Chapter.9 いつもと変わらぬ昼休み
くこ姉による廃工場の人魂の噂話。半ば眉唾ものだと決め込んでいたぼくだったが、正直なところ最後のひと言でわからなくなった。灰名工場は土地も広いし、ところどころ老朽化しているとはいえ建物もきちんと残っている。おまけに長らく手付かずだったせいで敷地を囲むフェンスにはところどころ穴が空いている。街の不良に限ることなく、遊び場所を求める小学生、暇を持て余した中高生の溜まり場となっていても何らおかしなことはないのだ。それが――そんな絶好のスポットが十年間も、誰からも見向きもされぬまま、ただうら淋しくその姿を晒し続けているなんて。
ぼくにはそのことが不思議でならない。或いはそれこそが、例の人魂事件が本当にあったという証拠に他ならないのではないだろうか。
「どう思うよ?」
「どう、って――」
対面に座る那木が箸でお弁当の卵焼きをつつく。
「面白い話ではあるけど、それが今回のヒツジ男事件にどう関わってくるのかもわからないし、ましてや十年も前に流行った都市伝説でしょ? 紅月のお姉さんには悪いけど、とりあえず保留かな」
「その言葉、くこ姉が聞いたら悔しさに咽び泣くよ」
「紅月のお姉さんってそんな人なの?」
「まあね。とてもぼくより九つ上だとは信じられない」
「ふうん。ちょっと逢ってみたいかも」
「いずれ紹介する機会があるかもね。たぶん気が合うよ、悪い意味で」
「その表現に悪意しか感じないんだけど」
そういうわけで翌日の昼休み。場所は一年G組の教室である。
教室の隅で机を四つ突き合わせてお昼にするのがぼくたちの習慣で、今日も今日とていつもの如く、いつもの面子で昼食タイムだった。
「それ以前に紅月。家族に紹介って、結構ハイレベルなイベントだよな」
言ったのは飯島だった。にやにやとしているのが腹立たしい。
「べ、別に深い意図は――」
思わず言い淀んでしまった。
那木の隣に座っていた宮原さんがくすくす、と笑い声を立てる。
肩の上で切り揃えられたさらさらの髪、ぱっちり目元に長い睫。那木よりも高い身長は、それでも一五〇センチちょっとしかない。ちょこん、とした印象の女の子だ。
宮原波唖。那木のクラスメイトであり、大の親友でもある。
那木と宮原さん、そして飯島にぼくを加えた四人でお昼を食べるのが日課だった。
昼休みは那木たちのように他クラスで過ごしたり学食に行く生徒も多く、意外と席が余っている。いまも教室に残っているのは全体の約半数で、それ以外は出払っている。普段は教室派の端立や雁葉も今日はどこかへ行っているらしく、見当たらなかった。
「そういえば私も聞いたことあるなー」
宮原さんが思い起こすように視線をやや上に向ける。
「聞いたって、どっちを?」
訊き返したのは飯島だ。
人魂の話か、ヒツジ男の話か。
「勿論、ヒツジ男の方。部活で一緒にバンド組んでるコがね、見たことあるんだって。ほんのちらっとだったみたいなんだけど」
「何それ!?」
「いきなり有力情報じゃん!」
飯島とふたり、身を乗り出して驚いてしまった。騒がしい男子どもでごめん。
でも、まさかこんな身近に目撃証言が転がっているとは。具体的な目撃者が見付かったことで、いよいよもってただの噂話では片付けられない現実的な問題になってきた。
ヒツジ男、本当にいるのだろうか。
「よし、放課後、早速聞き込みだっ」
「おー!」
イスから立ち上がり、拳を突き上げる飯島に那木が同調する。
「言い出しっぺの那木はともかく、どうして飯島はそこまでやる気なんだ? 本来はまったくの部外者だろうに」
「わかってないなあ、紅月は。部外者だからだよ」
ちっちっちっ、と人差し指を横に振りつつ飯島は答える。
「紅月や那木さん、端立はUMA研の調査の度に奇妙な事件に巻き込まれてるけど、俺や宮原さんのような “部外者 ”はいつも蚊帳の外だろ? せいぜいこうやって昼休みに話を聞く程度だ。それが今回は当事者になれるってんだから、そりゃあ乗り気にもなるさ」
「ちょっと待て、飯島。まだ何かが起こるって決まったわけじゃないだろ」
何も起こらず調査が徒労に終わることだって充分考えられるのだ。
「いいや、起こるね。なんたって紅月、お前が関わってるんだからな」
「紅月君の事件誘発体質、だっけ?」
