー」
水瀬さんの話を端的にまとめると以下のような内容だった。
四月一○日の夕方のことである。友達と別れて学校を出た水瀬さんは下校途中、灰名の廃工場の前を通り掛かった際に、いまは使われていないはずの工場にふと目をやった。
稼働を止めてから既に長い月日が流れている灰名工場は窓ガラスが割れ、風雨に晒された外壁には黒々とした痕があちこちに見てとれる。建物の周りには背の高い雑草が生い茂り、工場の壁や敷地を囲うフェンスにも、蔦状の植物が絡みついて不気味さを助長している。普通ならば若者の溜まり場や子供の遊び場にでもなっていそうなものだが、そんな話も聞かない。人を拒んでいるというよりも人が拒んでいるといった風情だ。
――と。気のせいだろうか。窓越しの薄暗い工場内に何やら人影らしきものが動く気配を感じた。建物との間には視界を遮るようにフェンスがあり、何より中は暗い。はっきり何を見たとは言えない。それでも、何かが動いたという確信はあった。
そして生憎、水瀬奏はそこでびびって逃げてしまうようなしおらしい娘ではない。
「紅月くーん? 今日、知り合ったばかりの女の子に対してその物言いは失礼でないかい?」
「う、ごめん」
モノローグにダメ出しを食らってしまった。文章作法的にアリなのかなあ、これ。
では改めて。
不審に思う気持ちと好奇心に動かされた水瀬さんは、工場を囲んでいる背の高いフェンスをぐるりと見回すと、下の方に人が通れるくらいの穴を目敏く発見し、そこから敷地内に入り込もうと目論んだ。
しかしその行動は結果として失敗に終わる。四つん這いになってフェンスの破れ目に身体の半分まで通り抜けたところで、肩に掛けていたスクールバッグの端が剥き出しの針金に引っ掛かったのだ。焦って針金からバッグを外そうと引っ張ると、フェンスが音を立てる。それは物静かな廃工場で注意を引くには充分すぎるほどの大きさで――。
建物の中、ガラスの嵌まっていない窓の奥から何者かの足音が聞こえた。間違いなくこちらに迫ってきている。
このままではまずいと感じた水瀬さんは急いで後退を始める。なんとか脱出はしたものの、網目からじっくりと鞄を外している余裕はない。そんなことをしていたら見つかってしまう。
「だから仕方なく鞄はそのままにして逃げることにしたの。それで、立ち上がって逃げるときに窓の向こうにいるそいつの姿がちらっと見えたんだけど――」
優に二メートルはあろうかという巨体。羊蹄類の頭に大きな角を湛え、二本の足で立つ白い長毛に覆われた怪物だったという。疑うべくもなくヒツジ男だ。
「しかもバッグは後で交番に届いてたんだけど、中にあった財布がなくなってるし。入学祝いに買って貰った新品の下ろしたてがだよー? まだ一週間しか使ってなかったのにさ。おまけに引っ掛けたせいで鞄も破れちゃったし」
ほら、と自分の鞄を引っ張り出してきてぼくたちに見せる。
なるほど。ネコのキャラクターが描かれた大きめの缶バッジで巧妙に隠されてはいるけれど、差し出されたナイロン製のスクールバッグの下部には、確かに突き破ったような穴が空いていた。
「滅入るよねー。華々しいハズの高校生活を初っ端から挫いてくれるんだもん。それからしばらくはテンション下がりっぱ」
「何言ってるの。カナがテンション低いときなんて見たことないよ」
「波唖ってばいつもこうなんだよー」
水瀬さんが言いつけるように訴える。まあ、宮原さんの言わんとすることはわかるよ。
「だいたい、カナは不用意だよ。あのへんは夜になると薄暗くて物騒だから、なるべく通らないように注意されてるのに。自業自得って言われても仕方ないよ?」
「夕方ならセーフだと思ったんだもん。それに、あの頃はまだ入学したばっかで、そんな話もまだ聞いてなかったし」
「そうやってすぐに言い訳する。生徒手帳にもちゃんと書いてあったよ」
「生徒手帳! そんなの読んでる真面目ちゃん、波唖くらいだって」
「カナが不真面目なの」
ごめん、宮原さん。ぼくもそこまでは目を通してないや。
それにしても、部活仲間の前だと宮原さんはこんな感じなのか。同性の気の合う友人が相手だからか、ぼくたちといるときよりもずっとラフに接しているのが新鮮だった。
「お、もうこんな時間か。俺はそろそろお暇させて貰って部活に行かないと――」
飯島が教室の時計に目をやって、腰を上げる。
ぼくたち文化部組と違って運動部は時間に厳しい。ましてやバスケは団体競技だ。余計に輪を乱すわけにはいくまい。
「じゃっ、水瀬さん。今日はサンキューね」
「ううん、こちらこそ。聞いて貰ってすっきりした。部活頑張ってね」
そこまで言ったところで、水瀬さんは思い出したふうに手を叩く。
「あ、そだ。飯島君、メアド教えてよ」
「メアド? 別に構わないけど――」
