Chapter.8 人魂
「そういや、るうつ」
「随分と強引な話題転換だね」
ぼくは裾を払いながら立ち上がる。
当たり前だ。これ以上遊ばれてたまるか。
写真の話はここで強制終了。心機一転、情報収集だ。
「ヒツジ男って知ってる? 最近流行ってる噂話らしいんだけど」
「うーん。聞いたことあるような、ないような」
なんとも煮え切らない答えだった。
女子高生の方がそういった話題に敏感かと思ったのだけど、そうでもないのかな。
「くこ姉はどう? お客さんから聞いたことない?」
くこ姉は御音市街にある美容室で働いている。職業柄、ぼくやるうつよりもずっと多くの人と接している。意外と、情報収集には適したポジションなんじゃなかろうか。
「私も聞いたことないわね。でもちょっと面白そう。雑談のネタにもなりそうだし、良かったらどんな話なのか聞かせてよ」
なんだか結局、ぼくから教えることになってしまった。
少し長くなりそうなので、ぼくはるうつを伴ってソファーに腰を下ろし、それから昼間飯島に聞いた『ヒツジ男事件』の概要をそのまま話してみせた。
「へえ、あの辺りで廃工場っていうと灰名のことか。怖いというよりも気味の悪い話ね」
言葉とはうらはらに、くこ姉は楽しそうな口調だった。那木と気が合いそうだ。
灰名の廃工場。ぼくが物心付いたときには既にその役目を終えていたから、もうかれこれ十数年は放置されていることになる。
正式名称は灰名化学繊維工業第一御音棟――跡地。第一と付くからには第二、第三も当然あったのだろうけど、現在は残っていないので詳しいことはわからない。ただ第一御音棟だけがいまもなお手付かずのまま解体もされず、荒れ放題でその姿を晒し続けている。怪物が出ると言われても何ら不思議に思うこともない。――そんな場所だ。
「灰名っていったら、るうちゃんの学校の近くじゃなかった? 雪ノ宮」
「でしょ? それもあってさっき訊いてみたんだけど」
結果が不発に終わったのは先述のとおりである。
そうだったんだ、とるうつ。
「なら明日、友達に訊いてみようか?」
「助かる」
とはいえ。飯島によると襲われた人も出たとの話だったが、るうつのスルーっぷりからすると現状学校側が特別注意を促しているということもなさそうだ。となると、少なくとも被害に遭ったのは雪ノ宮女子学院の生徒ではないだろうし、るうつには申し訳ないけれどそちらの線ではあまり有力な情報は期待できないと考えるのが妥当か。
それでももしかしたら、という可能性は捨て切れない。
「しかしあそこもそういう話が尽きないわねー」
何の気なしに言ったくこ姉の台詞に、ぼくは引っ掛かりを覚える。
「くこ姉、それってどういうこと?」
あの灰名工場で他にも何かあったというのだろうか。
「うん。私が中学生のときだから、もうかれこれ五年前になるんだけど――」
「無駄なところでサバを読まないの。くこ姉はいま二四なんだから十年近く前の話でしょ」
混乱を招く発言は控えて頂きたい。
「くっ、自分が若いからって」
くこ姉だって言うほど歳ではないだろうに。
「――まぁ、良いわ。その頃でも灰名工場は、使われなくなってから既に五年以上は経っててね、外見だけでなく中も随分と荒れてたのよ。しかも、どれだけ急な閉鎖だったのかは知らないけど、工場内――どっちかっていうと研究施設みたいな感じかな――には稼働してた当時に使われてた機械とか薬品も置きっぱでね。割れたガラス瓶や放置された吸殻なんかがそこら中に散らばってたりしてたから、かなり危険だったわ。瓶の中の液体が零れて乾いたような跡もあったし、どういう経緯で潰れたのかは知らないけど、物騒な話よね」
曖昧な記憶を辿り辿り語り始めるくこ姉。
でも。ちょいと待たれよ、ホトトギス。
「なんでくこ姉が、工場の中の状態までそんなに詳しいわけ?」
危険だったわ、と言った。伝聞ではなく断定過去。
それじゃあまるで、見てきたような言い種じゃないか。
右へ、左へ、とくこ姉の視線が泳ぐ。明らかに質問者であるぼくと目を合わせることを避けている。
つまり、入ったことがある、と。そういうことですか。
「べ、別に悪いことをしようとしてたわけじゃないの! ちょ、ちょっとした興味本位よ?」