半信半疑といったふうで宮原さんが小首を傾げる。
そう。ぼくのこの性質をそう呼ぶ人もいる。
四月。高校入学早々、成り行きで未確認生物研究会に入部することになったぼくは、以来、いくつか厄介な事件に巻き込まれてきた。しかし誠に不本意なことに、それはぼくが事件に巻き込まれているわけではなく、ぼくが事件を引き寄せているからだと言う者がいる。
それが、事件誘発体質。ミステリ小説の主人公なんかが、一般人にも関わらず出掛ける先々で殺人事件に遭遇してしまうというアレである。
よりにもよって普通人の代名詞であるこのぼくを捕まえて、まったく不名誉極まりない話ではあるが、反面、ぼくが異常なくらいの高頻度でおかしな事件に遭っているのも、また事実だった。
「もし今回、何も起こらなかったらどうするよ?」
「そんなことはあり得ないから安心しろよ。それでも万が一、事件に発展しなかったら――そうだな、一週間ばかし紅月のパシリになっても良いぜ」
余裕の表情で片眉を上げる飯島。
「言ったね?」
「ああ、言った。ま、賭けは百パー俺の勝ちだけどな」
「じゃあ、ぼくが負けたらその逆だ。ちょっとくらいは無事に終わる可能性が残ってるかもよ」
なんとも弱気な発言だった。
とはいえ、考えようによっては起きるか起きないかの二択なのだから、確率論的には半々ともいえるわけで。いと不可思議な言葉のマジックである。
はあ、という那木の嘆息が聞こえる。
「子供だねー、男子は」
「私は意外と好きだな、そういうとこ。可愛いと思う」
「波ちゃんの趣味ってあたし、ときどきわからないよ」
頭を抱える那木に対して宮原さんはふふ、と慈しむように笑った。
「それで波ちゃん、その目撃者の娘――女の子だよね? あたしたちに紹介して貰えないかな」
「んー。私は構わないんだけど……」
「何か不都合でもあるの? その友達も端立みたいに人見知りするタイプだとか」
「ううん。気さくさでいったらたぶん私の友達の中でも一番だと思う。ただ、その話をされたとき、あまりにも突飛な話にみんなして笑っちゃって。誰も真面目に取り合わないものだから最終的にそのコ、ヘソ曲げちゃったの。後からやりすぎたと思ってみんなで謝って許してはくれたんだけど――。いまさら私が頼んで話してくれるかどうか」
言い終えた宮原さんの表情は心なしか物憂げだった。既に解決した問題とはいえ、少なからず罪悪感が残っているのだろう。
それを聞いた飯島がそっか、と妙に静かな相槌を打って。
「宮原さん、その娘の名前はなんて?」
「カナ――水瀬奏。1Dの女の子」
「D組の水瀬、奏――」
「飯島君、知ってるの?」
「いいや。ただ1Dだったら俺もバスケ部の知り合いがいるし、宮原さんが気まずいようだったら、そっちの方から紹介して貰えるように頼んでみるよ」
さすがは大御所、男子バスケットボール部所属。顔が利く。
ついでにいえば、宮原さんを慮ってすぐさまこういうことを言っちゃうあたり、気も利いている。
宮原さんはその言葉に大層驚いたようで、ほんの一瞬大きく目を見開くと、それから慌てたようにぶんぶんと首を横に振った。
「ううん、大丈夫。ありがとね、飯島君。私がカナに頼んでみる」
「そう?」
「うん。私に任せて」
やけに意気込んで言う宮原さん。
いまのやりとりのどこにそんなに気合いの入る要素があったかなあ。謎である。
「それじゃ、まずは放課後。波ちゃんに取り次いで貰って水瀬さんの事情聴取からだね」
「刑事ドラマじゃないんだし、そういう言い方はどうかと思うけどね」
俄然盛り上がってきたー、とひとり勝手にテンションを高くしている那木を窘めつつ、ぼくも本日の予定をおさらいしておく。
「ぼくと那木はその後、UMA研の部室で詳細を詰めるとしよう。部長たちには昨日のうちに今回の件について連絡入れてあるし、水瀬さんの話も含めて検討会だ」
「おっけー」
那木がサムズアップで了承する。
「飯島は今日、部活あったよね?」
「ああ。悪い。水瀬さんの話を聴くところまでは同行できそうだけど、その後は勘弁。本格的な参戦は明日からってことで」
「了解」
そんなふうに確認をしていると昼休み終了まで残り五分を告げる予鈴が鳴って、那木と宮原さんは素早く弁当箱を片すとじゃあね、と言い残して1Iの教室へと帰っていった。