困ったようにぼくに視線を向ける飯島。水瀬さんの真意を量り兼ねているらしい。
「ま、女の子にそんなこと言われたら普通どきっとするよな」
「するの、紅月?」
「そりゃあ、ねえ。ぼくも男の子ですから」
「下心丸出しじゃん」
「んなっ!」
那木とそんな会話をしている間に、飯島と水瀬さんが赤外線でアドレス交換を済ます。
「じゃあ飯島君、今度メールす――」
「カーナぁー!! 飯島君は急いでるんだけど!」
最後まで言い終える前にお冠な宮原さんが遮った。
部活に遅れるのは良くないが、そのくらいは待ってあげれば良いのに。
「飯島君、また明日ね」
「あ、ああ」
宮原さんは明らかに気圧されている様子の飯島を満面の笑みで送り出すと、今度はぼくと那木に向き直る。
「ごめん叉弥香、紅月君。私ちょっとカナに話があるから。今日はここまでで良いかな?」
これ以上なく晴れやかな笑顔なのに、空気全体をびりびりと震わせるようなオーラが放たれている。こ、怖い。
「ちょっと調子に乗りすぎちゃったよね、カナぁ」
背後から水瀬さんを抱きとめて、宮原さんが猫撫で声で耳元に囁いた。
「え、あ、波唖!? や、助けて!!」
救いを求めんとする水瀬さんの腕に宮原さんの小さな手が絡みつく。
にこにことした表情とはまるでうらはらの、射竦めるような瞳にぞくり、と悪寒を覚える。
どうやら相当怒っているらしい。
「ばいばい、波ちゃん」
「水瀬さんのこと、忘れないよ」
「ちょっ! 那木さん、紅月君!!」
挨拶もそこそこにぼくと那木は逃げるようにして1Dから出ていく。
直後、教室の中から断末魔の叫びが上がった。水瀬さんだ。いったい中で何が行われているのか、それは知らない方が幸せのような気がする。
「ありゃ地獄だね」
廊下を歩きながら那木が後ろを振り返る。
向かう先は部室棟。これからUMA研の部室で会議があるからだ。一年D組は南校舎の五階なので、昇降口に降りるだけでも結構時間が掛かる。生徒数が多いからといって、あまり階数を増やされるのも考えものだ。
「ああなった波ちゃんは怖いからなあ」
「水瀬さん、置いてきちゃって本当に平気なの?」
「大丈夫、大丈夫。奏ちゃんだって波ちゃんと仲が良いわけだし、知っててやってるんでしょ。一種のじゃれあいみたいなもんだよ」
……じゃれあい、なんだ。あの悲鳴で。
「しかし宮原さんがあんなに裏表のある性格だったとは知らなかったよ」
「ああいうのを裏表とは言わないよ。紅月だって飯島君には捻くれてみせるけど、羽燐ちゃんには素直に相談ごととかするじゃん。別にそれって裏表とかじゃないでしょ?」
先ほど水瀬さんの口からも名前が挙がった乱刃羽燐とは、ぼくの中学生の頃からの知り合いで、この学校にも通う親友だ。特段意識しているわけではないけれど、改めて言われてみればそうかもしれなかった。
「無意識な使い分け、か」
「人は相手によって態度を変える生き物だからね。別におかしなことでもないと思うよ」
たとえば、と那木。
「紅月に好きな娘がいるとして。その娘に対してとあたしに対しての言動じゃあ、当たり前だけど違ってくるよね」
その言葉にどきりとする。
ぼくの好きだった――いや、いまでも想っている女の子。
彼女と過ごした日のことが脳裏をよぎる。
「そりゃあねえ」
「つまりはそういうこと。ましてや女子が仲間内と男子相手とで応対が違うのなんて普通だよ」
さして興味もなさげに言ってのけた。
「外見に似合わず、那木はたまにびっくりするほど大人びて見えるよ」
「ふふん、どうよ。見直した?」
「そういうところは子供だよね」
そんな態度にどこか安心する自分もいて。それでこそ那木叉弥香だ。
――それに。いまさら見直すまでもなく、ぼくは那木のことをずっと尊敬している。
「那木はさ」
「ん?」
「じゃあ那木はどうなんだ? やっぱり、喋る相手によって態度が違ったりするの?」
「あたし? どうだろうね」
那木がシニカルに笑う。
「少なくとも、紅月の目に映っているあたしがあたしであることには違いないよ」
わかるようなわからないような、意味深な台詞を吐いて那木はこの話を締め括った。
――て、ここで終わられても困る。
「それで、宮原さんはどうしてあんなに怒ってたのさ?」
「まったく。そんなに鈍感でよく語り部が務まるよ」
「物語の語り部は鈍感であれ。第一の殺人の直後に語り部が速攻真相を見抜くようなミステリ小説なんて、なんの面白みもないじゃないか」
気付かないくらいの塩梅でちょうど良いのだ。
「はいはい。詭弁詭弁」
那木はぼくの主張を容赦なく一蹴し、結局、最後までその理由を教えてくれはしなかった。
登場人物の数が増えてきたため、主要キャラの相関図を作りました。
「主な登場人物」のページに載せているので是非ご参照くださいまし。
うーん、複雑だわー。