「お姉ちゃん、動揺しすぎ……」
るうつが情けなさそうに首を振る。
第一、悪いことだと充分に自覚しているからこその台詞じゃん、それ。
「で、その悪童が秘密基地ごっこでもしてたの?」
「どんな女子中学生なのよ、私は。そんなことするのは小学生の男子まででしょ」
「廃墟探検だって決して女子中生らしい趣味とは言い難いと思うよ」
それともぼくは女子に対して夢を見すぎなのか? いや、少なくともるうつはそんなことはしなかった。好奇心に突き動かされて生きている那木ならばやり兼ねないが。
「もう、いちいち葎の相手してると話が進まないなぁ」
このご都合主義な理屈! なんと横暴な姉だろうか。
いまに可愛い弟がグレたって知らないからな。
「当時の灰名っていったら不良の溜まり場として有名で、市内の中学校では教師は元より、生徒たちにも危ない場所として警戒されてたの」
「それなら余計に、なんだってそんな危険なところに行ったのさ?」
「まあまあ。順を追って話すから、落ち着いてってば」
先を急ぐあまり諌められてしまった。
はいはい、大人しくしておきますよ。
「――でね。いつものように不良たちが工場跡に屯していたとある夜のこと、彼らは見てしまったんだって」
怪談調の語りにごくりと息を呑むぼくとるうつ。
何を、とは訊ねず次の言葉を待つ。われながら良い聴き手である。
「宙に浮かぶ火の玉――人魂をね」
「人魂ぁ!?」
「何よぅ、不満なわけ?」
自分の方こそ不服そうに、じとっとした目でくこ姉が見てくる。
「別に不満とかそういうことじゃ――」
ただ“人魂”という単語が少し予期せぬものだっただけだ。現在進行形のヒツジ男目撃事件からはあまりに掛け離れていて、関連性を見出せない。
「ていうかお姉ちゃん、どうして人魂なの? 場所がお墓とかならまだわかるんだけど。それとも誰か、あそこで亡くなった人でもいたとか? 機械に挟まれちゃったとか」
「ううん、そこまではわからない」
何気に残虐なことを言っているが、るうつの疑問も尤もだった。
廃墟に人魂。確かにぴったりな組み合わせではあるけれど、実際に出たとなるとまた別の話だ。何故『そこ』なのか――因果関係が謎のままではいまいち説得力に欠ける。
「どちらにしても当時かなり話題になったことは事実よ。不良のひとりが『仲間が人魂に触って腕に火傷を負った』なんて話まで出てきてね。そんなふうに噂がどんどん大きくなっていったものだから、いよいよ本格的に学校も無視できなくなって、市内の小中学校で灰名には近付かないようにって朝会が開かれたほどよ」
「へえ。立派に大ごとじゃん」
少なくとも現段階ではヒツジ男よりもよほど大きな騒動だったらしい。
「じゃあ、お姉ちゃんが灰名に行った理由って――」
「うん。まあ」
バツが悪そうに、くこ姉は右頬を人差し指で掻く。
怖いもの見たさの興味本位で忍び込んだのか。わが姉ながら、その行動力にはまったく恐れ入る。なんだか、ぼくの代わりにくこ姉が主役でもいける気がしてきた。
「だって気になるじゃない! 行くなと言われるほど行きたくなるのが人間の性なのよ」
「くこ姉、熱弁しているとこ悪いけど、やってることは小学生と大差ないからね」
「お説教は受け付けないわよ? もう時効だし、あのときは教頭先生にバレてさんざん怒られたんだから。禊は済んでるの」
「……お姉ちゃん」
るうつが悩ましそうに嘆く。
この姉は昔からこんな性格なのだ。精神的に子供というか、逆に大人のように計算し尽くした上でちゃっかりしているというか。でも、ま。憎めないのも事実だった。
「それで、くこ姉は見られたの? その人魂を」
「ぜんっっっっぜん!」
「すっごく溜めたな」
「しかも工場の中が思った以上に汚くて、机の上にバッグを置いただけなのに黒く汚れちゃってさー」
中学時代の出来事なのにこの反応。相当悔しかったと見える。
結果的には怒られ損に終わったわけだしね。
「ただ、ね――」
くこ姉は神妙な顔つきで口調を真面目なトーンに戻し、付け加える。
「あれ以降、不良が灰名工場跡に屯することはなくなったの。――そしてそれは、十年近く経ったいまでも変わっていない」




